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chapter.8 式部とデート(2) 


 Can閣寺で激しい戦いが起こりだした時。
 式部は、空京にある小さな公園のベンチに座り、頭を抱えていた。
「やっぱり私、モテないのかな……」
 そう、小さく呟く。彼女がこうなっていた原因は、これまでのデートにあった。
 一応、何度か誘ってもらえたことはもらえたのだが、その相手が今ひとつまともではないというか、思っていたのと若干違っていたのだ。
 自分に興味を持ってくれたのは、毛玉や着ぐるみ、鎧……式部は、わがまま言える立場じゃないのは分かってるけど、と思いつつ、せめてもうちょっと人らしいデートがしたいなあと思わずにはいられなかった。
 さらに、ようやくちょっとかっこいい男の人が現れたと思ったら、なぜかいきなり説教される始末である。
 式部はもう、すっかり自己嫌悪に陥っていた。
 すると、そんな彼女に近づいてくるひとりの人物が。
「ああ、やっぱり……デートに行ったと聞いた時から、こうなる気がしていたんですよ」
 へこんでいる式部を見てそう口にしながら、彼女に向かって歩みを進めたのは風森 望(かぜもり・のぞみ)。望は、式部のデート話を寺で聞き、嫌な予感がしていたのだった。
「紫式部様」
「え?」
 望が後ろから式部に声をかけると、式部は振り向いて声を上げた。
「どうしたんですか? そんなに浮かない顔をして」
「いや、その……えっと」
 まさかうまくデートができないなんて言えず、式部は言葉を濁した。と、望がそれを見て、手に持っていた缶ジュースをひとつ、式部に渡す。
「まあ、とりあえず話を聞かせてください。何か悩んでいるなら、愚痴でも何でも聞きますよ?」
「え、でもあのこれ……」
「別にこれくらい奢りますから、気にしなくていいんですよ」
 望にそう言われると、式部はためらいがちに缶を受け取った。望が、式部の隣に腰かける。
「で、どうしたんです? モテるモテないで悩んでるんですか?」
「その、デ、デートが……」
 望に話を促され、式部は小さな声で話し始める。
「デートが?」
「お、思ってたのとなんか違うなって……」
 若干恥ずかしそうにそう言った式部を見て、望は微笑んだ。可愛らしい。もしかしたら、そんなことを思ったのかもしれない。
「や、やっぱり恋とかデートとかもちゃんと出来ないしやり方も知らないのに、モテとか考えちゃダメなのかなって」
 そう、悩みを言葉にした式部。すると望は、少し考えを巡らせた後、口を開き、歌を詠んでみせた。
「恋か日か この身焦がすは 知らずとも 蝉の如くに みをつくしらむ」
 現代語に訳すならば、「この身が焦がれるのは、貴女への恋でしょうか、それともこの夏の日差しでしょうか。それも分からないこの身は、蝉のようにその身を尽くして貴女のために詠うことはできるでしょうか」といったところだろうか。
 おそらく自分へと詠まれた歌なのだろうとは思いつつも、その意図が未だ掴めないでいる式部。そんな彼女に、望が言う。
「蝉の一生は、そのほとんどを地面の中で過ごし、成虫となって表で過ごすのは一週間から一ヶ月と言われています。たった一夏の恋のために生きる……というのも、素敵なものだと思いませんか?」
「えっと、つまり……もっと、大胆に……っていうこと?」
 首を傾げて尋ねる式部を見て、望は小さく笑った。彼女の言葉が方向音痴で、それが望にはおかしかったのだ。
「きっと紫式部様は、まだ土の中の幼虫なのでしょう。本当に誰かに恋した時、羽を広げ、空を舞い、初めて恋を詠えるのだと思います」
「本当に恋した時……」
 式部は望の言葉を繰り返した。おそらくはそう、愛とか恋とかそういったものを、もっと知ることができるように。そんな彼女に、望は告げた。
「いいじゃないですか、知らなくても。それだけこれから恋することを楽しめるのですから」
「そういう考え方も、あるんだ……」
 普段からネガティブな式部には、それはなかなか出ない発想であった。式部はなるほど、という表情で感心していた。
「だからそう、紫式部様は、楽しいデートもこれからたくさん知っていくんですよ?」
「そ、そっか。うん、そう、だといいな……」
 望の言葉が式部に華やかな未来を連想させたのか、そう返事した式部の顔は、少し赤くなり、頬が自然と緩んだ。それが随分締まりのないものだとすぐに気付いた彼女は、恥ずかしくて表情をもとに戻す。そして、誤魔化すためだろうか、望に指摘をした。
「あっ、えっとそうだ、あの、私式部じゃなくて光源氏だから!」
 望は、そんな式部がまたおかしくて笑った。
「ふふっ、失礼、光源氏様、でしたね」
 こくこくと目の前で頷く式部。望は、目の前のこの女性へのいとおしさがどんどんと募っていくのを感じていた。そしてそれは、もう我慢できないところまできてしまっていた。
「……」
「?」
 うつむき、沈黙を生んだ望。式部がどうしたのだろうと顔を覗き込むと、望はガバっと顔を上げて言った。
「えぇーい、もう! 光源氏を名乗るなら、女の子のひとりやふたり、手篭めにしちゃいなさーい!」
「え、ちょ、きゃっ!?」
 望が、式部の背中に手を回し、そのままベンチに横たわらせようとする。なにかとても危険なものを感じた式部は、全力でそこから逃れると、慌てて立ち上がった。
「え、えっと……いろいろありがとう、ずっとここにいたら夜になっちゃうから、もう行くね!」
 そう言い残し逃げ出す式部。未遂に終わった望は、残念そうな顔で式部の背中に声をかけるのだった。
「なんですか!? ちぎのたくらみで若紫チックにロリロリじゃないとダメなんですかー!?」
 無論、そういう問題ではなかった。

「はぁ……はぁ……」
 公園を走り去った式部は、乱れた息をどうにか落ち着かせようとしていた。そして、これからのことを考えていた。
「はぁ……どうしよ、また繁華街のあたりを歩いてみるのがいいのかな……」
 少し前までは災難続きで、デートの意欲が失せていた彼女だったが、望のポジティブな言葉である程度やる気を取り戻していたようだった。
 そうして繁華街へと向かった式部は、そこでまたナンパ待ちをするべく、適当にそのあたりを歩いてみる。と、早速声がかかった。
「あら、ちょっとあなた」
「え?」
 が、どうもナンパっぽい声のかかり方ではない。どちらかというと、知り合いに声をかけるような、そんな声。式部が振り返ると、そこには菅原 道真(すがわらの・みちざね)がいた。道真は、かつて婚活イベントのようなもので会って話したことのある相手だった。
「久しぶりね。何してたの?」
 道真にそう聞かれた式部は、少しためらいつつも、今の自分の状況を話した。と、道真は諸々を把握し、小さなため息と共に言った。
「あなた、まだそんなことをしているの?」
「そ、そんなことって言われても、こうした方がいいって言われたし……」
「いい? 良い女っていうのは、そんなことをしなくても人を惹きつけるものなの。そして、簡単にはなびいたりしないものよ?」
 道真がそうアドバイスを送るが、式部はやはり難しい顔をしたままだ。すると、道真は見かねたのか、少し何かを考えた後、ある提案をした。
「仕方ないわね、私がレクチャーしてあげる。こう見えても私、平安時代はそこそこモテたのよ?」
 人じゃないものにまでね、と冗談を混ぜながら言った道真は、そのまま式部の手を取った。
「え? え?」
「まあいいから、こっちへいらっしゃい」
 そのまま、式部を引っ張っていく道真。その少し後ろを、道真の契約者、茅野 菫(ちの・すみれ)はどこか不機嫌そうな様子でついていくのだった。

 道真に連れられた式部が来たのは、空京の街中にあるエステのお店だった。
「ここって……」
「自分を磨ける場所よ」
 式部の呟きに、道真は答えた。確かに、自信のない彼女に手っ取り早く自信をつけさせるには、分かりやすい外見の変化も有効かもしれない。
「……」
 式部は、入り口のところにある料金表を見ながら、Can閣寺を出る時苦愛にもらったメモを取り出し見比べた。コース外ではあるが、メモに書かれているお店と同じくらいにはお値段のする場所のようだ。
「な、なんか金額がちょっと……」
「そう、ちょっと贅沢にいこうと思って」
「あの、私その、持ち合わせがそんなに……」
 店の前で、金額に尻込みし入るのを躊躇する式部。しかし道真は、笑って言った。
「今日だけ特別よ」
「え?」
 そして、また式部の手を引く。式部は少ししてようやくその意味に気づき引き返そうとするが、もう道真は店員にコースを告げてしまっていた。
「そんな、悪いから……」
「まあせっかく奢ってもらえるんだから、遠慮しないで綺麗になってったら?」
 前には手を引く道真、後ろからは菫がそう言って式部を店の奥へ奥へと進ませる。
 結局、あれよあれよという間に三人はベッドにタオルを巻いた状態で横になっていた。そして、オイルを使った全身エステが始まる。
 顔から始まり、背中、腰、脚と巧みな腕使いでマッサージが行われ、式部は思わず声を漏らした。
「あ、あ、あぁーっ……」
「ふふ、どう?」
「き、気持ち良い……!」
 極楽状態の式部に、道真もまた満足気な表情だ。
「こうしてると、モテなきゃモテなきゃとかそんなことばっかり考えるのがバカらしくなってくるでしょ?」
 道真が、式部に言った。彼女は、式部のその強迫観念をできるだけ取り除いてあげたかったのだ。そこに、菫も会話に加わる。
「光源氏って、モてたんだろうけどさ。結局ほとんどが悲恋だし、結構一途だったんじゃなかったっけ?」
「源氏は……あ、じゃなかった、私は……そうね、うん。大事な人はブレてなかったかも」
「あんた、好きな人っていないの?」
「えっ!?」
 突然の問いに、式部が言葉を詰まらせる。普段であれば恥ずかしがってうやむやにするような会話だが、このリラックスムードで気が緩んでいたのか、式部は思いのままを晒した。
「好きな人……は、まだいないかな。そもそも恋がまだ、よく分からなくて」
 それを聞いた菫が、「じゃあ」と言って彼女に言葉を投げかける。
「モテることを目指すより、まずは誰かを好きになった方がいいんじゃない?」
「そう、なのかも……」
 どうも、先程の望もしかり、恋に焦っている様を見透かれているようだ、と式部は思った。
「ま、すぐにってわけにはいかないだろうけど、そのうちなれるといいわね。自然と人を惹きつけるような、そんな人に」
 道真が優しく言うと、式部はこくりと頷いた。
 その後も、三人は豪華な美肌コースを堪能しつつ、ガールズトークを展開させたのだった。



「もうこんな時間なんだ……」
 エステを出た後ふたりと別れた式部は、時計を見た。時刻は夕方五時半。そろそろ小腹が空いてきた頃だ。と、ちょうど都合良く、新たな出会いが式部に訪れた。
 彼女に声をかけたのは、草原の精 パラサ・パック(そうげんのせい・ぱらさぱっく)。パラサは、お洒落なバーに行くことを提案し、何か軽いものを口に入れたかった彼女にとってそれは喜ばしい誘いであった。
 ふたりが入ったのは、少し小道を入ったところにある小さなバー。
 薄暗い照明と、軽やかなジャズピアノが大人の雰囲気を漂わせている。
「カウンターは空いてるだぎゃー?」
 店に入ると、パラサはマスターにそう尋ねた。が、ここで予想外の事態が起こる。
「坊やにここは、まだ早いんじゃないかな」
 パラサの外見が小学生くらいのお子様だったため、マスターが穏便に帰らせようとしたのだ。式部は「さっきのレストランの悪夢が再び?」と不安を感じたが、パラサは堂々と反論した。
「外見で人を判断するのは良くないぎゃー」
 そう言ってパラサがこの世には色々な種族がいることを説くと、マスターは納得したのか非礼を詫び、カウンターへとふたりを通した。
「は、入れて良かった……」
 席につき、ほっと一息つく式部。その横に座ったパラサは、式部のためにカクテルを注文した。
「まだ陽も沈んでいないのにお酒なんて、変な感じ……」
「お酒は結構飲むのぎゃ?」
「う、ううん、お酒自体そんなに飲まないけれど……」
 注文したものが来るまでの間、当たり障りの無い話をふたりはしていた。やがてカクテルがカウンターに置かれる頃には、ふたりの距離感は少しではあるが縮まっていた。
「それにしても、お姉さんはちょっとだけもったいないぎゃー」
「……え?」
 アルコールのせいか、ほんのり顔を赤らめた式部が、つまみのクラッカーを口に運びながらパラサを見る。その場の雰囲気もあるのだろうが、そんな彼女はいつもより少し大人っぽく見えた。
 それを、パラサの席からひとつ飛ばし、隣の隣で見ていた者がひとり。パラサの契約者、五月葉 終夏(さつきば・おりが)だ。
「式部さん、相変わらず美人だなあ。いいなぁ」
 彼女、終夏はふたりの様子が気になったのだろうか、パラサたちの後を付いてきてここまで来ていた。それだけでなく、最終的に近くの席へ座って、ふたりの話にこっそり聞き耳を立てていたのだ。
「……お客様、ご注文は?」
 マスターが、若干不審な目で終夏にオーダーを取る。
「あっ、そっか、こういうとこに来て何も頼まないわけにもいかないよね! えーと、えーと」
 メニューを探してきょろきょろする終夏。どうしてこういうお店は、メニューが探しづらいのだろうか。ようやくメニューを見つけた彼女は、マスターに注文した。
「すみません、ミルクください」
「……」
 マスターが、ますます不審な目を終夏に向けた。女ひとりでバーに来て、近くの客をちらちら見てばかりでなかなか注文を頼まない。この時点で怪しさ満点だったが、ミルクがとどめをさした。最初の一杯でミルクを頼むのは、ここでは子連れのママくらいなのだ。
 終夏はさすがにその視線に耐えられなかったのか、慌てて注文を撤回した。
「すみません、一度言ってみたかっただけです、ごめんなさい。えっと、甘くて、そんなにアルコールが強くないものをください」
「かしこまりました」
 そう言って、マスターは少ししてから終夏の前にカシスソーダを置いた。終夏はそれを飲みながら、またふたりの会話に耳を傾ける。まだお店が開いて間もないからか、客は少なく、お陰で声はとても聞こえやすい。
「もったいない、って?」
 先程のパラサの言葉が気になった式部は、その意味を尋ねる。パラサはそれに答えた。
「お姉さんは、自分の中でごちゃごちゃ難しいことを考えすぎていて、せっかくの外見が生かされてないぎゃー」
「そ、そうなんだ……」
 指摘と賞賛を同時に受け、式部はどうリアクションをとってよいか分からず目線を動かした。
「そもそも、お姉さんは普段どういうところで遊ぶのだぎゃー」
「わ、私? えーと、ど、どこだろ……図書館とかはよく行くけれど……」
 その言葉と彼女の雰囲気から、バーだのレストランだのに通ってはいないだろうとパラサは読み取った。そもそも彼女は、お酒が弱いらしいではないかとも。
 たまたま式部を誘った時に話が出たのでバーに誘ってはみたものの、本当はもっと、彼女には好ましい場所があるようにも思えた。
「お姉さんは、もっと気楽に考えれば良いと思うよ」
「気楽に、かあ……」
 どこかぽうっとした顔でパラサの言葉を聞く式部。酒が回ってきているのだろうか。しかし、パラサの次の行動で、式部は目を覚ました。
「これをあげるぎゃー」
「えっ?」
 言って、パラサが差し出したのは、一輪の花だった。彼はそれを、式部の髪に優しくさす。
「あ、ありがとう……」
 照れながら式部が言うと、パラサはにっこりと笑った。
「似合ってるぎゃー。きっとそのうちお姉さんに、その花が幸運をもたらしてくれるぎゃー」
 そして、ふたりは静かにバーを出ていった。ひとり残った終夏は、「となりの、やるなぁ」と感心したように呟いていた。
「……お客様?」
 明らかにふたりを目で追いかけていた終夏に、マスターが声をかけた。びくっとした彼女は、慌てながら弁明する。
「あっ、いやなんでもないんです! ほんとに! 私のことは、黒子とかそういうのだと思ってください! あ、ほくろじゃなくてくろこです!」
 その後マスターから今日一番の冷ややかな目線をもらった終夏は、申し訳なさそうに店を出たという。