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リアクション
聞き取り 空京大学
空京大学のキャンパスは、夏季長期休暇中の為に閑散としていた。
サークル活動に集まった学生の声も、セミの声にかき消されている。
医学部の研究棟に入ると、それまでのジリジリとした夏の日差しが、ふっと緩む。セミの声や、部活動のかけ声も遠ざかった。
代わって、消毒薬の匂いがまじる、ひんやりとした冷気が身を包む。
「この先の扉はすべて、渡したIDカードで一人づつ認証して通ってね」
アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)学長のパートナーで【全ての個人記録を知る魔道書】パルメーラ・アガスティア(ぱるめーら・あがすてぃあ)が、砕音・アントゥルース(さいおん・あんとぅるーす)の見舞いに大学を訪れた黒崎 天音(くろさき・あまね)と付き添いのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)に言う。
砕音は現在、昏睡状態のまま空京大学医学部に入院している。
実は天音が大学を訪れたのは、これで二度目だ。
数日前にも同じく見舞いに訪れていたのだが、その時は、砕音の病状が思わしくない、という理由で面会を断られていた。
そこで数日間の日をおいて、ふたたび大学を訪ねたのだ。ブルーズはその空いた時間を、念願のろくりんピック観戦に費やしていた。
もともとブルーズはろくりんピックに興味津々で、聖火リレーにも選手や伴走者として参加したいと考えていた。だが天音の「砕音の見舞いに行くよ」の一言で、それはおじゃんになってしまった。
だが、ここ数日のスポーツ観戦で、ブルーズの溜飲も多少は下がったようだ。
いくつかドアを抜けた先に、その病室はあった。
砕音は眠るようにベッドに横たわり、周囲の医療機器から何本ものチューブやコードが彼の体に延びている。
窓には白いカーテンが引かれ、屋外の強い日差しをさえぎっていた。
天音達を案内してきたパルメーラが、くるりと踵を返す。
「あたしはビーチバレーの進行の打ち合わせがあるから行くね。帰る時は、来た道を戻って、受付の事務員さんにIDカードを返してくれればいいから」
パルメーラはぱたぱたと走りだすが、ハタと止まり、病室に走り戻ってくる。
「あのね。砕音くんが無茶しようとしたら、止めてよね。今、彼は謹慎中なんだから!」
天音に言うだけ言うと、パルメーラは今度こそ急いで出かけていく。
代わって、砕音のパートナー、機晶姫アナンセ・クワク(あなんせ・くわく)が機械的な動きで彼らに頭を下げる。
「暑い中、わざわざありがとうございます」
「いや、僕も彼に聞きたい事があったからね」
天音が涼しい顔で答え、持参してきた花束を渡す。
「すみません。今、冷たいお茶を用意してもらっています」
折りよく、そこに茶を用意してきた人物が戻ってくる。
「ただいまー。あれ? 黒崎君がいるよー」
購買のレジ袋を下げて病室に入ってきたのは黒田智彦(くろだ・ともひこ)だ。
「君、こんな所にいたのかい?」
「ヘルに、これからは砕音をご主人様にしなさいって言われたー」
智彦は能天気に答え、レジ袋からペットボトルの茶を出す。そして、なぜか美少女フィギアも。
「……この衣装は、ろくりんピックバージョンだな」
ブルーズが妙なところに食いついた。
一息つくと、天音はベッドの横のイスに腰かけた。
「久しぶり。こうして外見だけ見ていると、グッタリしているのか元気なのか分らないね」
そう声をかけながら、眠っているように見える砕音の手を取った。
とたんに視界が一変する。
闇が広がる空間に、輝く一枚の細長い窓。
窓の下では、幼子の姿の砕音が立っていた。やってきた天音に苦笑する。
「久しぶり。旧王都以来か。あの時は話す余裕もなかったな」
「パルメーラさんに聞いていたよりも元気そうだね。
……それにしても君、そんな可愛い趣味があったんだ」
天音は小さい砕音が抱いている、車のぬいぐるみを指して言った。砕音は恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「こ、これは……病室に医療機器があっただろ? その医療プログラムを、この魔導空間に具現化したら、こんな見栄えになったんだ」
「ふうん、ここが魔導空間なんだ」
辺りを見回す天音に、砕音が説明する。
「これが一番プレーンな状態で、どうも俺の精神世界が投影されているらしい。
おかげで俺が昔いた地下室にあったような物しかない場所になっちまってな。
プログラムを起動すれば、会議室なんかの別の見栄えにもできるが、ちょっと体力を使うんだ」
「病人なんだから楽にしてればいいと思うよ。
……これも何かのプログラムかい?」
天音は、砕音がはおる、シーツのように大きなシャツに手を伸ばす。
以前まで、この空間にいる砕音の服はボロボロでボタンも取れていた。そのため砕音は火傷跡や痣を隠すのに、ずっと自分の服をひっぱり押さえていなければならなかった。
しかし今では、大きなシャツが砕音の体をすっぽりと隠している。
天音の手がそのスソをつかんだ瞬間、手の中の布が大きな半紙へと形を変えた。
「おや?」
「あッ……」
砕音が絶句する。
天音はいぶかしげに紙を掲げて見た。半紙いっぱいに墨の跡がでかでかと広がっている。
「これは樹木の幹……いや、もっと生物的なものかな?」
「わーっ!」
砕音が天音から、謎の紙を奪い取った。顔が真っ赤だ。
「どうしたんだい?」
「いやっ、これは、幹は幹……いや、なんでもない、なんでもない!」
砕音は一人であわてながら、半紙をデータ化してシャツの中に戻す。
聖・レッドヘリング(ひじり・れっどへりんぐ)が温泉ゲットの交渉で差し出したチン拓は、無事に砕音のもとまで届いたようだ。
「それ、途中で切れているようだけど?」
「脳内補填できるから大丈夫だ」
天音には何の事か分からないが、砕音がはおるシャツの巨大さを考えれば、だいたい誰に関する物かは想像できた。
半紙が出てこないように懸命にシャツをなでつけている砕音に、天音は言う。
「そういえば婚約おめでとう。砕音・クローディスになる為に、身体も何とかしないとね。婚姻届にサインも出来ないでしょ?」
話題が変わって、砕音は少しほっとした様子で答える。
「あ、ああ、ありがとう。
こればっかりは、おとなしく治療を受け続けろとアガスティアから念を押されてるよ。
ただ、体の麻痺は、俺に取り憑いていたキュリオが行方をくらましたからかもしれないって……」
砕音の表情が沈む。
裏切りの神子の名前が出た事で、天音は砕音の様子をうかがいながら尋ねた。
「キュリオのこと聞かせて欲しいな。目撃報告によるとエリュシオンの選定神の名を叫んで飛び去て、それっきりだしね」
「……」
うつむき黙りこくる砕音に、天音はさらに訊いてみた。
「彼のこと、気にならない?」
砕音が重い口を開く。
「……気にならない訳はない。ただ……俺の方があいつに色々と聞きたい状態だから。
ずっとCIAに洗脳されて狂信的な親米者になったんだと思ってたけど、実際は操られたフリをしてエリュシオン帝国の為に動いていたなら……最初から俺を利用してただけなのか、とか……」
砕音は車のぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめた。
医療プログラムはその胸の痛みを軽減できているだろうか。
天音は言った。
「僕の見たところでは、キュリオは君の婚約者殿に随分と妬いているようだったよ。利用するだけなら、あんな執着はしないんじゃないかな?」
「……」
砕音は黙って、うつむいている。まだ心の整理がついていないのだろう。
天音は病状を重くしそうな話題を切り上げ、別の気になる事を訊く事にした。
「ところで、近頃面白い動画がネットにアップされたのを見たかい?」
「動画?」
天音は怪人プロメテウスと少女の動画について、手短に説明した。
「君なら、この件で何か心当たりがあったり、既に調べてるんじゃないかと思って」
そう言って天音に見つめられ、砕音は困ったような顔をする。
「やれやれ……なんで、そう思うんだか」
うそぶく様子の砕音に、天音は言う。
「この動画、犯行声明とは少し違う気がするけど……これを見て『鏖殺寺院声明』を思い出した人も結構いるんじゃないかな? 声明の多くは、報道官ミスター・ラングレイ作だったと思うけど?」
砕音ははぁっと息を吐き出した。
「……アガスティアが真実を言っているとして、この件で俺を訪ねたのは黒崎が始めてだ。人の興味や記憶なんて、移ろいやすいものだな」
「そうかな? 鬼院も『動画を扱う情報戦略はどうしてもラングレーを思い出す』って言ってたよ。真似なのか、君の関係者が関わっているのかも、ともね」
「鬼院……鬼院尋人か。懐かしいな。……いや、旧王都でも顔を見たな。黒犬さんを怪しそうに見てた記憶がある」
天音は、旧王都で同行したメンバーを思い返す。
「黒犬? スズキと名乗っていた怖い顔の人かな」
「そう名乗ったのか。あいつは、今の中国国家主席に仕える切れ者エージェントだぞ。当事は『ブラックドッグ』という暗号名だったので、俺が勝手に黒犬さん呼ばわりしてるだけなんだが。今の名前も、灰の黒犬とか、そんな名前だったかな。
シャンバラに来て、教導団で割合と表の仕事もしてると聞いていたが……なんで彼と一緒だったんだ?」
天音は肩をすくめる。
「キュリオに乗っ取られた君を説得する、ってフレコミだったよ。真意は分からないけどね」
「不気味だなぁ」
だが二人とも、それ以上の事は分からない。
天音が動画に話を戻すと、砕音は困った表情になる。
「俺に関しては罪状が増えたところで今さらだが、空京大学の体面もある。それに……」
天音は訳知り顔でうなずく。
「この面会の前に、パルメーラさんから色々と注意を受けたよ。
東シャンバラも西シャンバラも、代王が女王との契約を解除される事をすごく恐れているようだね。そのためのロイヤルガード設立と言っていいくらいだとか。
これまでの常識なら、契約解除なんて起こりっこないはずだったけど、君はすでに魔銃コントラクターブレイカーで、女王陛下と高根沢さんの契約を解除した実績がある。
その一方で、アメリカが君の裁判はおろか取調べにも断固反対し、日本もそれに賛同してるとか。
もっとも鏖殺寺院の臨時長代理のくせに、女王陛下を守ったり、その妹姫を正気づけるのに貢献していたり……そんな面倒な人の取り調べや裁判なんて、どこの学校もしている場合じゃないようだよ。
だから各学校とも、砕音には死んだフリをしていてもらいたいのが本音だとか、そういう話だったね」
砕音は苦い表情になるが。
「アガスティアから聞いているなら話は早い。
誰かの身が危なくなるとかいう場合を除いて、これから話す事は他言無用で頼む」
天音がうなずくのを見て、砕音は話し始めた。
「自称プロメテウスと名乗る怪しい奴の動画を、ネットにあげたのは俺だ」
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