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第三章 瘴気の罠 2


 神殿に足を踏み入れたリーズたちを待ち受けていたのは、まるで幽霊にでもとり憑かれたかのように動く、実体なき甲冑の集団であった。
 朽ち果てていようとも荘厳な雰囲気を漂わせる神殿内において、地下へと続く階段を阻む彼らは守護者か何かのようにも思えた。だが、惜しむべくは護るべき存在が闇を生み出す諸悪の根源であるということだ。
 リーズは甲冑へと勇敢にも立ち向かい、愛用の鉄剣を振るう。
「はああぁっ!」
 剣先は甲冑の隙間から内部へと斬り込まれる。が、しかし。
「なに、これ……」
 剣先から感じられたのはまるで手ごたえのない感触。リーズが強張った顔になったとき、その隙をついて甲冑の剣が迫った。だが、次の瞬間に剣が裂いたのはリーズがそれまでいた空間だけである。
「……!」
「失礼。……こういった場所は冷静さを失うのはとても危険ですよ」
 リーズ一行の中でも随一の冷静さを持つ御凪 真人(みなぎ・まこと)は、リーズに温和な微笑みを見せて彼女の腰に回していた手を離した。
「そうそう。姉ちゃんは気を張りすぎなんだよ。もうちっと兄ちゃんを見習わなくっちゃ」
 リーズと同様に狼の耳をぴくっと動かしているトーマ・サイオン(とーま・さいおん)が、それに同意してにかかと笑う。
「その決意は評価するがのう。無謀と勇敢は違うのじゃ」
 彼らを使役するようにして立つ名も無き 白き詩篇(なもなき・しろきしへん)も、彼女をきつく見やりながら、そう言い放った。黙っていれば可愛い幼い容姿だが、それに反して発する言葉は相手をたしなめるような口調である。
「偉大な祖父のように……いや、やるならそれを越えるつもりで挑むのじゃな。そうでもなければ、おぬしはそこまでの存在にしかなれぬぞ」
 彼女がそう言い終えたとき、トーマが慌てて口を開いた。
「おっと、来るよ、兄ちゃん、白」
 トーマの超感覚が捉えた気配から、真人と詩篇は素早く身を引く。敵の剣先がその場を裂くが、真人は決して怯むことがなかった。
 彼の頭は冷静に敵を分析する。つまるところ、単純に考えるならば見えない存在を倒すために固めることが肝要。考えられるのは――
「敵に実体がない、というのはよく分かりましたね。でしたら……」
 真人は持てるべき力の中から最も的確であろう技、氷術で応戦した。彼の手から放たれる氷の冷気は、甲冑の体を包み込んで離さない。徐々に氷付けにされていく甲冑は、最終的にまったく動けない氷の彫刻となった。
「これなら、倒せるでしょう」
「ならば……後は任せておいてください」
 真人に呼応して、月詠 司(つくよみ・つかさ)が武者人形を二体引きつれて飛び出した。その後方では、シオン・エヴァンジェリウス(しおん・えう゛ぁんじぇりうす)が空飛ぶ箒に乗りながら、気乗りしなさそうに戦闘を見守っている。
 司の武者人形は、真人や司が氷術で固める甲冑を粉々に斬り砕いていった。討ち滅ぼされた甲冑は瘴気を失って跡形もなく消え去っていく。
「このヴァル・ゴライオン、未来の英雄のためならば、この身を惜しむことはない!」
 自称未来の帝王たるヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)神拳 ゼミナー(しんけん・ぜみなー)は、見事な連携で甲冑を次々と破壊していく。
 そんな彼らの目の前に現れたのは、一際異彩を放つ甲冑であった。
「おいおい、なんかすげぇの来たぞ……」
 セシルが思わず冷や汗を流し、呆然とする。
 まるで地獄から這い上がってきたかのよう、血塗られた紅に染まった甲冑は、静かにリーズたちを見つめていた。いや、あれは見据えている。
 赤き甲冑から漂う瘴気の力は、遥かに他の甲冑を圧倒していた。鎧と同じく赤色に染まっている剣を掲げて、甲冑は憤然と佇む。
「あれがこの甲冑たちの親玉、というところですか」
 司はそう呟いて、武者人形たちを整然と構えた。
 来ます――真人とトーマが全員に聞こえるよう、声を張った。
「うおっ……!」
 途端、ヴァルの目の前まで飛ぶように地を蹴った赤甲冑が、その剣をもってして未来の帝王をなぎ払う。ヴァルは間一髪のところで飛びすさり、体勢を整えた。
 続いて赤甲冑が狙ったのは、獣人の戦士・リーズだ。襲いくる赤甲冑に対し、リーズは剣を殴るようにして振りかぶる。赤甲冑の剣とリーズの剣がぶつかり合って、甲高い音が鳴り響いた。しかし、僅かに、赤甲冑の力が上回っている。
「ぐ……!」
 リーズは自分を上回る力に押し込まれて、身体を沈み込みながら呻く。
 だが――
「根本は他の仲間と同じだろう」
 そこに背後から放たれたのは、ゼミナ―の手のひらから迸る金色を持った炎。
「氷術だけでは物足りまい。急速冷凍すれば、より脆くなるだろう」
「うおらああぁぁ!」
 ゼミナーの放った火術は甲冑の身体を飲み込み、火炎の餌食とする。熱く燃えたぎったその鉄の身体に続けざまに氷術を放てば、敵の身体はひび割れ、より脆くなっていった。そこへ、ヴァルの鉄拳が猪突猛進。光の力を宿した拳が、赤甲冑の身体を突き破った。
「すごい……」
 リーズは思わず呟いた。
 氷づけの赤甲冑は粉々に砕け散り、その瘴気は成仏する霊のように宙へと拡散した。
「これで、階段への道が開きましたね。急ぎましょう」
 真人が先導するようにして、リーズ一行は神殿の階段を急いで降りて行った。
 最後尾にいた司は、リーズたちを追いながら、どこか自分の身体に纏わりつくよな違和感を感じていた。まるで、それは雲の上にいるような心地よい感覚。
 彼は気付いていなかった。彼の意識に、傷口から蝕むよう侵入してくる瘴気の存在を。それが、彼の意識を恍惚たるものにしていることを。彼はまだ、気付いていなかった。
 
 
 立ちはだかる甲冑たちをなぎ払い、リーズたちはガオルヴのいる神殿の最下層へと迷うことなく突き進む。
 だが、月詠 司だけは、リーズたちとともに駆けながら、恍惚の感覚に陥っていた。まるで、それは深い海の底に沈むような感覚だった。手のひらに浮かんでいる魔神の刻印が、じんと痛みを増して反応する。
 司は、震えるような声で笑い声を洩らした。
 リーズたちは、それに何事かと彼を見る。司は、魔神の刻印を通じて瘴気に蝕まれていた。くく、と笑いながら、ふらふらと彼は最下層へと通じる道を歩んだ。そして、嫌な予感に構えるリーズたちの前で倒れ込むように膝を折る。
「つ、司……?」
 リーズは彼に問いかけた。その返答は、かくも恐ろしいものだったが。
「……!」
 司は愉快で妖艶な笑い声を上げ、リーズたちへと襲い掛かった。傍らの武者人形たちも、同じように味方へと襲い掛かる。
 彼の目はひどく虚ろで、とても意識を持っているとは思えなかった。なにより、魔神の刻印を機軸に彼をとりまく瘴気が、甲冑を操っていたそれのように揺らめいている。
 シオン・エヴァンジェリウスは使い魔のカラス――「フギン」と「ムギン」とともに、そんな司を箒の上から見下ろしながら、呆れたような顔をしていた。あれだけの闇をまとうのは評価したいが、まるでケモノだ。あれでは美しくも優雅でもないだろう。
 シオンはそう思っていても、暴走する司の力は元来のそれを凌駕していた。恐ろしい速さで味方の懐に入り込み、弾丸のような拳を突き出してくる。
「あら、いわゆる中ボス補正ってヤツね」
 シオンは人事のように眼下を見下ろしながら、楽しそうな声をあげた。
 さて、このまま見ているのも楽しいが、放っておくのもいささか厄介だ。シオンは仕方ないといったため息をついて、使い魔のカラスたちを司へと差し向けた。
 剛球の勢いで飛んだカラスたちは、司の脳天を直撃する! すると、氷がかち割れるような音とともに、司はたんこぶをぷくりと生やして倒れ込んだ。
 リーズたちは、実は恐ろしいのはこっちのほうなのでは、という目をシオンに向ける。気絶した司を見下ろして、シオンはぼそりと楽しそうに呟くのだった。
「まだまだ、ね」