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思い出のサマー

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思い出のサマー
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●夏の夜の、記憶

 御神楽 陽太(みかぐら・ようた)は蒼空学園の門をくぐった。
 すでに夜。夏の星座が頭上に広がっている。学校に灯りは灯っていない。
 彼の隣には、生涯の伴侶御神楽 環菜(みかぐら・かんな)の姿がある。
 そして彼の腕には、六ヶ月になる赤ちゃんが抱かれている。彼女……陽菜はもう眠っているようだ。
「あれからもう……四年か」

 多分、想像だったのだと思う。そんなことはありえないから。
 環菜の唇が自分の唇に触れただなんて、小鳥がついばむようだったとはいえキスしてくれただなんて、夢にしたって出来過ぎだ。


「そうね、たかが四年、されど……というやつかしら」
 去りゆく夏を惜しむ夜、蒼空学園を舞台にした蒼学とイルミンスールの屋台経営対抗戦。
 あれが行われたのが、2020年の今頃だった。あの夜は、陽太と環菜にとって、運命の夜になった。
 今となっては、はるか遠い昔の物語のように思える。
「あの……環菜様、陽太様、私たちは本日、『星空研究会』の活動に来たのですから、ここで止まらず屋上に行かなくては……」
 おずおずと御神楽 舞花(みかぐら・まいか)が声をかけた。
「おっと、そうだったよね!」
 ノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)もはたと気がついて、
「さあ、行こう行こう、もっと星のそばへ! おねーちゃんも、ね?」
 と飛び上がるようにして、エリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)に手をさしのべたのである。
 ことの発端は、陽太がふと、夜の蒼空学園に思い入れがある……という主旨の発言をしていたことにある。
 元学園長ではあるが、ここは正式に訪れたほうがいい――と舞花は気を利かせ、『星空研究会』を立上げ、ここの全員を部員として登録いたのである。そして今夜、正式な部活動として、夜間活動を申請して許可を取ったのだった。
 校舎最上階から屋上に続くドアを開け、満天の星空の下に陽太は踏み出した。
「それでは星空を満喫しましょう」
 舞花が恭しく述べた。
「満喫、ってどう楽しめばよろしいのですの?」
 エリシアが問うと、
「好きにくつろいで下さって構いません。学園長に提出する申請書にも、活動予定内容は『満天の星空を思い思いに楽しむ』と書いてポスしましたので」
「なーるほど」
 ころっとコンクリートの上に仰向けに寝転び、エリシアは深呼吸した。
「じゃあそうさせてもらいます! ああ、星が綺麗ですわ……」
 やがて三十分ほどもした頃だろうか。
 エリシア同様にころころしていたノーンが、突然むくりと身を起こした。
「あれ? おにーちゃんは? 環菜おねーちゃんと陽菜ちゃんも?」
「気づいてませんでしたの?」
 屋上のフェンスに指をかけ、エリシアは階下のある場所を指さした。
「ご夫婦はあそこですわ」
 ノーンはすぐそばまでいって真似してみたが、ダークビジョンにホークアイが働くエリシアならともかく、一般的な視力の彼女にはなにも見えない。
「んーっと……どこ?」
「ちょっと離れた場所のベンチに座って、なにか話しておられますわ。お二人のそばにはベビーカーもあります」
「ふぅん……、見えないけど、なんだか想像できるなー」
「あのふたりが結婚して、子どももできて、仲良く子育てに励んでいる姿……ずっと見守ってきた身として、本当に感慨深いですわ」
 エリシアは微笑していた。その話題なら、ノーンにも言いたいことはある。
「わたしは、ずっとおにーちゃんとおねーちゃんが環菜おねーちゃんを連れてナラカから戻ってくるのを地上で待ってたから……おにーちゃんと環菜おねーちゃんが結婚して陽菜ちゃんが生まれて、とっても嬉しいよ!」
 あの頃の陽太があるから、今の彼らがあるのだ。それにしても、一時はどうなるかと思ったものだ。
「お茶が入りました」
 用意周到、二人のもとにティーカップを差しだしたのは舞花だった。
「せっかくだから聞きたいな。舞花ちゃんにとって、おにーちゃんとおねーちゃんってどんな存在?」
 すると淀みなく、舞花はこう応じたのである。
「私にとって陽太と環菜は元々敬愛するべきご先祖様で……今は親しみを感じつつさらに深く敬愛しています」
 それに、と舞花は言い加える。
「御神楽家の守護魔女と守護精霊の会話に立ち会えて、御神楽家の者として感動を覚えます」
「守護魔女に精霊……? あ、それ、わたしたちのことだね!」
 あははとノーンは笑った。そう改めて言われると、なんだか照れくさい。
 守護魔女としては、とエリシアは言った。
「陽菜の将来、陽菜の子供たち、さらにその子どもたち……できる限りわたくしは、見守っていくつもりですわ」

 風の音に乗って、ノーンの奏でる『幸せの歌』が聞こえてくるような気がする。
 このときまさしく、陽太と環菜は幸せに包まれていた。娘の、陽菜とともに。
 思い出が去来する。この場所は、ふたりがはじめて唇で触れあったあの場所、そのすぐ近くになる。
 いま、目を凝らせばあのあたりに、四年前の自分と環菜がいて、この場面を繰り広げているように陽太には思えた。

「……かか、会長?」
 のぼせあがった頭で陽太は彼女を見る。今の環菜は、サングラスを外していた。大きな瞳に星灯りが映り込んでいた。
 そして環菜は、どこか寂しげな顔で彼を見つめていた。
「こんなときくらいは名前で呼んで、って言ったはずよ」
「か、環菜様」
「今夜は『様』がなくてもいいわ」
「環菜さ……環菜……」


 会長あるいは環菜様と呼んでいた時期より、環菜と呼ぶようになってからの時期のほうが、今はもう、ずっと長い。
 けれど初めて、呼び捨てにしたあのときの胸の切なさは、今でも忘れない。
「あの夜の切なさは、今なお宝石のように輝く、俺の大切な記憶です」
 と言う陽太の手には、環菜の手が重ねられていて、目の前に停めたベビーカーには、ふたりの血を分けた娘が眠っている。
「でも、今はそれを上回る暖かな愛情にあふれていて、月並みな言葉ですが……幸せになれたことを深く強く実感しています。だから、ふたりで陽菜のことも幸せいっぱいに育ててあげたいですね」
 環菜は黙って穏やかな笑みを浮かべながら、そんな彼の言葉を聞いている。
 一瞬、陽太はえもいわれぬ不安を抱いた。
 ――夢じゃないか。
 もしかしたら、いまはまだ2020年で、ベンチに妻と座って思い出を語っている自分のほうが幻影で、本当の自分はまだ、屋台の片付けに疲れ果て、畳まれた板の上に膝を組み座ったまま居眠りをしているのではないだろうか
 そうして、環菜の口づけからはじまる夢を見続けているのではないだろうか。
 目を覚ますのが怖い――かすかにそう思った。
 目を覚ましてしまえば、悪くなる一方の現実が待っていて、たとえば、環菜が死んだままナラカより戻らず、地球はパラミタを残し核戦争で絶滅し、塵殺寺院から生まれたクランジたちが世界を支配する……などというディストピアへと世界は突き進むのかもしれない。
 ――いや、そんなはずはない。
 陽太は首を振った。
 やはりこちらが現実。環菜も、陽菜もすぐそばにいる。
 四年前の光景がふたたびよみがえった。

 「陽太、私のこと、覚えておいてね。夏の

「……夏の終わりのこの夜のことだけでもいいから、記憶の片隅にでもとどめておいてね。たとえ何があっても……」
「えっ? 環菜」
 記憶はいつの間にか、現在の環菜本人による呟きへと変わっていた。
「私も、覚えているわ。あのときの陽太と私の会話を」
 陽太に握られた左手に右手を添え、環菜は微笑した。
 そして環菜は照れくさげに告げたのである。
「続きを聞かせて、もう一度」
「はい!」
 請われれば何度でも言おう。いつまでも。
 絶対に、この想いは変わらないから。
「環菜は、俺のすべてです! 俺は世界で一番、貴女のことを愛しています!」