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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第2回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第2回/全3回)

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第8章 錯綜する絆

 曙光差す朝もやのなか。草原に張られた天幕から離れた林のなかで、見えない敵を相手に1人黙々と剣をふるうハリール・シュナワの姿があった。
 刀身がほのかに赤く光る短刀を手に、彼女は何度も転がる。前転、後転、側転。跳躍し、空中での回し蹴り。肩から転がって、跳ね起きると同時に斬りつける。着地のときも木を蹴るときも、しなやかな動きでほとんど音をたてないのは、強靭なバネを備えているからだ。周囲の木や岩を用いての獣人と錯覚しそうなアクロバティックな動きはその後幾度となく繰り返され、ひと通り終えたと思うと今度は剣を左に持ち替えて、鏡のように先とは左右逆の動きを始める。
 一連のトレーニングとなっているのだろう。徐々に速度を上げていった動きはやがてゆるやかな波を描くように落ちていく。枝を蹴り、全体重を乗せた一撃が地に突き刺さる。そのまま静止して、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は10を数えるだけ待った。
「倒したか」
 タオルを手渡す。
「……どうかしら。分からない」
 エヴァルトは身を隠していなかったので、途中から彼がいることにハリールは気付いていた。それでも日課のトレーニングをやめて、話しかけたいとは思わなかった。正直になれば、途中で見るのに飽きてどこかへ行ってくれればいいのに、とも考えた。彼に対して身構える気持ちはどうしてもあるし、わだかまりもある。
 だけどすぐに分かった。そんなのはただの逃避だ。目をそらしたって何も変わらない。先送りになるだけ。
 強く顔に押しつけていたタオルを離すと、エヴァルトを見上げた。
「あたし、あれから考えてみたわ」
「何を?」
「あなたに言われたこと。なぜイルルヤンカシュを鎮めなくてはいけないのか」
「ああ、あれか」
 エヴァルトにとって、それはもうたいして重要なことではなかった。いや、重要な疑問ではあるが、ハリールが嘘偽りなく知らないというのは分かった。
 自覚はあまりないようだが、彼女はすぐそれと顔に出る。真正直な人間なのだろう。短いやりとりながらもその人となりが理解できたので、それ以上問い詰める気はエヴァルトにはなかったのだけれど、ハリールはやはりそのまっすぐな性格から、彼から受けた疑問についてずっと考えていたようだった。
「あなたの言うとおりよ。イルルヤンカシュがひどいことをしてるって、聞いたことない。むしろ、いい影響を与えてるって…」
「ああ。俺が聞いたのもそういううわさだった」
「でも対話の巫女は代々イルルヤンカシュを鎮めてきているっていうし、お母さんもそうするはずだったって聞いたの。あたしを生んだことを知られて、それで……一族の元を追い出されるまでは。だからあたし、きっとお母さんのかわりにイルルヤンカシュを鎮めるんだ、って、それしか考えてなかった」
 ぎゅっと目をつぶる。
 胸によみがえりそうになった何かを拒絶している――それが何であるか、それもまた、あのときと違ってもうエヴァルトは知っていた。昨夜襲撃してきたビーストマスターたちの投げつけた言葉であきらかだ。どういういきさつで何があったか、詳しくは知らないが、それが彼女の血に対する偏見によって起きたことであるのは疑う余地もない。
 くだらない、ばかげたことだ。人の本質には一切かかわりがないこと。そうは思うが、実際に憎悪を向けられ続けてきた本人からすれば、ひと言で片づけられるものでもないのだろう。
 だからエヴァルトはそのことにはあえて触れず、こう言うにとどめた。
「それで、どうする? このまま進むか、退くか」
 ハリールはきょとんとなってエヴァルトを見返す。
「どうした? 何を驚いている。この隊はあなたのためにあるんだぞ。あなたが隊の行動を決定するのは当然だろう。
 言っておくが、退いたとしても恥ではない。あれほどの手練れが相手ではな」
「あたし……あなたたちは、てっきり…」
「護衛をやめると言い出すと思ったのか?」
 図星をさされたのか、ハリールはあわてて顔をそらし、明後日の方角を向いた。
「美羽が話してるのを聞いたの……あなたたちの知り合いが、襲撃者のなかにいたって」
「だから俺たちはあなたから手を引くに違いないと考えたのか」
「仲間や友達と戦うのは……つらいわ」
「まあ、そうだな」
 ふうと息をつくエヴァルトを見て、ハリールは大急ぎ言う。
「あたし、こんなことになるって知ってたら、絶対あなたたちに頼んだりしなかった! 本当よ! あたしは――」
「1人で行くつもりだった。分かっている。あなたのせいじゃない。
 それに、必ずしも戦わねばならないというわけでもないだろう。あれは話が通じないやつじゃないからな。第一、あなたももう俺たちの友だ」
「そうとも!」
 力強く同意したのはコア・ハーティオン(こあ・はーてぃおん)だった。
 いつから聞いてたのか、胸の前で腕組みをし、小気味よい笑みを浮かべて立っている。
「きみもまた、私たちの友、仲間だ。友が友のために動いて何が悪い。そんなことで気に病む必要はない」
「そうそう! ハリールったらばかね!」
 コアの肩から離れて、ラブ・リトル(らぶ・りとる)がハリールの頭にぴょんと飛び乗った。
「遠慮なんかしなくていーの! そんなことばかり考えてたらストレスでハゲて、せっかくのこのきれいな髪がだいなしになるわよ! あたしをご覧なさい! 自由にのびのびと生きてるから、髪だってこーんなにきれいでしょー?」
「……いや、おまえはもう少し遠慮を知るべきだ」
「んんっ? 何か言った? ハーティオン」
 ぼそっと隠した口元でつぶやいたのをしっかり聞きつけて、ラブがにらむ。
「い、いや、何でもない何でもないっ」
「言っときますけどねー! あたしはにぎやかしでついてきてるんじゃないんだからねーっ! これでもちゃーーんと考えて――」
「……ふふっ」
 大きな図体であたふたしているコアとそれをしかりつけるラブの対比がツボに入ったのか、ハリールが吹き出した。
 あははっと声を出して笑っているハリールのほおを、ラブが両手ではさむ。
「やっと笑った。難しい顔してないで、もっと笑いなさいよ、ハリール」
「ラブ…?」
「いい? 女は愛嬌よ! 笑顔でいてナンボよ!」
「そうだな。その方がいい。シュナワさ……いや、ハリール」
「あたし…。ありがとう…」
 ラブとエヴァルトを順に見て、ハリールは小さく笑みを浮かべる。
 そのそばへコアが歩み寄り、先までと違う真面目な顔で彼女の肩に手を乗せた。
「向こうにセテカがいたことをどう受け止めるかは、われわれの問題だ。きみが気にすることではない。事情はどうあれ、私たちがきみを守ることは変わらないのだ。
 例えいかなる敵が現れようとも、友が『世のため人のため困難な使命を果たす』というならば、われら蒼空学園――いや、われらハリールの友人たち一同、いつでも力を貸そう」
 コアは勇気づけるつもりで言ったのだろう。しかしその言葉は予想外の反応をハリールから引き出すことになった。
 見るからにハリールの表情がこわばったのだ。視線がコアからはずれ、横に流れる。――まるで、やましい、後ろ暗いところのある人間のように。
「ハリール?」
「……あたし…」
「は、ハリールさん」
 そのとき、おずおずと彼女に声をかける者が現れた。
 リース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)が3人のパートナーたちと立っている。
「お、お話し中、すみません」
「どうしたの? リース。マーガレットも」
 ハリールはさりげなくコアの手から肩をはずして、そちらへと近寄る。コアたちの視線を背中に感じつつも振り返らないように努めて、リースへと話しかけた。
「隊の方で何かあった?」
「い、いえ、そちらは何でもないんです…。ただ……そのぅ…、わ、私たち、これから隊を離れるので…」
「え?」
 彼女たちは去る道を選んだのか。一瞬、悲しみがハリールの赤い瞳をよぎったことにリースは気付く。
「ち、違うんです、ハリールさんっ。その…っ」
「あーもうっ。リースが言いたいのはね、服を貸してほしいってことなの」
 マーガレット・アップルリング(まーがれっと・あっぷるりんぐ)が焦れて会話に加わった。
「服?」
「あたしがハリールのフリをするのよ。ハリールの格好をして別方向へやつらの目を引きつければ、その分ハリールは安全に目的地へ進めるでしょ」
 あっけらかんと言うマーガレットに、ハリールは目を瞠った。
「そんなことをしたら、あなたが危険よ! 殺されるかもしれないわ!」
「大丈夫!」
 マーガレットはあかるく笑って見せた。何の心配もしていないと。
「あたしはハリールより強いの。知ってるでしょ? 一緒に戦ったんだから。魔法だって使えるしね」
「マーガレット…!」
「絶対北カフカスへ行って、竜を鎮めてきなさいね、ハリール。あんなやつらに好き勝手させることなんかないわ」
 血がどうのこうのって、ばかじゃないの。何世紀に生きてるのよ、頭にカビでも生えてんのかしら。
 ぶつぶつ罵っているマーガレットを、ハリールはぎゅっと抱きしめた。
 胸がいっぱいで、締めつけられて。言葉にならない思いを伝えたくて。
 マーガレットは驚きの表情を浮かべたものの、すぐ、大丈夫、伝わったよ、というように、ぽんぽんと背中をたたく。
「は、ハリールさん。あの、あまり時間がないので…」
 すみませんけど、と恐縮するリースに、ハリールはトレーニングのあと着替えようと思っていた服を渡した。
「今度会ったとき返すから! また会いましょう、ハリール!」
 笑顔で手を振って、リースたちは去って行った。
 彼らを見送るハリールの体が、やがて小刻みに震えだす。
「……あたし……違うの…」
 胸が苦しい。手を添え、身を折ったハリールはよろめくように木に手をついた。
 それを見てラブがあわてて飛んで行く。
「ハリール? どっか痛いの?」
「あたしは、そんな……いい人間なんかじゃない…! あた、あたしはただ……彼らを見返してやりたいだけなの…!」
 自分を生んだことで故郷を追われた母、2人を逃がそうとして幻獣に食われた父。
 ――彼らを許してあげて、ハリール。悲しみがそうさせたの…。彼らは私に……失望したのよ…。

 母ショーネは病床のなかで、彼女をこんなふうにした一族の者に怒りを燃やす小さなハリールに、何度もそう言って説いた。
 対話の巫女として一族の大きな期待を背負っていたのに、それを裏切ってしまったのは自分の方なのだから、と。そして「バシャン、ごめんなさい」と泣いていた。
 しかしハリールにはそれが理解できなかった。
 自分が生まれたことが大勢の者を失望させ、そして母を泣かせる結果になっていることが、どうしても受け入れられなかった。
「あたしが……対話の巫女として、イルルヤンカシュを鎮められたら! そうしたら、あたしは、彼女を母の墓まで連れて行って、手をついて謝らせるの! あたしは穢れてなんかない、あたしを生んだのは間違いじゃないって!!」
 そこでハリールははっとなった。
 口を押さえるが、出た言葉は返らない。
 彼女の激情に驚いている様子のラブとコア、そしてエヴァルトと順に見て、ハリールはうつむいた。
「だから……あたしは……みんなに、命がけで守ってもらえるような、人間じゃないの…。
 ごめんなさい」
「ハリール」
 ラブが手を伸ばし、近付こうとする。ハリールはびくっと跳ね、触れられるのを拒むように身を退いた。そして何か、離れすぎたとか、みんなが心配する前に戻らないと、とか、言い訳めいたことを口のなかでもごもごつぶやくと、彼らに背を向け走り去った。
「ラブ!」
「分かってるわよ! 今日はあたし、ハリールと一緒にいるから、あんたはあたしがいなくてもしゃっきりしてるのよーーーーっ!」
 ラブは反射的飛び出したあと、途中でくるっと振り返って腰に手をあてそう言うと、再びハリールを追って飛んで行った。
 コアはエヴァルトと顔を見合わせる。
「まさか、あのようなことを考えていたとは」
「気持ちは分かるさ。血だの穢れだのと言うやつはな、向こうこそロクなやつがいないというのが相場だ」
「うむ」
「驚いたが……俺は、彼女はあれでいいと思う。むしろ自分に石投げて追い払ったような人間や土地のために、聖人みたいに無私で私利私欲なく命を投げ出すとか言う方が白々しいだろう。
 俺は彼女にこそ鎮めてほしいと、そう思い始めたぞ。向こうにとって彼女は横から現れた邪魔者かもしれんが、だからといって話も聞かず殺そうとするようなやつらが正しいと、俺は認めん」
「そうだな」
 おもむろにエヴァルトは歩き出す。
「どうした?」
「言い忘れたことがあるのを思い出した」



 エヴァルトはハリールを捜した。そして林の入り口で、朝の準備であわただしい隊に近付く前に気を鎮めようとしているハリールを見つけて、こう言った。
「俺はあなたの事情をすべて知っている者じゃない。だから言えることだとは承知の上だが……俺たちにとっては、純血だとかは何の意味も持たない」
「エヴァルト…」
「リースさんや俺たちの厚意を後ろめたく思うことはない。あなたがやつらの鼻をあかしてやりたいと考えるのは当然だ。俺たちのなかにだって、昨夜の一幕だけでも、やつらの好きにさせるものかと思った者たちは数多くいる。
 たしかにはじめは馬場校長やエンヘドゥさんからの依頼だった。しかし今大切なのは、コアが言ったように、あなたがまぎれもなく友であることだ。命を賭して助けることに、それ以上の理由など不要。
 だから彼女たちもあなたのために動こうと考えた。昨夜のあなたもそうだったじゃないか。「みんなを守らせてくれ」と。だからあなたも彼女たちの気持ちは分かるだろう。
 彼女たちを、友を、信じてくれ。友を信じ、力を合わせれば、どんな窮地であろうと乗り越えることは容易だ」
「…………」
 ハリールはもう、言葉もなく。
 エヴァルトの胸に額を押しつけ、ただ静かに泣いた。