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リアクション
第六章 噴花のとき2
「今――天子様の声?」
木花 開耶(このはな・さくや)は扶桑の樹の下で顔を上げた。
確かに、天子の声をきいた気がした。
開耶は扶桑の根本にうずくまる橘 柚子(たちばな・ゆず)を見つめる。
「柚子、なんでこんな……」
柚子の腹部にはうっすらと血が滲んでいた。
「扶桑と共に果てようという気か。哀れな」
声のした方を向くと、そこには大勢の人と共に鬼城 貞康(きじょう・さだやす)が立っていた。
蒼の審問官 正識(あおのしんもんかん・せしる)もいる。
柚子がゆっくり身体を起こした。
「扶桑をあなた方の好きには……させまへん」
貞康は愛刀『宗近』を抜いた。刀が輝いている。
「扶桑の巫女たちよ。命をかけて、噴花まで枯らさなかったことにおいて礼を言う。わしもここまでとは予想してなかった。こんなものを用意しておきたくもなかった」
貞康は柚子の首筋に刀を当てた。
「せめて苦しまぬようにわしが介錯してやろう。噴花と共に、かの場所へゆけるように……」
「お待ちくださいませ、貞康(さだやす)様!」
貞康が腕を振り上げたとき、樹龍院 白姫(きりゅうりん・しろひめ)が彼の身体にしがみついていた。
白姫は持てる渾身の力を込めていた。
「あの方が、鬼城 貞継(きじょう・さだつぐ)様が鬼城家や噴花の約束事を捻じ曲げてまでも噴花を押さえられたのです。ならば、私もあの方のご意思を無にしとうなくございます」
貞康がじろりと白姫を見た。
側では白姫の従者土雲 葉莉(つちくも・はり)が幼将軍白継(しろつぐ)を抱いたままオロオロとしている。
「噴花を止めた貞継(さだつぐ)は将軍としてはうつけだが……。今にして思えば奴なりの算段があったのかもしれんな」
「どういう意味でしょう。白姫には何が何だか……天鬼神のお力とは、天子様の力と鬼城の荒ぶる鬼の力を抱いているのでございましょうか。鬼の力が膨らんだ天鬼神の力を初期化するための噴花なのですか? 貞継様がお消えになったのは、鬼の力をこれ以上吸われなきようご自分ごと消されたのですか?」
「貞継が天鬼神の力を制御できなくなったのは優しすぎたからだろう。人として生き過ぎたのだ。そなたたちや貞継と関わったという者をみていれば分かる。わしは、奴とは違って人を信じていなかった。愛しはしたが、どこかで疑っていた。だからわしは彼らの力を過信せず、自身で何もかも作った。政(まつりごと)、大蔵、武家の法度。大奥、遊郭、御三家しかり、あらゆる制度と掟。この予備の器もそうだ。将来、扶桑の危機を、乗り越えられるものが出てこないのではと思っていた」
後の世に、己を権現様と呼ばせた男は、自戒の念を浮かべていた。
「鬼城にとって都合の悪いものは潰させてもらった。人間を束ねるものが鬼では……な。鬼城家は、将軍は、強く慈悲深く、忍耐強く、このマホロバを守っていく存在。そう思ってもらわば、人は安心して幕府に身を預けられまい。世の安泰はない。瑞穂はそのことが気に入らんようだったが……」
貞康の視線の先にいた正識は、鋭い目を向けている。
蒼の審問官は樹月 刀真(きづき・とうま)を引きずりながらゆっくりと歩を進めた。
「大した役者だったよ、鬼よ。真実を隠し、鬼城はそうやってこの地を支配してきたのだろう。私は、その過ちを正すためにいる。鬼も天子もこのマホロバから開放してあげよう。この力を持って」
正識が黄金の天秤を掲げると、貞康はせせら笑った。
「その力はもとは鬼の力。わしが天子様に頼んで、記憶の一部とともに封印したものぞ。いつ瑞穂の手に渡っていたか知らんが、瑞穂には無用の物。分かっておるのか」
「無論。そして私は、この力をユグドラシルへの信仰でもって使いこなしている。鬼がのさばるのもこれまでだ」
天秤は激しく揺れ続け、正識の顔から一層血の気が引いていた。
ますます青ざめている。
「瑞穂は、天下への野心のみをい抱いてきたのではない。代々瑞穂藩主は、鬼の退治を目的としてきた。鬼の力に頼った平和などありえないのだ。しかし、マホロバの地を鬼が支配することになり、希望を他の地へ見出すこととなった。そこにある十字架(ロザリオ)はその時作られた物……天秤がマホロバの黄金で出来ているというなら、十字架はもう一つのマホロバから採掘された黄金。鬼の力も届かない」
正識の目が悲しみに変わった。
「なのに……先代は私にその資格はないと言った。どれほど努力しても、認めてはくれなかった。ならば、この身を持って証明するのみ!」
正識は槍を振るい、睦姫から十字架を奪った。
睦姫は悲鳴を上げて倒れこむ。
とっさにかばった紫月 唯斗(しづき・ゆいと)も吹っ飛ばれていた。
「もっと早く知っていれば、お前には渡さなかった。睦姫、お前はよくやった。だから、私が正当に裁いてやろう」
黄金の天秤を掲げる正識を取り巻くように、辺りを暗闇が覆っている。
天秤の針はぐるぐると周り、皿が上下に動いていた。
「どうやら結果がでたようだ……マホロバは――無に帰す!」
「させるか、正識!」
刀真が黒い剣を突き立てる。
正識の聖十文字槍が一撃をふせぎ、蒼い光を放った。
光は大きくなり桜の花びらへと変わっていく。
黒い剣に花弁がまとわりついた。
「これは……まさか」
「あがいても無駄だ。決定が下ったのだ。そうさせたのは他ならん、キミたち自身なのだ――」
正識は胸を押さえて倒れこんだ。
天秤が音を立てて崩れていく。
鬼の形をした影が、彼の心臓の上に巣くっていた。
貞康が勝ち誇ったように叫んだ。
「黄金の皿は、マホロバの魂など映してはおらん! 皿が映しだしてきたのは、そなた自身の心だ。人の勝手な願望を糧にして、お前を動かしていたにすぎんわ!」