校長室
リアクション
* * * 東カナンにコントラクターたちの手によって建設された図書館―― ひんやりとした空気が、そこを覆っていた。 熱せられた外気も、煌々と照り映える日差しも、ここまでは届かない。 喧騒すらも、厚い壁が阻んでくれる。 静謐な空間。 領主のバァルが知識の探求に理解を持ち、前々からカナン全土の学者たちとのつながりが深いこともあって、ここには着工と同時にカナン中からさまざまな書物が集められ、寄贈されていた。そのためかなりの蔵書量になっている。 フロア一面に背中合わせで配置されたスチール製の本棚。棚にずらりと並んだ書物の中から、これはと思う1冊を引き抜いてぱらぱらとめくる。 前に垂れてきた髪を、肩向こうに払い込んでいたときだった。 「夜住さん」 名前を呼ばれ、夜住 彩蓮(やずみ・さいれん)は紙面からいったん顔を上げるとそちらを向いた。 明るい戸口に、顔見知りの東カナン兵士が立っている。 「はい? 何でしょう」 ぱたんと本を閉じ、棚に戻した。 「あ、お邪魔してしまいましたか」 「いえ、これではないようですから。 それで、何か?」 「ああ、はい。手が足りないとおっしゃられていたようでしたので」 そう言って、兵士は前を譲るように半身横にずらした。大柄な彼の後ろからは、スウェルと『名もなき独奏曲』が現れる。薄暗い室内に入ったので、スウェルは頭から首にかけて巻いてあったスカーフを解き、サングラスもはずしていた。 「西との国境付近で避難民の救出をされていた方々です。民たちはわれらの方で保護いたしました。それで、同郷の方のようでしたので、彼らをこちらにお連れした次第です」 やはー、と『名もなき独奏曲』がひらひら手を振って見せる。 「お手伝いしていただけるのかしら?」 現れて以来ずっと無表情な少女と違い、友好的な笑顔を見せる『名もなき独奏曲』の方に、自然と彩蓮の目が向く。 「何か探し物をしてるそうで。ちょうどこういう涼しい場所でうちの嬢ちゃん休ませてあげたかったし。助け手が必要でしたら、お手伝いしますよん」 向けられた側がちょっととまどってしまうくらいあけっぴろげな笑顔で、『名もなき独奏曲』は答えた。 「そうですか。実は、手はいくらあっても足りないと思っていたところだったんです。ご助力、ありがとうございます」 彩蓮は2人に頭を下げた。 この図書館には今、新たに加わった2人と彩蓮のほかに彼女のパートナーのデュランダル・ウォルボルフ(でゅらんだる・うぉるぼるふ)、そして天王寺 沙耶(てんのうじ・さや)とそのパートナーアルマ・オルソン(あるま・おるそん)がいた。 彼らはともに、ひとつの目的を持ってこの図書館へ集まった。 イナンナが口にしていた、カナンを1000年周期で襲う災厄についての調査である。1000年周期で襲う災厄――それは、南カナンの心喰いの魔物モートであり、東カナンの黒矢の魔物モレクだった。そして彼ら災厄たちに対抗する手段として伝わるイコン、ギルガメッシュ、エンキドゥ、エレシュキガル。 今回、神官機のエンキドゥに対抗するため、勇者のイコンであるギルガメッシュが戦いに投入された。けれど、イナンナの戦の女神の力が顕現したといわれるエレシュキガルは、イナンナの懸念により、投入は見合わされることとなった。 イナンナいわく『まだ早すぎる……作為的なものを感じるから』と。 (ネルガルの存在がイナンナ様の懸念した通り、カナンを襲う1000年周期の災厄ではないのだとしたら…) カナン全土を巻き込んだこの大規模な戦乱がその災厄に値しないというのはおかしな気がしたが、その確認が、どうしても必要だった。 なぜなら、それが裏付けられたときの推論が、沙耶にはどうしても打ち消すことができないから…。 (もし……もしボクの推論が正しいのだとしたら、これはとんでもない、間違った戦いになっちゃうかもしれない) 「あっ…」 はやる気持ちが手元にミスを生んだ。 本を数冊抱え持ってテーブルに戻ろうとして、引き出す途中で隣の本を指に引っかけてしまったのだ。 「ああ…」 バサバサバサッ。隣が隣にぶつかって、それがさらにぶつかって。なだれのように十数冊の本が床に散らばってしまう。 「あー、いっけないんだー」 軽い音だったのだが、静かなフロアではこういう音も結構響く。しっかり聞きつけた隣の列担当のアルマが、ひょこっと頭を出してきた。 「このへんにあるのは大事な本ばかりなんだから、丁寧に扱わないと」 近くに落ちていた本を拾い上げ、ぱん、と汚れをはたく真似をする。そんなことをしなくても、この図書館はできたばかりだから本に埃などはついていないのだが……まぁ、雰囲気というものだろう。 「そうね。ごめん」 拾い集めた本の一番上に乗せてくるアルマに、沙耶は軽く頭を下げた。 「それで、そっちは何か見つかった?」 「ううん。なぁんにも」 「そっか」 2人して適当にみつくろった本を手に、読書用に設けられた別フロアのテーブルへ戻る。 「数が多すぎるよ。この図書館、一体何百……ううん、何千冊あるの?」 振り返り、まだまだある古書コーナーの棚を見て、はーっとため息をついた。 「学校みたいにパソコンでデータ検索できたら一発なのに」 紙の本をめくって、複写された手書き文字を目で追っていくしかないなんて。ものすごくローカルだ。 カナンにはパソコンがない。なぜなら電気がないから。 たとえノートパソコンを持ち込んでも無駄。なぜなら書物自体がデータベース化されていないから。 「うう……1年分の読書量を、今日一日でオーバーした気がする…」 「ぼやかない、ぼやかない。まだ古語から翻訳されてるだけマシなんだから」 複写本を寄贈してくれたカナンの学者さん、ありがとう。 この上、旧かなづかいのような長ったらしい書き方の古文書を解読させられたりしたら、本気でテーブルを窓の外に投げつけたくなったかもしれない。 2人は向かい合わせに腰掛け、平置きした本に片っ端から目を通す作業に没頭した。 本がなくなればまた棚に戻ってほかの本と交換してくる。ひたすらその繰り返し。「災厄」「1000年」「魔物」……そういったキーワードの出てくる文章を求めて、東カナンの古書を速読していった。 そうしてどのくらいの時間が過ぎ去っただろうか? やがて。 「あったぞ」 別テーブルで同じ作業をしていたデュランダルが、ぼそっと小さくつぶやいた。 「えっ!? なになにっ!?」 聞きつけたアルマと沙耶が、椅子をガタガタいわせながら立ち上がる。 朝からずーーっと探し続けていたものを見つけたわりには淡々とした、無感動な態度でデュランダルは開いた本を脇についた彩蓮に渡した。 「えーと。読みますね?」 集まった4人を見渡してから、彩蓮は該当箇所を声に出して読んだ。 「……この東の地に、モレクという名の魔女あり。その性は怜悧狡猾にして邪悪、蛇蝎のごとき闇の化身――」 「そのへんとばして。重要なとこだけ簡潔にっ」 焦れる沙耶をちらと見て、彩蓮は黙読に移った。 ほどなく本をテーブルに置き、挿絵を指差す。 「つまり、昔モレクという邪悪な魔女が東カナンにはいて、当時東カナンを訪れていたイナンナ様によこしまな考えを持って近づいたようです。イナンナ様を騙して、陥れようとしたんですね。ですがイナンナ様はそれを看破し、退けられました。東カナン領主率いる東カナン軍とイナンナ様が搭乗されたエレシュキガルによってモレク率いる闇の軍勢は蹴散らされ、捕らえられたモレクは石化刑に処されたそうです。 ただ、当時は彼が1000年周期に訪れるカナンの災厄とは分かっていなかったようですね。「彼こそがカナンの災厄である」という一文は、後の世代に付け加えられた文章である、と注意書きが入っています」 「えっ? どうして?」 「……多分、彼が、最初の災厄、だから」 1000年に1度というのは、それが続いてみて初めて分かること。 「西と、南にも、起きて……初めて、これもそうだと、分かったの」 スウェルの言葉に全員が頷いた。 「南には、たしか心喰いの魔物という災厄についての文献があったんだっけ」 とアルマ。 「そう。調べてはいないけれど、おそらく探せば西でも見つかるでしょうね」 「それで、それが起きた年はっ? 今年は1000年目!?」 沙耶は覆いかぶさるように本を覗き込んだ。だが手書き文字である上、逆さまなので見つけずらい。 「ちょっと待ってね」彩蓮はページに指を走らせ、前のページに戻った。「――1000年周期は今年ではありませんね。ほら、ここにあります。この年号。1000の倍数は今年ではなく、まだ先です」 「じゃあイナンナ様の言われたとおり、ネルガルはカナンの1000年に1度の災厄じゃないってことなんだねっ」 イナンナの言葉が正しかったことが分かったのがうれしくて、アルマはテーブルの下で両足をぶんぶん振る。だが対照的に、沙耶はますます表情を曇らせた。 「――なら、どうして今、モレクやモートがいるの?」 「それは、彼らの石化を解いた者がいるからです」 ぱたんと閉じた本を、デュランダルが揃えてくれていた本の一番上に乗せた。もう調べる必要のなくなった本と一緒に、デュランダルが本棚へ戻しに行く。 「どうしたの? 沙耶。顔が真っ青だよ?」 「……ボク、怖いこと考えてる」 「えっ?」 「でも考えることを止められないんだ。 あいつらはかつての「災厄」たちをよみがえらせて、今回もまた1000年に1度の災厄じゃないか、ネルガルがその災厄なんじゃないかってボクたちに勘繰らせて……思い込ませて、何の得があるのか。ううん「何の」じゃない。「だれに」得があるのか」 イナンナの言葉が沙耶の頭で警鐘のように鳴り響く。 『まだ早すぎる……作為的なものを感じる』 だからエレシュキガルを出さないと決めた。エレシュキガルは災厄のためのイコンだから。 イナンナが不審に思わなければ、この戦いにエレシュキガルが投入されていたわけで…。 「エレシュキガルを、ネルガルという災厄に使用させることが目的だった? 本当の災厄が現れたとき、エレシュキガルを使えなくするために?」 「え? 何言ってるの? 沙耶」 アルマがさっさと顔の前で手を振るが、沙耶は自分の考えに没頭するあまり、全く気づけていないようだった。 「でもそれって、少なくともネルガルの得なんかじゃないよね…?」 その答えを知る者は、彼らの中にはいなかった。 * * * 東カナン図書館における彼女たちの調査報告は、北カナンにいるコントラクターたちに無線で伝えられた。 「そうか。やはりイナンナの懸念したとおりか」 無線連絡を受けたうちの1人猫井 又吉(ねこい・またきち)がつぶやく。パチン、と無線を切って、再びズボンにぶら下げていたら。 「おい! あんま、うるさくすんなよ。人が来ちまうかもしれねーだろ」 部屋の反対側にいる国頭 武尊(くにがみ・たける)が、声をひそめて注意をしてきた。 そして再びがさごそと、クロークあさりに戻る。 そっちの方がよほど物音たてすぎだろ、と思ったが、ため息をつくだけにとどめた。ああなった武尊には言っても無駄だ。すっかりパンツ探しで頭がイっちまってる。 今までカナンになんか全く興味を示さなかったくせに、最後の戦いが北カナン神殿であると知ったとたん、いきなり「カナンへ行くぞ、又吉!」なんて燃え上がるから何かと思ったら、やっぱりというか、何というか。 この男の目的は、カナン一の美女と名高いアバドンのパンツだった。 『オレのパンツセンサー(トレジャーセンス)を駆使すれば、アバドンの私室発見なんか屁でもねぇ!』 神殿の入り口で高笑い、あまりに自信満々進むもんだからついて行ってみれば。たどり着いたのはアバドンの私室にあらず、御饌殿にある女神官たちの私室だった。 トレジャーセンスにこんな使い道があったとはびっくりだ。 まぁ、思いつくのも実地で試してみようと考えるのも、この男ぐらいのものだろうが。 『うーん、おかしい。なんでこれだけあるのにアバドンの私室がないんだ?』 全部の部屋でゲットしてきた色とりどりのパンツを波羅蜜多ツナギのあらゆるポケットに突っ込みながら、武尊は頭をひねった。 『ちッ、仕方ない。こうなったら不本意だが、そのへんウロついてる神官でもとっ捕まえて白状させるか!』 そのとき、武尊の視線の先をよぎったのが彼の不運。 『おらあ!』ととっ捕まり『いいかよく聞け、オレはS級様だ、A級のネルガルなんぞより数倍偉くてつえぇんだよ!』とか訳の分からない理屈で脅しをかけられ――単にサングラスをかけてショットガン持った武尊の迫力に気圧されていただけなんだろうが――部屋まで案内させられた神官は、今は通路の端っこできゅうっとノビている。どうせ今この神殿はどこもかしこも戦闘だらけでばったばったと神官が倒れているから、そこに1人ぐらい増えたところで何も変わりはしないだろう。 そうしてたどり着いた拝殿のアバドンの私室で、武尊はああしてアバドンのクロークをあさっているのだった。 「……くそ。なんて広さのクロークだ。しかもここまで近づきながら、オレのパンツセンサーにチラとも反応させないとは。さすが女だてらにネルガルの右腕をするだけのことはあるぜ」 ふう、と額の汗をぬぐいつつ、今度はクロークの隣の長櫃のふたをあける。 「だがオレは絶対諦めないぞ。必ずアバドンのパンツを見つけ、かぶってやるんだ。パンツ番長の名に賭けてッ」 長櫃に頭半分突っ込んで、わははははー、と笑っているパートナーに背を向けて、又吉は、せめて自分だけはもう少し真面目にこの件に取り組むことにした。 せっかくネルガルの副官アバドンの私室にいるのだから、私物にサイコメトリをかけてみるのもいいかもしれない。もしかしたら瓢箪から駒ということもある。案外どこぞの国との密書とか出てきたりして…。 (そしたらこのテクノコンピュータにいろいろ記録しておいて、トンデモ本として国頭書院から出版、マニア相手に売りさばいてやるぜ) どこが真面目なんだか。 まさに取らぬ狸のなんとやら。こっちはこっちでにひゃにひゃ笑いながら、アバドンの執務机や補助机、書類ケースなどにくまなく目を通す。しかしそのどこにも、それらしい物は見つからなかった。 「まぁ、すぐ見つかるような場所にそういった物を置いてあるはずもないか」 とすると、可能性があるのは隠し扉か隠し金庫、はたまた隠し床下収納ってことも…。 これは本格的な家捜しが必要かと、天蓋付きベッドの下を覗きつつ重いため息をついたとき。又吉の後頭部にガツンと音を立てて何か硬い物がぶつかってきた。長櫃をあさっている武尊が、視界をふさぐ邪魔な物をぽいぽい後ろへ投げ捨てていたのだ。 「ってえなあっ! おいっ!!」 そのまま頭にかぶさっていた物をぶつけ返そうとして、その感触にはたと気づいた。かなり使い込まれた年代物のナップサックだ。 「そういやアバドンって神官は、ネルガルに見出されるまでは定置の神殿を持たずにほかの神官たちと各地を放浪してたんだっけ」 中に、四角い本のような物がある。そのかどが当たって痛かったのだ。 「本……日記か」 サイコメトリには恰好の物だ。ニヤリと笑い、引っ張り出す。ナップサックと同じで日に焼けてすっかり色褪せてしまっているそれを両手で挟むように持ち、又吉はスキル・サイコメトリを発動させた。 草原の石に腰を下ろし、一心に日記を記す女性。ぽつぽつとその手元に涙が落ちる。 ――コワイ、コワイ。 ペンを持つ手がぶるぶると震えていた。それ以上書き記すことを断念し、その手を胸元に引き寄せる。 ――ワタシハ、ドウナッテシマッタノ? ドウナッテシマウノ…。 袖口を見る。泥と血のついた袖が重なる。この服ではない。別の服だ。それを彼女は思い出している。 ――アア。ユウベ、ワタシハナニヲシタノ……チノニオイガスル……コノテデ、ナニヲ…。 又吉の中に、自分におびえる女性の姿が展開した。彼女は涙ながらに、たどたどしい指で少しずつ書き綴っていた。最近よく意識を失うこと、失っている間に疲労感がたまっていることや服に付着した汚れなどから、自分が徘徊していること、その時間が長くなっていること…。 パラパラページをめくり、最終ページに涙でにじんだ文字を見つける。 「なんてこった…。おい、これを見ろ。あのアバドンってやつは――」 「ちくしょお!! アバドンめ!!」 又吉の語尾に武尊の怒声が重なった。肩を怒らせ、ぶるぶる震えている。 「これを見てみろ! 又吉!!」 ババン!! 武尊が両手で広げて突きつけたのは、ボンテージだった。しかもかなり際どそうな、小さなやつだ。しかしボンテージがあるということは、やはり―――― だが武尊の感じている怒りは、又吉の考えていたものとはちょっと、かなり、激しく、ズレていた。 「オレのパンツセンサーに反応しないはずだ! まさかこんなのの愛好者だったとは!」 「お、おい――」 「ちくしょう! ちくしょう! パンツが1枚もねーじゃねぇか!! ――こうなったらこうしてやるッ!!」 武尊は突然ボンテージを力いっぱい握り締めた。サイコメトリ発動。このボンテージをまとった、ふてぶてしい、女王タイプの赤い目をした女が浮かぶ。 「よし、見えた! あとはこれをソートグラフィーでこのデジカメに写し撮って、この女のおステキ写真を念写しまくるだけだ! そしてカナン一の美女の写真集として売り――」 ――ガンッ!! 突然後頭部に打撃を受けて、武尊はバッタリ倒れた。ゴロンと重い花瓶を床に転がして、その手からデジカメを奪い取る。 「これだけ強く殴りゃ、記憶は飛んだかな? ――悪いな。これは消させてもらうぜ」 又吉はアバドンの画像データを選択し、1枚ずつ、確実に消去していった。 アバドンのためではない。あの自分におびえて泣いていた、かわいそうな女性のために…。 |
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