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曲水の宴とひいなの祭り

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曲水の宴とひいなの祭り

リアクション

 
 
 
 ひな人形になろう
 
 
 
 お内裏様とお雛様、三人官女に五人囃子、隋臣、仕丁。
 雛壇を飾るどの人形に扮そうか。
 悩んだ結果、ルーシェリアは決心した。
「少々恥ずかしいですが……かわいくお雛様になってみるですぅ」
 お内裏様のあてがあるわけではないけれど、折角ひな人形になれるのならお雛様になってみたい。
 きっとその方がホテルのお客様も喜んでくれるだろうと、ルーシェリアは女雛の衣装を着付けてもらった。
 衣装も頭もずしりと重いけれど、それに余りあるくらい綺麗な着物を着られるのは嬉しい。
「ボクたちはどうする?」
 高島 真理(たかしま・まり)は共に来たパートナーたちの顔を順に見て尋ねた。
「おぬしが着てみたいもので良いのでござる」
 和風の装束は自分にとっては珍しいものではないからと源 明日葉(みなもと・あすは)が言えば、南蛮胴具足 秋津洲(なんばんどうぐそく・あきつしま)も頷く。
「そうですね。私もそれほど衣装にはこだわりません。五月人形であるならば鎧飾りとなっても良いのですが、雛飾りでは鎧は飾りませんし」
「わたくしは良く分かりませんけれど……あまり目立たないものがいいです……」
 知らない人に取り囲まれて写真を撮られたりするのは怖いから、と敷島 桜(しきしま・さくら)はぎゅっとテディベアのぬいぐるみを抱きしめた。
「だったら三人官女にしようか。あれならひな人形気分も味わえるし、お雛様ほど目立ちもしないし。って、ボクたちみんなだと三人官女じゃなくて四人官女だねっ」
「人数が多すぎるなら、それがしは辞退申し上げるでござるが」
「あ、それならわたくしがやめます」
 明日葉と桜が言い出す。
「うーん、別に多くてもいいんじゃないかな?」
 どうしようか、と迷う真里に、着付けの手伝いをしていた白鞘 琴子(しらさや・ことこ)が構いませんのよ、と声を掛けた。
「今は雛壇飾りは三人官女が主ですけれど、宮中に仕える女官なのですから、何人いても良いものだと思いますわ」
 それにパラミタでの行事なのだから、かっちりと日本風に沿わなくても大丈夫だと琴子に言われ、
「だったらみんなで官女しようよっ」
 そう決めて真里はパートナー共々、官女に扮することにした。
 官女の衣装も所によって様々だ。一般的なのは、白の小袖に長袴、その上に華やかな打ち掛けを着るもの。京びなでは白の小袖と緋色の長袴だけの小袖袴と言われる姿。
「どちらを選んでも構いませんけれど、お客様に聞かれたら違いを説明してあげてくださいましね。持っているお道具の意味もちゃんと覚えて、忘れないようにしてくださいませ」
「えっと、遥遠が持ってるのが三方……で良かったんでしたっけ?」
 三人官女に扮した紫桜 遥遠(しざくら・ようえん)が自分の持っている道具を確かめる。
 パートナー3人の中では一番年長だから、遥遠が三方を持つ役となった。雛壇では真ん中に飾られるこの官女は、三人官女の中で唯一既婚者であるとされ、ひな人形を良く見ると、この人形だけ眉がなくお歯黒をしているのが分かる。
「ハルカの持っているのが、長柄の銚子ですよね〜?」
 地祇のたくらみで幼児化した緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)が、可愛らしく長柄を持ち上げてみせる。幼児化の上に女装、といっても、普段からこの格好でアルバイトしているから、仕草もすっかり慣れたものだ。
「で、僕のが加えの銚子、だな」
 緋桜 霞憐(ひざくら・かれん)が確認すると、琴子は頷いた。
「その通りですわ。加えの銚子は右手で持っていて下さいましね。長柄は注ぐ方が自分の右側にくるようにして両手で捧げ持って下さいまし」
「瑠璃はお雛様なの〜♪」
 紫桜 瑠璃(しざくら・るり)は三人官女ではなく、お雛様に扮していた。皆と一緒に綺麗な衣装を着られることが嬉しくてたまらない。
「今日は皆が瑠璃につかえる? だよね? だったら瑠璃についてこないと駄目なの!」
 小さなお雛様の命に、遙遠は素直に答える。
「はいはい、どこまでもついて行くのです〜」
「じゃああっち行くの〜。あれ? こっちがいいのかな? ……どっちも行くのー!」
 隙に歩いてゆく瑠璃の後を、パートナーたちはしずしずとついてゆく。
「しかし……この格好恥ずかしくないか。よく皆平気でいられるな」
 瑠璃はわかるとしても、と霞憐は遙遠の様子に目をやった。
「ほんとノリノリだな……」
「普段と違うお祭りなのですから、楽しんだ方が勝ちなのです〜」
 ハルカ口調で答える遙遠があまりに楽しそうで、霞憐もそうなのかも知れないと思う。嬉しそうな瑠璃も様子もあいまって、見ている自分も楽しい気分になってくるのだから。
「和装のハルカちゃんも可愛いですね♪ 瑠璃のお雛様もすごく似合ってますし、霞憐も可愛いですよ♪」
 遥遠は眼福眼福と、皆のひな人形姿を目を細めて眺めた。
「そう言ってる遥遠も可愛いのです〜」
 そんな遥遠と遙遠のやり取りも微笑ましく霞憐の目に映る。
「兄様も姉様も霞憐ちゃんもちゃんとついてくるの! 遅れちゃ駄目なの〜」
 喋っていてつい皆の足取りが遅くなったのに気づき、瑠璃が振り返って注意する。
「瑠璃、いつも言ってるけど、ちゃん付けで呼ぶな」
「でも霞憐ちゃんは霞憐ちゃんだよね? さあ、次の場所に行くの〜♪」
 霞憐の抗議もどこ吹く風。瑠璃は上機嫌で歩いて行くのだった。
 
 
 伊礼 悠(いらい・ゆう)マリア・伊礼(まりあ・いらい)に連れてこられたのは、着替えに提供されている部屋。普段は宴会にでも使うのだろう。広々とした畳敷きの部屋はこれから使用する衣装や、着替え中の人々、着替え終わって鏡に姿を映している人、等々の色彩で溢れかえっている。
 マリアの押しに負けてお雛様の衣装に着替えたものの、悠はすっかり及び腰。
「こ、こんな格好似合わないです……」
「大丈夫だってば。悠おねーちゃん、ちゃんとカワイイから。ほら、早く出ないと着替えする人の邪魔になるよ」
 マリアは悠を引っ張って、ホテルの廊下へと出た。
「おまたせー。ふふん、あたしもおねーちゃんもカワイイでしょ?」
 悠と同じくお雛様の扮装をしているマリアは、可愛い衣装が着られたのが嬉しくてたまらない。着替え終わるのを待っていたディートハルト・ゾルガー(でぃーとはると・ぞるがー)著者不明 『或る争いの記録』(ちょしゃふめい・あるあらそいのきろく)の前で、ほらほらと袖を広げてみせる。
「ええ。悠さん、そういった格好もとても似合います。可愛らしいですよ」
 或る争いの記録に褒められて、悠はマリアの後ろへと隠れる。
「可愛くなんか……!」
「もーおねーちゃん、そんなに照れなくたっていいのに。それと、ちょっとオッサン、たまにはおねーちゃんのこと褒めてあげなさいよ!」
 マリアに話を振られて、ディートハルトは言葉に詰まった。お雛様に扮した悠もマリアもとても可愛らしく、微笑みを誘われる。けれど素直にそれを口に出すには照れが邪魔をする。
 詰まってしまったディートハルトに、或る争いの記録は助け船のように言葉を添えた。
「本当に綺麗ですよ。そう思いますよね? ディートハルトさん」
「……あぁ」
 一度頷いてしまえば、その後の言葉は素直に出てくる。
「似合っている。とても素敵だ」
「素敵ってそんなっ……す、凄く恥ずかしい……です……」
 悠は顔を上げていられなくなって俯いた。褒めてもらえたことは嬉しいのだけれど、照れすぎてディートハルトの顔が見られない。
「ほらね。あたしが言った通りでしょ? さあ、お客さんの相手をしに行こう! みんなきっと喜ぶよ!」
「あ、マリアちゃん……」
 半ば強引に客の前に連れ出され、悠は冷や汗の出る思いだった。けれど、日本の文化を紹介したいというホテル側の意向を思えば、無下に逃げ出すことも出来ない。
(私もマリアちゃんみたいに堂々と出来たら……。でも……無理、かな……)
 笑顔を振りまいているマリアをちょっと羨ましく眺めると、悠は恥ずかしそうにその隣にちょこんと控えて、客の向けてくるカメラのファインダーに収まったのだった。
 
 
 着せてみたい。
 けれど着てくれそうにない。
 だとしたら?
「ごめん〜。間違えて三人官女用のとお雛様用のを1着ずつ借りてきちゃった。てへっ」
 ミシェル・ジェレシード(みしぇる・じぇれしーど)の笑顔に、影月 銀(かげつき・しろがね)は自分の嫌な予感が当たったことを知った。
「……まさかミシェルにはめられるとはな……」
 雛祭りがあるから見に行こうとミシェルに誘われてやってきたホテル『荷葉』。貸衣装を借りてきてあげると走っていったミシェルが余りに嬉しそうだったので、なんだろうとは思っていたのだがこういうことだったとは。
「だいたい、三人官女と女雛の2人組というのはおかしいだろう」
「別にどれが何人になっても構わないって言ってたよ」
「貸衣装が嫌だとは言わないが、せめて男物に交換してくれ」
「だって今日は『女の子の日』だよ。銀はいっつも男の子の服しか着ないから、今日くらいは女の子らしい格好させたいんだよ」
 どう反論してもミシェルは受け入れてくれない、と見て、銀は小さくため息をついた。
「……俺が男に好かれるのが嫌いなことくらい知っているだろう。御が普段男の振りをしているのはそのためだということを忘れたのか?」
「うん……。嫌ならいいよ……」
 そのことを出されるとミシェルも弱い。たちまちしゅんとしおれてしまう。その落胆ぶりに今度は銀の方が折れた。
「……別に今日ぐらい構わん。着替えるぞ」
「ほんと? 銀ありがとう!」
 銀のはこれ、とミシェルに渡されたのは女雛の衣装。ミシェルの方は官女の衣装を着付けてもらう。
 着替え終わると2人連れだって、ホテルの客の間を回った。
 といっても、銀は黙っているだけで客の応対はミシェルが一手に引き受けてくれる。これならそれほど大変ではない……と思いきや。
「銀、写真撮らせてだって〜。はい、カメラ見て笑って〜」
 写真自体は嫌ではないが、可愛い可愛いと言われるのは恥ずかしい。
 笑うどころか目のやり場に困って、銀は視線を宙に迷わせた。
 困惑しきりの銀と逆に、ミシェルはずっと上機嫌だ。衣装もしっくりと似合っている……と眺めて銀は気づいた。
 女雛用のと三人官女用の衣装とでは、自分の着ている女雛用の方が明らかに豪華だ。
「本当はミシェルはこちらの衣装の方が良かったのではないのか?」
「こっちは銀に着せたかったからガマンしたんだよ。2人とも同じ衣装じゃつまらないもん」
「ならば、この写真を撮りおわったら衣装を交換しよう」
「別にいいよ。三人官女用の衣装も十分可愛いから」
 ミシェルはそう言うけれど、やはり可愛い衣装が着たいだろう。
「いや、着替えに行こう」
 こちらの衣装もミシェルに着て欲しいから、と銀が表情を緩めた瞬間、カメラのシャッター音がぱしゃりと響いた。
 
 
 
「氷雨ちゃんご機嫌だね。いい事あったの?」
 敦賀 紫焔(つるが・しえん)に聞かれて、鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)はいかにも楽しそうに笑う。
「フフフー、楽しいことが起こるんだよー。これはその為に用意したんだもんー」
 大きな包みを抱えた氷雨はいそいそとホテル荷葉に向かう。何が起こるのだろうと思いながら、紫焔もその後に付いていった。
 
 一方セルマ・アリス(せるま・ありす)はと言えば、中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう)に強引に荷葉に連れて来られていた。
「嫌な予感しかしないんだが……普通の雛祭りになるよな……?」
 なるよね、なってくれ、との願いもむなしく。
「普通のお祭りになるはずないよー」
 背後からそう言って氷雨が抱きついて……というよりは押さえ込みをかけてきた。
「やっほー。ボク参上、だよ。シャオさん、お誘いありがとう」
「氷雨! 待ってたわよ! 準備はいい?」
「うん、バッチリ用意してきたよ。じゃあセルマ君、お着替えに行こうねー」
 シャオと氷雨の間で取り交わされる会話の意味を掴みかねていたセルマは、そこでやっと自分が関わっていることに気づく。
「何に着替えるって?」
「セルマ君サイズの十二単、そしてカツラ。コレだけ揃ってるなら分かるよね」
 氷雨がいい笑顔で取り出したものに、セルマの顔が引きつる。
「何で俺が……」
「というわけでセルマ! 観念しなさい! ここのことを聞いた時に決めたのよ……セルマをひな人形にしてやるって!」
「大丈夫だよ。誰にも負けないくらい可愛いお雛様にしてあげるからねっ」
 両側から老子道徳経と氷雨に腕を取られ、セルマは着替え室に連行されて行った。
 セルマは抵抗できない訳ではないが、相手が相手だけに本気を出すことは躊躇われる。逆に、氷雨と老子道徳経は本気も本気。
「シャオさん、服着せたからカツラお願いー」
「うわあー、キレイな十二単ね! うんうんいいわねいいわね♪ これはできあがりが楽しみだわ」
 衣装を着せられ、鬘をつけられ、化粧までされて。
「ふいー、我ながら会心の出来ね! 相変わらずセルマは可愛いわー♪」
 完成したセルマのお雛様姿に、老子道徳経は狂喜乱舞した。思っていたよりもずっと良い出来だ。
「うん、セルマ君可愛い。女の子に負けないくらい可愛いよ!」
 氷雨も満足して大きく頷いた。が、セルマにはその言葉は喜べない。
「ううっ……お、俺は女の子じゃない……。じゃないもん……」
 豪華な衣装を纏ったままうずくまり、さめざめと泣き出した。
 そんな風情がまた衣装によく似合うことなど、当人は全く気づいていないのだった。
 
「おまたせー」
 着替え終わったセルマは、皆の前へと連れて来られた。
「それにしても……かわいいわ、ほんと。やっぱりそこら辺の女の子より余程女の子っぽいって。あんた……何で男なの?」
 真顔で尋ねる老子道徳経に、それが真に本心から出た言葉だと悟り、セルマは一層ショックを受ける。
「大丈夫だよ、セルマ君」
 そんなセルマの肩を氷雨は励ますように叩き。
「自信持ちなよ! セルマ君は可愛いよ! 誰がどう見ても女の子だよ!」
 その褒め言葉がセルマを地の底へと突き落とすと知ってか知らずか、氷雨は断言する。
(男の子だと思ったんだけど……女の子、だったのかな?)
 紫焔はちょっと首を傾げたが、そのまま黙っていた。
「セル……」
 リンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)は着替えが終了したセルマの姿を見て思わず絶句した後、ふっと鼻で笑った。
「女の子ですね。かわいくなって男の威厳のかけらもありませんね。……一生そのままでいればいいです」
「だよねー。大丈夫、心配しないで。セルマ君は立派な男の娘だって!」
 ぐささっ、と特大のとどめをセルマに刺してから、氷雨はリンゼイに向き直った。
「あ、君がリンゼイちゃんだね。はじめましてー」
「はい。リンゼイ・アリスと申します」
「リンちゃんでいいかな? ボクは氷雨だよ。好きに呼んでくれていいからねー。あ、あれ紫焔ね。ボクのパートナーだよ」
 紹介されて、紫焔は軽く会釈した。
「初めまして。リンゼイ・アリスと申します。以後よろしくお願いします」
 リンゼイは丁寧に挨拶したが、紫焔はびくっと身を震わせる。つんつんした態度が苦手な紫焔は、さっきのセルマに対するリンゼイの態度にすっかり怯えてしまっていた。
「あ、こ、こんにちは……」
 それでも挨拶しなければと紫焔は無理に笑顔を作ってみせたけれど、表情は硬くこわばってうまく笑えない。
 不自然な緊張が伝わったのだろう。リンゼイはしゅんと落ち込んだ顔つきになった。
 それを見た紫焔の方が慌ててしまう。
(そうだよね……初対面なのに失礼だったよね……)
 悪いことをしてしまったと反省して、紫焔はリンゼイに頭を下げた。
「あの……ごめんね」
「いえ、私も態度が悪すぎました。驚かせてごめんなさい」
 最初に見たのがあの様子では、とリンゼイも紫焔に謝る。
 そんな2人の様子に気づいて、氷雨が振り返る。
「って紫焔! ボクが目を離した隙にリンちゃん苛めちゃ駄目じゃん!」
「苛めてなんか……」
「もうー。意地悪する紫焔にはおしおきなのですー」
 氷雨が簪の先を見せると、尖端恐怖症の紫焔は震え上がってリンゼイの後ろに隠れた。
「え! 苛めてないよ! ちょ、だからそれやめてー」
「尖ったものが苦手なんですか? なら私の後ろに居ていいですよ」
 紫焔をかばうリンゼイに、どうやら苛めていた訳ではないと氷雨も理解して簪を下ろした。
「さあ、セルマはお客様のお出迎えしないとね。行くわよ!」
 解決したとみて、老子道徳経がセルマの腕を引いた。
「え、この格好でお客さんを出迎える? な、何で?」
「お客様の接待をする条件で衣装を借りてるからよ!」
 有無を言わせず引く老子道徳経の手から揺るがぬ決意を感じて、セルマはやけになって叫ぶ。
「だー! もう今回はやけくそだ! やってやる!」
「よく言ったわね! はりきってやってちょうだい♪」
 客の前へと引きずり出され、セルマはカタカタと震えながらも何とか笑顔で挨拶する。
「よ、ようこそおいでくださいました……今日はごゆっくりしていってください……」
 どうして自分がこんな目にあっているのかと運命を呪いつつ、セルマはお雛様となって客の接待をし続けるのだった。
 
 
 雛祭りなんて、何年前に祝ったきりだったろうか。
 お雛様の衣装をまとった自分を鏡の中に見て、水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は子供のころの楽しかった雛祭りを思い起こしていた。いつから雛祭りを祝わなくなったのだろう。自分が成長してゆく課程で、雛祭りは子供のお祭りとしてどこかに片づけられ、自分とは関係ないものとして置き忘れてしまった。
 けれどこうしてお雛様に扮してみると、当時の楽しさが蘇る。それに……。
(我ながらよく似合ってますね……)
 何枚も色彩を重ねたお雛様の衣装を着た自分の姿に、ゆかりは顔をほころばせた。
「これがひな人形の衣装なのね。とっても綺麗だわ」
 ゆかりに便乗して、マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)は官女の衣装を着ている。着物の美しさにひとしきり感動した後、でもやっぱり、とゆかりを見た。
「カーリーの方が似合ってるわね」
「そうでしょうか……」
 面と向かって褒められて、ゆかりは恥ずかしそうに扇を上げて頬を隠す。
「で、これを着てどうするの?」
「お客様の接待だそうですよ」
「えー、働くの? でもまあ楽しそうだからいいかー」
「衣装を着ているのですから、それっぽくふるまって下さいね」
 こんな衣装を身につけると、それだけでお雛様気分になれる。普段よりもしずしずと、ゆかりとマリエッタは庭へと向かうのだった。