空京

校長室

戦乱の絆 第2回

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戦乱の絆 第2回
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リアクション


タシガン、アイリスと瀬蓮のこと

 霧深きタシガン、薔薇の学舎。
 
 漂う珈琲の香り。
「そろそろ、ヴァイシャリーでアイシャを巡る戦いの始まる頃合いか」
 ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)が誰ともなく言って、白磁のカップを手に取った。
 注がれているのは清泉 北都(いずみ・ほくと)の淹れた珈琲。
 ジェイダスが香りを楽しみ、カップを傾けてから。
「移動要塞がヴァイシャリーへ到達するまでに決着がつくか、どうか」
「――今回のことで東西が完全に決裂するということは?」
 クナイ・アヤシ(くない・あやし)の問いかけ。
「あり得ない、とは言い切れないな」
「……そうなった場合、タシガンに駐留している教導団の扱いはどうなるのでしょうか」
 ジェイダスが笑う。
「相手の出方次第になるだろうな。だが、東西がそうなってしまっていれば、それは小さなことに過ぎない」
 傍へ控えていた北都は、
「女王の血を受け、その力を得て、更に代王の血を得ることで女王となる。……それは、アイシャさんが吸血鬼だからこそ出来ることですよね?」
「だろうな」
「……吸血鬼の始祖は、こういったことを予見して、“吸血”という能力を身につけたのでしょうか」
 問いに、ジェイダスがゆらりと北都へ視線を向けた。
「私に聞かれても困る。恐らくラドゥも知りはしないだろう」
 言われて、北都はジェイダスから少しだけ目をそらした。
「だが、どんな吸血鬼でも女王から吸血すれば力を得られるというわけでは無いようだな。アイシャは特別である可能性は高い――何か、気になる事があるのか?」
「……はい。もし、エリュシオンのアスコルド大帝が、そういったことを知りながら、女王の世話役として吸血鬼であるアイシャさんを付けたのだとしたら……」
「大帝に何かしらの狙いがあり、今回の騒動が起こった、と?」
 問いを返され、北都はジェイダスへ視線を返した。
「考え過ぎでしょうか?」
「さて、な。私には分かりようもないことだ。始祖の思惑も、大帝の思惑もな」
 北都は、姿勢を崩さぬまま、薄く呼気を落としてから。
「そもそも、女王とは、力さえあれば成れるものなのでしょうか?」
「成れる。少なくともシャンバラの民は、それを認めるだろう」
「……女王信仰は、『人』にではなく『力』にある、と?」
「違和感を感じるか?」
「はい。少し……」
「我々のように多少なりとも女王と近しい場所に居た者にとって、女王は確かにアムリアナ女王本人だろう」
 ジェイダスが緩慢な動作で足を組み替え、身体を傾ける。
「しかし、多くの民にとって、『女王』とは『女王の力を持つ者』のことだ。それゆえ――その力を持ち、然るべき徴を示した者は、女王に相応しいに違いないと考える。いや、認めざるを得ないという部分もあるだろうな」
「それほど、国家神の力が、重要な意味を持っている……?」
「その通りだ」
 ジェイダスが「とはいえ……」と繋ぐ。
「国家神を得れば、全てが丸く収まるというわけでも無い。東西の緊張は民に根付きつつあり、地球各国の思惑も一筋縄ではいかない。さて、これから、どうなるか……」


「失礼しまっす」
 南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)は、オットー・ハーマン(おっとー・はーまん)と共に入室し、ジェイダスに軽く礼を向けた。
 光一郎は、それをさっさと切り上げて、
「先に出しておいた質問レポートの件なんっすけど」
 ずかずかとジェイダスに近づこうとしてオットーの咳払いに足を止めた。
 そこで、後ろ頭を掻きながら、ジェイダスを改めて見やり、
「回答、もらえっすかね?」
「読んだが――イコンの構造的な事や分析に関しては『分からない』というのが答えだ」
「あー……」
 返す言葉を探している内に、ジェイダスが続ける。
「我が校のイコンに関していえば、学舎に相応しい美しきイコンが準備されている。安心するといい」
「定数は?」
「特に無い」
「ほほう。ところで、校長先生の特別機とかあるんですかー?」
 光一郎の言葉に、ジェイダスは笑って返しただけだった。
 光一郎は、軽く咳払いをしてから。
「もう一つ、質問が――御神楽校長暗殺の件っす」
「言ってみろ」
「暗殺映像はご覧に?」
「目は通している」
「その時の、犯人の声。誰かに似てないすかね?」
「誰かに?」
 ジェイダスは思案するように片目を細め、それから、軽く首を振った。
「見当が付かない。声だけでは特定の人物を連想することはできないな」
「そうっすかー」
 んー、と悩み顔で頭を掻いた光一郎の後ろから、オットーがずいっと前へ出て、
「それがしからも確認が一点ある。ご領主様のことでだ」
「ウゲンの?」
「ご領主様は、始祖と同一世代の吸血鬼でアーダルヴェルト卿の先祖だと思ったが」
「確かにウゲンは、奇妙な子供だが」
 ジェイダスが、薄く片目を細め笑んでから、続けた。
「しかし、吸血鬼ではないだろう。アーダルヴェルトがアレに傾倒している理由は私には分からん」


■セリヌンティウス

 波羅蜜多実業高等学校。
「つまりよぉ、龍騎士本人を暗殺するのは難しいっても、そのパートナーならどうよ、って話なんだよ」
 高崎 悠司(たかさき・ゆうじ)は、瓦礫の端へだるそうに腰かけた格好でセリヌンティウスへ言った。
 セリヌンティウスが、軽く喉を鳴らしてから、
「いかに龍騎士とてパートナーロストによるダメージは逃れられんだろうな」
「ってぇと、結構ヤバいんじゃねぇか? あんたが熱を上げてるアイリス姫さんは」
「アイリス卿? 瀬蓮殿が狙われるということか?」
「うーん、だってさぁ」
 レティシア・トワイニング(れてぃしあ・とわいにんぐ)が目一杯の思案顔をしながら。
「アイリスさんって、すごく偉い人みたいだけど、実際、総督府の仕事も嫌々やってるみたいだし……実は、けっこー立場が微妙だったり?」
「つまり、暗殺を狙われたりするこたねーのか、ってことだ。パートナーがあの平和ボケした女だから、狙い易くてうっかり暗殺しようとする連中も出てきそうな気もする」
「アイリス卿がエリュシオン側に狙われる理由は無いな。……帝国からの指令は全て実行しておるし、総督府としての働きにおいても可もなく不可もなく。逆らう気配も皆無である今、暗殺するメリットは誰にも無かろう。また……今のところ、シャンバラ側にとっても、アイリス卿を暗殺するメリットは無いように思うがな」
「なら、いーんだけどよ」
 悠司は肩をすくめた。
 セリヌンティウスの片目が細まる。
「しかし、このような事を聞いてくるとは……お前、まさか」
「アイリス姫さんに惚れたとかそーゆーのはねぇから安心しろ」
「むしろ、気になるのは瀬蓮さんの方? だって、すごく良い子だもんねー」
 レティシアが無邪気に言った言葉に、悠司は、かくっと肩を落とした。
「それもねーし」
 頭を掻きながら、レティシアの方へ、のろりと視線をやる。
「別に百合にも皇女サマにも興味はねーけど、何も悪いことしてねー奴が死にそうになったら寝覚めが悪いだろ?」
「ふむ。お前が、あれか。地球の文化にある……つんでれ、というヤツか」
「誰だ、おっさんに無駄な言葉を吹き込んだヤツは」
 はぁ、とため息を落としてから、悠司は改めて、セリヌンティウスを見やった。
「しかし、なんでアイリスはパートナー契約なんてしたんだろうな。龍騎士みたいな奴らでも、契約することで強くなったりすんのか?」
「そもそものアイリス卿の強さは無類だ。契約に至った理由は、共にありたいと願ったから、というほか無いだろう」
「……共にありたい、ねぇ」
 

■アイリスと瀬蓮

 アイリス瀬蓮を連れて執務室へ入ってから、すぐにそこへ訪問者があった。
 その中には、蒼空学園の早川 あゆみ(はやかわ・あゆみ)の姿もあったがアイリスの許可により、通されることになった。


「僕は少し、風に当たってくる。瀬蓮のことは君たちに任せていいかな?」
「お任せですよー」
 アイリスの言葉にオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)が手を振る。
「僕も一緒に行っていい?」
 桐生 円(きりゅう・まどか)は立ち上がり、バルコニーに面した大きなガラス扉を開いたアイリスの方へと歩んだ。
「アイリスに聞きたいことがあるんだ」
「ふぅん? ……まあいい。なら、おいで」
 そうして、二人はバルコニーへと出て行った。

 外の匂いを連れた風の端を室内へ招いてから扉が閉じられる。
 それから部屋の中では、しばし軽い談笑が続いて――
「瀬蓮さん、最近は慣れないことばかりでしょうー?」
 オリヴィアの言葉に、瀬蓮が少し首を傾げながら。
「どっちかっていうと、よくわからないことばっかりかなぁ」
「アイリスねーちゃんが、いきなり『こーじょさま』だもんねー」
 七瀬 巡(ななせ・めぐる)がこくこくと自分のことの如く頷く。
「ねー」
 ふやっと笑った瀬蓮を眺め、あゆみが、ほっとした様子で。
「元気そうで良かったわ。ほんとうに」
「元気だよ?」
 瀬蓮が、何故そんなことを言われるのか分からないといった様子で小首を傾げる。
 メメント モリー(めめんと・もりー)がのんびりとした調子で、
「ここのところ、ヴァイシャリーは色々と大変そうだったからね」
「今も、だけれど」
 そう、あゆみが続け、オリヴィアはうなずいた。
「瀬蓮さんには最近の変化や状況は大変だと思うのー。意識してもしなくても、色々と溜まってると思うわー。だから……」
 オリヴィアは、少し悪戯げに笑み、
「たまにはアイリスさんにワガママ言ってみると面白いかもしれないわねー」
「どうかなぁ。アイリス、いそがしそうだし……」
「でも……」
 七瀬 歩(ななせ・あゆむ)がアイリスたちの出て行ったガラス扉の方を見ながら、ぼんやりとこぼす。
「アイリスさんも、ずっと総督府に居たら余計疲れが溜まってしまいそうだし……少しでも暇が取れそうな時に、皆でどこかへ遊びに行けるといいよねー」
「皆で遊びに行くの。いいなぁ」
 瀬蓮が、ふわっと想像を馳せた様子で微笑んでいた。
 と、その横でウンウンと楽しそうに首を揺らしていた巡が、ふと。
「そういえばアイリスねーちゃんと瀬蓮ねーちゃんって、どうやって知り合ったの?」
「え?」
「一番最初の出会い。ね、どこで会ったの?」
 問いを重ねて、巡が少し身を乗り出す。
「うんっとね……アイリスと初めて会ったのは空京だよ」
「地球じゃないんだ?」
「うん。空京に遊びに来て、迷子になっちゃって……心細くて、もうどうしようっていう時に――」
 瀬蓮は、そこで大切に思い起こすように瞼を閉じた。
「とってもきれいな翼が生えた人が空から降りてきて、瀬蓮とお友達になってくれたのっ」
「それがアイリスねーちゃん」
 巡の言葉に、瀬蓮が目を開けて微笑む。
「うん」
「つまり、ナンパされたんだ」
「なんぱ?」
「瀬蓮ねーちゃんが可愛かったから、声かけたんだってこと」
「そ、そうなのかなぁ」
「それから二人はパートナーになって百合園に来たんだね?」
 歩の言葉に瀬蓮が「そうだよ」と返す。
「百合園を選んだのはアイリス?」
「ううん。瀬蓮の入学が決まったから、アイリスも一緒に来てくれることになったんだよ。でも、ヴァイシャリーで暮らすことになって、アイリスも嬉しそうだった」
 と、やりとりを眺め微笑んでいたあゆみが、
「ねえ瀬蓮ちゃん。瀬蓮ちゃんから見たアイリスちゃんって、どんな感じ?」
「え?」
 小首を傾げた瀬蓮をメメントが見やる。
「アイリスちゃんは、皇女様って分かるまで目立たないように過ごしていたみたいだけど……」
「…………」
 瀬蓮は、何かを考えるように間を置いてから。
「アイリスはね……」
 その声は、いつもより少しだけ大人びた調子だった。
「昔から自分が大きな流れに関わることや、それに利用されることを嫌ってるの。それは、自分がそういったことに関わるべきじゃないからだ、って言ってたこともあったけれど……」
「けれど?」
「本当は……いつか、どうしてもそうなってしまう、と思ってるからじゃないかな」
「自身が大きな流れのために利用され、関わらなければいけなくなる……? 帝国の皇女として総督府に据えられた、今みたいに?」
「たぶん……今より、もっと、かな。よく分からないけれど」
「でも、アイリスちゃんは、昔から瀬蓮ちゃんを見守っていたわよね。だから、そういう……諦め、だけではないような気もするのだけれど」
「アイリスは、瀬蓮や百合園の皆を守るべきだって思ってる。それが、ここに居る自分の役目だからって」
 あゆみが、瀬蓮の表情を少し見つめてから問いかける。
「瀬蓮ちゃんからは、どういうふうに見える?」
「……自分の中の大切な何か。アイリスは瀬蓮たちを守ることで、それを守ろうとしている――そんなふうに、見えるよ」


「感謝している」
 アイリスの言葉に、円は、武装した生徒たちが忙しく行き交っている風景から、彼女の方へと視線を返した。
 アイリスは執務室のガラス扉の方を見ていた。
「瀬蓮のこと?」
「ああ。最近は窮屈な思いをさせてしまっている。だから、ああやって気を解してもらえるのは嬉しい」
「気にしないで。マスターや歩ちゃんたちも楽しんでると思うから」
「そう言ってもらえると助かる」
「楽しくお茶するってだけなのに、えらく感謝されちゃった」
 円の言葉にアイリスが、細く笑む。
 それから、アイリスは円の方を見やった。
「聞きたいことというのは?」
「パッフェルとティセラを操った人のこと」
 言って、円は視線をわずかに強めた。
「七龍騎士と選帝神両方やってる人いるでしょ? その人の情報欲しいんだ。どんな情報でもいいよ。名前だけでも教えてくれないかな?」
「――カンテミール公。十二星華計画の責任を逃れ、今尚、その地位に残っている老練な奴だよ」
「そいつがパッフェルを……」
「ああ。しかし、悪いがそれ以上は僕も知らない。――そろそろ、時間だ。君たちは行くといい」
「ボクたちは護衛するよ」
「ありがたい申し出だが、それは不要だ。瀬蓮は僕が守るし、僕自身は守られる必要はないからね」
 アイリスは微笑を残して、先に部屋へと向かっていった。