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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(後編)

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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(後編)

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第6章 追想の茜色

「ナディアさんはどうしてアウグストさんの弟子になったんですか?」
 どこか、先ほどよりも考え深げに。
 とぼとぼと、しかし歩みは緩めずに絵を目指すナディアに、アンナ・アシュボード(あんな・あしゅぼーど)は穏やかに声をかけた。
「え? それは、私を拾ってくれた師匠が絵描きだからです」
「お父さんが絵描きだって、別に子供が絵描きにならななければいけない理由はないと思うんですけど」
 あえて大げさに。
 考え込むような仕草で、アンナはちらりとナディアに視線を投げた。
 グッと息を呑んだナディアは、しかし次の瞬間、ため息と共に肩を落とした。
「その……羨ましかったんです。師匠が。例えそれがどんな感情からくるものであれ、自分の心に浮かんだものを次々に形にしていく師匠が。だから……私もそんなことをしてみたい――師匠みたいになりたいって……そう思っちゃったんですよね」」
 言って、ナディアは力無く微笑んだ。
「だったら……結局のところやっぱりナディアさんが『絵を描きたい』と思ったのだとしたら」
 アンナはピンっと人差し指を立てる。
「私は思うのですけれど、アウグストさんはナディアさんの中に秘めるものを見出していたのではないでしょうか? だから、もしかすると最後の瞬間までアウグストさんは世界を否定するような絵を描き続けることが出来たのかも知れません」
「……」
「ララ思うんだけど!」
 あんなのすぐ横に立ったララ・シュピリ(らら・しゅぴり)はピッと人差し指を立てて、アンナの仕草を真似る。
「あのねぇ、絵を描き換える事はアウグストさんからの宿題じゃないかな〜って! ナディアおねぇちゃんに自信が付きます様に〜ってぇ!」
「師匠の……宿題、ですか?」
「うんうん!」
 コクコク、とララは嬉しそうに頷いてみせる。
 それから眉をひそめて難しげな表情をつくる。
「描き換えないと大変な事になっちゃうのはちょっと意地悪な宿題だよねぇ〜」
「意地悪……ですね」
「でもね、出来ると思うから宿題にしたんじゃないかなぁ〜!」

「だ〜いたい! ナディアお姉ちゃんは何で自分が才能が無いって分かるの?」
「え? だ、だって私、師匠にはもちろん、今まで誰にも褒めてもらったことがありませんし……」
 クラーク 波音(くらーく・はのん)の言葉に、ナディアはあたふたと狼狽えた様子の言葉を返す。
 波音は肩をすくめてからやれやれと首を振ってみせた。
「腕がいい人は才能があるって言うし、悪い人は才能無いって言うけど……後で腕が上がればそれ、大器晩成とか言って才能ある事になっちゃうんよね? それにさ、絵ってずっと後になってすっごい評価されることもあるんでしょ?」
「そういうケースもありますね。師匠みたいに……死んだ後で一騒ぎっていうのは希だと思いますが……」
 おかしな連想のさせ方でズーンとうなだれそうになるナディア。
 波音はナディアの頭の辺りの空気を払うようにパタパタと手を振り回す。
「だ、だからさ! 才能って後付けの言葉かな〜って! 才能なんて関係なく、本当に好きで努力し続けられるだけで、すごいって思うんだっ!」
「……」
「やっぱり、絵、描くの……怖い?」
「……怖い……そうですね。私、怖いのかも知れません」
「そっか。あたしも、怖いんだ」
「?」
 ナディアが怪訝そうな表情を浮かべる。
「あたしは魔法使い。だから、魔法使うけど……いつだって失敗するの怖いんだ。でも、やらなきゃそれ以前に魔法使いとして失敗だもんね〜てへへっ」
 波音は誇らしさと照れくささが混ざったような調子で言って頭をかいた。
「それに失敗が怖いのは、成功したいから、今より上にいきたいって想いの裏返しって思うんだ。ねえナディアお姉ちゃん。失敗したっていいよ。『絵が好き』って想い、カンバスちゃんに――アウグストさんの想いに……ぶつけてみない?」

「ああ、甘い甘い。とんでもなく甘いわね。ミスドのドーナツより甘いわ!!」
 盛大な砂埃を立てて――いっそ背後で火薬でも爆発した方が自然なのではないかというテンションで現れたのは一ノ瀬 月実(いちのせ・つぐみ)
 ナディアは背中からひっくり返る。
「お気に入りは、ポンデ豆腐ね。これにカロリーメイトを砕いてまぶすのが好きなのよ。あぁ、美味しい」
 言って、実際に月実はもぐもぐと食べ始めた。
「私によこせー! ……じゃなくて、ドーナツ喰うなー!」

 スパーン、と。

 リズリット・モルゲンシュタイン(りずりっと・もるげんしゅたいん)が月実の後頭部をはたいた。
「痛いじゃない」
「月実に人間らしい感覚が残ってて嬉しい限りだね。っていうか一体何しに来たの?」
「甘いって言いに」
 モグモグとドーナツを咀嚼しながら言って、月実はぺろりと口の周りをなめた。
「見てればわかるよ。ああ羨ましい」
「そうじゃなくてナディアさんに『甘い』って言いに来たの。リズリットと話してるとすぐに脱線していけないわね」
「ぐぬぬぬぬぬ!」
「さて、ナディアさん」
 怒りで顔を真っ赤にしているリズリットはあっさり無視して、月実はナディアに向き直る。
「あなたは、バカだわ」
 月実の言葉に、ナディアは尻餅をついたままでギョッと目を見張った。
「絵とは、技術技巧じゃない――想いよ! 心の底からせり上がる想いを叩き付けるのが絵という物なのよ! 細かいことはどうでも良いの。あなたの、その想いをただカンバスにぶつけなさい! 絵はそれに必ず応えてくれるわ! これのようにね!」
 月実が取り出したのは一枚の絵。
 白いカンバスの真ん中に、何やら黒い物体が鎮座している。
「あ、これ? 私が描いたお肉の絵よ」
「まだ持ってたのその焦げた肉の絵ー! 捨てなさい。食欲失せるから捨てなさいー!」
 リズリットはバッバッと月実の手の辺りを払った。
「まぁともかく。既存の絵に手を加えるなんてしなくて良いわ! ただ、あなたがあなたの絵を描けばそれでいいの! あなたがアウグストさんの弟子である証拠に、あなたにだってカンバスウォーカーを生み出す才能があるんだから!」
「そうなの!」
 月実の言葉にリズリットが驚きの声を上げる。
「当然だわ」
「じゃ、じゃあ! どうせなら巨大ロボ描いてー! 俺様、ロボのりたーい!」

「え、いやその、聞いた限りでは『カンバス・ウォーカー』というのは生み出すものではないのでは……は、話が飛躍……」

 ガンガンにテンションを上げていく月実とリズリットにあっさり無視されるナディアの反論。しかしその反論は、
「まぁたしかにその嬢ちゃんの話はかっ飛んでるとして……」
 夢野 久(ゆめの・ひさし)と、
「『激甘』だってのには賛成だねえ!」
 佐野 豊実(さの・とよみ)が拾い上げた。
「才能がない?……何かねソレ。絵が描けない?笑わせないでくれたまえ。腕があって目が開いていて絵が描けない訳がないだろう」
 豊実は腕を組み、未だ座り込んだままのナディアを見下ろした。
「腕があって目が開いていて絵が描けない訳がないだろう。未だ歩けぬような幼子とて絵を描くのだ。『描く』事に条件などありはしない。才能だの出来栄えだの評価だの何てものは全て『描いた後に付随する』物であって、『絵を描く事そのもの』にどうこう影響する要素ではない」
 豊実の声に怒りはあったが、温度はなかった。代わりに呆れたような音色がのぞく。
 それは、どこか、自分の立っている舞台を汚されたことに憤っているかのように見えた。
「と、豊実さん……」
「間違ったこと言ってるかい?」
「いや、そうじゃねぇけど……」
「だったら黙って聞いていればいい。いいかい、ナディアといったかい、君。君に何があったのか私は知らない、事情も知らない。けれど君は絵が好きなのだろう? だったら最低でも『描きたいか描きたくないか』を理由にしたまえ。それが矜持というものだ。師匠も腕前も過去も関係ない。君が相対するべきものはただ、一枚の絵だ。君に差し出されているのは画材と絵筆と機会だ……さて君、どうしたいんだ?」
 豊実の言葉に、ナディアは唇を噛んで頷く。
「ま、まあそんなに落ち込むなよ。豊実さん、浮世絵師の英霊なんで色々思う所がだな――」
「余計なことは言わない」
「はいはい」
 豊実からの言葉にポリポリと後ろ頭をかく久。
「あー、だからな、俺は、詳しい事情とかアンタの悩みとかは知らねえ。まして、絵の事なんてサッパリだ。…だがよ、死人はもう絵を描かないって事だけは分かるぜ。お師匠さんってのがどんだけ偉大でも、絵が上手くても、今はもう何も出来ねえし……してくれねえんだ。いいか、才能に自信がなかろうが他に事情があろうが、酔いどれアウグストの名誉の為に『今、何かできる』のは、師匠じゃなくてお前なんだ。まあカンバス・ウォーカーってのは人気者らしくてな、どうにかしようって奴は集まってる。他の奴に任せるって手もあるが…、お前、それで良いのか? 弟子として、よ?」
「……」

「想いの大きさに足がすくむのはよく判る。別段おまえに限ったことではないし……恥じる必要もない」
 レン・オズワルド(れん・おずわるど)は膝を折って、ナディアと視線を合わせた。
「頼るべき背中は大きければ大きいほど……いざ乗り越えようとすると苦労を強いられるものだ。才能が才能を殺す、というやつか。厄介な話だな」
「……私にとっての師匠は、そう、なっているのでしょうか。頼ったつもりはないし、世の中ではただの厄介者でしたが」
「……それは、お前が一番良く知っているだろう」
 ナディアの言葉に、レンは苦笑いを返した。
「最初から上手に描けた奴なんていない。失敗が怖くない奴もいない――さっきもどこかのお嬢さんが同じことを言っていたと思うがな。だから、皆、自分自身の才能に向き合い、技術を磨き、努力する。それにだな――」
 レンは一端言葉を切る。
「さっきから多くの奴が、これがおまえにしか出来ないことだと訴えている。実感はないかも知れないが――『自分しかできないこと』を求められる機会など、そう多くはないぞ? そして、それに応えるのは、この上なく爽快だ」
 レンのサングラスの下、隠れた瞳はいたずらっぽい光を称えたように見えた。
「はい、ナディアさん!」
 そのレンの脇から、ひょこっと顔を出したノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)が、画用紙を差し出した。
「な、なにかな?」
「ウサギさんです!」
 ノアは元気よく応えて、ニコニコと微笑み、
「真っ赤な真っ赤なお目目のウサギさん♪ 真っ白真っ白ウサギさん♪ 今日もお空は青いよ〜♪」
 オリジナルの絵描き歌らしきものを歌い始めた。
「私、ウサギさんが大好きです! そう思って描きました! さいこーけっさくです! きっとこの絵からも、いつかカンパスウォーカーさんが出てきてくれますよ! とっても楽しみです!!」
 そう言われて、ナディアはノアの絵に目を落とした。
 白い画用紙の上を、クレヨンのカラフルな線がのたうち回っている。
 中心の丸い形をしたものの頭から長いものが生えているところが、言われてみればウサギに見えるかもしれなかった。

「ありがとう」

 しばらく。
 ノアの絵を眺めていたナディアは、そう言ってノアに微笑みかけると、すっくと立ち上がった。
 それから、その場にいる全員をグルリと見回した。

「絵、描かせてください」

 ナディアの様子に、その場に安堵とも感嘆ともつかない空気が広がっていく。
「ちょ、ちょっと待った!」
 その空気を慌てて押し流そうとでもするように、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が声を張り上げた。
「おまえ、絵を描きかえるつもりか」
「ちょっと待って!。ちょっとだけ! 彼女に時間をちょうだい!」
 クマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)は、まるで『黒服の少女』を守るように、絵の前に立って両腕を広げた。
「ああ、そのつまり……『彼女』というのは官庁街予定地にいるカンバス・ウォーカーのことで……もちろんいつまでも待てっていうわけではありません。自分たち【サイレント・シーカー】の仲間が今、カンバス・ウォーカーの元へ向かっています。もしかしたら、描き換えることなく騒ぎはおさまるかも知れません……チャンスを、くれませんか」
 情報共有のため、携帯電話を耳に当てたままのザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)が慌てた様子で補足を入れた。
「これさ、カンバスが生まれるほどに強い想いで描かれた作品なんだもん、勝手に他人が加筆するのはダメだと思うよ。その時の作者が感じていた事を闇に葬ることになっちゃうじゃん!」
「いや、わかってる。ここにいる奴らがある程度好意的にカンバスを……サラって呼んでも大丈夫だよな……サラのことをどうにかしたいって思ってるのも、彼女の行動が褒められてものじゃないってのも……」
 エースは、今自分がイレギュラーなことを肌で感じていた。
 言葉が周りに、ナディアになんとか染みこんでくれるようにと、丁寧に並べ置くように語る。
「カンバスはさ、負の感情を、他人と関わることによって昇華させるつもりだと思うんだ。テロユニットにする意図であの男達に、それからもっと他の誰かに、利用された形になってるけど……だからこそそれを自覚して」
「三人いたカンバスが一人になったという事は絵に籠められた想いが良い方向に向かっている証ではないでしょうか? 直接絵に手を加えたのでは作品その物の否定になってしまいます。なんとか、待てませんか」
 ザカコも、首をめぐらせながら訴えるように言葉を紡ぐ。
「それに……絵に手を加えたらカンバスを止めることは出来るのかも知れませんが……同じく可能性を語るなら、枷が外れて暴走することだってあるかもしれません」
「カンバスが……サラちゃんが……それで死んじゃうかも知れない」
 クマラはその表情に珍しく暗いものを落として俯いた。
「俺たち、まだるっこしくて、ちっとも確かじゃない話をしてるのかも知れない……でも、手を加えたら真の意味で元に戻る事は二度とないだろ? 芸術作品としてはその瞬間に『死ぬ』だろ? 空京が破壊されるのはもちろんそんなこと、俺だって冗談じゃなく嫌だ。でもさ、カンバスが消えるのも嫌なんだ。頼む」
 ほとんど懇願するように頭を下げたエースに、クマラとザカコも続いた。
「心配してくれるんですね。空京も、カンバス・ウォーカーという子のことも……師匠の作品のことも」
 ナディアは、エース達の様子を見てフッと柔らかく微笑んで見せ、
「それは、師匠の絵です」
 それから、スッと『黒服の少女』を指差した。
「間違いなく。絶対に。正真正銘。それこそ、もう、死ぬまで……ああ、もう死んじゃってるんでした」
 ナディアは困ったように宙を仰いだ。
「そうですね、死んだ後も。だから――私は自分の絵を描きます」