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死いずる村(前編)

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死いずる村(前編)
死いずる村(前編) 死いずる村(前編)

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■□■第一章――一日目――午前中


■0――一日目――08:00


 山場村のほぼ中央に位置する公民館前。
 左手の坂の上には、区役所と呼ばれる村役場が建っている。
 右手には、村に一つきりの郵便局を始めとした公共施設が並んでいた。
 大抵の事務処理は全て、この場所へ来れば事足りると言われている。
 その為か、全ての施設で共用される駐車場が、公民館の正面には広がっていた。
 時折健康診断用の大型車が仮設テントを敷設する事もあるような、紛れもない村の中心地である。山葉 涼司(やまは・りょうじ)に示唆されたその場所に、朝早くからアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)は訪れていた。
 茶色い簡素な長机とパイプ椅子を用意して、彼は配布品を用意しながら静かに座っている。
 山場弥美の手で招かれたという村人、そして何の因果か訪れた契約者達が、むざむざと死人になるのを、ただ手をこまねいて眺めているわけにも行かない。
 そうした思いもあったのだろうが、理性が『これ以上、死人に増えられては困る』とも囁いているのが、紛れもないアクリトの胸中だった。
「誰か来るのかしら」
 無表情の中にも、何処か険しさがうかがえるアクリトに対し、中谷 冴子が声をかけた。
 アンプルの生成と注射器の用意の関係で、山場医院を切り盛りする女医は、手伝いに来ていたのである。彼女は正直な所、村が死人によって侵略されているという現実には、懐疑的だった。だから、アンプルの効果にも疑問を持っていたのだが、その機序には医師としての好奇心が無いと言えば嘘だった。
「来ると思うわ。明らかに人の気配が増えているもの」
 宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)が、黒い髪を後ろへ流しながら、スッと目を細めてそう告げる。
「所でアクリト、私はもう少しこの村と秘祭の事を調査しようと思うのだけれど、人手は大丈夫?」
「何とかなるだろう――いいや、正確に言うならば、何とかしよう」
「だけど死人が襲ってくるかも知れないですわ」
 静香が言うと、アクリトは腕を組んだ。
「確かに日中でも、必ずしも安全とは言えないが……秘祭についての、正確な知識を得る事には価値がある。寧ろ調査に行くのであれば、君達こそ気をつけたまえ」
「分かったわ。私達は大丈夫」
 アクリトの声に、那須 朱美(なす・あけみ)が頷く。
 そうして出かけていく三人を見守りながら、冴子が腕を組んだ。白衣が風に揺れている。
「そう言う事なら、私はパートナーって人々が迷わないように、此処まで誘導してくるわね」
 長い黒髪を揺らしながら、女医もまた歩き始めた。
 一人残ったアクリトは、パイプ椅子に背を預けると、少しばかり疲れた様子で、目の下に指を宛がう。
 ――そこへ。
「アンプルを貰いに来た。つーか、アンプルの中身って何なんだ?」
 最初に現れたのは、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)だった。その肩には、アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)が座っている。
「……この中の液体を『死人』に打てば、倒す事が出来る」
「倒ス? 死人っていうのは、何なのかしラ?」
 アリスの声にアクリトが、注射器とアンプルを手渡しながら嘆息する。
「既存概念において、心停止及び脳死した人間は、通常棺桶の中で空気が抜ける事や筋肉が自然な作用で動く事はあっても、意思を持って生前同様に活動する事はない。が、一度は概念的に肉体的な死に至った者が、今この村では動き、思考しているんだ。――その亡骸の動作を止め、腐敗しない、死した肉体を瓦解させるモノ、それがこのアンプルだ。まだ実験段階にある以上、必ずしも効果を発揮するとは言えないが……少なくとも手遅れでなければ……アンプル一つで死人の体を一つ、葬る事が出来る。生者には、何の効果も生まない」
「要するに、死人って言うのは、俺達人間と同じように、考えて笑って食事して、それで動いてるって事か?」
「その通りだ」
「つまり、俺が死人かどうかも、元学長が死人かどうかも分からないって事だな」
「そうなるな。私は自身が死人でない事を知っているが、それを証明する術を持たない。死人と生者を区別する完全な手法も、未だ発見してはいない」
「俺にアンプルを渡して大丈夫なのか?」
「――死人が日光に弱い事だけは分かっているんだ。ここにアンプルを取りに来た時点で、確率的に、君は死者ではないだろうと推察できる。無論、弱いと言っても個体差や程度があるだろうから、正確性には欠けるが……個人的には、目に宿る光が人間とは違うように思う。尤もコレは、確かとは言えないが」
 迷うようにアクリトが黒い瞳を揺らしたその時の事だった。
「えいっ!」
 朗らかながらも、どこかやる気が感じられない声音と共に、注射器の針が突き刺さる音が辺りに谺した。
 アキラが、アクリトの腕にアンプルをはめ込んだ注射器を突き立てたのだった。
「……なにをする」
「いや、なんつーか……ノリで……」
 あはは、と頬を持ち上げるアキラに対し、アクリトが蛇をも射殺すような眼差しを向けた。その嫌そうな表情から、視線を背けて、作り笑いを浮かべたままアキラが後頭部で手を組む。
 ――これでアクリトが死人だったら大笑いだぁなぁ。
 そんな事を思っていたアキラだったが、幸いアクリトには何の変化もなかった。
「よし、新しいアンプルをくれ。予備くらい有るだろ」
「予備なんて無い」
「元学長のがあるだろう。元学長、つえーんだからそれくれ」
「断る」
 きっぱりと断言したアクリトは、人差し指で眼鏡を持ち上げると深々と息をつく。
「あーっはっはっはっは。初っ端からいきなり切り札失ってるっつーんだからホントどーしろっつーんだかなぁ、俺は。あーっはっはっはっはっはっは」
 アキラはといえば現実逃避じみた高笑いを放った。
「マッタク。ホントーにどーしよーもないワネ」
 何がおかしいわけでもなかったが、アリスもつられて笑い始める。
 そろって笑っている二人を眺めながら、アクリトは残っているアンプルの数を静かに数えた。アンプルは、既に村人に渡した数本と、山葉 涼司(やまは・りょうじ)に渡した一本、そして涼司が伴っているという三人の分を除き、アクリト自身やアクリトがフィールドワークに伴ってきた者の分を除いて、残り五十本をとうに切っていた。
 一人、本数について思案しているらしいアクリトの横顔を一瞥しながら、笑みを崩さないままで、内心冷静にアキラは考えていた。
 昨夜聞いた会話も根拠となるが、これで――……。
 ……――アンプルは無くなったけど、でも、まぁ、アクリトと山葉の二人は人間だって事が証明できた。
 ――アンプルは人間にしか渡さないってことは山葉は人間って事だろうし。
「兎も角、これで元学長が人間だって事は、俺が証明できるな」
「君は――……」
 驚いたように何度か瞬いてからアクリトは、吐息するように僅かに頬を持ち上げ笑って見せた。
「有難い、心強い事だ」
「ワタシも証明できるワ」
 アリスがそう言うと、アキラが頷く。
「俺達は、とりあえず山葉と合流する。元学長も無理すんなよ」
 アキラはそれだけ言うと、ひらひらと手を振りながら、その場を後にした。

 その後もアクリトは、皆にアンプルと注射器を配布し続けた。