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比丘尼ガールとスイートな狂気

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比丘尼ガールとスイートな狂気

リアクション


chapter.1 インアンドアウト 


 大広間にこだまする声を聞いて、副住職、苦愛(くあい)は目を細めていた。
 Can閣寺の門をくぐり、境内を抜け本堂に入って少し奥へ歩いたところに、この大広間はある。見渡せば、二十、いや三十ほどの数の女性が座って何やら念仏めいたものを唱えていた。
「うんうん、みんなちゃんとおまじないやってるねー」
 苦愛はそう言うと、女性たちの後ろを歩いて回った。
 と、その足がぴたりとひとりの女性の後ろで止まる。その女性が、他の女性たちよりも一際大きな声を発していたからだ。
「ラブ阿弥陀仏! ラブ阿弥陀仏!!」
「き、きみすごい張り切ってるねー。なんか怖いくらいだけど……」
 苦愛が若干引き気味に声をかけると、その女性――漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)はくるりと振り返り、こう返した。
「私だって、私だってこの呪文を唱えればおっきくなるんだから……っ!」
「?」
 首を傾げる苦愛だったが、その疑問は月夜のジェスチャーで解消された。彼女はなんと、その呪文を自分の胸に手を宛てがいながら唱えていたのだ。
「あ、あー……バストアップ的な?」
「そう、刀真が知らない間におっきくなって、見返してやるんだから!」
 どうやら彼女、契約者と一悶着あったらしい。苦愛はそれを察して月夜に尋ねる。
「彼氏に、体形のことでなんか言われちゃったんだ?」
「かっ、彼氏っていうかアレだけど、なんか……おっきい方がいいって聞いちゃって」
「そっかあ。仕方ないよ、男の子はそういう生き物だもん」
「でも、何もそれを口に出さなくたって……」
 頬を膨らませ、不満そうに言う月夜。さらに彼女は苦愛に愚痴を漏らす。
「そんなにおっきいのが好きなら、私よりおっきい他のパートナーといちゃついたらいいのに」
「あはは、まあまあ。拗ねたり嫉妬してるだけじゃ、何も変わらないよ?」
「それはそうだけど……」
 苦愛の言葉に月夜は眉を下げて答えた。すると苦愛が、提案をした。
「おまじないも良いんだけど、君にはこんなのはどうかな?」
 言って、彼女が月夜に差し出したのは白い錠剤が入った小瓶だった。
「それは?」
「これはねー、バストアップに効果があるっていうビタミン剤なの。たまたまこれを販売してるとこの社長さんがここのお寺の人と縁があってね……」
「ほしい! それほしい!」
「はやっ、君反応早いね。でもこれね、一応タダでもらったものじゃないからお金かかるんだけど……」
「お金? 払う払う、いくらでも払うよ」
 あまりの月夜の食いつきっぷりに、苦愛は驚きつつもその小瓶を渡した。代わりに月夜は、苦愛にお金を渡す。
「あれ、その財布ってもしかして彼氏の?」
 苦愛が月夜の取り出した財布を見て言う。明らかにそのデザインは、若い女性が持つそれではなかったのだ。おそらく彼女が勝手にパートナーから拝借してきたのだろう。しかし月夜は、「これは気にしないで。もうほんとお金ならいくらでも払うから」と苦愛に次なるバストアップアイテムをせがむのだった。
「うわあ……」
 そんな様子を見て、思わず小さく声を漏らしたのは月夜の正面に座っていた桐生 円(きりゅう・まどか)だった。もしかしたらその声は、月夜にではなく、知らぬ間に財布の中身を使われている月夜のパートナーに対して出た憐れみに近いものかもしれない。
 少なくとも、より魅力的になろうという月夜に対してのものではないだろう。なぜなら、円もまた、このCan閣寺に通い、自分を好きになろうとしているうちのひとりだからだ。
「うん? 君は……」
 円の視線に気づいた苦愛が、そのまま真っすぐ円の方へとやってきた。
「時々来てくれてる子だねー。どう? 調子は」
「調子は……」
 円はどう答えて良いか少し迷った。以前、目の前のこの女性に話を聞いてもらった時は、「自分を好きになれたら無敵だ」と言葉をかけてもらった。
 でも、あれから少し時間が経って、今自信を持って「自分を好きだ」と言えるだろうか。そう円は考えた。そしてきっとその答えは、ノーなのだ。
「今も、良くはないのかも」
 だから円は、言葉をそんな風に繋げた。だって、こないだも、公衆の場で童貞だの童貞だの、しまいには童貞だのと口にする始末なのだ。どうしようもないヤツだと自分で思ってしまうのも当然だ。
「そっかあ。そういう時はどっかに買い物に出かけたり、パーって気分転換すると楽になるかもしれないよ?」
「それもいいかも。でも」
 円が一呼吸置いて言う。
「恋人は、ボクを好きだって言ってくれるんだ。それは、きっとボクにもいいところがあるんだってことだと思う。なんか、そこを認めてあげないと、恋人にも悪いなーって思って」
 何か他の楽しいことで気分を紛らわせた方が、確かに楽にはなるんだろう。けれど円は、それよりも自分としっかり向き合うことを選んだ。
 それは恋人が円を評価してくれているからで、その評価を信じる自分でいたいから。
「今すぐには無理かもしれないけど、ボクも、自分を好きになれるように頑張ってみる」
 円はどこかすっきりした表情で苦愛にそう告げた。そして苦愛へと頭を下げる。
「たぶんここまで考えることができたのも、苦愛さんのおかげかも。こういう場があると、友達の少ないボクもすごく助かるし」
「うーん、あたしは何もしてないと思うけど、君の言う通りここでなら、いっぱい友達ができると思うよ!」
 言って、苦愛は円におまじないを続けるよう促す。円は正直この念仏にどんな効果があるのかは分からなかったが、この人が言うのならきっと何か意味があるのだろう。
 そう思って他の女性同様、「ラブ阿弥陀仏、ラブ阿弥陀仏」と唱えた。
 心の中で、苦愛に「ありがとう」と感謝を抱きながら。

 彼女らのように、Can閣寺に通い熱心に自分を磨こうとする者たちがいる一方で、世の男性の一部はCan閣寺に苦情を寄せていた。
 それがここ最近は、特に目立ってきているという。
 事実、今日も寺の門の前では、数名が声を荒げていた。
「お前らのせいで、彼女がブランド志向になっちまったぞ!!」
「中でどんなこと吹き込んでるんだ! 教えろ!!」
 怒号にも似たそれは、鋭くCan閣寺へと飛んで行く。しかし向こうからの反応は、依然として何もないままであった。
 そんな中、アルマ・フリューゲル(あるま・ふりゅーげる)とパートナーのセルマ・フリューゲル(せるま・ふりゅーげる)もまた、周りの男たちと同じようにCan閣寺に苦情を入れていた。
「入山者共、お前らに言いてえことがある!」
 若干荒々しい口調で声を張るアルマ。しかしアルマには、周りの男たちとは違う点があった。
 まず、その性別である。
 一見男性に見えるアルマだったが、実は彼女、れっきとした女性である。
 ではなぜ、女性のアルマがCan閣寺に不満げな態度を取っているのだろうか?
 その答えは、ふたつ目の相違点にあった。
「いいかよく聞け! 愛ってのはな……妄想だ! 幻だ! ただの思い込みだ! 欲望をちょいと小綺麗に仕立てた、紛い物なんだよ!!」
 アルマがそう叫ぶと、周囲の男性陣はしんと静まり返った。
 あれ、なんかこいつだけノリが俺たちと違うぞ的な空気を感じ取ったのだ。
 そう、アルマと男性たちとの決定的な違いは、これだった。男性らは被害者という体でクレームを口にしていたが、アルマはただ単に、僻みのようなもので叫んでいただけだった。
 これにはさすがにCan閣寺側も黙っていなかったのか、尼僧が数人外へ出てきて、アルマらの前に姿を現した。
「すいません、ここで大声を出されると迷惑なんですけど……それと、この寺では愛を大事にしていますので、そういった言葉は控えていただけないでしょうか?」
「だからよぉ、愛だの恋だの恋愛だの、そんな言葉捨てちまえ!」
 丁寧な応対を見せる尼僧に、アルマはさらに語気を強めて食ってかかった。
「綺麗な言葉で誤摩化そうとしてんじゃねえよ! 結局はただの欲だろ!? だったら、素直に欲を掲げろよ!」
 もはやアルマの言葉が何を主張しているのかもよくわからなくなっているが、さらに彼女は続けた。
「食欲でも、金銭欲でも、情欲でもなんでも振りまいていけ! 欲を愛とかで飾り立てんなよ!」
 なんとなくかっこいいことを言ってる風であるが、忘れてはならないのは彼女のセリフはあくまで僻みからくる文句である。
 周囲の男性たちも、せっかく尼僧が出てきたというのに、アルマの主張に色々な意味で驚かされ、すっかり言葉を失っていた。
 そしてさらに彼らの口をぽかんと大きく開かせたのは、セルマの言葉だった。
「てかさ、ここって、すっごく不公平じゃない?」
「何を言い出すんですか、突然」
 尼僧がそう言って、セルマの方を向く。それに合わせて、セルマが理由を話した。
「だって、たとえ男でもさ、心は乙女って人たちもいると思うんだよね。でもそういう人たちには窓口が開かれてないわけでしょ? これはもう、不公平だよね」
「……何が言いたいんですか」
 尼僧が怪訝な顔で尋ねる。するとセルマは「ああもう」ともどかしそうな表情をして告げた。
「だから〜、入山させてよ、ってこと!」
「え、あの……え?」
 尼僧が戸惑うのも無理はない。なぜなら、セルマは契約者のアルマとは反対に、一見女性に見えるが、れっきとした男性だったからだ。
「ボクもここで楽しいこといっぱいしたいのに〜!」
 手をバタバタさせて、セルマが言う。これには尼僧だけでなく、男性たちも開いた口が塞がらない。
 彼らからしたら「なんだよ、俺らみたいにクレームつけにきた仲間かと思ったら、入山希望者かよ」という話なのだからこのリアクションはごもっともだ。
「ね〜、いいでしょ!? なんで男はダメなの〜?」
「な、なんでと言われても……尼寺とはそういうものです! 失礼します!」
 どうしていいのかわからなくなったのだろう。尼僧は早口でそう言うと、彼らに背中を向け去ろうとした。
 と、その背中にアルマの声がかかった。
「なあ、ひとつ聞いていいか」
 足を止め、尼僧が振り向くとアルマは疑問を投げかけた。
「こんな寺に入山しただけで、本当にモテるようになれんのか……?」
「信じる者は、惚れられるといいます」
 それだけを言って、尼僧は寺の中へと姿を消した。



 外の喧噪も、日の光さえも届かない暗がりの中で、男が小さく声を上げた。
「う……」
 それは弱々しく、ここが音のない場所でなければ聞こえないほどのものだった。男は、縄で後ろ手に縛られており、身動きがまともに出来ないようだ。
 ことり、と音がした。
 男が音の方に顔を向けると、そこにはひとりの尼僧がいた。地面に置いたのは、食事の盛られた器だった。
 男と尼僧の間には頑丈そうな柵が設けられており、どうやら尼僧はその柵の隙間から手を伸ばし、男側の方に器を置いたようだ。
「少し早いですけれど、本日の昼食です」
「……出せ」
 男が、尼僧に言った。ここに閉じ込められてから何度目かの言葉だった。そして返ってくる言葉も、もう聞き飽きたものだった。
「上からの指示で、それは出来ません」
 短くそう告げて、尼僧が去っていく。それを男はそれを眺め、歯ぎしりしつつ言葉を漏らした。
「男として……拙者は、生き延びてみせようぞ」
 男の名は渡辺謙二(わたなべ・けんじ)。彼の心はこの絶望的な状況にあってなお、折れていないようだった。