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◆第三章◆

「いらっしゃいませ、ようこそ風船屋へ!」
 的場 凪(まとば・なぎ)が、営業スマイルで、客を迎える。
「お荷物を、お持ちします!」
 ミートン・チェンバース(みーとん・ちぇんばーす)も、やや引き攣り気味の笑顔で、客の荷物を受け取った。
 今月のバイト代をパチスロですってしまった凪のせいで、ふたりの生活は、ひっ迫している。
 失敗は許されない。なんとしても、三食+寝泊まり+温泉露天風呂付きのこのバイトに縋るしかない。
「なぜ、ボクは、ここで働いているのだろう」
 客室を出た途端、笑顔を引っ込めたミートンが呟く。
「負けっぱなしなのも癪だなぁ……と、普段は絶対に手を付けない食費にまで手が出てしまったのが、いけなかった。気がついたときには、今月は食費が一万……」
「よりにもよって、食費に手を出すなんて……そんな事したら、運が逃げる、ってわかるでしょ、まったく」
「おまえは、帰ってもいいんだぞ」
「凪一人だと、このバイトのお給料も、どうなるかわからないんだもん」
 そんなことを言い合っている間に、4人組の客と、2人組の客が、同時に到着。
「いらっしゃいませ!」
 凪が、普段は見せない営業スマイルで受け付けている間に、ミートンは、知り合いになったばかりのバイト仲間、立川 絵里(たちかわ・えり)蓮海 みら(はすみ・みら)栗山 遥稀(くりやま・はるき)を呼びに行った。


「私、厨房を手伝ってくるよ!」
「ちょ……ちょっと待て、クリス!」
 走りだそうとしたクリスタル・カーソン(くりすたる・かーそん)を、ニーア・ストライク(にーあ・すとらいく)が、必死に止める。家事が得意なクリスタルだが、料理だけは……「光条兵器よりも攻撃力が高い」のだ。
「俺たちは、接客係だ」
「厨房も忙しそうなのに……」
「いや、今、必要とされているのは、まちがいなく接客係だ。早めに到着した客が多くて、捌ききれていないからな。いいな、やるからには、楽しみつつ! 完璧に! だぜ」
 メイヴ・セルリアン(めいう゛・せるりあん)ジェニファー・サックス(じぇにふぁー・さっくす)も、接客係担当だ。
「メイヴとお揃いの仕事着だね!」
 仲居の着物は、濃い紅色に紺色の帯という地味な色合いの組み合わせだが、そのことがかえって、彼女たちの華やかな愛らしさを引き立てている。
「楽しみですけど、緊張もしますわね……!」
 家柄の良いメイヴは、令嬢としての知識や教養を身に付けているし、振る舞いにも自信はあったが、何しろ、初めてのアルバイト。同じアルバイト仲間と仲良くなりたい、と願っているが、男性に免疫のないのが不安だ。
「でも、女性も多いはずですし、バイト仲間なら、男性とも……その、仲良くしやすい
かもしれませんし……」
 ぶつぶつ言いながら縁側を歩いていたメイヴとジェニファーの目の前に、みかんがコロリ、コロコロリ……。
 突然の突風で舞い上がった紅葉に驚いたクリスタルが、お盆から落としてしまったのだ。
「うわ、待って〜! そっち行かないで〜」
 みかんを追いかけ、あわてて拾い集めるクリスタルとニーア。
「ほらほら、メイヴ! 思い切って、お手伝いしてあげちゃいなよ!
 ジェニファーが、メイヴに声をかける。
 ドジっ娘なメイヴのミスをさりげなくフォローするつもりだったが、友達作りのチャンスの方が、先に到来! かもしれない。
「男性が……でも、そうですわね、今なら……」
 メイヴは、足下に転がってきたみかんを拾い、クリスタルに差し出した。
「……どうぞ」
「ありがと!」
「おう、サンキューな!」
「ふたりで運ぶには、量が多すぎるようですわ。私たちにも、手伝わせていただけませんこと?」
 一生懸命、勇気を振り絞ってふたりに話しかけるメイヴを、ジェニファーは、笑顔で見守っている。
 

「今こそ、鍛え上げたメイドの技術が生かされるとき! 死力を尽くして、お客様にご奉仕せねば!!」
 ミートンに呼ばれた絵里が、4人組の客を出迎えている。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ご主人様?」
「あ、いえ……いらっしゃいませ!」
 張り切りすぎた絵里に、温かな笑顔を向けたみらと遥稀は、さっと客に向き直って、頭を下げた。
「ようこそ、風船屋へ」
「ようこそ、おいでくださいました」
 非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)は、契約者だけの格安プランがあると聞いて、パートナーの【分御魂】 天之御中主大神(わけみたま・あめのみなかのぬしのかみ)【分御魂】 高御産巣日大神(わけみたま・たかみむすびのかみ)【分御魂】 神産巣日大神(わけみたま・かみむすびのかみ)を引き連れてやってきた。
 絵里、みら、遥稀に、荷物をまかせて案内された部屋は、繋げて小さな宴会場としても使える様、かなり広めの2部屋。
 絵里が障子を開けた窓からは、良い感じに枝を広げた紅葉が見える。
「温泉は、いつでもOKですよ☆ ……って言いたかったのですが、実は、まだ改装工事中でして、あと、一時間ほどかかります」
「先に、お食事はいかがですか?」
 みらと遥稀のすすめで、非不未予異無亡病近遠たちは、少し早めの昼食をとることになった。
「山を散策するのも良いですが、部屋から眺める紅葉というのも、風情があって良い……と、思うんですよ」
 非不未予異無亡病近遠の視線を追って、天之御中主大神、高御産巣日大神、神産巣日大神も、色づいた紅葉に飾られた窓を眺める。
「紅葉は、良い感じですね〜此処の和風……って、微妙にズレている事が多いんですけれどね〜」
「そなたも無茶を言うものじゃのう。流石に、紅葉ばかりは、ズレさせる方が、難しかろうがのう」
「樹が変われば、自然と紅葉も変わるんだが、そもそも常緑樹では紅葉と呼ばないからな。そして、遠目から木々の葉の色の変わり様を眺める限り、違わせようが無い訳だ」
「元々の葉の色が緑で、赤でも黄でも変われば紅葉だわ。青く変わりでもしないと、ずらそうにも、ずらしようが無いわ」
「紅葉を愛でるのは、和風の風習じゃが、紅葉自体は、他ででも起こっておるからのう。各人の心の中にしか無い物は、動かせんじゃろうのう」
「逆に言えば、それぞれ人の心のありよう毎に、違う紅葉感が在るとも言える訳だ」
「兄様方も近遠殿も、その辺にして置いて、紅葉を愉しむ事にするといいわ」
 そこに、絵里、みら、遥稀が、昼食を運んできた。
「ご飯のおかわりはいつでも言ってくださいね」
「お食事も、良い感じの和風ですね」
「吸物の麩が、紅葉とは風流じゃのう」
「和菓子も紅葉だわ」
 盛りつけの美しい和食膳を前に、また、ひとしきり話が弾む。


「わぁ…!」
 雪住 六花(ゆきすみ・ろっか)は、通された部屋の窓いっぱいに広がる紅葉の美しさに声をあげ、秋の空気を思いっきり吸い込んだ。
「うん、これなら書けそうね」
「書くとは?」
 ウィラル・ランカスター(うぃらる・らんかすたー)が、隣に立って尋ねる。
「ここなら、きっと、良い思い出がたくさんできるわ。だから、帰りに売店で絵葉書を買って、ここがどんなに楽しかったか、旅行雑誌に投稿しようと思うの。もし載ればお客さんが増えるかもしれないし、載らなくても、雑誌社の人が興味を持ってくれるかもしれないわ。モンスターだって、退治されたとわかれば安心でしょう?」
 つい、説明に熱がこもってしまう。
「この素晴らしい紅葉のもてなしに対して、少しでもお礼がしたくて……私にできるのは、このくらいだもの」
「では、腕の見せ所ですね」
 客の立場から、この旅館を盛り立てようとする六花の生真面目さが、ウィラルにとっては、微笑ましくも愛しい。
「そうなの、上手く紹介できるように頑張るわ」
「いえ、そうではなく」
 ウィラルは、六花が作った小さく握りこぶしを、そっと開かせて恭しく手をとった。
「あなた自身が、めいっぱい楽しまなくては」
 その為のエスコートは、ウィラルの喜び。
 一瞬、驚いたように瞳を見開いた六花だったが、すぐに満面の笑みを浮かべる。
 そのとき、ドアがノックされて……、
「ようこそ風船屋へ。お部屋はいかがですか?」
 六花とウィラルに、ふたりの荷物を運んできた白木 恭也(しらき・きょうや)が声をかけた。
「とても素敵だわ。紅葉をもっと見たくなりました」
「では、宿内の紅葉の絶景スポットへ行くのは、どうですか?」
 恭也が、六花とウィラルを連れていったのは、早朝に整備された庭園のあずまや。
「よく来た……じゃなくて、ようこそ……いらっしゃい、ました」
 合流したアベル・アランド(あべる・あらんど)を恭也がどついて、言葉遣いを直させる。
 接客係を希望した恭也には、三食、温泉、紅葉という綺麗な風景付きという好条件のバイトで金欠対策……だけでなく、アベルの人付き合い矯正という目的もあった。
「ここが一番綺麗に紅葉が見える場所だ……です」
 自分に黙ってバイト申し込んだ恭也に、苛々している内心を隠して、客には丁寧語を使って話す努力をするアベル。だが、顔は無表情のままだ。
「もっと笑え」
 恭也に小声で注意され、
「俺が接客したらこうなる事くらい、分りきっているだろうが」
 と、言い返す。
「お食事をここに運びましょうか? 俺は綺麗な景色の中で食べる食事はより美味しく感じると思うんです」
「料理なら運ぶぞ。客と話すよりは楽だからな」
 徐々に、無愛想で淡々とした、素の話し方が出始めてしまうアベル。
 しかし、幸い、六花とウィラルは、気にはしていないようだ……と、見た恭也は、あらかじめ運んでおいた琴の前に立った。
「後は、音楽あるといいですよね。琴とか弾ける人いないんですかね?」
 弾け、という念をアベルに送る。
「琴ってバイト内容と関係ないだろうが。いいのか?」
 恭也の言葉に呆れつつも、琴を運び弾くアベル。
 琴の音は、あずまやから庭園、裏の山道へと響きゆき、紅葉の美しさに、さらに風流な趣を添えていく。


「誰かが、琴を弾いていますね」
 ボディガード兼ガイドのアルカネット・ソラリス(あるかねっと・そらりす)の言葉に、山道をのんびりと歩いていた健闘 勇刃(けんとう・ゆうじん)が、耳を澄ませる。
「君も、楽器を持っているようだけど……紅葉にエレキギターは似合わないぜ」
「これは、モンスター避けなんです。嫌う音をかき鳴らして、遠ざけようと思って」
「モンスターか。気をつけようとは思うけど……正直、旅館に泊りにきてまで戦いたくはないな。傷付けないように追っ払って、紅葉の山を堪能させてもらうぜ」
「もし、モンスターが暴れ出しても、あたしの連れが攻撃している間に、安全な場所へ誘導します」
 アルカネットは、一行の最後尾を守っている神威 雅人(かむい・まさと)を頼もしげに振り返った。
 吸血鬼の火術やアシッドミストは強力だ。
 アルカネットも雅人も、モンスターの肉を食べる気は全然ないので、遠ざかったら、深追いはしないつもりだった。
「お客さんの安全第一です! 紅葉散策のんびりコース、最後まで楽しんでくださいね!」
 明るく笑うアルカネットに、天鐘 咲夜(あまがね・さきや)冠 誼美(かんむり・よしみ)も、笑顔を返す。
「本当に、キレイな紅葉ですね………」
「空を飛びたくなっちゃうよ!」
「パンフレットの写真と、評判の通りだな」
 友見が、葉っぱでしおりを作るのが好きだったよな。いっぱい集めて持ち帰ろうか……そんなことを思いつつ、きれいな葉を選んで拾う勇刃の横を、誼美が走り抜けていく。
「それじゃ、行ってきまーす!」
 えへへ、と笑う誼美のねらいは、「お兄ちゃんと咲夜お姉ちゃんを、ふたりっきりに!」だ。
「走るとあぶないですよ!」
 ボディガード兼ガイドのアルカネットが、後を追う。
「もうひとり残っているけど、まあ、いいか」
 と、呟きながら、誼美は、こっそり禁猟区を張った。
「仕方ないな……誼美ちゃんが連れ戻されるのを待とう」
 勇刃が、紅葉の散り敷かれた小さな広場の切り株に腰を下ろす。
「優しいそよ風になびく、さらさらしている紅葉………ありがとうございます、健闘くん、こんな素敵な場所に連れてくれて」
 咲夜は、一枚の紅葉を髪に飾って、勇刃の前に立った。
「ねえねえ、健闘くん、似合いますか?」
 一瞬、返答に困って、あたりを見回す勇刃。
 誼美とアルカネットは、まだ帰ってこないし、残った雅人も、少し離れた場所で、モンスターの気配を警戒している。
「……似合う……よ」
「そうですか、よかった。ありがとうございます!」
 咲夜は、今日一番の晴れやかな笑顔を見せた。 


「温泉旅館でゆっくりしたいところだけど、その為にも、害獣は追い払っておかないとね」
 御影 美雪(みかげ・よしゆき)は、のんびりコースより少しハードな紅葉散策てくてくコースの警備に、風見 愛羅(かざみ・あいら)を誘った。
「ついでに紅葉とか見ても、罰は当たらないよね」
 やや険しい山道だが、それだけに、紅葉の赤も濃いような気がする。そんな秋景色の中に、
「美雪は、相も変わらず面倒事に首を突っ込みたがりますね。私の気も知らないで……困った人です」
 と、ため息をつきながらも、どこか嬉しそうについて来た愛羅を見てみると……、
「結構、絵になるなあ」
「え……お、煽てても何も出ませんよ」
 美雪の一言に、愛羅は、紅葉よりも赤くなる。
 やっぱり愛羅は可愛い、贔屓目かもしれないけどね……と、美雪が、心の中で呟いたそのとき。
 ガサガサッ!
 巨大な何かが移動する音が、木々の奥から聞こえた。


 露天風呂の完成を待ちきれなかったリリィ・クロウ(りりぃ・くろう)は、部屋付きの風呂の湯を浴び、浴衣姿で散策に出た。
 浴衣で歩き回るのは、だらしないから良くない、という話もあるが、「温泉風情」は、きっと、免罪符になる。
 そんなことを考えながら、背筋をしゃんと伸ばし、出来るだけ着崩れない姿勢で歩いているうちに、ガイド一行とはぐれ……、
 いつの間にか、コースからも外れて森の中へ踏み込んでしまったリリィの目の前に……、
「パラミタ熊!」
 リリィを、その影に呑み込んでしまいそうな巨体のモンスターが、鋭い牙の間から、不気味に低い唸り声を上げている。
「グルル……」
 リリィの手に、武器はない。
「素手で戦えなくもありませんが……どろどろになりそうですし、避けたいですわね」
 では、逃げる? 
「いいえ、走ったりしたら、ゆかたがバタバタになってしまいますわ。みっともないです」
 だいたいが、せっかくの旅行なのだ。
「お客様気分でいたって、いいではありませんの」
 誰か助けてくれないかな〜と、思いながら、リリィは、魔物と対峙した。
 睨み合いになるまで、目を離さなければ、相手が逃げるかもしれない。
 一瞬、リリィとパラミタ熊の間に、静かに張り詰めた時間が流れて……。
「そのまま動かないで!」
 不意に聞こえた声とともに、リリィの背後から放たれた攻撃が、モンスターの耳を掠めた。
「グ……」
 思わぬ場所からの反撃に怯んだ熊は、くるりと向きをかえて、森の奥へと走り去っていく。
 紅葉をかき分けて現れたのは、異変に気付いて駆けつけた美雪と愛羅。
「殺すまでしなくてもいいよね……? できれば殺生沙汰は避けたいし。折角の紅を、血の紅にしてしまうのも、ちょっと、ね……」
「相変わらず、甘いんですね……」
 だから放っておけないんです、と愛羅は、口には出さずに付け加える。
 闘いではなく、戦いにおいて、殺さずに相手をいなすことは難しい。それをよく解っているくせに、美雪らしいというか……と。
「上手く追い払えたから、後で温泉で背中流してあげるよ」
「ば、バカなことを言わないで下さい!!」
 美雪の一言に、再び赤面した愛羅が叫んだとき。
 ガサガサッ!
 紅葉の枝が揺れて、黒ネコのヘアバンドをした女の子が現れた。
「私に治療させて!」
 負傷者を捜して、治療することが生き甲斐なイナ・インバース(いな・いんばーす)だ。
「怪我なんてしていませんわ」
「モンスターに襲われたんでしょう、怪我しているはずです!」
「だから、襲われてなんか……」
「ほら、肘を擦りむいてます!」
「あ……これは、モンスターのせいじゃなくて、コースを外れて迷っているときに、紅葉の枝で……」
「私にまかせてください!」
 拾ってきた薬草を選別して、応急手当をしたイナは、大満足。リリィの小さな傷は、明日には跡形もなく治っていることだろう。