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第四章 百合園女学院へようこそ


 真口悠希(まぐち・ゆき)は緊張して縮む心臓をなだめすかして、女性ばかりの人並みを縫って歩く。探し人の姿を見付けるとほっと胸をなで下ろした。理由は自分でも分からない。その人・百合園女学院校長桜井静香(さくらい・しずか)はパートナーである百合園の実質的な主・ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)と共に、生徒達から少し離れたテントの下でお茶を楽しんでいた。
「あの。ボクとダンスを踊っていただけませんか」
 縦ロールのお姉様の顔色をうかがいながら、思い切って近寄って口にする。ええっと、と戸惑う静香が答えるより早く、ラズィーヤが案外簡単に許可を出した。
「行ってらっしゃいな」
 扇子のような扇で口元を隠してはいたが、笑っているのが周囲には丸分かりだ。どうもラズィーヤはパートナーであり校長でもある静香をペットか何かと思っているような節がある。静香にしてみれば、懸命な説得でパラミタに来たのはいいけど、騙された感が全くない訳じゃないといったところだろう。
「……では是非」
 二人は次の曲が始まるのを待ってから、ダンスの輪の中に入っていった。
 悠希は踊りながら、再び勇気を振り絞って、赤面したまま静香に告げる。
「この学園で成長するために目標を作ろうと思うんです。その……静香さまを守れるようなナイトになりたいな、とか……ダメでしょうか」
 男なのに女にしか見えない彼は、容姿のせいで男が苦手でこの学校へやって来た。でも中身は男の子だから憧れの対象が女になるのは彼にとってみれば自然なことだった。
 静香はほんの一瞬だけ戸惑った顔をしたが、
「ありがとう。僕だけじゃなく、この百合園を支えてくれるようなナイトになってね」
 と微笑んだ。


 二人の周囲では、ミーナ・グラフトン(みーな・ぐらふとん)がアイリス・ブルーエアリアルとダンスを踊っていた。当然のように長身のアイリスは男性役を引き受けている。ショートカットということもあって、男性役がよくはまっている。
 ミーナは自分の名を名乗ると、学年やクラス、趣味について話した。性癖が女好きなのもあって、アイリスと知り合いになっておこうと、細々と自己紹介をするうち、曲が変わる。
「チャンスだよ〜」
 アルル・アイオン(あるる・あいおん)空井雫(うつろい・しずく)に声をかけた。雫はうんざりしながら、ダンス相手と離れる。人混みは苦手だからと会場を抜け出そうとしたものの、アルルに捕まって、さんざん女子生徒と踊らされている。その上、アイリスともだなんて。アルルはすかさず雫の手を取って、ミーナと離れたアイリスに突き出した。つまづきそうになりながら止まる雫が見上げると、目の前にアイリスの顔がある。
「お嬢さん、ダンスのお相手を」
 何でこんな事に……。内心大きなため息をついて、雫は踊り始めた。予想通り、アイリスの周りには彼女の相手をしたいらしく周囲で踊りながら視線を送るお嬢様たちがいるじゃないか。第一、お嬢様という育ちでもない上に生まれつき目つきが悪い自分が、百合園にいる自体が何かの間違いだ。
 一曲終わるとすぐにアイリスを、彼女を待っている一人、水無月良華(みなづき・りょうか)に引き渡す。
 アイリスよりも年長で、身長も彼女より若干高い。その良華の手も今までと同じように取ろうとしたアイリスだったが、彼女は逆に左手を差し伸べた。
「一曲踊って頂けませんか、アイリスさん?」
 アイリスは眼を一瞬だけ見開くと、すぐに笑顔に変わって、右手を手首を立てて組んだ。良華の右手はアイリスの背に。アイリスの左手は右腕の上に沿わせるように、良華の肩に。王子様然とした容姿のアイリスを、セミロングの美少女がエスコートする姿は一見奇妙にも思えたが、良華のリードに従って、彼女は踊った。
 普段男性役としてリードしてばかりの彼女にとって、それは一息つける時間となった。
 和やかなひとときだったが、新入生達が座るテーブルの方で聞こえていた賑やかな声が、悲鳴や非難じみたものを含んでいるのに気付く。
「騒ぎ……?」
「何かしら」
 テーブルには、いつの間にか人だかりができていた。
  

 ──つまるところ、彼は場違いだった。
 ベア・ヘルロット(べあ・へるろっと)、24歳。男性として背は低い方だが、筋肉のついた体つき。黒髪を角刈りにして、どう見ても学生には見えない。それが蒼空学園の制服を着て、中庭を進んでいる。本人なりに場違いなのは自覚しており、お茶会の会場の中央を歩いているわけではなかったが、周囲の耳目を集めるのは当然のことだった。彼の進む方向を女生徒達が道を空け、横から背後から、こそこそとうわさ話をしている。その少し後を、こちらも成人女性のマナ・ファクトリ(まな・ふぁくとり)が付いていく。
 目指すは、高原瀬連。彼女に模擬戦を挑むつもりだった。
 彼の姿を認めると、オリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)はにやりと笑い、そのままパートナーに携帯をかける。
「円、男子が来たよぉ。予定通りよろしくねっ」
 桐生 円(きりゅう・まどか)は了解した、と主人に答えると、警備を切り上げ、目標の見える位置を探す。かなり小柄で、小学生にしか見えない彼女の手には、ソルジャーとして支給されているアサルトカービン。セミオートに切り替え、狙撃しようと位置取りを狙う。
「悪党はいつの世も必要じゃないのさ」
 しかし、アサルトカービンの用途は突撃銃。取り回しが楽なのが利点だが、かなり近づかないと当たらない。ベアの後を追い、庭の隅の茂みに身を隠して狙いを定めようと銃床部を肩に当てるも、目標の周囲にはお嬢様達が行き交っていた。お茶会の客席へ向かっている。ここからではまだ遠い。
 そして銃口の先の客席で瀬蓮の話を聞いていた氷雨凪瑠美(ひさめ・なるみ)は、ティナ・月詠(てぃな・つくよみ)と共に不穏な気配に、瀬蓮にお手洗いに行くと言って席を外した。
 立てかけておいた仕込み箒とワンドをそれぞれ手に、殺気の方角を探す。
「警戒しておいて正解だったねっ」
「そうね。……あそこだわ」
 二人は円の潜む茂みに駆け寄る。凪瑠美は地面を蹴り、竹箒の柄を抜いた。刀身をためらわずにその方向へ振るう。
「っつ!」
 激しい金属音がして、火花が散った。まさか自分が誰かに襲撃されるとは想像もしていなかった円には、襲い来る刃を眼前で受け止められたのは奇跡に近かった。
 横合いから火術を放とうとワンドを向けていたティナは、円の制服姿に詠唱を止める。
「駄目、百合園の生徒だよっ」
「え?」
 凪瑠美は飛び退くと、まじまじと見直した。銃口と刃をお互いに向けながら、二人はお互いが共に同じ学舎で学ぶ学生であることを知った。
「何してるの、そんなところで」
「男がこの学校に入ったのだ。排除するのは当然であろう」
「当然って。誰かに当たったりしたらどうするのよ?」
 刃を収めながら、凪瑠美はどうやって彼女を説得するか考えていた……。


「瀬蓮さんや皆さんははどんな部活に入られるおつもり……あら?」
 凪瑠美とティナの二人が席を立って。貴条院ハメ子(きじょういん・はめこ)は瀬蓮の座る椅子の脇に男性が立つのを見た。
「あらあら?」
「模擬戦を申し込みたいんだが」
 ベア・ヘルロットの率直な申し出に、しかし瀬蓮の顔はこわばった。
「ど、どうしてですか」
 と尋ね返すのが精一杯だ。何でこんな所に男性がいるのか、何で学生に見えないのに蒼空の制服を着てるのか、何でここまで来て自分に手合わせを──自分ってそんなに有名人だったかなぁ。疑問がぐるぐる頭の中を回り出す。
 ハメ子はそんな瀬蓮の様子を見て、お気に入りの蜂蜜入りのミルクティーのカップを置いた。
 曰く、自分は戦場育ちで、人の生き死にを見てきた。殺生は好まないが、人を助けるためには実力がないといけない。だから毎日鍛錬している。
 瀬蓮に説明するベアの後ろに、ハメ子は回り込み──
「きゃあああっ!」
 悲鳴をあげながらぶつかった。
「うわっ」
 ベアが驚いて半身になる。その視界に、ふぁさり、と舞い上がるスカート。すっこけて、まくれ上がったスカートは中身であるぱんつを晒していた。
 ハメ子はすかさず上半身を起こすと、スカートでばっとぱんつを隠し、赤い顔でベアを見上げて非難した。
「ちょっと、口があるなら謝りなさい! さっさと謝らないならゆる族のケツに頭を突っ込んで窒息するといいわ!」
 正真正銘のお嬢様がどこでそんな言葉を覚えたのか知らないが。咄嗟に謝るベアにハメ子は罵声を浴びせ続ける。
「予想通りハプニングが起きたわね」
 その一部始終を、少し離れた場所で一人、穂波妙子(ほなみ・たえこ)が愉快そうに観察している。
 ダンスを踊っていたアイリスが良華に無礼を告げて、瀬蓮の元に舞い戻ったのはこの時だった。怯える瀬蓮を背中に隠し、
「セレンは荒事には馴れていない。もし交流試合をとの申し出であれば、彼女の分も、僕が剣士として君に立ち会おう」
「それはありがたい」
「だが今ここでという訳にはいくまい。君は男性だ、今すぐに学校の外に出て行くといい。校門のところで待っていてくれれば、僕も準備を次第そちらへ行こう」
 いつの間にか、周りには以前よりも大きい人だかりができていた。
「お待ちなさい。お客様に無礼です」
「……春佳様」
 ざわめきの中から姿を現したのは、生徒会長の伊藤春佳(いとう・はるか)だった。彼女は目線でアイリスに瀬蓮を別の場所へ連れて行くよう告げて、ベアとマナの二人に対峙した。
「百合園女学院生徒会──白百合会会長、伊藤春佳と申します」
 腰まで届く長い髪の女性が、恭しく一礼する。
「ヘルロットさんと仰いましたね。先ほどの言葉は聞いていました。貴方の志は尊いもの。私たちも、武術の鍛錬を軽んじるわけでは勿論ありません。私自身薙刀を嗜んでおります。それでも、私たちは百合園でただ安穏と過ごしているように見えるかもしれませんね」
 百合園本来の美徳を守ろうとする旧主派の白百合会としては、彼をここまで進ませるべきではなかった。ここは乙女の園。生徒ばかりでなく教員も女性、家族同然の執事も立ち入ることは許されていない。今ベアがここにいること自体が、その争いを生んでしまう可能性もあった──というより、起こってしまっていた。
 マナは不安そうにベアを見上げる。
「ですが、戦争は政治の一手段に過ぎません。戦争を起こさないための、私たちにとっての戦場は、こういったティーパーティや舞踏会かもしれませんよ」
 それは絹のドレスもきらびやかな宝石も、笑顔や礼節でさえ刃にも盾にも用いるような。
「私は、人にはその人に相応しい戦いの作法があり、百合園女学院も他の学校とその点では何ら変わりがないと考えています」
 春佳はそれから白磁器のポットから紅茶を手づから注いで、カップを二客、テーブルに置き、柔らかな微笑を二人に向けて浮かべた。
「……わざわざツァンダからお越しいただいたのです。お茶は如何ですか?」


「お菓子見ーっけ!」
 騒ぎが起こっているうちに。ニーナ・レイトン(にーな・れいとん)はお菓子の並ぶテントの端の方で、誰も手のつけていないをお菓子を発見し、上機嫌でお皿に盛った。
「ふっふっふー。このお菓子もニーナちゃんのものだよ」
 レモンカードとハーブのスコーン、ドライフルーツを詰めたミンスパイ。小さなお菓子を次々と盛って、
「あれ、どうしたの?」
 テントの陰でテーブル席の方を見ながらまごまごしている橘由佳(たちばな・ゆか)を見付けた。
「……あの……席が……」
「席が足りないの? じゃあ一緒に探そうよ──あ、まだ見ぬお菓子発見!」
 先に立って歩くニーナの後を、おずおずと由佳が追う。ニーナは席で和菓子を発見し、席に突進した。
「ここいいかな」
 と言ったときには座っている。由佳が和菓子をテーブルに広げていた主に尋ねる。
「あの、ここ、いいでしょうか」
「もちろんです。うちは、橘柚子(たちばな・ゆず)と申します。どうぞよろしゅうお願いします」
「……あ。お……同じ……名字、なんですね」
「それは偶然どすなぁ」
「これ、食べてもいい?」
「どうぞ、ほんのお口汚しですけど」
 柚子は桜きんつばを勧める。白餡に桜色が匂ってここだけ春の風情だ。そして彼女のカップに注がれていたのは玉露と徹底している。紅茶を急須で煎れることもできなくはないから、その逆もまたありということだろう。お茶請けの桜きんつばに合うようにと茶葉を持参していた。
「えと、私は……橘由佳っていいます。私も、頂きます……あ、美味しいですね」
 フォークで一口桜色を口にして、由佳は思わず呟く。美味しいものを食べると自然と笑顔になる。緊張していた自分の心も、何だかほぐれていくような気がしていた。



そして出会いの始まり

 いつの間に眠ってしまったのだろう。ゆらゆらと揺れる夢に瞼を開くと、太陽は既に地平線に沈みかけていた。
 レロシャン・カプティアティは太陽を背に浮かぶ黒い人影に向かって、おぼろげな意識のまま問いかけた。
「あなたは……?」
「こんなところで寝ていたら、風邪引いちゃうよ」
 折しも涼しい風が吹いて、レロシャンは目をぱっちりと開く。
 目に飛び込んできたのは、あの何処の誰だかも知らない、可愛らしい新入生の女の子だった。彼女はパートナーらしいヴァルキリーに「瀬蓮、行くよ」と呼ばれると、返事をして、「じゃあ、またね」とレロシャンに言って駆けていった。
 周囲を見回すと、新入生達は帰宅の途についたのだろう。先輩らしいお姉様方が、メイドたちと撤収作業を進めているところだった。
「瀬蓮さんかぁ」
 名前を繰り返し呟いて、心に刻む。お菓子はあんまり食べられなかったけれど、それだけで今は満足だった。


 百合園女学院新入生歓迎会。新入生達各々にとっての出会いは、これからの学園生活に何をもたらすのだろうか。
 そして願わくば、これからの学園生活にも、沢山の出会いがあることを。

担当マスターより

▼担当マスター

有沢楓花

▼マスターコメント

 初めまして、有沢楓花(ありさわ・ふうか)と申します。
 今回は新入生歓迎会にご参加いただき、ありがとうございました。
 マスターとしての短い経験の中では、PC同士が戦ったり謀略を仕掛け合ったりするシナリオの担当だったことが多かったため、コメディっぽい要素が書けたか少し心配ですが、如何だったでしょうか。
 今回参加された皆様も、参加せずリアクションを読んでいただいている皆様も、今後とも宜しくお願いいたします。