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死いずる村(前編)

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死いずる村(前編)
死いずる村(前編) 死いずる村(前編)

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□■前日――夕暮れ


 埼玉県、秩父地方。
 まだ落ちる前の太陽が、山道を照らし出す。
 山葉 涼司(やまは・りょうじ)は、手の甲で額を拭うと、川を臨む四阿のベンチへと腰を下ろした。
 陽光を木製の天井が覆っていて、中央に丸い机がある。
 その四方には、横長のベンチが備え付けられていた。
「お疲れ」
 涼司の声に、赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)が振り返る。彼は、涼司の修行に付き合ってこの土地を訪れたのである。
「お疲れ様です」
 黒いぼさぼさの髪が、やさしい面立ちをした顔にかかる。
「もう夕方だな」
 二人を眺めながら、霜月の特訓に付き合ってやってきたアイアン・ナイフィード(あいあん・ないふぃーど)が声をかけた。彼と霜月は、よく似た顔立ちをしている。
「修行だなんて、随分精が出るのね」
 そこへリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が、ひやかすように声をかけた。セミロングの金髪が、日の光で輝いている。
「手伝ってくれて有難うな」
 涼司が頬を持ち上げて返すと、リカインが肩を竦めて笑って見せた。
「強くなる為の修行には丁度良いな」
 その時、涼司の隣に立ち、樹月 刀真(きづき・とうま)が声をかけた。
「俺も刀真には負けられないぜ」
 涼司が楽しそうに笑う。すると、刀真のパートナーである漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)が穏やかに頷いた。長い黒髪が美しい儚げな様相だが、月夜もまた共に懸命に修行に励む、優秀な剣の花嫁である。
 そんな光景をソルファイン・アンフィニス(そるふぁいん・あんふぃにす)が、優しい表情で見守っていた。金色の瞳が静かに瞬く。ソルファインの内側では、奈落人の木曾 義仲(きそ・よしなか)が、そうしたやりとりを耳にしていた。
「涼司くん、良かったらコレを」
 修行を終えた涼司に、火村 加夜(ひむら・かや)が声をかけた。タオルを差し出す。
 それから修行風景を見守っていた彼女は、卓上に、よく冷えた飲み物を並べていった。そしてその内の一つを、婚約者である涼司へと手渡す。
「悪いな――うん、美味い。生き返る。気が利くな」
 優しい顔で何処か照れくさそうに笑った涼司に微笑を返してから、加夜は一同に視線を向けた。
「皆さんもぜひ」
 まだ残暑が残る秩父の山中で、修行終わりの飲み物は天の恵みにも等しかった。
 皆が美味しそうに喉を潤す中、涼司が不意に追憶に耽るように、眼前の川の水面を見る。
「いい汗かいたな――それに、良い所だよな、此処」
「そうですね。景色も本当に綺麗」
 加夜が頷く。
「綺麗だろ? ……いつか、お前にも見せてやりたいと思ってたんだ」
「私に?」
 加夜が虚を突かれたような顔をすると、涼司が水面を見たまま、はにかむように頷いた。
「この先には、ダム湖があるんだ。そこに、沈んだ村がある。俺の叔母さんが住んでたんだ。小さい頃の話しだけどな、昔は何度か遊びに来たんだ。川も、この辺りのブナ林も綺麗だけど、夕方も夜もダム湖は絶景なんだぜ」
 懐かしむように頬を持ち上げた涼司を見て、霜月とアイアンが顔を見合わせる。
「親戚が住んでいたって言う事ね」
 リカインが呟くように言うと、大きく涼司が頷いた。
「じゃあこの辺りは、さぞ懐かしいんでしょうね」
 ソルファインが何度か頷きながら訊ねると、涼司は顎を縦に振る。
「叔母さんは、今どちらに?」
 加夜が訊くと、涼司が細く吐息しながら柔らかく笑ったままで、双眸を伏せた。
「亡くなった――優しくて、良い人だった。俺の中では生きてるけどな」
 苦笑しつつも懐かしそうな色を瞳に浮かべて、涼司が目を開ける。
「それは……」
 言葉を探すように加夜が、長い睫毛をふるわせた。
 その隣で、霜月が唇の両端を持ち上げて、優しい顔をする。
「行ってみましょうか、ダム湖。綺麗な所なんですよね?」
「ああ、保証する。そうだな、行ってみるか。ちょっと歩くけどな。楽しみにしてろよ」
「てめえがそう言うんなら、付き合ってやるよ」
 アイアンが意地悪く笑って見せながら、立ち上がる。
「俺達は、少し歩いてくる。明日また会おう」
 刀真はそういうと、月夜を伴って歩き始めた。
 それを見送ってから一行は、ブナ林の間に覗く細い林道へと歩を進めたのだった。

 次第に日は落ちていき、逢魔ヶ刻の薄闇が辺りに漂い始める。

 腐葉土の香りと、幾重にも連なるブナの幹、そして葉の息づかいが、歩く彼らに自然の気配を教えてやまない。木々の青々とした林は、次第にその色を夜の暗黒に染め上げられていき、空の紺碧は都会とは異なり、真の蒼闇に染め上げられていった。その分、星がはっきりとその光を、ばらまいた絵の具のように乱雑に散りつつも、一つ一つ強く輝いて見せつけてくる。とはいえ、アーチを描くような葉陰のせいで、空からの光もあまり届きはしない。
 そんな中、林道を進み、彼らは開けた場所へと突き当たった。
「集落があるんですね」
 赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)が声をかけた丁度その時、山葉 涼司(やまは・りょうじ)は左腕を伸ばして、一歩後ろにいた火村 加夜(ひむら・かや)の足を止めた。
「待て」
 その様子に、加夜とリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が驚いて顔を上げる。
「おかしい。此処はもう、ダム湖の……霜月、みんなを頼んだ」
「どうしたんですか?」
 言い残し一人で先を進み始めた涼司に声をかけた霜月だったが、その声に応える者はいない。
「何かあったのかも知れないぜ」
 アイアン・ナイフィード(あいあん・ないふぃーど)が呟くと、ソルファイン・アンフィニス(そるふぁいん・あんふぃにす)が周囲を見渡した。
「何かって……」
『――気になる事でもあったのかも知れない』
 木曾 義仲(きそ・よしなか)の声が、静かに響いた。


 一方彼らの歩みを止めて走り、細い坂道を駆け下りた涼司は、正面にある神社の境内の前で、足を止めた。肩で息をしながら、古く錆び付いた記憶を掘り起こす。
 ――此処、は。
 ――此処は、山場神社だ。
 ――此処は嘗て、ダムに沈んだはずの、山場村だ。
 狼狽えて息を飲んだ涼司は、両手を膝へとあて、何度か大きく深呼吸をする。
「……まさか、ウソだろ」
 気付いた時には、彼は思わずそう口にしていた。
 突如出現した、昭和の匂いを残す村。
 それはまごう事なき、ダムの底へと沈んだはずの、懐かしい土地だった。
 古い木造の神社の屋根は赤く、右手には村へと通じる石段と鳥居が見て取れる。
 しめ縄が、風もないのに、静かに揺れていた。
 漆塗りの赤い灯籠は、昔ながらの蝋燭で明かりをとっていて、点々と神社の荘厳さを煽っている。祭りの準備なのか、いくつかの神具が境内には並んでいて、幾人かの村の者が、清掃を行っているようだった。
 元々人が少ない村なのだから、この人数でも『大勢』と言って差し支えはないだろう。
 ――信じられない。
 呼吸を落ち着けた涼司は、周囲の様子に何度も瞬いた。
 神社の下に臨む事が出来る村落へと視線を向ければ、確かにまばらではあったが、そこにも家屋の灯りが点々と見て取る事が出来た。


 確かに、この集落は、紛れもなく『山場村』だった。
 涼司が幼いころにダムに沈んだはずの場所。
 ――山葉一族の故郷だ。
 涼司は、修行の為に訪れたこの秩父で遭遇した思わぬ事態に、瞠目せずには居られなかった。一体何が起こっているのか、何故このような事が起こりえているのか、自身は夢でも見ているのか。いくら思案に耽っても、その回答は何もひねり出せない。

「涼司ちゃん、久しぶりだね。『山場の秘祭』へ、ようこそ。他にも、散り散りになった村人をここに招待したんだ。中には――好奇心旺盛な契約者も来ているみたいだけど」

 そこへ、唐突に子供らしく高い声がかかった。
 涼司は始め、その声が誰のものなのか理解できずに、ただ視線を向ける事しか成しえなかった。涼司に声をかけたのは、幼い女の子だった。童女と呼ぶのがふさわしい。
「弥美――さん?」
 涼司によく似た光の加減で金にも見える銀髪の少女は、その真っ直ぐで長い髪を夜風に揺らしながら、嬉しそうに頬を持ち上げた。青い瞳が柔和に細くなる。
 未だ二次成長が始まる前の、華奢な体躯。
 色白の細い腕と足。
 鎖骨が灯籠の明かりで、ワンピースの開けた胸口へと影を落としている。
「覚えていてくれて良かった。そうだよ、弥美だよ」
 姿を現したのは、山場弥美だった。
 涼司の叔母であり、数年前に亡くなった、この山場村の有力者である。
 だが――少なくとも、このように幼い肢体をしている彼女に会った事など、涼司はない。 ただ弥美に残る面影と、自分に対する呼びかけから――そう、その懐かしい口調と、変わらない優しい眼差しから、思わず口をついて出たに過ぎなかったのだ、その名は。少なくとも涼司にとっては。
 ――あり得ない。
 百歩譲って村が現存していたのだとしても、地球において死者が生き返る事――それも若き姿で記憶を保持したまま、現れる事など、在ろうはずもない。
「涼司ちゃん、楽しんでいってね。『山場の秘祭』を」
「山場の秘祭?」
 漸く喉を震わせる事に成功した涼司が訊ねると、弥美が、伏し目がちに微笑んだ。どこかその青い瞳に、黒い光が差し込んで見える。
「明日から三日間、『山場の秘祭』が行われるの。その後村は『永遠』になるんだよ」
 涼司もまた、この村に古くから祭りがある事は聴き知っていた。幼い頃には、参加した事もある。だが、叔母の言わんとする事が読み取れず、何度も詳細を聞こうとして、彼は唇を動かした。けれど思わぬ事態に、上手く言葉が出ては来ない。
 ――何かが、おかしかった。
 ――それは夜風がもたらす、死臭のせいだったのかもしれない。
 弥美の黒みが差す青い瞳に、涼司が思案していたその時の事だ。
「ふむ、『ヤマ』の『場』か。興味深い」
 涼司は不意に肩を叩かれ、我に返った。
 驚いて視線を向けると、そこにはアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)が立っていた。
「アクリト!? どうして此処に」
 弥美の言葉に応えたアクリトに対し、涼司が呆気にとられるように声を上げた。
「民俗学のフィールドワークに出ていたんだ。その過程で、山場村へとたどり着いた」
 涼司を一瞥してから、アクリトはすぐに弥美へと視線を戻す。
「……永遠になる瞬間を、見せて貰うとしよう」
 笑うでもなく、鋭く黒い瞳を弥美へと向けたアクリトは、それから涼司を促して弥美から距離を取った。
「待っているわ、参列者は多い方が良いもの。――涼司ちゃん、私は家にいるから、いつでも来てね」
 弥美はそれだけ言うと、静かに手を振って見せた。
「お、おぅ」
 漸く応えた涼司は、足早に歩き始めたアクリトの横まで追いつく。
 それから声を潜めて、静かに訊ねた。
「――いつから此処に? 一体何が起きて居るんだ?」
 林道脇、ブナ林の陰についた所で、立ち止まったアクリトが振り返る。
「私の他にも、フィールドワーク――民俗学には限らないが、兎も角研究に訪れた者もいれば、偶然ここを訪れた者もいる。ただ、詳しい説明をしている時間が、今は無い」
 注射器とアンプルを取り出したアクリトは、それを涼司に手渡しながら静かに言う。
「この村は死に侵されている。『死人』に遭遇したらこれを使え。……既に手遅れの者もいるだろうがな」
「分かった」
 受け取った涼司は、それから改めてアクリトを見る。
「死人って――やっぱり、弥美さんは亡くなっているんだよな?」
「それだけではない。村の者の多くも、死者だ。だが、動いている。君は、どうして此処へ?」
「みんなと修行に来たんだ。そうだ、この注射器とアンプル、一緒に来たみんなの分もくれ――第一、コレは何なんだよ?」
「君の言う『みんな』が死人では無いという保障はあるのか?」
「俺が保障する。大体そんな事を言ったら、俺だって分からないだろ。第一、死人ってどういう事だよ? 若返るのか?」
「確率の問題だ。君は死者ではないと私は考えている――いいだろう、何人分だ?」
「七人分いる」
「手持ちが無い――仮にあったとしても、全員にこのアンプルを渡す余裕はない。生者だと確信できる無事な村人にも、何人か渡した。パートナー分を渡す余裕はない、人間の生者の分が精一杯だ」
「人間の生者? だったら、俺を除いてとりあえず4つだな」
「今、四人いるのか?」
「いや、別の場所にいる奴が二人――一人か……契約者の一人とは、わかれた」
「ならば、現状で一緒にいるのは三人だな」
 今一緒にいない一人――樹月 刀真(きづき・とうま)の事を思い出しながら、涼司はきつく目を伏せた。
 だがきっと、刀真ならば、その実力ならば、この夜を堪えてくれるはずだと、涼司は信頼する事に決めた。それでも、納得はいかない。刀真の分もアンプルを持ち帰りたいという思いが募る。
「3つだ――だけど、なんでだよ? みんな大切な仲間だ」
「……そうかもしれないな」
「そうに決まってんだろ」
「だとしても数は限られて居るんだ。まだ、パートナーが死者になった場合の契約主のデータは無い。だが、契約者が死者となれば、パートナーもまた死者になる事は分かっている。どの程度の時間を要するのかは不明だが」
「なッ」
「だから、まずは人間の契約者からだ」
「――っ、このアンプルを打つと、死人から元に戻るのか?」
「……いいや。あくまでもコレは、死人を止める作用しか持たない。生者にも効果はない」
「死人、死人って、助ける方法は?」
「死者は死者だ。それ以上でも以下でもない。ただ、死した者を、本来の安寧へと導くという意味では、一助にはなるだろうが」
 アクリトは淡々とそう告げると、涼司に三つの注射器とアンプルを渡した。
「もし、生きた契約者や村人を見たら、私の元へ来るように伝えて欲しい。くれぐれも日中に」
「日中?」
「嗚呼。死人はどうやら、日の光には、若干抵抗があるらしい――どこか、配布するのに適した施設が在ればいいのだが」
「――公民館前は? もし此処が俺の知っている山場村なんだとしたら、広さ的にも屋外で無事に渡せる場所だと思うぞ」
「確かだな? その言葉、信じよう」
「ああ」
「では、私は明日の日中――そうだな、明朝八時から、そこでこのアンプルを配る」
「合流し次第、そこに行くように言う。だけどこの人数じゃ不安だな――信用できる奴を呼びたい」
「まかせよう」
 そんなやりとりをして、二人は別れた。
 帰り際、涼司はルカルカ・ルー(るかるか・るー)へと携帯電話で連絡を取る。

 これが、死いずる山場村での一連の事象の契機となった。

 意図せず二人のそんなやりとりを、木の幹に背を預けて聴いていたのが、絶賛迷子中のアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)だった。
 あまりにも緊迫した気配が漂っていた為、本能的に声をかける事が躊躇われた。
 それ故、二人の話を耳にする形になったアキラは、一人こめかみを汗が伝っていく事を実感しながら、押し殺すようにして生唾を飲み込む。
 ――ってなんだ、このデンジャーなワールドは。
 ――軽い気持ちで来たのに命がけってどんだけ……。
「メガネの元学長と半裸の元メガネが物騒な事話してるし、いやぁ〜な風は吹いてるし……」
 アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)は空京大学の元学長であり、山葉 涼司(やまは・りょうじ)は蒼空学園の現校長である。
 アキラの声に、アリスが少しばかり震えた。
 彼は、静かにパートナーの髪を優しく撫でて、安堵させるようにしながら、今後の身の振り方を考える。
 ――兎も角、何も考えずに動く事は得策ではない。
 きまぐれな所があるアキラではあったが、見知った涼司とアクリトがここにいるという事実を思えば、情に厚い所がある彼だったからこそ、放置して逃避するという選択肢は霧散した。
「とりあえず、明日の朝になったら、アンプルって奴を貰いに行くか」
 彼は暗い林の中で、その様に決意したのだった。


 その対角に位置するブナ林の木陰では。
 冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)が息を潜めて、奥歯を噛んでいた。
 偶然にもこの村を訪れてしまった彼女は、既に幾人かの死人に遭遇していたのである。
 けれどそれが『なんなのか』理解できないままで居た彼女は、今し方聴いた涼司とアクリトの会話から、自身が巻き込まれた異常事態を、漸く理解したのだった。
「厄介事に巻き込まれるのが私の運命らしい。……まあそれはともかく」
 ――これから、どうしよう。
 ぴったりと木の幹に背を預けた状態で、彼女は目をきつく伏せた。
 長い睫毛が影を落とす。
 そんな中、一人、きつく手を握った。
「小夜子様……」
 心配そうに、エンデ・フォルモント(えんで・ふぉるもんと)が声をかける。
「静かに」
 それを制してから、小夜子はエンデとエノン・アイゼン(えのん・あいぜん)に視線を向けた。
「……何だか性質の悪い事件だけど、逃げるわけにもいけませんね」
 エノンが言うと、決意するように小夜子が頷いた。
「そうですわね。兎も角、明日、アンプルを貰ってから、再考しましょう」
 ――誰か、見知った仲間がいれば良いが……。
 彼女はそんな事を考えながら、風に乱される髪を抑えた。