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リアクション
第二章
厨房に女子たちのはしゃぎ声と甘い香りが溢れている頃、食堂付近の廊下にはちらほら、教導団の生徒の姿が見え始めていた。
「コラあなた達、まだ授業中じゃないの?」
そわそわと食堂の中を覗こうとする男子生徒に、会場周辺の警備を手伝っていた宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)が声を掛ける。
「や、もう終わりましたー!」
「教官が、今日は早く解散だって」
数名の生徒が言い訳がましい声を上げるのに、祥子の目がキラリと光る。
「あら、李教官」
廊下の向こうを見遣って祥子が声を掛けると、バッと辺りの生徒達が一斉に振り向く。
「はい、今振り向いたサボり組の皆さん、国境警備は勘弁して上げますけど、補習は覚悟してくださいね」
誰も居ない廊下をしまった、という顔で見詰めている学生達に、祥子の残酷な一言が追い打ちを掛ける。
「まーまー、お姉さん、今日はイベントなんだしさっ、許してあげなよ〜」
そう言いながら祥子の背後から現れたのは、百合園生である皇祁 璃宇(すめらぎ・りう)だ。派手に改造された百合園の制服を着て、何故か、頭には猫耳が付いている。
「そう言うわけにはいかないわ……」
「みなさぁ〜ん! こーんにーちはー!」
手帳に違反者の名前などを書き取りながら反論しようとする祥子を遮り、璃宇は甲高い声で廊下中に響くように叫ぶ。
「チョコレートが完成するまでの間、璃宇の歌、聞いてくださぁ〜い!」
ひらひらー、と手を振る可愛らしい仕草に、その場にいた生徒達の目が一斉に釘付けになる。
所在なくそわそわしていた生徒達が集まってきて、廊下はにわかアイドルステージ状態だ。
「甘い季節にあなたの元へ、軽く飛んで今すぐはんた〜♪」
作詞作曲皇祁璃宇による、キュートなポップがどこからとも無く流れ出す。多分、璃宇の足元のラジカセから。
璃宇がひらりひらりと歌って踊ると、その場にいた生徒達はすっかりアイドルファンさながらの盛り上がりを見せる。
「……まあ、これで抜け駆けする輩は居なくなるわね」
その様子を見ながら、やれやれと溜息を吐く祥子だった。
一方厨房では、相変わらず百合園生達がチョコレート作りに精を出している。
「さあ樹様! カップケーキ雪ウサギを作りましょう!」
厨房の一角でふん、と腕まくりをしているのが機晶姫であるジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)、その隣でややげんなりしているのがジーナのパートナー、林田 樹(はやしだ・いつき)だ。樹は教導団に所属する見たところ二十代後半の女性……のはずなのだが、何故か今は、髪を二つに結い、百合園の制服にフリフリのエプロンまで付けている。
「それはいいんだがジーナ、なぜこんな格好をする必要があるのだ?」
「もちろん、女らしさを学ぶためです! さあ樹様、生地にチョコレートを入れたらクルミを刻んでくださいね!」
同じくフリフリのエプロンに身を包み、ジーナはるんるんで樹に作業を促す。
「あ、あたしも使いたいから取って置いて! ケーキをコーティングして、黒ウサギにするんだっ!」
ぴょこんと二人の間から顔を出すのは、ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)だ。こちらは歴とした百合園の生徒だ。
「ああ……じゃあ、残りはここにおいておくぞ」
コトリとチョコレートが満ちたボウルが作業台の上に置かれる。
「ねーたん、なにしてうの?」
そんな三人の作業を、作業台の上にぴょこんと乗ってじっと見詰めているのは、樹のパートナーの一人……いや、一匹……いやゆる族なので一人、か……である林田 コタロー(はやしだ・こたろう)だ。
「コタローちゃんも一緒にやる?」
そこへ材料をもって戻ってきたのはネージュのパートナー、ルピナ・スフィラーレ(るぴな・すふぃらーれ)だ。
「ねーたん、こたも、みんなのおてつだいすうー」
「こたちゃんもやってみます?」
くいくい、と樹の洋服の裾を引くコタローに、ジーナが粉糖の入った茶こしを差し出す。
「樹様がケーキの上にクリームを絞りますから、これをその上に振りかけて下さいね」
「あい、わかったれすー」
ジーナの指示で、焼きあがったブラウニーの上に樹が生クリームをドーム型に乗せていく。その上に、コタローがサラサラと小さな手で粉糖の雪を降らせる。
が。
「へぷち!」
舞い上がった粉糖に、コタローが思わずくしゃみをした。その反動でバランスを崩してひっくり返る。ひっくり返ったその先には、溶けたチョコレートの入ったボウル。
「にゃぁあああ!!!」
頭から溶けたチョコレートを被り、コタローはパニックに陥る。じたばたと暴れるものだから、辺りにチョコレートが飛び散った。
「樹ちゃん!何かあった……」
その騒ぎに、離れたところで一行の作業を見守っていた緒方 章(おがた・あきら)が駆けつけて来た。が、すっかりカエル型チョコと化しているコタローを見付け、成る程と苦笑する。
「コタ君、こっちでお湯に浸かってようね。このチョコは溶かし直しかな」
章は手際よくその場を片づけながら、呆然としている樹に目を留めた。
「樹ちゃん、ここにチョコが」
にっこり笑うと、章はサッと樹の頬に顔を寄せると、そこにくっついていたチョコレートをぺろりと舐め取った。
「……!!! ああああアキラっ、ひ、人前で何を……!!」
章の顔が離れてからやっと何をされたのか理解し、樹は章の胸の辺りを思いっきりどついた。
「へ、変なことをしてないで手伝え!」
「はいはい、じゃあフロゥくんのお手伝いでもしているよ」
「あっ、ルピナ! それ、何入れたの?!」
章が手伝おうとそちらを向いた瞬間、そのネージュの悲鳴が上がった。ルピナの手の中には、さくらんぼリキュールの瓶。
「え、なんか、さくらんぼの絵が描いてあったから……だめだった?」
「……ま、混ぜちゃえば大丈夫だよね……?」
「……んー、僕は何も見なかった、よ?」
不安そうな顔で見上げるネージュに、章は苦笑して視線を逸らした。
すると、その視線の先で教導団の軍服に身を包んだ道明寺 玲(どうみょうじ・れい)がチョコレートの飛び散った机の上を片づけていた。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、学院の方々に快適に過ごして頂けるようつとめるのが、それがしの仕事です」
玲はキュ、と机の上を拭くと一礼して立ち去る。
――俺は教導団なんだけど……ま、スフィラーレくんとフロゥくんは百合園だから、いっか。
章の内心の呟きなど知らずに。
「美味しそうどすなぁ、麿にも一口……」
「イルマ、学院の方に迷惑を掛けるな」
チョコレート作りに励む女生徒の間でおねだりに精を出していたパートナー、イルマ・スターリング(いるま・すたーりんぐ)に冷ややかに一声掛け、玲は他に困っている学生がいないか、巡回へ回る。
「あの、すみません、ホワイトチョコレートってありませんか?」
「はい、ご用意してあります。すぐお持ち致します」
百合園の制服を纏った小さな少女――ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)に声を掛けられ、玲は足を止める。丁寧に一礼してから、きびきびと材料の置いてある作業台へと頼まれたものを取りに行く。
「ホワイトチョコをお使いにならはるんどすか?」
その間、イルマがヴァーナーにちゃっかり声を掛ける。
「はい! この上に、ダイスキってホワイトチョコで書くんです」
イルマの問いかけにヴァーナーはニッコリと笑う。味見してみてもええやろか、とイルマが問えば、もちろん、と頷く。
「うーん、まろやかなお味どすなぁ」
「なあなあ、俺も貰っていいか?」
イルマが幸せそうな顔をしている横からひょこ、と顔を出したのは朝霧 垂(あさぎり・しづり)だ。教導団の生徒であるが、今はメイドのエプロン姿だ。
「あんまり食べると、配る分がなくなっちゃいますよー」
冗談交じりにそう言いながらも、ヴァーナーは笑顔で手の中のチョコレートを垂に渡す。
「お、美味いな! 俺のもちょっと味見してみて貰っていいか?」
にっこり笑った垂は、手に持ったボウルの中身をちらりと二人に見せる。
もちろん、と元気に頷く二人に、ボウルの中のガナッシュをスプーンに取って差し出した。
「その、セイカ……大切な人に渡すんだ。料理に自信が無い訳じゃないが、感想が聞きたいんだ」
「そういうの、良いですねー。うん、美味しい!」
「そうどすなぁ、悪くはあらへんのやけど、コクがたりひん気ィが……」
「イルマ、また学院の方にご迷惑を書けて」
と、そこへ玲が頼まれていたホワイトチョコレート片手に戻ってきた。お待たせして申し訳ございません、とヴァーナーにチョコレートを渡し、イルマを引きずるようにその場を立ち去る。
「あ、いっちまったな……コク、かぁ……」
どうしたらいいんだろう、と垂はぽりぽりと頬を掻いた。
「それなら、この生薬はいかがかしら?」
すると、隣で作業をしていたイナ・インバース(いな・いんばーす)がニッコリと謎の小瓶を差し出した。
う、と垂は一瞬身構える。
「あはは、怪しいものじゃありませんよ、特別に調合した生薬です。食べた人が元気になるようにって」
食べてみますか? とイナは手元の生チョコレートを差し出す。
垂は恐る恐るそれを手に取った。
「お……おお、美味い……」
生薬、という単語から想像していた苦みや変な味などはなく、至って普通の美味しいチョコレートだ。しかも、ちょっとコクもある。
「これなら、セイカが戦場に携帯食料として持って行くにもいいかもしれないな……」
「ええ、きっとぴったりですよ」
ニッコリと笑うイナから生薬の小瓶を受け取ると、垂は自分のチョコレートの中にそれを少し混ぜ込んだ。
「ねえねえ、ミーナも食べていいかなぁ?」
ぴと、とイナの背中に貼り付いて顔を覗かせたのは、ミーナ・リンドバーグ(みーな・りんどばーぐ)だ。
「ええ、どうぞ」
イナはこころよくチョコレートをミーナの口へと運ぶ。
「ミーナもねぇ、チョコチップクッキー作ったんだあ! 思ったより、上手に出来たんだよ」
そう言いながら、ミーナも作ったクッキーをみんなに差し出す。
どうやらほとんどの生徒がお菓子作りを終えたらしく、厨房のあちらこちらでそんなやりとりが聞かれる。男子生徒に配る前に、愛の使者たちだけで消費してしまいそうな勢いだった。