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リアクション
●空はただ、無限に蒼いだけだというのに
玖純 飛都(くすみ・ひさと)の死から、数十年が経つ。
科学史の観点からは夭逝とされている。事実、彼の死は、あまりに早すぎた。
飛都は時代が移ってからも、空京大学と創世学園で研究を続けた。
彼が確立を目指したのは、『機晶石の本質・機晶エネルギーの基礎理論』であった。これが成功すれば人類は第五のエネルギー革命を迎え、一層の発展と安全を手に入れることが予想された。まさしく人類希望の星であったのだ。
しかし天寿というものがあった。飛都は実験データと基本となる汎用理論を残したものの、わずか二十代で永眠している。
その死を惜しむ声は数十年後の今日も数多く、ために飛都は『夭逝』だったと言われているのだが、真相は少し、異なる。
もともと飛都は、生まれると同時に人と機械の『情報を媒体にした融合実験』に使われている身だった。
すなわち、契約者にならなければ装置を離れては生きられない身体のままだったので、早すぎる死だったのではなくむしろ、状況を考えればよく生きたほうだと言えようか。
ところで、飛都が実験体として使われていた融合実験は、地球とパラミタの接触によって急速に進んだものの、やがてその非人間性によって頓挫に追い込まれ、さらに『戦乱の絆』の騒ぎに紛れて存在自体が闇に葬られてしまっていた。
かつて矢代 月視(やしろ・つくみ)は研究スタッフとして飛都(になる前の実験体)を観察、世話をしていた。だが実験体すなわち飛都が人に近づいたことから彼と契約を果たしている。
その後は月視が保護者として飛都を庇護下に置き、育てたのである。
ここは空京大学の研究室。いましがた、長い作業がようやく完結したところだ。
この日は記念すべき日といえようか。本当に、長い時間がかかった。
数十年かけてようやく、飛都の残した膨大な研究について整理がついたのだ。
ぐったりと椅子に背をあずけ、月視は目を閉じた。吸血鬼である月視は、数十年前とまるで姿が変わらない。
その短い生涯でこれだけの研究を成し遂げた飛都は間違いなく天才だった。いくら本人でないとはいえ月視とて科学者である。それも、一流といえる世界で何年もしのぎを削ってきた科学者だというのにこれだけ時間がかかったのだ。
無論、丁寧に整理作業をしてきたせいもあるが、ともかく月視は、改めて飛都という知の巨人が存在していたという事実に慄然とする思いだ。
「今だから言いますが、飛都君が研究の方面に進むとは思わなかったし、進んでほしくはなかったんですよ」
「ほう」
今日まで作業を手伝っていたフェレス・レナート(ふぇれす・れなーと)は意外そうな顔をした。なお、フェレスも正体は悪魔ゆえ、老化とは無縁だ。
「できればごく普通に学校へ行き、友達と一緒に雑談に興じ、遊びに行き……そんなどうでもいいようなことで時を過ごして、ふと真面目な事を考えてみたり、誰かと恋愛して場合によっては結婚して子供を授かるような、平凡な人としての一生を送ってほしかったのです」
「知っているだろう? 子は、親の願うようには育たないものだと」
確かに、と月視は首肯した。
「研究者としての道を選んだのは彼自身ですが…それが結局、彼の命を縮めたのかもしれません」
寝る間も惜しんで研究に勤しむ飛都の姿を思い出す。
だが、地味な基礎研究を進めた飛都の名を記憶している人は少なく、データや論文に添えられた名前に興味を持つ人も余りいない。彼自身を知る人もまた。
ただ、彼の残した理論や実験記録は多くの実験や研究に応用され、新しい発見や改良を生み出していることも事実なのだ。科学の進歩は確実に、五度目のエネルギー革命に向かっている。
「飛都君は幸せだったんでしょうかね……?」
遠くなっていく何かを引き寄せるように月視は言った。
「結構幸せに見えたがね、俺には」
自分も色々と面白かったし、とフェレスは言い加えた。
フェレスが手を触れたのはデータ端末だ。これは大型のデータベース管理システムにつながっていた。
「ここには、飛都の研究すべてが保管されているのだな」
「そして、そこにない飛都の思い出は自分たちの中にある……ということですね」
「その両方が無くならない限り、飛都が生きてたことはなくならんよ」
――ああ、そうか。
月視は窓の外、蒼い空に目をやった。
空京もずいぶん変わったが、空の色は同じだ。
現在も、
初めて飛都とパラミタに来たときも、
そして飛都がこの世を去ったときも、
まったく同じ、突き抜けるような蒼空だった。
あのとき飛都は、月視とフェレス、その二人に交互に目をやり、それから空を眺めて逝ったのだった。
――会いたい。
月視も、フェレスも同じことを願った。
たまらなく彼に、会いたい。
思い浮かぶのは、飛都のさまざまな表情、彼との思い出……胸が締めつけられるような想いがあった。痛いほどに。
されどその願いを断ち切るように、月視はふっと言ったのである。
「長く生きていれば、同じ魂に出会うかもしれませんね」
「システムに魂が蘇るかもしれないだろうが……だとしたらそれまで生きなければなるまい」
フェレスは穏やかに、それでもどこか皮肉な調子で笑った。
研究室のドアを叩く音がした。
「どうぞ」
月視が声をかけると、真面目そうな男子学生が入ってきた。データベースについて質問があるという。
「ああ、玖純飛都のことですね……」
そのとき、
『オレはここに居る。オレはここ(パラミタ)で生きた』
そんな声がした気がする。
もちろん気のせいだろう。しかしそれは、月視にとってもフェレスにとっても真実だった。
――この空のどこかで今も飛都が生きていて、いつか人の中に彼を見いだす日が来る。
そんな気がした。
空はただ、無限に蒼いだけだというのに。