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比丘尼ガールと恋するお寺

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比丘尼ガールと恋するお寺

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chapter.4 訪問者たち 

「外から、何か音が……?」
「男の人が叫ぶ声が聞こえてきたけれど……」
 Can閣寺の中では、謙二が敷地内に入ったことで、ざわめきが起こっていた。
 当然、寺には尼僧たちだけでなく訪問者もおり、その者らの心境も穏やかではないだろう。



 謙二らがCan閣寺の門を開けた、少し前。
 つまり、まだ彼らがここに姿を見せていない頃である。その時Can閣寺には、相談に乗ってもらおうという者たちやひょんなことから尼僧と接触することになった者たちが数名、場を賑わわせていた。
「尼寺Can閣寺……最近、急速に構成員を増やしている秘密結社だな」
 門を見上げ、そう呟くドクター・ハデス(どくたー・はです)も、そのひとりだった。
「夜な夜な秘密の暗号のような言葉のやりとりが聞こえてくるというではないか……俺の勘では、おそらく目的は世界征服に違いない!」
 彼はどうやらどこからか聞いたCan閣寺の噂を、ちょっと膨らませていたようである。
「兄さん、たぶんそれただのガールズトークだと思うんですけど……」
 そんなハデスに、パートナーの高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)からツッコミが入った。しかしハデスは、自分の考えが間違っていないと信じて疑わない。
「いいや、きっと世界征服のために必要な会議を、俺らに分からないよう行っているに決まってる!」
「はぁ……もう、それでいいですけど、兄さん、それを言うためにわざわざ階段を上がってきたんですか?」
「もちろん違うぞ咲耶! いいか、このCan閣寺が世界征服を目論んでいるのなら、それは我らオリュンポスと志が同じということ! ならば同盟を結んでおけば、我々の利益にもなろう!!」
 この時点で、咲耶は嫌な予感がしていた。そしてそれは、的中した。
「というわけで咲耶よ! 早速、我らオリュンポスの代表として、Can閣寺の代表者に面会してくるのだっ!」
 白衣を翻し、颯爽と言ってのけるハデス。もちろん咲耶は大反対である。
「いろいろおかしいところはありますけど、なんで私が……!」
「ここは男子禁制というではないか。となれば当然咲耶以外に適任者はいないのだ。さあ行け咲耶よ! 我らオリュンポスと秘密結社Can閣寺の同盟の成否は、お前の双肩にかかっているのだ!」
「ちょっと、話を勝手に進め……」
「我らオリュンポスと秘密結社Can閣寺の同盟の成否は、お前の双肩にかかっているのだ!」
「……はぁ、わかりました」
 これまずい。このまま同じフレーズをリピートするパターンだ。ハデスの言うことをとりあえず聞くのが一番スムーズにいくのだと察した咲耶は、溜め息と共に門をくぐったのだった。
「素晴らしい報告を期待しているぞ、咲耶!」
 背中から聞こえる声が、ちょっとだけ恥ずかしい。というより、普通にここを尼寺としか思っていない咲耶はふと考えた。
 ここが秘密結社でもなんでもないって時、兄さん、どうするんだろう?
 もちろんその答えは、誰も知らない。

 そうしてハデスを門の前に残し、ひとり寺へと入った咲耶は、とりあえず代表者に会おうとしたものの、まずはこちら、と客間のような部屋へ通された。
 少しして部屋に入ってきたのは、副住職の苦愛だった。
「わー、いきなりだけどなんか元気なさそうだねー! どうしたの?」
 一応軽くハデスの言っていたことを伝えようくらいには思っていた咲耶だったが、表情から感情を見抜かれたのか、心配に思われてしまっていた。
 そしてその一言で、咲耶は完全に同盟の話などどこかへ行ってしまい、普通に相談を始めてしまっていた。
「あのですね、聞いてください! 兄さんってば、私の思いを全然理解してくれないんです!」
 苦愛がそれを聞き話の続きを促すと、もう咲耶の愚痴は止まらなかった。
「いつもいつも、私のことを改造人間とか呼びますし……そりゃ、実の兄妹ですけど、なんていうか、もうちょっと敏感にっていうか、その、私が兄さんを好きだってことに気づいてくれてもいいと思うんです!」
「うんうん、気持ちに気づいてもらえないってつらいよねー。他につらいこととかある?」
 咲耶は苦愛にそう尋ねられ、どんどん自分の心をさらけ出していく。
「あと、本当はいい加減、秘密結社とかから更正してほしいんです。兄さん、真面目にしてれば格好いいんですから……あと、もうちょっと私に優しくしてほしいな、なんて……」
「なるほどなるほどー、恋してるからこそ、そうやって直してほしいとことか出てくるんだよね!」
「こっ、恋っていうか、なんていうか、その……」
「恥ずかしがることなんてないの! 女の子は、恋する生き物なんだよ?」
 なんやかんやでガールズトークを繰り広げる苦愛と咲耶。と、そこに、とてとてとひとりの女の子がやってきた。なにやら物欲しげな表情でじっとふたりを見ているその少女は、ミルチェ・ストレイフ(みるちぇ・すとれいふ)
 ミルチェはふたりの視線が自分に向けられると、無垢な瞳をしながらこう聞いた。
「これが、おまたでうわさの、かいきゃくじのれんあいそうだん?」
「お、おまた!?」
「かいきゃくじ!?」
 突然の爆弾発言に、苦愛と咲耶は声が裏返った。しかしこれは下ネタなどでは決してない。純粋な少女の、純粋なる言い間違えなのだ。もしくは、誰かに変なこと吹きこまれたかだ。
「た、たぶんそれは、巷の間違いじゃないかな」
「あとここは、Can閣寺だよ」
 訂正を受け、「あれ、おかしいなあ」と首を傾げるミルチェ。繰り返すが、彼女に悪意はまったくない。彼女はただ、ここに相談をしにきただけなのだ。
「で、どうしたのかな?」
 苦愛に聞かれると、ミルチェは先程ふたりが話していた内容を思い出しながら言った。
「わたし、こいをしたことがないから、どうすればこいができるのかしりたくって」
「わー、かわいい! 超かわいい! そうだよね、キミくらいの年齢になると、そういうのが気になってきちゃうよね! 大丈夫、ここに通えば、そういうことにいっぱい詳しくなれるよ!」
 声をワントーン上げた苦愛がそう答えると、ミルチェは顔を明るくさせた。
「ほんと!? うれしいなあ」
「あと、そっちのキミも」
 苦愛が、咲耶の方を向いて言う。
「そういう風にいろいろ溜め込んじゃうと、お肌とかにも良くないよ! 何か話したいことあったら、遠慮なくここに来てね!」
「は、はいっ、ありがとうございます!」
 咲耶が返事をすると、苦愛はにっこりと笑った。
 と、そこに、尼僧がひとり現れ、何か苦愛に耳打ちをした。
「え? あたしと話したいって子がきてる?」
 苦愛はそう聞き返すと、咲耶とミルチェに「ごめん、なんか呼ばれちゃった。またね」と言い残しその場を去った。

 苦愛が尼僧の案内で入った部屋にいたのは、御神楽 舞花(みかぐら・まいか)だった。
「キミは……」
 その顔に、苦愛は見覚えがあった。少し前の体験学習の時、寺のことについて聞いてきた子だ。
「どうしたの? やっぱりここが気になっちゃった?」
「はい、あれから少し興味を持ちまして……」
 舞花のその言葉は、嘘ではない。ただし、純粋に「恋愛相談の駆け込み寺」という意味での興味ではなかった。彼女はそこに、何か別の怪しいにおいを嗅いでいたのだ。
 あまり、疑いすぎるのも良くないけれど、どうしても違和感と不信感が拭えない。
 そう感じた舞花は、契約者である御神楽 陽太(みかぐら・ようた)を残し、ひとりCan閣寺へとやってきたのである。
「興味持ってくれたんだ? えっと、てことは入山希望ってことでいいのかな?」
 話を進めようとする苦愛だが、舞花は首を横に振った。
「その前に、もう少し詳しく、寺としての宗派や教義などを教えていただけないでしょうか?」
「うーん、そんな難しい感じじゃないんだけどなー」
 舞花の言葉に軽く首を傾げつつ、苦愛は答える。
「とりあえず、ここは恋とかに悩む女の子たちに、恋って素敵なんだよって教えてあげるとこだよ」
「それが、教義ですか……?」
「まあ教義っていうと堅苦しいからアレだけど、そういうことなのかなあ?」
 今ひとつ苦愛の回答は、舞花の望むところにぴったり当てはまりはしなかった。が、舞花はそれならそれでと次の質問へ移る。
「それと、Can閣寺の活動実態なども知りたいのですが……」
「活動実態? 普段どんなことしてるか、みたいなことかな?」
「はい、差し支えなければ」
 苦愛は、その質問に少し考える素振りを見せてから答えた。
「いつもはねー、ここにきた女の子たちの悩みを聞いたり、あと女の子たちで買い物に出かけたりしてるよ。あ、そうそう、おしゃれなカフェとかにも行ったりするかなー」
「……そうですか」
 聞いた限りでは、尼僧というよりごく普通の女性の行動だ。舞花は腑に落ちないものを感じたが、そこに彼女が疑っているような、犯罪関連の内容は見当たらなかった。
「で、どうしよっか? うちの寺に入ってみる?」
「いえ、今日はお話を聞きに来ただけなので、また少し考えてからきます」
 舞花は今回のやりとりを忘れないよう記憶に留めながら、そっとCan閣寺を離れた。



 一方、寺の外。門の前では、シン・クーリッジ(しん・くーりっじ)が地面に腰をおろし、何か手作業をしていた。手に持っているのは、針と小さな布だ。
 どうやらシンは、ハンカチをつくっているらしい。一体彼はなぜ、このような場所でこのようなことをしているのだろうか。
 自分でもそう思わずにはいられなかったのか、シンはぶっきらぼうに呟いた。
「ったく、なんでオレはこんなとこでこんなことやってんだか。ロゼのヤロー、馴染むとか、どういう意味だっつーの!」
 その表情はやや不満そうだが、反対に手はスムーズに動いている。
 彼がここにいる理由。それは、契約者である九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)のなにげない一言によるものだった。
「このお寺、行ってみたらいいんじゃない? 馴染むよ、きっと」
 Can閣寺のことを知ったジェライザは、シンにそう告げ、促した。無論最初シンは憤慨したが、彼の律儀な性格がここまで足を運ばせていたのだ。
「オレは恋愛とか興味ねぇんだから、意味もねぇだろっての」
 再びシンがぶつくさ言い出す。「そもそも」と彼は言葉を繋げ、門に触れた。
「ここ、男子禁制なんじゃねーか。馴染む馴染まない以前に、入れないんじゃいよいよ何しに来たって話だよ」
 最初の方こそ手持ち無沙汰だったため仕方なくハンカチをつくっていたが、段々自分のやっていることがむなしくなってしまってきていたのだ。
「そういやロゼのヤツ、後で迎えいくからとか何とか言ってた気もするけど……早く来いっつーの!」
 勢い良く布に針をさしながら、シンが言う。しかしよく思い返してみれば、「後で」がいつなのかも聞いていない。シンは軽く溜め息を吐いた。

 シンがそうして門の前で刺繍を続けていると、少しして門が開いた。
「ん?」
 そっと彼が中をのぞこうとした時、内側からひとりの男がポイと投げ捨てられ、あわや衝突するところとなった。
「な、なんだ!?」
 シンは地面に転がされたその人物に目を向ける。同時に、門を閉めながら尼僧がこっちに何か言ってきたのが聞こえた。
「このセクハラ大魔神っ! なにが保護者ですか、汚らわしい!!」
「……随分な言われようだな」
 シンがそう呟いた直後、バタン、と門が閉じられる。すると、地面に倒れていたその男は、ガバっと起き上がって口を開いた。
「お兄さんは保護者なんですって! 本当に! いえ、もし本当じゃないとしても、そういう言葉はもっとかけていただきたいところ! むしろもっと罵ってください!!」
「……」
 シンは、冷たい目でその男を見た。こりゃ閉めだされて当然だわ、と。シンがそんな冷ややかな視線を送っているその男の名は、クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)
 何を隠そう、先程寺の中でガールズトークで盛り上がっていたミルチェの契約者である。
 クドは、「保護者ということで大丈夫でしょう」と根拠のない自信と共にさらっと寺の中に入ろうとしたのだが、当然大丈夫でもなんでもなく、このような結果となったのである。
「どうして、どうして分かってくれないんでしょう! あなたたちは、お兄さんととても近しい存在のはずなのに……!」
 どんどんと門を叩きながら言うクドを見かねたのか、シンが声をかけた。
「ここ男子禁制らしいから、まず無理だろ。つーか、それ以前にその格好じゃ大抵のとこはダメだろ」
「え?」
 シンに言われ、クドは自分の体を改めて見る。彼は、パンツ一丁だった。これでは通報されなかっただけマシだと言うほかない。が、クドはまったく犯罪予備軍という自覚がなかった。
「これはお兄さんの正装ですよ!」
「……まあどーでもいいけどよ、なんでここの尼僧たちが近しい存在だと思ったんだよ」
 シンが、先程のクドの言葉について尋ねた。するとクドは、その理由を丁寧に語り始めた。
「開脚寺……ここはおそらく、未知のエネルギーと無限のエロスが秘められた、開脚という神秘の結晶に魅せられし尼さんたちが集うお寺なのでしょう。開脚には人知の及ばぬ神秘が秘められています。そんな開脚を神として信仰し崇めている彼女たちは、無限の可能性が秘められたパンツを信仰するお兄さんと似ているとは思いませんか?」
「思わねぇけど」
 というより、もう色々ツッコミどころがありすぎる。しかしそんな彼のげんなりした気分とは反対に、クドはスイッチが入ってしまったのか、さらにヒートアップしてしまった。
「仮にそうだとしても、彼女たち開脚寺の尼さん方は、恋愛相談を行っていると聞きます! それは尼僧であっても俗世を捨てていないという確固たる証拠! つまり開脚寺とはきっと、恋とかしたり愛とか語っちゃったりする事が許される、とっても自由なお寺であるとお兄さんは見ています!」
「まぁそれは間違ってねぇんじゃねーの。男が参加できるかは別として」
「いいえ、それなら同じような信仰を掲げるもの同士、親交を深めなければいけません!」
「何ちょっと韻踏んでんだよ。うまくねぇよ」
「よし! お兄さんはもう一度この門をくぐってみます! きっと今度こそ、艶かしいおみ足をあられもなく晒して開脚しながらお出迎えしてくれるに違いいありません!」
「……」
 意気揚々と門を開けるクドを、シンはどうしようもないなこいつ、という表情で見送った。
 そして案の定、クドは再び尼僧たちにつまみ出されていた。
「お、お兄さんと恋を! これから恋を!!」
「もういい加減にしてください! とりあえず服着てください!」
「服を着たら、入れてくれますか!?」
「入れません! ほんとにもう帰ってください!」
 どうにか粘ろうとするクドだったが、しまいには尼僧たちに蹴りを入れられ、階段から転げ落ちていった。ほぼ裸で転がったクドがどのくらい重い怪我を負ったのか、それは定かではない。

 そして、さらにもうひとり。病院送りとなった者がここにいた。
「ぐえっ……!」
 階段の下まで転がったクドは、最後の段差から地面に落下しかけたその時、地面の前に人に衝突した。それはつまり、クドの前に既に、この地に散った者がいることを示している。
「お、お兄さん以外にも……ご褒美を受けた方が……!?」
 しかしクドは、その姿を認める前にガクリと気を失った。彼が衝突した相手、それは弥涼 総司(いすず・そうじ)である。
 一体彼は何をしでかして、ここに倒れるに至ったのだろうか。その答えは、日にちを幾つか遡ったところにあった。
「あら、アレは……?」
 Can閣寺の近くにある滝に来ていた尼僧が、小さく声を上げた。
 それは少し前に行われた、一日お寺体験の直後だった。その時総司は、滝行という体で女体をのぞいたり色々やらかそうとしたところ、悪事が発覚し、ボコボコにされ川を流されていた。
 尼僧が発見したのは、そんな状況の総司だったのだ。
「人……!? 大変、助けなくちゃ!」
 尼僧は、慌てて水に足をつけ、川へと入っていった。抱き上げたその対象は男性であったが、別にここは寺の敷地内ではない。男子であろうとなんだろうと、人名の救助が優先されるだろう。
「大丈夫ですか!?」
 引き上げた総司の体は、あちこちがあざだらけで頬はこれでもかというくらいに腫れていた。暴行にあった確固たる証拠である。まあ、セクハラが原因なので自業自得なのだが。
「急いで手当てをしないと……!」
 川辺に寝転ばせ、応急処置をしようとする尼僧。とりあえず胸を手で押し、体内の水を外へと排出させる。何度かそれを繰り返したところで、総司の意識が戻った。
「ぶ……ぶはっ!?」
 勢い良く水を吐き出しながら、総司は上半身を起こした。自分の身に何が起こっていたのか、今ひとつ彼は掴めていないようだ。きょろきょろと辺りを見回しながら、彼は言った。
「なんだかずいぶん長いこと、ナラカをさまよっていたような気がするぜ……だが、ここは三途の川じゃないよな? てことはナラカから戻ってきた……もしかして、オレ、英霊になっちまった?」
 残念ながら、英霊にはなっていない。と、総司はすぐ目の前に、ひとりの尼僧がいることに気づいた。しかも、その胸にボリュームがあることにも。
 すると、総司の口から咄嗟に言葉が流れ出た。
「問おう、貴方が私のマスターか? もしくは嫁か? おっぱいのサイズいくつ?」
「なっ……!」
 英霊どころか、彼は依然としてセクハラ魔人のままであった。尼僧の顔は、驚きから怒りへと変わっていった。
「何を言っているんですかっ!!」
 バシン、と小気味好いビンタが一発入り、総司はよろめいた。それで多少冷静さを取り戻したのか、彼は改めて尼僧に話しかける。
「ここは……どこだ?」
「え、滝の近くの川辺ですけど……もしかして、記憶があやふやなんですか?」
 だとしたら、いきなりビンタなんて失礼なことをしてしまった、と尼僧は思った。しかし、仮に記憶喪失だとしてもやっぱりさっきの質問はおかしいだろと思い直し、そうでもないよねと判断した。
「ご自分の名前は分かりますか?」
「オレは弥涼総司、おっぱい大好き……ソレは間違いない……」
「いや、それはどうでもいいです」
 尼僧の表情が段々冷たくなっていく中、総司は頭を抱えてみせた。
「だが、何かとても大切なことを忘れているような気がする……尼僧さん、ちょっと相談に乗ってはくれないか?」
「はあ……」
 正直、変なのに関わっちゃったなあと思いながら、とりあえず返事をする尼僧。と、総司はその手に持っていた衣服を尼僧の前に出した。
 それは、前回滝行の時にどこかの女性からくすねた女性ものの上着だった。気を失っていても、これだけは失わなかったらしい。
「こいつを着てみてはくれないか? 何か思い出せそうな気がするんだ」
「え、い、いやです……」
 明らかに不穏な空気を察して、尼僧が断った。しかし、総司はめげない。こういう時の男子の粘りは、驚異的なのである。
「頼む! 一生のお願いだ! 目の前でこれに着替えてみせてくれ!」
「だから、いやですって」
「見たいんだ! オレは生着替えをのぞきたいんだ!!」
「この変態っ!!!」
 とうとう本音を叫んでしまった総司は、尼僧に思いっきり横っ面を引っ叩かれた。ちょうど腫れていたところにヒットし、激痛が走る。しかしアドレナリンが全開の今の総司にとってそれは、格好の興奮材料だった。
「スゴクいい! いいビンタだ!! 手首のスナップといい腰の入れ方といい、毎日滝行を欠かさず行ってるビンタだ! 何か思い出せそうな気がするっ!」
「意味がわかりませんっ!」
 バシーンと再び平手打ちが命中する。
「もっとだ! もっと殴ってくれ! 十往復くらい!!」
「なんなんですかあなたはっ!」
 気持ち悪くなってきた尼僧は、総司の顔面を何度かぶつと、そのまま川に突き落とし、その場を走り去っていった。
 その後、総司はまたもや記憶を失ったが、「Can閣寺の尼さん」と時折無意識に呟いているところを通行人に発見され、寺の前の階段へと打ち捨てられたというわけだ。
 階段の下で無惨にも倒れたクドと総司。彼らの記憶の行方は、神のみぞ知るのである。



「なんだったんだよ、アレ……」
 一方、クドの落ちていく様を見ていたシンは、相変わらず手元で針と糸をいじくっている。と、門を閉めようとした尼僧数人がそれに気付いた。
「あなたは、そこで何をしてるんですか?」
「何って、ハンカチつくってんだよ。悪いかよ」
「い、いえ……」
 クドの直後だからか、警戒心をのぞかせる尼僧たち。が、同時に彼女らは、シンのその器用さに多少なりとも驚いていた。
 喋ったり別な方向いたりしながら、そんなに作業できるんだ、と。
 警戒と驚嘆が混じった表情でシンに少しの間目を向けていた尼僧たちだったが、シンからすればその目線は単なる好奇の目線と写ってしまったようだ。
「……なんだよ、男が裁縫とかしてたらおかしいのかよ?」
「いえっ、そうじゃなくって……!」
 シンが思わず突っかかる。
 彼は、今まさにやっている裁縫にも見られるように、性別や種族、外見からは想像できないような趣味を持っている。悪魔であり、派手な格好をしている彼を見れば人はどうしてもそれに関連するような嗜好を連想するだろう。しかしシンにはそういった趣味嗜好がない。
 周りからの偏見や、イメージに合う趣味を持っていないこと。それらは、彼が抱える悩みでもあった。
「手先が器用で、羨ましいなってちょっと思って見ていただけで」
 尼僧がシンに言う。するとシンは、ぶっきらぼうに告げた。
「別に、こんなモンたいしたことねーよ」
 そう答えるものの、彼の手元にあるハンカチは見事な出来栄えとなっていた。それを見た尼僧数人は、こらえきれなくなり、シンに近づいた。
「私たちにも、それつくってくれません?」
 その言葉に目を丸くしたシン。てっきり態度からは断るのかと思われたが、その返答は微笑ましいものだった。
「おいおい、これくらい簡単につくれるっつーの……しゃーねぇ、興味あるなら、教えてやるから自分たちでつくってみろよ」
 言って、シンは裁縫道具を取り出した。
 この少し後、謙二らが門の前に姿を現すこととなる。