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【蒼空に架ける橋】第4話 背負う想い

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【蒼空に架ける橋】第4話 背負う想い

リアクション

「ウァール」
 フロアを出て、駈け出そうとしたところで、ウァールは後ろから呼び止められた。足を止め、振り返るとリネン・ロスヴァイセ(りねん・ろすヴぁいせ)がいる。
「リネン! リネンも何か買いにきたの?」
「いいえ。もうじき参ノ島に着くことをみんなに知らせにきたのよ。
 それより、さっきのは本気?」
「さっきのって……ああ、あれか」
 この船の壁は薄いし、テーブルはドアのすぐ横だった。通りがかったリネンに聞こえていても不思議はないし、聞かれてどうという話でもない。
 ウァールは快活ないつもの調子でうなずいた。
「うん。あれからいろいろ考えたんだけど、やっぱりおれ、まだあいつのこと思いきれないんだ。そりゃツク・ヨ・ミをさらったやつだし、ここの人たちに昔ひどいことしたり、今もしようとしてるみたいだけど……まだどうにかなるんじゃないか、って」
 彼は普通の村の少年なのだ。はにかみながら話すウァールの様子を見ながら、リネンはあらためて思った。
 朝起きて学校へ行き、友達とふざけあい、学業が終われば町工場へ行って師の下について機械をいじり、空を見上げてはいつかあの空を飛びたいと思い、ときおり見かける雲間を泳ぐ雲海の龍に深いあこがれを抱く。そんな日常。
 多少、死は身近にあったかもしれない。暴力や恐怖も。しかしリネンやほかの者たちのように明日を生きる対価として命を奪いあったりするほどの戦いに身を置いたり、そのたびに理不尽な暴力の犠牲となる者たちを大勢見てきたわけでも、どうしたって救えない魂がこの世にはいくらもあることを、彼は体験として知っているわけではない。
 だからかつて数十万人を殺したと言われても、ぴんとこないのだ。彼にとってそれは物語、遠い過去の出来事でしかない。
 それを、おめでたいと嘲ることはできなかった。ウァールのような子、ウァールのようにそんなものを身近に感じなくてすむような日々を、自分たちは守ろうとしてきているのだから。
 それに、そんなウァールだからこそ見える希望や道もあるのかもしれない。
「だからって、何もかも全部チャラになるわけじゃないから、その点はきっちり分からせないと駄目だろうけどね」
「そう。
 オオワタツミに寄せるあなたの思いは分かったわ。だけど、今回優先されるのはツク・ヨ・ミの救出よ。今はツク・ヨ・ミのことだけ考えてなさい。それ以外のこと、世界のことは私たちがやるわ。自分の力は分かってるんでしょ?」
 うん、とうなずくウァールに、リネンはおもむろにニルヴァーサル・ボールを差し出した。
「そのための最初のステップ、肆ノ島へ無事降りることを考えなくちゃね。
 あなた、トトリでの後発部隊でしょう? 持っていなさい。なかには嵐の魔法が詰まっているわ」
 ニルヴァーサル・ボールが何か、ウァールはすでに知っていた。なかにはリネンの魔法が封じられており、1度だけだが遠く離れていてもリネンが発動させることができて、敵の攻撃から持ち主を防御することができる。
「ありがとう!」
 ウァールはそれを、区画割りされたウエストポーチのポケットの1つにしまった。
「ウァール。あなたの思いがオオワタツミにも通じるといいわね」
 走り去るウァールを見送りながら、リネンはなかば独り言のようにつぶやき、心から願った。
 そうなればどんなにいいだろう、と。
 だがリネンは降下してきたオオワタツミを見ていた。あの闇よりもまがまがしい存在を。あれはどう見ても、救いがたい魂だ。
(夢物語ね……。そんなことを思うなんて、私もちょっと彼に感化されちゃったかしら)
 頭を振って、考えを追い出す仕草をしながらドアをくぐる。
 一般休憩室のフロアには十数人の者たちがいてくつろいでいたが、なかでも彼女の目を引いたのはやはり参ノ島太守ミツ・ハだった。
 黄金色の波打つ豊かな髪と日に焼けて金色に輝くつややかな肌、金の光を散りばめたような瞳。男女区別なく欲情をそそる色気に満ちた豊満な肉体は、左腕を二の腕の半ばから失っていようともその魅力を失っていない。今は宝石を織り込んだショールをかけてうまく隠しているが、数カ月して傷口が安定すれば、義手をつけるのだという。参ノ島には優秀な義肢師が大勢いて、技術は発展している。本物とまったく遜色ない状態になるそうだ。
 彼女のいるテーブルへ近づくリネンに気づいた松岡 徹雄(まつおか・てつお)が、談笑していたミツ・ハの肩を軽くたたいて知らせる。
「おい、ゴージャス」
「んんっ?」
「あと5分で予定のポイントに着きます」
 時間を確認して簡潔に告げるリネンに、ミツ・ハは見るからにあからさまに大げさなため息をついた。
「あー、もう着いちゃったのねん。じゃあ向こうへ戻らなくちゃなのねん」
 参ノ島には部下たちが待ち受けている。彼女が負傷しているのは部下たちにもすっかり伝わっているだろうし、彼らには無事な姿を見せなくてはならない。そこへ帰還するからにはこんな旅客船でなく、自分の船なのは当然だ。
 ミツ・ハの船ゴールデンレディ号は軍艦で、この船とは比べ物にならないほど豪華なのだが、すっかり向こうの船には飽きているのが分かる声と表情で首を振ると、ミツ・ハは腰を浮かせる。
 ふとその体が後ろにぐらりと揺れて、すかさず徹雄が支えた。
「ありがとねん。まだバランスがとりづらいのねん」
「注意が足りてねェ。そんなんだからあんなジジィにまで薬盛られたりするんだ」
 やはり同じテーブルについていた白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)が、立ち上がりながら皮肉げに口端を歪ませた。
「うわついてるっつーか、妙にあぶなっかしい女だな、てめェは」
 言葉のきつさを声に含まれた笑いが緩和している。
 ミツ・ハもふふっと笑って、「女はそういうとこがあるのも愛嬌なのねん。男は黙ってフォローする。それもできないようじゃあイイ女は捕まえられないのねん。ということは、あらあら、アナタの女性経験の貧相さが思わぬところで露呈しちゃったのねん」とウィンクを飛ばした。
 もちろんジョークの応酬だ。
 実際のところ、片腕を失ってまだ2日の体で、何の問題もなさそうに平常に動いているだけですごいのだが。
(そんなに強い麻酔は使ってねえはずだ。いざというときの動きに支障が出るからな。しかも、目の前で自分の腕を化け物にゴリゴリ喰われた精神的ショックも見られねえ。これだけの美女が、体の一部を欠損したっていうのによ)
 内心感服していることはおくびにも出さず、竜造はフンと鼻で笑う。
「俺の女どもはてめぇほどマヌケじゃなかったってだけだ」
「うふふん。本物の女を知らない男のたわごとねん。なんなら一戦まじえてみる? アタシがどれだけすごいか教えてあげてもいいわよん」
「分かった分かった。たいした女だよ、てめェは」
 軽口をたたきあいながら、テーブルを回ってきたミツ・ハと徹雄を待って、去ろうとする。
「待って」
 同じテーブルについていたリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)がためらいがちに呼び止めた。
「なに?」
 ミツ・ハが振り向いたときもリカインはまだ迷っているふうだったが、もう呼び止めてしまったのだからと思い直したらしく、まっすぐミツ・ハを見上げて訊く。
「マフツノカガミは直径50センチ弱、あなたたち太守が普段首から下げて持ち歩いているカガミは3センチほどね?」
「そうねん」
「見た目がかなり違っているけれど、あのニュースでは、どうしてヒノ・コに手渡されたそれがカガミだと言い切っていたのかしら? 太守ならだれでもあの状態のカガミを知っている、ということなら疑問でもなんでもないけれど……見たのは一般人なんでしょう?」
 ミツ・ハは言っている意味が少し分からないというように首を傾げた。
「えーと。アナタが訊いてるのは、あの映像を撮った人物のこと? それとも一般視聴者のこと?」
「両方、かしら」
「んー。まあ、どっちでもあてはまる答えとしては、むしろ普段のサイズの方が一般的じゃない、というものかしらねん。太守がミニサイズのカガミを持ち歩いているのは秘密でも何でもないから、認知はされてると思うけど。でも、学校とかで教える古文書なんかに記されてるオオワタツミとカガミの関係の絵では、カガミは本当のサイズで描かれてるのねん」
 小さくなったのは、エネルギーの浪費を抑えるためだ。それを太守の証として持ち歩くようになったのは、島が5つに分裂してから。それ以前を伝える、ありとあらゆる記録メディアでは当然ながら普通サイズの5種の神器が描かれており、国家神アマテラスの持ち物として、アマテラスの周囲を飾っている。
「映像に収めた者は、クク・ノ・チさまの手の者だからあれがマフツノカガミであることは知っていたでしょうけど、ニュースでは「夜中に自然公園に侵入する犯罪者がいたので追って行ったらそれは地上人で、その場にヒノ・コもいた。しかもカガミまで映っていて、あらまあびっくり」の体(てい)をとったんだと思うのねん。
 そしてあの荒い画像でそれがマフツノカガミだと断定したのが次代の伍ノ島太守キ・サカ。もちろんここはクク・ノ・チさまの恣意的操作によるものだろうけど……でも、記者たちの質問に「あれはマフツノカガミ」と口に出して認めたのはキ・サカなのは分かりきってるのねん」
 あのクク・ノ・チが、そんなミスを犯すはずがない。
(まったく如才がないったら。関係を持つ分には魅力的な男だったんだけど、敵に回すとホント厄介なのねん)
「それだけ?」
「そうね。今のところは」
「そう。じゃあアナタもそろそろ船を乗り換える準備をするのねん。オオワタツミの根城探しに行くんでしょう?」
「ええ。ありがとう」
 今度こそ背を向けて立ち去っていくミツ・ハを見送り、その視線を窓の外の雲海へと流すと、リカインは思わず漏れかけたため息を噛みつぶし、苦い表情を浮かべたのだった。