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雨音炉辺談話。

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雨音炉辺談話。
雨音炉辺談話。 雨音炉辺談話。

リアクション



9


「イリア、雨ってあんまり好きじゃなーい」
 雨が降っても、家事は休みにならない。
 のでつまり、買出しにだって行かなければならないし、となると雨は憎きものとなる。
「ダーリンに可愛いって言ってもらいたくてセットした髪も湿気でぐちゃぐちゃになっちゃうしさ。あーあ」
 等の理由もあって、イリア・ヘラー(いりあ・へらー)は空に向けて悪態を吐いた。右手に買い物袋を持って。
「そもそもルファンはそんなこと言うキャラじゃねぇよ」
 苦笑混じりウォーレン・シュトロン(うぉーれん・しゅとろん)が水を差す。彼も、イリアと同じように買い物袋を提げていた。
「言うかもしれないもん」
 頬を膨らませ、ぷい、とそっぽを向いた。
 そう。言わないとは限らない。だからいつでもお洒落をする。お洒落をしないとそもそも言ってもらえないから。
「そんな乙女心もわからないなんて、レオはやっぱナシねー」
「何がナシだよ、何がっ」
 軽口を叩き合う帰り道。
 ふ、と視界に飛び込んだのは、
「猫?」
 小さな猫だった。ウォーレンに買い物袋を押し付けて、イリアはしゃがみ込む。
 おいで、と手を伸ばしてみせると、猫はイリアの手に顔を擦り付けてきた。
「人慣れしてんなぁ。どっかの飼い猫か?」
 雨音に混じって、ウォーレンの呟きが聞こえる。
「飼い猫」
「首輪ついてるしさ。この辺の家の子じゃねぇの?」
「でもさ。こんな雨の中にいたら風邪引いちゃうよ」
「かもしんねぇけど、」
「風邪引いたら一大事だよ。この子まだ小さいから、死んじゃうかもしれない」
「……で、どうしたいわけ?」
「うちに連れてく」
 せめて、雨が止むまでは。
「うちにいなよ。ね?」


 かくして連れて来られた猫を見て、ルファン・グルーガ(るふぁん・ぐるーが)は目を瞬かせた。
「止むまででいいから! お願い!」
 とまでイリアに言われたら、無下にするわけにもいかず。
「その条件でなら、よかろう」
「ほんと!? さっすがダーリン、広い心ー!」
「雨が止んだら飼い主を探しに行くのじゃぞ」
「もちろん!」
 猫よりもイリアが喜んでいるように見えるのは、まあご愛嬌、か。
「それより身体拭けよ。イリアこそ風邪引くっつぅの」
 と、タオルが飛んできた。ウォーレンだった。窓の外の雨は強く、この中を歩いてきた二人は猫ほどではないが濡れている。
「お前もこっちこい」
 猫に手を伸ばすと、猫はウォーレンの手から逃れるように跳躍した。
「あっこら!」
 床を蹴り、椅子を蹴り、テーブルを蹴り、棚に乗り。
「あぶなっ……降りてこいって!」
 棚の上を翻弄する様に動いたら、ウォーレンの頭を足場にして着地してみせ。
「……こいつ……あの時しおらしかったのは演技か」
 肯定するように、猫はにゃあぉと楽しげに鳴いた。また、走り出す。
 ルファンは、せっかく二人が買ってきてくれたものを踏まれでもしたら大変と、床に置かれたままだった買い物袋に手を伸ばす。
「しまうの? イリアも手伝うよ!」
「ありがとう」
「ねぇねぇダーリン。猫って何食べるのかな。うち、食べられるのあるかな?」
 猫が食べそうなものといえば、魚だけれど。
「ふむ。言われてみれば、知らぬ。あとで一応調べてみるか」
「イリアも手伝う!」
「手伝ってもらうほどのことではないぞ?」
「いいの。ダーリンと一緒がいい」
 へら、とイリアが笑った。よくわからないけれど、楽しそうだったからまあ、いいか。
 一方では、ウォーレンと長尾 顕景(ながお・あきかげ)がやり取りをしていた。
「顕景も協力してくれよ。どうせ暇だろ」
「暇とはひどい言い草だな?」
「コーヒー飲見ながらこっち見て笑ってる奴が忙しいって?」
「そうだ。ウォーレンの勇姿を見届けるのに忙しい」
「お前なぁ……」
「レオは本当に頼りないね! イリアが協力してあげる」
 うなだれたウォーレンに、手助けなのか追い討ちなのかわからない言葉をかけつつ、イリアが猫へと手を伸ばす。
 猫は、これまでの逃走劇がただの遊びでしたと言わんばかりにイリアの手に飛び込んだ。そのままイリアは優しく抱いて、猫についた水滴を拭ってやる。
「……俺の時と随分対応違くないか?」
 疲れたようにウォーレンが言った。ルファンは苦笑するほかない。どうやらあの猫は女の子が好きなようだ。イリアには気を許し、とても甘えている。
「そういうこともあるじゃろ」
「すげー俺疲れた……」
 発言に、見ていた顕景が笑った。つい、ルファンも笑う。
「笑うなよお前らー!」
 ああ、それにしても、まったく。
 雨の日だというのに、実に騒がしい。
 ――たまには、まあ。
 悪くないから、もう少しだけ、降り続いてもいいかな、と思った。


*...***...*


 外は雨。
 依頼は無し。
 急ぎの仕事も一切ない。
 となれば、必然。
「……暇じゃ」
 机に突っ伏して、鵜飼 衛(うかい・まもる)は呻くように呟いた。
「よく降るのう、この雨は……」
 突っ伏したまま、ぼんやりと視線を外に向ける。ざあざあと、音を立てるほどに強い雨。この勢いに負け、外に出る気力などとうに削がれてしまっていた。
 衛が主に拠点としていた中東では、ここまでの大雨になることは珍しかった。ので、少しは雨の日の景色を堪能することもできた。が、慣れてしまえば楽しいものでもなく、口から出るのはため息と「暇」という単語。
 他の面々は何をしているのかと様子を窺うと、メイスン・ドットハック(めいすん・どっとはっく)は武器や自身をメンテナンスし、ルドウィク・プリン著 『妖蛆の秘密』(るどうぃくぷりんちょ・ようしゅのひみつ)は部屋の片付けをしていた。時折、笑い声が聞こえる。楽しく話をしているのだろう。仲良きことは善きことなり。
 せめて手だけでも動かそうと、衛はルーン符のストックを増やすべく筆を取る。が、そこで動きを止めた。
 やることのない時間。
 手には筆。
 なおざりに、後任せ後任せにしていた作業が、ひとつ。
 ――折角じゃし、やるか……。
 こういう日でもないと、時間がないと、できないことだから。
 ルーン符に代わり、机に広げるのは便箋数枚。
 拝啓。
 と書き出したところで、筆を止めた。
「おぬしら。何をしておる」
 視線に気付いたからだ。振り返る。
 部屋の入り口には、メイスンと妖蛆がいた。こっそりとこちらの様子を覗き見ているようだ。
「暇じゃからと言ってわしの邪魔か?」
「邪魔などとんでもない」
「衛様があまりに静かですから。何をしてらっしゃるのか気になってしまって」
「他愛もないことじゃ。手紙を書いておった」
 部屋に入ってきた二人へと、身体をひらいて机の上を見せてやる。
 手紙と知って、メイスンは思い当たる節をすぐに見つけたようだった。一方で妖蛆は首を傾げる
「どなた宛ですの?」
「娘じゃよ」
「娘!?」
 答えると、ひどく驚いた声を上げられた。耳が、びりびりする。
「何を驚いておる」
「だ、だって……衛様にご息女がいらしただなんて……! メイスン様! メイスン様は驚かれないのですか!?」
「自分はちょっとだけ会ったことがあるけぇのう。理解はしている」
「なんと……。はっ、ご息女がいらっしゃるということは、即ち奥様も!?」
「いや、じゃから落ち着け。妻はおらんよ。娘といっても養子じゃからな」
 養子、という単語に妖蛆の動きが止まった。触れてはいけないものに触れてしまった、と思っているのだろう。硬直した表情から安易に読み取れたので、守は笑った。
「まあ色々あってのう」
 なんでもないことじゃ、気にするな。
 本人がそう笑い飛ばしたからか、妖蛆は「そ、そうなのですか」と言った。
「それにしても、今時お手紙とは。古風というか、なんというか……携帯やメールでのご連絡ではいけないのですか?」
「携帯は使えん。着信は拒否されておるし、メールは迷惑メールボックスへ一直線じゃ」
「……えーと……それって」
「カッカッカッ。ある理由でえらく嫌われておってのう! それで手紙しかないんじゃよ」
「と、とても複雑な家庭環境なのですね」
「言うほどでもないがの。養育費は送っておるから生活に不自由もしないじゃろうし。
 ……とはいえどんな様子かは知っておかんといかんじゃろ? それで手紙を書こうと思ったんじゃが」
 拝啓、から先、出だしが思い浮かばないのだ。
「おぬしら、どんなことを書けばいいと思う?」
 問いに、メイスンと妖蛆が顔を見合わせた。
「普通に『お元気にしていますか』でええじゃろ」
「そうですね。今何をしているか、はいやいいえで答えられない質問を投げてみるとか」
「ふむ……」
 中々に難しい。特に、普段話さない相手だからぎこちなくなる。他人行儀になりすぎるのも嫌だ。
「つか、自分に聞くな」
「だってわし、手紙書かないし」
「自分や妖蛆だって書きゃぁせん」
「申し訳ありません」
「そうか。ん〜む……」
 お元気ですか。
 今何をしていますか。
 定型文だ。悪くはない。悪くはないけど。
「エッジが利いとらん」
「そんなもんいらんじゃろ……」
「……よし。喫茶店へ行くぞ」
「なぜ、いきなり喫茶店ですか? 大雨ですよ?」
「気分転換件、アイディアを聞きに」
 ヴァイシャリーにあるケーキ屋、『Sweet Illusion』の店主・フィルは、様々なことに通じているという。そういった人物なら、何か機転を利いたいい文面をくれる気がする。
 超がつくほど嫌われてしまった相手。
 しかも、年頃の女の子。
「そんな娘相手に、どんなことを書けば返信がもらえて、近況が知れるか。教えてくれんかのう」
「魔法使いじゃないと難しそうですね」
 妖蛆の、苦笑じみた答えに「だろうな」と思いつつ。
 少しの期待を捨てきれず、衛は外出の支度をするのだった。