リアクション
■空の青と海の青
見上げると、空は真夏色。片手を翳し、目を眇めても、強く差し込む日差し。
「あれ?」
と、疑問が沸く。
マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)と二人で公園を歩いていたが、空京の空はこんなに突き抜けるような蒼色だっただろうか。と。
「ねぇ、ちょ――……」
自分だけがそう見えている可能性もあり、確認しようと隣りのマリエッタに声を掛けようとして、水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は目の前に広がる海に声を失った。
空の遥か高みで海鳥が甲高く鳴きながら何処かへと飛んで行く。
公務が片付き、そのまま休暇に入った為、そういう休み方もいいなとは考えていたが、それがパラミタらしい不可思議で実現したとも思いにくい。あまりの唐突さに、順応できるくらいの度量はあれど、日差しの強さに目が慣れずゆかりは何度か瞬きをした。
視線を下げると自分が立っている場所は防波堤の上だと知れた。同時に、買った覚えのない、けれど見覚えのあるサンダルを履いている事に気づく。
服装も、いつもの私服ではなく、薄い水色のシンプルなワンピースと、頭に帽子。
「一体、どうなってるの?」
服装まで変わって。
訝しみに呟くも、それは自問でしかなく、自答は「少し歩こうかしら」という手探りで状況を把握するしかない諦めの心境だった。
と。
「あ、待って……!」
海風特有の突風が吹いたかと身構えたものの時遅く、帽子が風に飛ばされた。
高く、遠くへ。風の勢いのまま舞い飛ぶ帽子に、ゆかりは手を伸ばすが、勿論追いつくはずもなく、帽子は無情にも海へと落ちてしまった。
次の瞬間、ゆかりはワンピースを脱ぐのももどかしいと着衣のまま海へと飛び込み、そのまま波間に揉まれる帽子を追う。
何故こんなことをしてるのか自分でもわからなかった。
帽子はかなり遠くに飛ばされた。普通なら諦めてしまうだろう距離が、あった。
特にお気に入りというわけでもなく、それ以前に見覚えはあるものの買った覚えのない帽子だった。
無視しても構わなかった。
けれど、無視できなかった。
海に飛ばされて取りにいけなかったと割り切り諦められなかった。
あれだけ遠くに飛ばされたら子供だって取りに行こうとはしないだろう。取りに行くにも隔てる海の広さに足が竦む。
ゆかりにも、覚えがあった。
確か小学生だった頃。母の実家が海沿いの街で、毎年夏になるとよく遊びに行った。あの日も堤防に登り楽しんでいた途中お気に入りの帽子が風に流されそのまま海へと落ちた。
潮の流れにか早々と視界から消え去ってしまった帽子をただ見送るしかなかった子供のゆかりは悲しくてやり切れなくて泣いていたことを覚えている。
(ああ!)
そこまで昔の自分を思い出して、海水を掻き分け帽子を追いかけるゆかりは小さく呻いた。
25歳になった彼女が今帽子を取り戻しに海に飛び込んだのは、無意識の内にあの子供の頃の自分にかなしい思いをしてほしくなかったのかもしれない、と。
今の私なら取り戻せる、と。
手を伸ばせば、あなたのお気に入りの帽子を、取り戻すことができる、と。
…※…※…※…
透明度の高さが遠目でもわかるほど青い宝石色の海。
吹く風は降り注ぐ陽光と照り返しに熱く熱せられ、潮の匂いもきつい。
白塗りの壁が目に眩しい異国の街。緩やかな坂道を夏の装いで歩くマリエッタは途中でレモネードを買い求めた。
手渡す硬貨は見慣れないもの。けれど、当然とばかりに店主に渡し、レモン付きのレモネードを貰う。ストローを咥え一口飲んで、独特の甘みと酸味が舌の上に広がり喉の奥へと流れていく爽快感に気分を持ち直したマリエッタは再び歩き出した。
街はそこそこ賑わっている。
人々は影絵のようなシルエットで現実味を欠き、マリエッタの目に白けて映る。
子供が歓声を上げて走り去っていくが、声と足音だけマリエッタの居る路地まで響いてくるだけで、姿は見えない。
誰の視界にも入らない自分に気づき、自然と足が止まった。
レモネードが入ったカップを握る手に力が入る。
最初こそ目新しい風景に好奇心が疼き散歩がてら歩いていたが、途中から自分がこの異国の色に染まりきっていないことの違和感にどうにも落ち着かなかった。
それになんだかひどく居心地が悪い。
その上、いつもなら側にいるはずのゆかりが居なくて、心細かった。
ふ、と、日差しが陰る。
雲でも出てきたのかと空を見上げるも、空は果てしなく青かった。蒼――、
「く、ない?」
異変はマリエッタの足元のすぐそこまで来ていた。
灰色に塗られた街、
消えた人々、
まるで、世界から切り取られていく、自分という存在の欠落感。
ひたひたと湿った音を立てて自分を追い立てて追い詰めてくるプレッシャーに対し、逆に開き直るように強気に振る舞い、その辺をぶらつくようにうろつくが、異国の知らない街で道を知っているわけでもなくマリエッタは逃げ場を失った。
「……あ」
声の代わりに涙が溢れた。両の目からぼろぼろと恐怖が形となって溢れ落ちていく。
その時だ。突如として手を掴まれる。
「――え?」
怖い、と心が折れかけていたマリエッタは繋ぎとめようとするかのような確かな温もりに思わず振り返る。
「カーリー?」
「マリー? ねぇ、ちょっとどうしたの?」
ゆかりもひどく驚いているようだった。
泣いていると言外に言われ、マリエッタは首を傾げる。
また、マリエッタの手を掴んだゆかりも何故彼女の手を掴み取ろうとしたのかわからず視線を落とした。
が、すぐに気持ちを持ち直した。
「旅行店に寄ろう。休暇は南の海にでも行ってみない?」
「え、でも」
ゆかりの提案にマリエッタはきょとんとする。
「ひとりじゃないわ。一緒によ?」
ねぇ、どうかしら? とゆかりはマリエッタに聞いた。
ひとりではないと言われ、マリエッタはさてどうしようかと問い返す。
これから二人は休暇に入る。