校長室
そんな、一日。~某月某日~
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2031年4月18日 四月十八日を迎えて、高務 野々(たかつかさ・のの)は決意する。 三十歳の誕生日。 今日こそ、今までに出来なかったことを成し遂げよう。 人形工房のドアを開け、閉め。 リンスとクロエの視線がこちらに向いたのをさり気なく確認してから、野々はスカートの裾をそっと摘んだ。摘んだ両手をゆっくりと広げ、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の膝を軽く曲げ、背筋を伸ばしたまま挨拶をする。 「ごきげんよう、レイスさん、クロエさん」 これぞメイド! といった、瀟洒なカーテシーである。リンスもクロエも、野々の想像通り目をぱちくりさせている。 「私、高務野々は本日三十歳となりました。 自立の年を迎えた暁に、改めてご挨拶、と思いお伺いさせていただいた次第です」 どこまでも丁寧な挨拶に、やはり二人は目を瞬かせた。 驚きから先に立ち直ったのは、やはりクロエの方だった。 「野々おねぇちゃん、お誕生日なの? おめでとう!」 わずかに頬を赤く染め、クロエが満面の笑みで野々に祝いの言葉を投げかける。野々は清楚な笑みを浮かべ、「ありがとうございます、クロエさん」と礼を返した。 「レイスさんはまだ驚いているようですね」 「…………」 「その顔が何よりのプレゼントになります」 と言ってから、これでは今までの毒気が抜けてないことが引っかかった。この部分は要検討だ、と頭の隅に思いとどめておく。 未だに胡乱な目でこちらを見るリンスに、野々はにっこりと微笑みかけた。 「……と、そんな感じでいこうと思うのですが」 「え?」 先に反応したのは、これまたクロエだった。リンスはまだ、怪訝そうな顔だ。さすがに警戒が強すぎやしないか、と思う。 「今までの一連の流れはすべて、明日の予行演習に、と思って」 「……予行演習?」 ようやくリンスが口を開いた。「そうです」と野々は頷く。 「なんの話?」 「え? もちろん、『明日の』私の誕生日のお話ですけど?」 「ええっ、野々お姉ちゃん、今日がお誕生日じゃないの?」 「はい。私の誕生日は、明日、四月十九日です」 驚いた、と呟いて、クロエがほうっと息を吐いた。 「そうだったのね。……あ、わたし、お客様にお茶も出さずに。失礼ね、今淹れてくるわ!」 「いえいえ、すぐに帰るのでお気になさらず」 ぱたぱたとキッチンに向かうクロエに声をかけつつ、野々はちゃっかりと椅子に座った。正面に座るリンスは、頬杖をついて野々を見つめる。 「なんですか? 変な顔をして」 「ああ、高務だ」 「どういう意味ですか」 「毒舌」 「その辺りは隠すつもりなのですけどね、明日から」 「どうしてまた、急に」 「先程も申し上げましたとおり、私、明日三十歳を迎えますので。いい年ですし、そろそろ若さを全面に押し出す感じは縮小して、落ち着いていこうと思っているのですよ」 「なるほど。何か悪いものを食べたか、同姓同名同い年の別人かと思った」 「同姓同名同い年の別人がここを訪れる確率なんて天文学的でしょうね」 「それ以上にありえない光景だったよ」 「失礼ですね、私は元々至れり尽くせり礼儀作法も家事も万能、メイド・オブ・オールワークスですよ? あれくらい出来て当然です」 「俺の中の高務はこんな風に口の回る人間だったからね」 「ああ言えばこう言いますねー」 「お互いにね」 「まあとにかく、いきなりだと今日のようにびっくりされるだろうから予めネタばらしに参りました」 いつものようにぽんぽんと飛ぶ軽口を終わらせたところで、「どうぞ」とティーカップが目の前に置かれた。淹れてくれたクロエに礼を言いつつ、野々はまじまじとクロエを見つめる。 「なぁに?」 「いえ、クロエさんは変わらずに可愛らしいなぁと思いまして」 「ふふ、ありがとう!」 素直で、すれていない彼女は本当にきらきらして見える。明日以降、落ち着いた感じを出していくことに決めても彼女を愛でることは今まで通り変わらないだろう、と思った。 お茶の時間を楽しんでから、野々は「さて」と席を立つ。 「ついつい長居してしまいました。そろそろお暇します。明日はよろしくお願いしますね?」 それでは、と手を振ってから、野々は入り口へと向かって踏み出しかけた足を止め振り返った。こちらを見ていたリンスと、目が合う。 「……明日こそ、ほんとーに、ちゃんと驚いてくださいね? ……『リンス』さん」 名前で呼ぶと、リンスはわずかに驚いたようだった。してやったりと、野々は微笑む。 「それじゃあ、今度こそ」 ぺこりと礼をして、工房を後にする。 なんとはなしに春の空を見上げると澄み渡った青が広がっていて、清々とした気分になった。