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リアクション
3 即席協力チーム結成
「……何? 何の騒ぎ? って……」
レオカディアと喫茶店を出た真衣兎は、右に左にと走る人々を前に絶句した。ある者は出口を求め、ある者は襲い来る兎達から逃げ惑い。誰かが攻撃を受けたのだろう、床には真新しい血も落ちている。
「一体何なの、コレ……普通に大惨事じゃないの……。とりあえず逃げる……」
といっても、何があったか知らない事にはどう逃げれば良いのかも判らない。状況を把握しようと、見える範囲に目を配る。その視線が固定されたのは、それから数秒後のことだった。壊れ、倒れる商品棚も含めて能動的に動くあらゆるものの間で、サングラスが動いている。
「……あそこのグラサンの人に聞いてみよ」
「そうですわね。行ってみましょう」
購入した荷物を抱え、レオカディアと共に歩き出す。
(お茶してるだけで、何で厄介事に巻き込まれるんだろう……)
「怪我人!?」
「これは……怪我してる人が……」
真衣兎達がサングラスに向けて喫茶店前から移動したすぐ後、玄白と怜奈は平和とは程遠い店内の状態に少なからぬショックを受けていた。逃げ惑う客の間に、倒れて苦痛に歪んだ顔も見える。
「ともかくこのまま見てるだけでは……玄白、怪我人をお願い!」
「分かってます、とにかく治療を……」
玄白は倒れた客に駆け寄り、傷口にヒールをかけていく。その間に、怜奈は更にフロアに踏み込んで周囲を見回す。
「どうするにしろ、情報が足りないわ……」
混乱を前に、言いようのない焦燥感が湧いてくる。その時目に止まったのが、テレパシーを終えてザミエルに指示を出すレンの姿だった。
「サングラスで表情はよく分からないけれど、随分冷静ね……」
詳しく話を聞いてみるなら、彼――だろう。
⇔
きしゃあっ! と兎が襲ってきたのは、ファーシーに電話しようとした時だった。
「……っ!」
ラスは反射的にそれを避けたが、避け切れなかった左手に握られた携帯が強打されて床に転がる。兎は勢いのままに筐体を踏みつけ、足の下で連続した破壊音を作り出した。電話がお亡くなりになると同時、血の匂いに惹かれたのかこちらを振り返った獣は地を蹴って再び牙を剥く。それを、レンはショックウェーブを使って吹き飛ばした。
魔法攻撃を受けて周囲の棚が次々と倒れ、起き上がった兎は畏怖の効果か唸り声を洩らしつつも襲っては来ない。
「……今のうちに移動するぞ」
「あ、ああ……」
レンは商品の間を縫って走り出し、壊れた携帯を拾ったラスも、兎を気にしつつ彼に続く。しかし、二人はそう進まないうちに足を止めることになった。レンの視線の先に、痛そうに足を押さえた男性が居たからだ。
「どうしたんだ?」
「足を挫いてしまいました……。兎に襲われた時に、変に倒れてしまったんですよね」
確かに、変な格好で倒れている。だが不思議だ。緊迫した状況下なのに、彼の姿勢と表情、話し方を前にすると微妙にそれを忘れてしまう。彼自身から、あまり緊張感が感じられない所為だろう。
「乗れるか?」
レンは彼――ルーク・カーマイン(るーく・かーまいん)の前にしゃがんで背を示す。
「乗せてくれるんですか?」
「乗せなくてもいいのか?」
「あ、いえ! 乗ります乗ります!」
離れかけたレンの背に、ルークは慌てて体を預ける。出血を伴う外傷が無い為か、レンは遠慮や配慮は特にせずに普通に立ち上がって進み出す。
結果として、その歩みはまたもやすぐに中断することになった。
「あの……好きになっても良いですか?」
と、ルークがレンの耳元で言ったからだ。
「……………………」
無言のままに、レンは彼を投げ飛ばした。見事なフォーム。一本勝ちだ。
「痛い! 痛い! です」
「……あー、大丈夫? 怪我人背負い投げして遊んでる場合じゃないぞー」
真衣兎が近くまで来たのは、そんな時だった。涙目で訴えるルーク、そしてレンに半笑い半眼の顔で言う。棒読みもいいところなツッコミをする彼女の前で、しかし漫才めいたやりとりは更に続いた。
「冗談で言っただけなのに、何も全力で背負い投げすることないじゃないですか!?」
「いや、冗談には聞こえなかったな。そうか。全力だと分かったか」
レンの口調は、「それは良かった」と後に続きそうなものだった。朗らかに笑う口元は、サングラスの奥でにこにこと細められてそうな目元も想像できたが、それは全く安心を誘わない笑顔である。これは多分、二度目は無い。
「ほんの少し場を和ませようとしたお茶目だったのにぃ……あやうく、背骨が変な方向に曲がるところでしたよ」
げふん、と一度咳をする。
「どうしましたの? 足が……?」
真衣兎の後ろからそれを見ていたレオカディアは、立とうとしない彼に近付いて膝を折った。ズボンの裾を捲り、軽く足を点検する。
「挫いてらっしゃるのね。少々お待ちなさい。今簡単に応急処置をして差し上げますわ」
ごく弱い氷術をかけて患部を冷やすと、手持ちのハンカチを出して上から巻く。
「ついでにヒールもかけて……これで多少はマシでしょう」
「ありがとうございます。お礼に食事でもどうですか?」
「……ふふ、お礼なら脱出してからにして下さいませ」
ここぞとかけられた誘いを、レオカディアは笑顔で流す。一瞬息を詰まらせたルークだったが彼はめげなかった。
「では、脱出した後に改めて。……さて、少し場が和んだところで改めて状況の整理をしましょう」
「あの、すみません。詳しいことを知っていたら教えてもらえませんか?」
そこで、怜奈が声を掛けてくる。彼女の後ろを、先程の怪我人を背負った玄白が続いていた。怜奈の言葉を受け、真衣兎も勢い込んでレンに訊ねる。
「そうそう、一体何があったんです?」
「いや、俺達もまだよく分かってないんだが……」
そうして、レンとラスは現在の状況を五人に語った。
「……兎が、人を……」
話を聞き、怜奈は驚きのままに声を洩らす。現在、人々の悲鳴は階段、エスカレーターやエレベーター側から聞こえてくる。パニックになった客達が出口を求めて群がり、兎の攻撃もそちらに集中しているのだろう。この辺りは比較的小康状態と言ってよかった。
「随分重傷ですね……でも、一人も死にさせはしませんよ。必ず救います」
彼女の隣では、玄白がモブ男にグレーターヒールをかけていた。医学に通じている彼の判断は的確で、確実に命に関わる部分を判断して治療箇所を決めている。だが、到底安心できる状態ではないのだろう。笑みを滅多に絶やさない彼の表情が若干曇っているように見える。
「で、だ」
ついそちらに注目してしまう皆を、真衣兎の声が引き戻す。
「こうなった以上、ここでジッとしてるのは危険よね? 私達としてはここから逃げ出したいってのが本音なんだけど」
超真顔での発言に、全員の視線が集中する。生まれた間の中に「え」という声なき声を感じ取った気がしたが、次にレオカディアが口を開くまで真衣兎は真顔を貫いた。
内心で冷や汗を掻いていたのも確かなのだが。
「あのねぇ真衣兎……貴方、この状況でそんな事言い出しますの!?」
「私単なるごく普通のバーテンダーだから! バトルとか無理だし!」
そして、叱責を受けた瞬間に強く自分について主張する。そうだ。契約者といってもバーテンダーなのだ。あんな凶暴な兎となんて戦えない。戦えないのだ。
怪我人のことは気になるけれど――
(……あぁ。皆さんの視線が痛い……)
言うだけ言って、彼女は縮こまる。
「スイマセンいやでも事実です……」
「まあ、逃げ出すっつー方針に異論は無いけどな……俺もそうだし。速攻で逃げたいし」
レオカディアの隣で肩を窄めた真衣兎は、ラスの言葉に「えっ」と表情を明るくした。
「そうですよね! 怪我人の方も早く診てもらわないとですし仕方ない!」
希望を持って力説する。だが、彼はすぐに脱出する気はないようだった。
「でも、それはファーシーを回収してからだ。機晶姫だから早々壊れないだろうけど、あいつ、攻撃出来ないからな……」
「俺も彼女が気に掛かる。なるべく早く合流したいが……連絡は出来ないのか?」
「無理だ。完全に壊れた」
レンに聞かれ、ラスはばきばきになった携帯を皆に見せる。それから、真衣兎に対して言った。
「ってことで、一人で逃げてくれ。この男も預けるから。つーか重いから持ってってくれ」
「ええ!? い、いえ、とりあえず助かりたいんで一緒についてっていいですか。はい」
まさかの放置!? と真衣兎は慌てて早口で言う。こんな場所に一人で放り出されたら大変だ。というか最後にすごい本音言ったよこの人。重いよね。そりゃ重いよね。でも私の荷物も重いですし人一人はちょっと厳しいですいえかなり厳しいです。
「脱出が遅れてもいいのか?」
「もちろん皆さんの都合優先ですよぉ。そのファーシーさんって人を探すのが先ですよね分かってますって。だから見捨てないでくださいーー! 無事出れたら後で私の店でお酒奢るからさ! ね!」
「…………。まあ、それでいいなら勝手にしろよ」
少しの間の後、ラスは端的に真衣兎に答えた。背中の怪我人を下ろせずに少し残念そうでもあり、その後には「人数が多い方が襲われるリスクも減るしな」と付け加える。真衣兎に負けず劣らず、自分本位な発言である。
「俺もファーシーさんを探しますよ。何処にあの兎が潜んでいるか判らないし、俺もこんな足ですから皆さんと一緒じゃないと生きてこのデパートを出られないでしょう。だから、協力」
ルークも投げ飛ばされたその位置から皆を見上げて言う。
(……面倒な事になったわね……)
彼らの話を聞き、怜奈も考える。兎は厄介だけれど、それでも何とかしないといけない存在だ。原因はともあれ、被害者を増やすわけにはいかない。だが、今重要なのは目の前にいる重傷者の手当てだ。このままでは、彼らはやはり犠牲者となってしまうだろう。
とはいえ、兎がいつ襲ってくるかも分からない。襲ってきたら対応しなければいけないし、戦う手も必要だ。
だが玄白には、怪我人の対応を一番にしてもらいたい。
「分かりました。私でよければ協力させて下さい。援護します」
幸い、銃は持ってきているし、これで彼らの護衛が出来るだろう。
「……ご一緒してよろしいのなら、それが一番ですわね。わたくしも強いわけではありませんし。行動するなら皆まとめての方がやはり安全でしょう。僅かですが、魔法の心得もあります」
「魔法に銃か。それは戦力になるな」
レオカディアもそう続け、レンは彼女と、怜奈の持つ灼骨のカーマインを見て頷いた。その遣り取りを見て、ルークも何が出来るのかを皆に言う。
「戦力としては使い物にはなりませんが、俺も、この頭と口でなら多少はお役に立つと思いますよ」
『…………』
「ただの変な教導団員じゃないのか」
「信じてませんね? 信じてませんね!?」
皆の無言反応とレンの一言に、ルークは涙目になった。だが、すぐに強がりめいた笑みを浮かべて指を立て、店頭販売員かどこぞのマジシャンのように説明を始める。
「仕方ありません、まずは俺が役に立つ男だってのを証明しましょう」
そうして、彼は一つのアイテムを一同に見せた。
「さて此処に取り出したのは、『ハイドシーカー』というアイテム。生物の戦闘力を簡易数値化するアイテムです」
まあ、その戦闘能力が一定以上だと爆発するのだが。
「これを使えば、近くに兎が隠れていても容易に見つけることが出来るでしょう」
「なるほど……」
ハイドシーカーをじっと見て、視線はそのままにルークに、否アイテムに向けてレンは言う。
「良いアイテムを持ってるな」
「はい。……って、これアイテムだけ評価されて俺が評価されない流れですか!? あのもうちょっと! もうちょっとだけ時間をください!!」
「長くここに留まりすぎたな。そろそろ移動しよう。兎達も俺達に気付いて狙って来ている」
聞いているのかいないのか、レンは周りの様子を見て歩き出した。皆も慌てて、周囲を警戒しつつ移動を始める。確かに、ルークの手元を見ると数値が表示されている。決して低くはないそれは、近くに変質兎が迫っていることを意味していた。しかし、逃げるにも足が痛くて立ち上がれず、ルークはレンを呼び止める。
「あ、レンさん」
「何だ?」
「また拾ってください」
「……そうだったな」
恐らくわざと先行してみたのだろうレンは数秒掛からず戻ってきてルークを背負った。口を開けてやってきた兎が、その場で牙を打ち鳴らしたのは五秒程後の事だった。
⇔
「なんだよ、これ……」
阿鼻叫喚となっている通路を見て、瀬島 壮太(せじま・そうた)は呟いた。
血の匂いがする。悲鳴がうるさい。パニックに触発されそうになる。いや、されているのかもしれない。混乱していた。やばい。やばいやばいやばい。三文字が、頭の中をぐるぐる回る。
気が付けば、走りだしていた。
だって、この騒ぎの元凶は、人を襲っているのは、今まさに隣を走っていた人の腕を噛み千切ったのは、そうは見えないけど兎で、兎といったら小動物で、ペットで、じゃあつまり発生源はペットショップで。
ペットショップでは、紡界 紺侍(つむがい・こんじ)が働いていて。
「……っ」
息が詰まった。身体の芯が冷える。あいつは無事だろうか? 無事でいてくれるだろうか? まさか食われてねえよな、なんて心臓が締め上げられるような考えが浮かんだ。振り払って、走る。
紺侍のバイトが終わったら、落ち合ってデパートを見て回る予定だったのに。
いつものように他愛のないことで笑って、一日を過ごすつもりだったのに。
なんで、こんな。
「――クソっ!」
吐き捨てて、ひたすら足を動かした。ペットショップの場所は、最初地下二階に降りた時にフロアマップで確認してある。遠くはないが、近くもない。
逃げてきた人にぶつかりながら走ると、ややしてペットショップの看板が見えた。立ち止まり、ドアを開けようとした。が、がちゃんっ、と派手な音がしただけだった。どうやら鍵がかかっているらしい。
力任せにドアを引いたが、鍵に阻まれる硬い音が響くのみだった。
「おい! 開けてくれ!」
声をかけて叩いてみるが、反応はない。舌打ちをして、壮太は携帯を取り出した。
地下のためか電波は弱いものの、圏外ではない。紺侍の番号を履歴から呼び出し、通話ボタンを押した。無機質なコール音が続く。幾度目かのコールのあとに、「ただいま電話に出ることができません」という、お定まりの文句が流れた。電話を切ってポケットに押し込み、焦燥感に突き動かされるまま、再び走りだす。
なぜ、電話に出ないのだろう。いや、出ないのではなく、出られないのだろうか? 背筋に冷たいものが走った。嫌な考えばかりが浮かぶ頭を振って、しらみつぶしに探す。
従業員通路。物陰。控え室。隠れられそうな場所を、ひとつひとつ丁寧に探していく。が、紺侍の姿は見当たらない。いない、とわかるたび、心の中で焦りが大きくなっていった。
もう一度携帯を取り出しかけてみたが、やはり繋がらなかった。そのことも焦りに拍車をかける。
無事でいてくれ。
心の中で呟くと、三度壮太は走りだした。
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