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雨音炉辺談話。

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雨音炉辺談話。
雨音炉辺談話。 雨音炉辺談話。

リアクション



6


 クロエをうちに連れてきたいと、真田 大助(さなだ・たいすけ)は言った。
「出会ってからまだ三度目ですけど……で、でも……」
 大丈夫かどうかと、大助はしきりに気にしているようだが。
「何言ってんだ。良い案じゃないか!」
 柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)は、力いっぱい肯定した。
「ほ、ほんとうですかっ?」
「ああ。しかし大助、おまえがこんなませたやつだとは思わなかったぞ!」
「ませ……い、いえ! そのような……あ、でも……」
「いいっていいって、わかってるから」
 ばしばしと大助の背中を叩き、氷藍は笑う。
「気にすんな。恋愛だろうとなんだろうと、お前の好きに、やりたいようにすりゃ良いんだよ」
 不安に思うことがあっても、それでも前だけ向いていろ。
「ちゃんと母ちゃんが見ててやるからさ」


 と、背中を押された大助は、家を出て人形工房へと向かっている。
 母は、「とにかく行け!」と拳を握って語っていた。我慢してばかりではなく、時にはガツンと押せ、とも。
 ――でもあの子、押したら壊れちゃいそうですよね……。
 記憶の中の、笑顔の彼女はとても小さく、華奢で。
 ――抱きしめたりしても、壊れそ……
「だ、抱きしめるだなんてそんな!」
 頭を抱えたりしていると、路傍の草が揺れた気がした。振り返る。しんとしていた。また前を見て、歩みを進める。
 工房に着くと、クロエが出迎えてくれた。
「いらっしゃいま……あれ? だいすけおにぃちゃん、おきゃくさまなの?」
 クロエの大きな瞳が、大助を見ている。それだけで、なんだかドキドキした。
「い、いえ。今日は、お客様ではないのです。ごめんなさい」
「ううん、あやまることじゃないわ。でも、おきゃくさまじゃないのなら、どういうごよう?」
「クロエさんに用があって」
「わたし?」
 大きな瞳は、きょとんと揺れた。なあに、なあにと好奇心の色が浮かんでいる。
「あの、ですね」
「?」
「僕のお家に、遊びに来ませんか!」


*...***...*


 工房には、珍しいことにリンスしかいなかった。お客様の姿もなければ、クロエの影も見当たらない。
 きょろ、とパビェーダ・フィヴラーリ(ぱびぇーだ・ふぃぶらーり)が辺りを見ていると、その様子に気付いたリンスが静かに言った。
「開店直後だから。クロエも出かけてる」
「そうなの」
 それじゃあ今日は二人きりね、と頭の隅でちらりと思う。いや、茅野 菫(ちの・すみれ)もいるから二人きり、ではないか。
 お邪魔しますと工房に入り、適当な椅子に腰を下ろす。
「何かいいことあった?」
 唐突に、リンスが言った。
 何か? いいこと? パビェーダは首を傾げる。
「嬉しそうだから」
 補足されて、合点がいった。
 ――嬉しそうって、そりゃあ嬉しいわよ。
 誰だって、会いたい人に会えるとなれば。
 だけど、わざわざ言うこともない。だからパビェーダは、涼しい顔で言ってのけた。
「秘密」
「? ふうん」
 特に、それ以上は突っ込んで聞いてくる様子もなく。
 静かに、時が刻まれる。
 パビェーダとリンスの様子を見て、菫が呆れ顔で言った。
「あんたたちって、本当に鈍行」


 菫には、たっぷりの砂糖とほどほどのミルクを入れたコーヒー。
 リンスには、対照的に何も入れないブラックのコーヒー。
 自分自身には、はちみつを落とした紅茶を淹れて、歓談に興じた。
 外は、相変わらずの雨模様。
 そのせいでか、工房を誰かが訪れることはなかった。別段、雨に対して好きも嫌いもなかったけれど、この空間を作り出してくれているのが雨ならば、少し好きになったかもしれない。
 我ながら単純だわ、と心の中で零しながら紅茶を飲んでいたら、
「ねえリンス、夏になったらお祭りとかプール行こうよ」
 と菫がリンスを遊びに誘うものだから、かなり動揺した。
「プール?」
「そう。……でもリンスの水着姿って想像できないわね」
「着たことないね」
「じゃあ水着デビューしよう」
「遠慮するよ」
「なんで、ケチ」
「貧相な身体晒しても、ねえ。それに俺、たぶん泳げないし」
「教えてあげるわよ」
「それでも、今は気分じゃないかな。夏祭りとかならともかくね」
 海や、プールは夏を楽しむイベントの一つ。
 それを一緒に楽しめないのは少し残念だけれど、本人が乗り気でないなら強引に誘うのは忍びない。とはいえ、菫は諦めていないようだったけれど。
「海なら泳がなくてもいいと思うけど」
「じゃあ、考えとく」
「男らしく、行く! って言えばいいのに」
「それほどアウトドアじゃないんです。知ってるでしょ」
「知ってるけどさ。あたしたちは、リンスと遊びに行きたいのよ」
 どうせ、放っておいたら彼は四季に関係なく、工房に篭って作業しているのだろうし。
 だったら、誘い出して一緒に思い出を作っていきたい。
 ――貴方の記憶に、少しでも残りたいのよ。
 なんて言ったら、少女趣味が強すぎるだろうか。
「……行く気、ないの? 本当に?」
「なくはないよ。だから、考えておく」
「いい返事を期待してるわ」
「うん」
 はぐらかされて、いるような。
 期待半分、諦め半分の微妙な気持ち。
 ――一緒に、夏を楽しく過ごせたら、いいのに。
 そう、思わずにはいられない。


*...***...*


 大助の隣を、クロエが歩いている。
 赤い傘に、赤いレインブーツ。レインブーツは、あの人形師が作ってあげたものらしい。
「器用なんですね」
「そうよ。なんでもできちゃうの! すごいのよ。でもね、おりょうりはへたなの。ねおきもわるいわ!」
 今日見た人形師の顔を思い出す。確かになんとなく、寝起きは悪そうだ。低血圧そう、というか。
「じゃあ料理って、どうしてるんですか?」
「わたしがつくってるわ」
「クロエさんが?」
「いがいかしら。でもね、じょうずになったのよ。もうずっとつづけてるから」
 だいすけおにぃちゃんにもつくってあげる、とクロエは続けた。思わず、大助は自分の頬を抓る。
「痛い」
「えっ。えっ、やだ、なにしてるの?」
「あ、いえっ。なんでも!」
 だって、そんな申し出をもらえるなんて夢か何かかと。
 でも痛かった。現実だ。
 今、クロエが大助の家に向かって一緒に歩いているのも。
 今度、大助に料理を振舞ってくれると言ったのも。
 ――夢じゃないのか……。
 すんなりいきすぎて、何か怖いけれど。
 今は素直に喜んでおこうと、小さくガッツポーズをした。
 他愛の無い話をぽつりぽつりと交わしていると、家までの距離はあっという間になくなってしまった。
「ここです」
 家――蒼空大社の前に立ち、手で示す。
「おやしろだわ」
「はい。ここが、僕の家なんです」
「すてきなおうちね!」
「掃除するところがいっぱいで、大変ですよ」
「う……それはたいへんそうだわ」
「あはは」
 隣を歩いていた道すがらとは違い、今度は案内するために前を行く。
 石畳を歩き、裏手に周り、縁側のある庭に着いたら、広がるは。
「うわぁ……っ!」
 これでもか、と咲き誇る紫陽花の花。
 青色や、赤紫。薄い紫……と、数種類の色が、花弁が、雨に濡れた姿を惜しげも無く晒していた。
「クロエさんが紫陽花を見たいって仰っていたのを噂で聞いて……それで、ここの紫陽花を見せたかったんです」
 大助が知る限り、ここに咲く紫陽花がどこよりも綺麗なものだから。
「すごいすごいっ。とってもきれい!」
 クロエは、紫陽花を見、大助を見、それから満面の笑みで嬉しそうに言った。
 その笑顔を見れただけで、何よりだ。とても嬉しいし、幸せだなと思える。
「この前作った花冠、クロエさんがつけてくれてすごく嬉しかったから。またこうやって、お花をプレゼントしたくなって」
「うんっ。きれいなけしき、いっぱいいっぱいもらえたわ。わたし、すごくしあわせなきもち!」
「えへへ……僕もです」
 しばらく、二人並んで花を見た。
 道中と違って、会話はほとんどなくて。
 ただじっと、花を、雨を、見ていた。
「……あ。わたし、そろそろかえらなくちゃ。リンスがしんぱいするもの」
「はい。送っていきますね」
 大社を出て、一度通った道をまた歩く。
 話をしていると、やはり時間はあっという間に過ぎていって。
 もう、工房はすぐ傍だ。
 ――言わなきゃ。
 深呼吸して、大助は立ち止まった。
「……あ、あのっ!」
「? なぁに?」
「もしよかったら、また遊びに来てもらえませんか?」
 次の約束が、ほしかった。
 会ってもいいんだと。
 また、会えるのだと。
 確たるものが、ほしかった。
「そうだ。こんどはお母さんも一緒に……」
「おかあさん?」
 だあれ、それ? とクロエが首を傾げる。だあれ、ってそりゃ。
「ほら、いつも一緒で、色違いの目の……」
「リンス? リンスは、おとこのひとよ。おかあさんじゃ、ないわ」
 もしそういうのなら、おとうさんね。クロエが笑ったが、大助は笑えなかった。
 ――お、男の人……!?
「クロエ」
 噂をすれば、なんとやら。
 工房からクロエの姿が見えたのだろう、リンスがクロエを迎えに出てきた。
 思わず、大助はリンスの姿をじっと見る。
 顔……は、女性的だ。白い肌は滑らかで綺麗だし、目は大きいし、まつげも長い。身体は……確かにぺたんこで、くびれもない。
「……男の、人。なんですか?」
 失礼だと知りつつも、訊いてしまった。
「? うん。男だよ」
 ああ、声まで紛らわしい。このくらいの声の女性、いる。絶対に。
「……まあ、よく間違われるから。気にしないで」
 さらりと言ってのけるのは、いっそ男らしかったけれど。
「だいすけおにぃちゃん」
 クロエが、言葉を失くしていた大助に呼びかけた。はっと、クロエを見る。
「わたし、きょう、とってもたのしかったわ」
「それは、良かったです」
「だからね、また、あそびたいな!」
「……!!」
 やくそく! と、クロエが右手を差し出した。小指を立てて。
 聞いたことがある。小指同士を絡めて、指きりげんまん、と約束を交わすのだ。
 少し恥ずかしかったけど、そっと右手を差し出して。
「ゆーびきーりげーんまんっ」
 また遊びましょうと、いつかの約束を。


 草葉の陰より。
「……っかー! 微笑ましいことしてんなー!」
 じっと見守っていた氷藍は、大助とクロエが約束を交わす姿を見てついに声を出した。
「奥手がちだと思ってたらよ。意外に進むしさー。ありゃクロエが大人びてるってのもあるが」
 トントン拍子に進んでいるのは、見てる側がやきもきしないで済むので非常によろしい。
「しかし、初々しいものがありますな」
 静かに感想を漏らすのは、氷藍と共に二人を見守っていた真田 幸村(さなだ・ゆきむら)だ。
「俺もあのように純粋な恋をしてみた……あ、いえいえ、こちらの話」
「何だよ、言えって」
「別に。氷藍殿があんな強硬手段をかけてくるとは思いもよりませんでしたので」
「……怒ってるか? あの時のこと」
「いいえ、少しも。
 ただ、あの子はやはり俺たちの子なのだと……少々思いまして」
 再び、大助の方に目をやった。
 大助は、背を向け、去って行くクロエに声をかけるでもなくただじっと見つめている。
「無茶な行動を起こすところは貴殿譲りで、いざ相手を目の前にしたときに、ああやって自分の想いをそのまま語れぬところは……」
「…………」
「……何でもございませぬ、聞き流して下さいませ」
 なんて、少し照れたような顔をして言われたら流せるものか。
「なんだよ。言いたいことがあるんだったらはっきり言えよ、男だろ」
 おらおら、と詰め寄って、問う。あからさまに嫌そうな顔をされた。しかも目を逸らされた。この野郎、いい度胸だ。
「そんなんじゃ大助の恋路指導は任せられんなぁ……」
「…………」
「さ、正直に言えコラ。……おい無視すんなよ。おいって」
 なんて、二人はじゃれていたものだから。
 帰る途中でクロエが振り返り、大助に向かって手を振って。
 それに対して大助も手を振り、幸せそうに笑ったところは見逃したのだった。