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リアクション
大騒ぎのみことと蘭丸の様子に苦笑をこぼしながらも、セルマ・アリス(せるま・ありす)のタワシを動かす手は止まらない。
ここに入った時、龍と会話ができるかわからず龍の咆哮でこちらから接近したことは良いことだったと思っている。
おかげで、龍の好きな食べ物やふだんの生活のことを聞けたのだから。
龍もセルマに磨き加減に注文をつけたりと、遠慮はしなかった。
また彼自身のことも聞かれた。
『武士道を学ぶために転校を……向上心のある者は、好ましい』
「まだまだ未熟者なんだ」
『嫁のためにもがんばらねばな』
実はセルマのほうが嫁入り……いや婿入りだった、とは言わなかった。
『おおう、もう少し右側を……ああ、そこだ』
気持ち良さそうに息を吐き出す龍に、セルマは微笑む。
同時にとても感動していた。
エリュシオンの龍と温泉で触れ合うなど、本来なら龍騎士でないとできないことだ。
緊急事態に感謝するべきではないが、心の奥でこっそり感謝してしまう。
今はまだどこか夢を見ているような気分だけれど、時が経つにつれて実感がわいてくるのかもしれない。
『しかし、こんな機会はもうないだろうな』
「え?」
『龍騎士ではない者と、このように接したのは初めてだ』
セルマは意表を突かれたように目を見開く。
が、考えてみればその通りで。
龍騎士のみが受けられる試練を、そうではない者達が受けている。
それも、複数人で一人分という扱いで。
長いことここにいる龍にとっても初めてだった。
もしかしたら、今思っている以上に自分はとんでもない瞬間に居合わせているのかもしれない、とセルマの胸が熱くなる。
「ここに来て一年経つけど、まだほんの入口を覗いているだけなのかも……」
奥に隠されたものを見てみたい。触れてみたい。
セルマは未知の世界に思いを馳せた。
直後。
『手が止まっているが』
「あっ、ごめん」
龍にこき使われるのも、貴重な体験だから思い切り使われてみようか、とブラシの動かす手に思いを込めた。
見たこともないような巨体を泉のような浴槽に沈め気持ち良さそうに目を閉じる──そんな龍達の姿に感激して言葉も出ない南天 葛(なんてん・かずら)。
話をしてくれそうな龍はいないかとキョロキョロしながら歩く後ろを、銀色の狼姿の獣人ダイア・セレスタイト(だいあ・せれすたいと)がやや心配そうに見守りながらついていく。
しかし、ついに見ていられなくなって声をかけた。
「葛、ちゃんと前を見ていないと転びますよ」
「あうッ」
「ああ、言ってる傍から……大丈夫ですか?」
「うぅ……イタ……痛くないもん」
床に打ち付けた膝を抱え涙目で強がる葛。
目標である強いドラゴンライダーになるためには、龍と仲良くなることはもちろん、転んだくらいで泣いてはダメだと自分に言い聞かせる。
そんな気持ちが伝わったのか、ダイアは葛が自分で立ち上がるのを待っていた。
やがて、何とか立ち上がった葛は、ふと一頭の龍に目を向ける。
引き寄せられた気がした。
その龍は大浴場の隅の浴槽に半身を沈めているのだが、どこか周囲と距離をおくような雰囲気を漂わせていた。
ふだんなら葛もさけて行くのだが、どういうわけか今回は近づいていく。
背中のほうからダイアの引き止める声が追ってきたが、葛はそれを無視した。
「あの……こんにちは」
龍の前に立った葛がおずおずと話し掛ける。
龍は葛を冷たく一瞥しただけで、目を閉じてしまう。
拒絶されたことに葛の胸がキュッと痛んだが、彼は震えそうになる手を押さえることで胸の痛みも堪えた。
そしてダイアの言葉を思い出す。
──龍はとても誇り高い生き物で、性格はさまざまだと聞いています。だから葛も堂々とした態度で接しなさい。
言葉が通じるらしいことは、周りの様子からわかった。
葛はゆっくり呼吸をして気持ちを整えると、まっすぐに龍を見上げて言った。
「ボクは南天葛です。パラミタにはお母さんを探しに来ました!」
龍の閉ざされていた目が開く。
が、葛に興味を持ったかどうかはまだわからない。
彼は前向きに受け止め、言葉を続ける。
「パラミタに来たのはね、お母さんを探すためだけで、他はどうでもいいって思ってたんだ──最初は」
葛はチラリと後悔するような表情を見せた。
それから、この愛想のない龍に尋ねる。
「龍さんも、誰かを探しているの?」
『おまえと一緒にするな』
返ってきたのは瞳と同様に突き放すような言葉だったが、もう葛は怖がってはいない。
ただの直感だが、何となく自分と同じものを感じたのだ。
「……ボク、ドラゴンライダーになるよ。強いドラゴンライダーになって、龍さんと一緒に行くんだ」
『勝手に乗り物にするな』
「そういうんじゃなくて……友達として仲良くしたいんだ。龍さんが困った時には、ボクが力になるよ」
なかなか引き下がらない葛に、何とかしろと龍はダイアに目を向ける。
しかしダイアは「諦めなさいな」と尻尾を揺らしただけだった。
龍はため息をつくと、先ほどよりは険のない目で言う。
『言っておくが、おまえを認めたわけではないぞ。いつまでも、転んでベソかいてるようならすぐにでも去るからな』
「うん! きっと強くなってみせるからね!」
パッと明るい顔になった葛に、龍は再度ため息を吐き、ダイアは小さく微笑んだ。
専用の装束でもあるのかと思ったが、服装は自由だと大浴場の片付けをしているスパルトイに聞いた涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)は、水着に着替えて龍を磨いていた。
背中から始めて尻尾の先まで根気強く大きく重たいデッキブラシで磨き続けてきた涼介だったが……。
「あ、ちょっと。尻尾を動かさないで……っ」
ゆらゆらと動く尻尾に涼介は悪戦苦闘。
龍は聞こえているのかいないのか。
嫌がらせのような態度の龍に、しかし涼介は決して諦めようとはしなかった。
どうしても尻尾を揺らしたいらしい龍に、涼介はいったん手を止め、そっと息を吐く。
「嫌がるのは、シャンバラから来た私達を憎んでいるからですか? 先の戦争ではあなた方の眷属とも戦い、傷つけてしまいました。そのことを恨んでいるから、私にあなたと触れ合う資格はないという意味ですか?」
もしそうなら、龍という生き物に特別な感情を持っている涼介にはつらいこととなる。
龍騎士にとって龍が重要な存在であるように、魔法使いにとっても龍は重要だからだ。
魔法使いの家系である涼介は幼い頃から龍にまつわる話を聞いて育った。
過去に大魔法使いと呼ばれた者達は、そのほとんどが龍から秘術を授かったり、人生の岐路で教えをいただいたりしたという。
龍と心を通じ合わせることは、涼介にとっては大事なことなのだが、その龍に憎まれてしまってはどうしたらいいのか。
知らず、重いため息がこぼれてしまった時、最初の挨拶からずっと沈黙していた龍が口を開いた。
『憎んでいるのは、我らではなくお前達のほうではないのか? いや、後悔と言うべきか……』
涼介はうつむいていた顔を上げ、龍の言葉を一言も聞き漏らすまいと耳を傾ける。
龍は涼介と目を合わせないまま続けた。
『我は戦で失った仲間を惜しむが、戦に赴いたことやそこで傷ついたこと、傷つけたことを後悔はしない。後悔することは、我の誇り、仲間の誇り、敵方の誇りを穢すことになるから。そして戦の終わった今、両国の行く末を見守るだけだ。……中には、憎み続ける者もいようがな』
「あの、私は」
『お前に我を侮辱する気がなかったことくらいわかっている』
そこで龍は初めて涼介と目を合わせた。
『お前の優しさは大切なものだ。だが、ただ優しいだけでは、いつか大事なものを失うぞ』
冷たく厳格な瞳の中には確かに慈悲があった。
涼介がパラミタに来てから実にさまざまな出来事が目まぐるしく起こり、そのたびにいろいろな感情と出会ってきた。
そして自身の力を人々のために使いたいと思い続けていたのに、気づけば戦争に駆り出されていた。
やりきれない思いを抱えていた。
当初の願いを持ち続けるなどおこがましいくらいに、自分は汚れてしまったのではないかと揺らいでいたのだが──。
ふと、涼介の脳裏に愛しい人の微笑みが過ぎる。
大事なものは何なのか、それをどうしたいのか、涼介は深く自分の心を見つめ直した。
大浴場に踏み込んだ瞬間、シシル・ファルメル(ししる・ふぁるめる)は目をキラキラさせた。
「気持ち良さそうな温泉ですねぇ〜♪ 龍さんものんびりくつろいでいるですよう」
すべてが巨大なその様子にシシルの興奮は冷めやらず、見つけた巨大タワシに飛びついた。
「こんなに大きいと、体を洗うというより掃除するって感じですねぇ」
無邪気に笑って言ったシシルに対し、五月葉 終夏(さつきば・おりが)とニコラ・フラメル(にこら・ふらめる)の顔はサッと青ざめた。
「シシル、せっかく来たのだから温泉を楽しんではどうかな?」
「そうそう。日頃の疲れを癒すといいよ!」
ニコラにタワシを奪われ、終夏に背を押される。
抵抗する間もなかった。
「つまり、掃除禁止と……?」
「ええ、まあ」
「率直に言うとそうだね」
確かに掃除は苦手だけど、とそれでも釈然としない表情のシシル。
不満をこぼしても終夏とニコラの意見は変わらず、シシルは口を尖らせながら浴槽の縁に腰を下ろし、爪先でお湯を弾いた。
危険は去ったとばかりに終夏とニコラは龍の体を洗い始める。
三人の様子を見ていた龍が低く笑った。
『俺の体はガキが一人暴れたくらいでどうにかなるほどヤワではない……』
「そうだろうけど、でも、失礼があっちゃダメだし」
『……案外、礼儀正しいのだな。シャンバラの者はもっと野蛮だと思っていた』
「いろいろいるよ」
『いろいろ……。そうか、いろいろか』
終夏の返答の何がおかしいのか、龍はまた笑った。
終夏が自分とニコラにかけた荒ぶる力によるパワーで磨かれ、龍は気持ち良さそうだ。
龍を磨くなど初めてであるニコラに力加減などわかるはずもなかったが、龍の様子を見るかぎり問題はなさそうだ。
他に問題があるとすれば、この力で龍が満足するまで磨くとして、はたして体力がもつだろうかという点だ。
ニコラは終夏を見る。彼女はブラシを使っている。
彼が使っているのは、先ほどシシルからもぎ取ったタワシ。
そろそろ手のひらが痛くなってきた。
「終夏……」
呼びかけたのとほぼ同時に終夏が龍に話し掛ける。
「もしよかったら背中のほうも洗いたいんだけど、上ってもいいかな?」
『ああ。……遠慮でもしていたのか?』
「そりゃあね。いきなり上ってこられたら気分悪いでしょ?」
『なるほど。シャンバラの者への認識を改める必要がありそうだ』
「私も、龍さんのイメージが変わったかな。案外よく笑うよね」
『いろいろだ』
ついさっきの自分の返事を返され、きょとんとする終夏。
龍は小さく吹き出した。
会話が一段落したのを見てニコラは再度終夏を呼ぶ……が。
「フラメル、こっちは後は私がやっておくから、先に背中洗ってくれるかな。……何、どうしたの?」
二度も話を遮られ、ちょっと落ち込むニコラに終夏は首を傾げる。
ニコラは地味にチクチクと痛む手のひらにそっとエールを送り、
「いや、何でもない。手抜きをするなよ」
と、言い置き光る箒で龍の背の高いほうへ上っていった。
そんな様子を眺めているだけのシシル。
「師匠とニコラさん、いいなあ。私も一緒に洗いたかったですよう。……あ、そうだ」
いいことを思いついたのか、シシルの顔がパッと明るくなる。
シシルは龍の目の前へ小走りに駆け寄ると、にっこりして提案した。
「龍さんがもっとリラックスできるように、子守唄を歌うですよう」
龍が頷いたのを合図に、シシルは心を込めて子守唄を歌った。
彼女のやさしい歌声に、龍はいつしか心地良いまどろみに落ちていった。
いつの間にか、固く閉ざされていた次の間への扉が開いていた。
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