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71


 九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)には、父親と――九条 譲と一緒に過ごした記憶がほとんどない。
 平日はもちろんのこと、毎週訪れる土曜日や日曜日の休日も、仕事仕事と打ち込んで。
 ローズのことは、親戚に預けたまま。
 誕生日当日におめでとうと言われた記憶もなかった。
 『私って、お父さんの何』。
 全然一緒に居てくれない。
 仕事の方が大事なんだと、幼い娘は悟った。
 しばらくは寂しくて悲しくて仕方なかったけれど……それは次第に嫌悪に変わった。
 顔を合わせても、挨拶等の事務的な会話しかしない。いや、できない。
 たまに口を利いたと思えば、口うるさいことばかり。
 ――最後に話したのって、どんな内容だったっけ。
 些細なことで口論になった気がする。
 それでも譲は何事もなく仕事へ向かい。
 残されたローズは、パートナーと出会った。
 そのまま家出同然にパラミタへ行くことを決め、それまでと違った日々を過ごし。
 後悔なんて、していなかったけれど。
 修学旅行の折、父親の本当の気持ちを知って。
 謝りたいと思った。
 それから、きちんと別れを告げようと思った。
 なのに、どう話しかけていいのかわからない。
 今更になって何を言えばいいのかわからない。
 素直に謝ればいいのに。
 そんな簡単なことが出来なくて、無言の時が流れて。
 花火が上がり、星のように散る火花をぼんやりと眺めていた時だった。
「……黙って家から出て行って、何をしていた?」
 譲が、生前のように厳しい声で問いかけてきた。
「相変わらずお前は……私と目を合わせようとしない」
「…………」
 合わせられないんだ。
 どういう顔をしたらいいか、わからなくて。
 ――それはあんたも同じじゃないの。
 お互い様のくせに、えらそうに。
「何が不満だ? お前が嫌な思いをしないよう、私は頑張ってきたというのに」
「……そういうところ」
「?」
「あんたのそういうところが、ずっと嫌だったんだよね」
 ローズの気持ちも聞かないで。
 自分ひとりで納得して、行動して。
「……私は、お前のために」
「私のために? 何? 何をしたの。
 お金があれば良かったの? そうすれば不自由じゃないって?」
 だから死ぬまで働いたの? 過労死するまで?
「それってそんなにいいこと?」
 親子の時間を犠牲にしてまで、手に入れる必要のあるもの?
「…………」
「私。……あんたと一緒にいたかったって、思ってたんだよ。でも、あんたはずっと気付かなかったんだよ」
 生活には不自由しなかった。
 欲しいものを挙げれば買ってもらえた。
 けれど、本当に欲しいものは手に入らなかった。
「……まぁ、あんたを反面教師にしたおかげで、私は人の気持ちを大事にするよう心がけてるけどね」
 再び、沈黙が流れた。代わりに花火が打ち上げられる。
 様々な色が、形を変えて夜空を彩る。
 綺麗だと思う。
 だけど、感動しない。
 こんなにも美しいものを見ているのに、気分は重くて苦しくて、動かなかった。
「医学の勉強をしているそうだな」
 花火と花火の合間の静寂に、譲が話しかけてくる。
「……それが何」
 先ほどと同じように、ローズは冷たく返す。
「人を救えると思っているのか?」
「どういう意味かな」
「親を悲しい気持ちにさせるお前が、人の気持ちを知って、相手を救えるのか?」
「……悲しいって」
 悲しかったのはこっちだ。
 ずっと見てほしかったのに、見てもらえなくて。
 だから今でも上手く付き合えなくて。
 二の句を告げなくなって、息を吐いた。重く、深い息だった。
「……違うんだ」
 不意に、譲が言う。
「こんなことを言いたいんじゃない。……私は」
 花火が上がった。譲の低い声は花火に消され、聞き取れない。
「何」
 ――何を言いたいの。
 ローズは今日、初めて譲の顔を見た。
 譲は、今までに見たことのない、悲しそうな顔をしていた。
「……時間だ」
 はっとして時計を見た。二十一時数分前。ナラカの門が閉じる。連れ戻されてしまう。
「……言葉は難しいな。どうしても上手く伝えられない」
 素直になれなかったのは、譲も同じなのか。
「言わないと後悔するってわかっていても、……言えないんだよね」
 同意すると、苦笑するように小さく譲が笑った。
「ローズ。……離れていても、ずっと愛していた」
 あれほど反発した彼の言葉だったけれど。
 その一言は、驚くほどすんなりと入り込んできて。
「……今ならわかるよ」
 つられて、ローズも素直に返した。
「……それじゃあな」
 帰っていく。
 譲の背中が遠ざかる。
「……父さん!」
 思わず呼びかけた。譲が振り返ったのを確認し、ローズはヱホバの長弓を使用した。
 弦を弾き、祝福の音色を響かせる。
 それは、軍人が葬式の際に空へ向けて銃を撃つように。
 死者を弔い、送り出すために。
「……またね」
 最後の声は、聞こえただろうか。
 もう誰も居なくなった空間から目を離せずに、ローズはしばらくの間立ち尽くしていた。