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あの頃の君の物語

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いつか空を飛べたなら〜五百蔵 東雲〜

 空を鳥が舞う。
 五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)は病室の窓から、そんな様子をぼんやりと眺めていた。
 廊下の向こうからは他の子供たちの賑やかな声が聞こえた。
 小児科病棟というのは大体が複数人数の病室で、壁には子供に人気のあるキャラクターの絵が貼ってあったり、発作が出ない時は子供同士で遊んでいたりと賑やかだった。
 でも、それは他の病室の話。
 個室を与えられている東雲には関係がない。
 東雲の五百蔵家は有数の資産家で、この病院の経営団体である社会福祉法人を援助している立場にあった。
 東雲にはそんな意識はないが、病院の経営を支える資産家のご令息なのだ。
 また、生来病弱である東雲が他の子から病気をうつされたりしないようにという配慮もあり、東雲はずっと個室だった。
 入院、退院、入院を繰り返す……否、時々、自宅に帰ると表現していいくらいに東雲は病院での生活ばかりなため、もうその個室は東雲専用の部屋と称してもいいくらいだった。
 他の病室よりもいいテレビやレコーダーが置かれ、冷蔵庫もあり何不自由ない。
 でも、ここには誰もいない。
 面会時間が終わり、お母さんが帰っちゃうと泣く子供たちが、東雲は羨ましいくらいだった。
「帰っちゃうも何も……誰も来ないし……」
 五百蔵家の当主である祖父も両親も東雲のことを可愛がってくれていた。
 病気がちの東雲を気遣い、なんでも欲しいものを与えてくれた。
 でも、資産家といっても、ただ何もしないでお金が入るわけではないので、様々な事業の経営や投資、資産家ならではの各業界との付き合いなどに忙しく、両親たちは病院の面会時間に来ることがほとんど出来なかった。
 支援している家なのだから面会時間外でも会わせろ、と強要するようなごり押しを病院にしない両親は立派な人だったが、小さな東雲にはそういった事情は分からず、ただ、広い病室で寂しい思いをしているだけだった。


 東雲は手にしていた戦国時代の歴史小説を閉じて、窓をもう一度見た。
 鳥を見るためではなく、窓からの訪問者を期待しての行為だった。
 あれはいつのことだっただろか。
 東雲がぼんやりと外を見ていると、乳白金の髪をした小さな女の子が、窓から飛び込んできたのだ。
 多分、出会いは結構前だ。
 その時は小さな女の子だなと思った。
 今は、さらに小さな女の子だなと思ってる。
 なぜなら東雲の背が伸びたから。
 病弱な東雲だが、父親の影響か背だけはすくすく伸びていた。
 背に栄養を取られているのか、体重は検査をするナースが計測を間違えたかと思うような数字だったが。
 でも、その女の子は会った当時からまったく大きさが変わらなかった。
 彼女が誰なのか東雲は知らない。
 誰なのかは、彼女自身も知らないのだから。
「ちょっと……忘れすぎちゃったなぁ。失敗失敗」
 いつだったか、その女の子が緑の快活な瞳を少し曇らせて、そんなことを呟いたことがあった。
 東雲はその話の内容がまったく分からなかったが、いつも元気な彼女の表情が曇ってるのを見て、慰めようとした。
 しかし、彼女は明るい顔に戻って言った。
「あっはっは、忘れちゃったことなんだから、もう大丈夫。それよりさ、東雲は空を飛びたいって思うことがあるんでしょ? ボクがいつか空のお散歩をさせてあげるよ」
 その女の子は東雲にとっての秘密の友達だった。
 でも、一度だけその秘密を知られたことがある。
 お見舞いに来た従兄弟が彼女とはちあわせてしまったのだ。
 分家の従兄弟である六歳年上の従兄弟は、その女の子の姿を見て、ぽかんとした。
 精悍な顔つきがそんな風になるのを、東雲は初めて見た。
 あの時は焦ったのに、今思い出すと、ちょっと笑ってしまう。
「空のお散歩か」
 少女の言っていた言葉を東雲は思い出す。
 今は空を舞うどころか、走ることすら出来ない。
 小学校の運動会に出られたことどころか、体育の授業すら教室にいる有様だ。そもそも小学校にまともに通えているかと問われても疑問なくらいなのだから。

 
 ベッドの中で物思いにふけることの多い東雲。
 その東雲に家の使用人である女性が、「渡すように頼まれましたので」とある物を持ってきた。
「これは……なに?」
「家庭用打ち上げ花火だそうです」
 従兄弟からのお見舞いだと聞いて、東雲は使い方の紙を読んでみた。
 それは家庭用プラネタリウムの花火版だった。
 部屋を暗くして、これをつけると、花火の映像と音がするという物だ。
 東雲は夜になった時に、こっそりとそれを使ってみた。
 部屋いっぱいに花火の華やかな光が映し出された。
「キレイだな…………あの子にも見せたいな」
 東雲は乳白色の髪の女の子のことを思い出した。
 今度、あの子が夜に来たら見せてあげようと思いながら、東雲は光り輝く花火を見つめた。
「これが有兄さんの言ってた打ち上げ花火か。手で持つ花火でも、こんなすごい花火が見られるんだね」
 『打ち上げ花火は両手で持つものだぞ』とか『池の白鳥ボートでも海を渡れるんだぜ』とか豪快な話を東雲の従兄弟は東雲に教えていた。
 病院の外の知識がほとんどない東雲はそれを素直に信じていた。
 従兄弟はアクロバティックすぎる話を交えつつ、東雲にノートを渡して、こんなことを言った。
「入院中にやりたいことを書いておけよ。人間って忙しい時はあれをやりたい、これをやりたいって思ったりするのに、暇になるとだらけちゃったりしちゃうからな。時間を無駄にしないよう、やりたいことを書くのは大事だぜ」
 従兄弟の言葉を思い出し、東雲はベッドの横にあるサイドボードからノートを取り出した。
 ノートの表紙を開き、東雲は一言こう書いた。
『あの子と打ち上げ花火が見たい』
 東雲が女の子と見たのは従兄弟からもらった家庭用打ち上げ花火だったのか、それとも本当の花火だったのか。それはまた後のお話……。