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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 22

 そろそろ閉幕の時間が近づいてきている。
 あと小一時間ほどでこの祭も……そして夏も、終わる。

 御神楽環菜のクレープ屋も店じまいである。備蓄の食材が全て尽きたのだ。最後のお客は九条風天とアルメリア・アーミテージ、
「おまけして増量よ。はいどうぞ」
 二人には、環菜みずからがクレープを手渡したのである。
 拍手をもって店は看板を下ろす。
「ありがとう。お疲れ様」
 例の衣装のまま環菜は微笑みを浮かべた。高慢なイメージのついてまわる環菜であるが、ときとして素直な表情を見せることがある。
「おつかれー。お互い頑張ったね」
「一緒に働けて楽しかったよ。さて残る時間はどうする?」
 小鳥遊美羽も如月佑也も、皆それぞれにねぎらいの言葉をかわしながら仲間達と屋台を後にした。
 そんな中、おずおずと環菜に声をかける少年があった。
「あの、会長、よかったらこのあと僕と……」
 影野陽太である。星を眺めに行きませんか、そう誘うつもりだった。しかし環菜は首を振る。
「ごめんね陽太、約束があるの」
 環菜はすげなく手を振って、星降る丘へ足を向けた。一礼して、その背をルミーナが追っていく。
「そうですか……」
 陽太は視線を落とし、自分の靴先を眺めていた。
 いつもの陽太であれば、ここであっさり引き下がっただろう。今日はたくさんの思い出を作れたからそれでよし、としただろう。しかし今日の彼は違った。
「会長……環菜会長!」
 顔を上げ、去りゆく彼女の背に呼びかけている。
「だったら、その『約束』のあとでいいので会ってくれませんか! 何時になってもいいです、ここにいます。俺、ここでずっと貴女を待っていますから!」
 環菜は何も答えなかった。振り向くことすらしなかった。ただ、右手を上げてひらひらと振っただけだ。それが「さよなら」の意味なのか「うるさい」の意味なのか、それとも「わかった」なのかは、読み取ることができなかった。

 星降る丘は静かな丘、神崎 優(かんざき・ゆう)水無月 零(みなずき・れい)は並んで腰を下ろした。校舎一つ隔てただけというのに、祭の喧噪は遠くにうっすらと聞こえるばかりだ。天鵞絨をしきつめたような空に、針の穴のような星光が降り注いでいる。
 しばし、優と零に言葉はなかった。だが二人、肩がふれあうほどに近づき、空を見上げていた。
 優が首を巡らせ、何か探している様子なのに零は気づいた。
「何か探しているの?」
「大したことじゃない。星を見て方角を確認していたんだ」
「方角、って?」
 目当てのものは見つかったらしい、優は穏やかな笑みと共に空の一角を指さして、
「ほら、星がひしゃくのように並んでいるだろう? あれが北斗七星。ひしゃくの先の星二つをを結んで、ひしゃくの先端に向かって、ひしゃくの先から大体五倍程度伸ばす。そこにあるあの星が北極星……つまりあの方角が北ということになる」
「星で方角を調べる事ができるんだ。凄い!」
「俺が考えた方法じゃない。昔の人の知恵さ」
 満天の星空は二人を包み込むように輝いている。
 ところで優の連れ、神代 聖夜(かみしろ・せいや)は気を利かせ、彼ら二人から離れて座っていた。
「零は俺たちも星空鑑賞に誘ってくれたが、お邪魔虫はしたくないからな」
「ええ、それにしても、あの二人が並ぶと絵になります」
 陰陽の書 刹那(いんようのしょ・せつな)もそれは同じだ。ときおり優たちのシルエットを眺めうっとりとしている。
「待てよ……優の様子、どうも俺たちに気づいているようだな。気にかけているのか」
「あの方は真面目ですからね……とても」
 聖夜も刹那も、困ったような顔をする。優は彼らの統率者だ。それは事実なのだが、統率者としての責任感が強すぎる。
「優はすごいな……しかし、今このときくらい、俺たちの存在は忘れてほしいのだが」
 聖夜は頬をかいた。恐らく優は、たとえその身が死の危機に瀕していても、それどころか息絶える寸前であろうとも、自分より仲間のことを気遣うだろう。
「少し心配ではありますね。あの方は、自分のことはいつも後回しで……」
「だから心からくつろぐことはできないのかもしれない。なら」
 聖夜は刹那の手を取った。
「お邪魔虫同士、姿をくらますとしようか」
「いいですね。『気を利かせて』追ってこなければ嬉しいのですが」
 秘密の会話をしているようで、聖夜も刹那もくすぐったいような気持ちになった。
「聖夜と刹那はどこに行くんだ……?」
 ふと優は腰を浮かせかけた。彼らが優に無断で動くのは珍しい。何か非常事態だろうか。ところが傍らに視線を落とし、零がどことなく残念そうな顔をしていることにも優は気づいた。
「どうかしたのか、零?」
「たまには自分自身のことも考えてほしいな、優には。それと、できれば私のことも……」
 うつむいたまま零はぽつりと告げた。
 ようやく優も、事情がわかったらしい。
「なんだ、そんな事か」
 と呟いた瞬間にはもう、両の腕で零の躰を抱きしめている。
「すまない、礼がまだだったな。俺は零に誘ってもらえて、凄く嬉しかった」
 それでも、零の身はまだ固いままだ。
「もう一言くらいあると、すごく嬉しいんだけど」
 優は零の耳に唇を寄せた。
「なあ零、今度冬の星空を見に来ないか? 空が澄んでいて、今よりもっと多くの星が見れて綺麗なんだ。……今度は二人で」
「ふふっ、その言葉を聞きたかったの」
 零は腕を、彼の背に回した。
「きっと行こうね、約束だよ」
 優はまるで月みたいな人――零は思う――暗い夜を優しく照らす、そんな月のような人。