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 3.ジャタの森 至高の水飴職人 ベルク ゼーフェルト


 その小屋の周りには甘い匂いが漂っている。特に看板などは掲げていないが、甘いものに目のない者であればこの場所が、職人の仕事場であることを瞬時に見抜くだろう。
 小屋のすぐ脇を流れる清流も、ここでつくっているもののために必要なのであろう。水車がゆっくりとまわっている。
 ジャタの森に暮らすという至高の水飴職人を訪ねる一行は、蒼空学園のカフェテリアに集まった学生たちだけにとどまらず、途中で数人が合流してきた。
「こんにちはー、蒼空学園の天城ともうしまーす」
 天城 一輝(あまぎ・いっき)はヴァンガード強化スーツ、ヴァンガードエンブレムなどを身につけている。これらによって自分の身元を証明しようとしたのだ。
「知らん! 帰れ!」
 ドアの向こうから返ってくるのは、怒鳴り声ばかりだ。
「なんだ、頑固なじいさんだな」
 自らもバレンタインデー等のイベントごとには個人的な悲傷を抱きながら、それでも幸せなホワイトデーを守るために駆けつけた国頭 武尊(くにがみ・たける)が腕組みをして溜息を吐き出す。
「せっかくエンブレムまでつけてきたのに、ドアも開けてくれないなんて」
 ローザ・セントレス(ろーざ・せんとれす)もいきなりのつまずきに肩を落とす。宿り木に果実の看板娘ミリア嬢から、かなりの頑固者という話を聞いていたがここまでとは予想外だった。
「とりあえず、水飴をおろせなくなった原因が分かれば何か手を打てるかもねぇ」
 清泉 北都(いずみ・ほくと)は、小屋の屋根から突き出している煙突を見つめて呟く。
 煙突からは僅かに白みを帯びた煙が上がっている。時間帯的にも気温的にも、煖炉に火を入れる必要はない。
「よっし、獣人なら俺のお仲間だ」
 白銀 昶(しろがね・あきら)が一輝と入れ替わって小屋のドアの前に立つ。
「おーい! 水飴を譲ってもらいたいんですけど!」
 森中にひびかんばかりの大声だ。小屋の中でどんな作業をしていても聞こえないと言うことはないだろう。
「ない! 材料のコメが不作で水飴をつくっていない!!」
 小屋の中からはまたも怒鳴り声が返ってくる。昶は耳を押さえて後ずさる。
 北都は昶を後ろから支えながら、煙突を見上げる。
「そうは言ってもなぁ」
 周囲に漂う甘い匂いは、獣人でなくても容易に気付くほどだ。
「ああいう頑固そうな人が嘘をつく理由ってなんなんでしょう……」
 火村 加夜(ひむら・かや)が首をかしげる。彼女もある人の願いを叶えるために水飴を手に入れたいと願っている。
 あたりに漂う甘い匂いは、花粉症で鼻が詰まってでもいない限りすぐに気づくほどだ。それなのに今は飴を作っていないなどという嘘をつく理由は何だろうか。
「あー、窓は全部閉まっていて、カーテンも引いてあるな」
 武尊が小屋の周りを軽く一周してきた結果を報告する。
「こんなに良い天気なのに、ちょっと変ですね」
 ローザが空を見上げる。まさに春爛漫。青い空に白い雲がぷかぷかと浮かんでいる。
「なぁ、もしかして。今まさに蛮族に脅されてるってコトはないか?」
 一輝は自分の頭の中に思い浮かんだ家庭を素直に口にしてみる。
「じゃあ、ちょっと聞き耳立ててみようか」
 言うが早いか、昶はオオカミへと姿を変え、地面の匂いをかいだり耳をあちこちに向けたりを始める。
「じゃあ、僕もちょっと手伝おうかなぁ」
 北都もパートナーの補佐をするつもりで、スキル『禁猟区』を使用する。
 もし近くに危険な存在がいるならば、するに感知することができる。
「みんな静かに」
 北都は唇に人差し指を当て、しばし黙り込む。昶も何かに気づいたようで、しきりにあたりの様子をうかがっている。
「何かくる……たぶん蛮族だ。みんな隠れて」
「え」
 加夜は戸惑い、立ち尽くしてしまう。
「清泉くんの禁猟区が、敵が近づいてきたことを感知したみたいだね……小屋の裏手にはこないだろうから、こっちへ」
 ひびきが左手で加夜を小屋の裏まで導いていく。
「なんだか、かくれんぼしているみたいだね」
「無駄口たたいてると見つかるぞ」
 武尊は緊張感に欠けるひびきをたしなめつつ、小屋を訪れる者たちから死角になりつつ中の話し声が聞こえそうな場所に身を潜めた。

 学生たちが思い思いの場所に身を隠してから数分の後、二人連れの蛮族が道の向こうからやってきた。モヒカン(モスグリーン)、モヒカン(カナリアイエロー)の二人は、
「モヒカンが曲がっていてよ?」
「新しいスパイク肩パッド最高っすね!」
 などと言いながら仲むつまじい様子で小屋の前まで立ち止まる。
「コゥラァ! 糞ジジィ、新しい水飴取りに来てやったぞ!」
 先ほどまできゃっきゃうふふと笑いながら小道をやってきたとは思えないだみ声だ。
 加夜はひびきのすぐ横で身をすくませる。
 北都もあまり良い気分ではないようで、眉間に少しだけ力が入っている。
 数分間、蛮族たちと職人はやりとりをしたあとで、小屋の扉が開かれた。それと同時に、職人と蛮族の話し声が鮮明に聞こえるようになってくる。
「娘は……娘は無事なのか!?」
「ああ、お前が水飴を俺たちだけに降ろしている間は無事だぜ。だが、もし他人に話してみろ? お前の娘は大変なことになるぜ」
「ど……どうなるんだ」
「ちょっと口にはできねぇようなコトになるのさ」
 蛮族たちはリヤカーに水飴が詰められたガラス瓶を満載にして去っていった。
「うぅぅ……しろたん……しろたーーーん!!!!」
 小屋の中から老人の悲痛な叫びが響く。

「かわいそう……」
 加夜が眉を寄せる。
「てか、しろたんて、なんだ?」
 一輝が首をかしげる。
「娘なんじゃねぇの」
「さて、と話を聞きに行きましょうか」
 本郷 涼介は蛮族が完全に見えなくなったことを確認してから小屋の正面に戻った。
 かなりの人数だったが、周囲に漂う甘い匂いが蛮族たちの注意力を散漫にさせたのか、誰も見つからなかったようだ。
「ゼーフェルトさん、宿り木に果実のミリアさんからの紹介で伺いました」
 長原 淳二が三度目の正直と言わんばかりにドアをノックする。
 待つこと数分。どっしりとした木製のドアはゆっくりと開いた。
「……入れ」

 水飴工房は、まるで錬金術者の工房のようだった。大きな釜、圧力釜、レトルトなどが配置されている。
「どうか、わたしたちを信じて話してくれませんか」
 人当たりの柔らかな北都が交渉役を買って出る。
「先日、娘がさらわれた」
「穏やかではありませんね」
「水飴を独占的に卸せば、娘に手出しはしないと言われ……わたしは」
「それでは、しろたんをた」
「娘をしろたんと呼んでいいのはワシだけじゃあ!!」
 突然激高した職人に、北都は思わず黙り込む。
「あの、わたしたち娘さんを無傷で助け出します。娘さんをお届けしたら、元のように水飴を卸していただけますか?」
 加夜は次は自分が怒鳴られるかもしれないとびくびくしながら切り出す。
「頼む……ワシは、娘がいないと……」
 老人は再び目に涙をためて深々と頭を下げた。
「善は急げだ。あいつらのアジトは分かってるんだろうな?」
 工房の隅に酒の空き瓶が転がっているのを見つめていた武尊は、指の関節をならした。