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一夏のアバンチュールをしませんか?

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第9章 浴 場

「あー、いいお湯でした」
 カラカラカラ。浴場の外扉を開けて、廊下に踏み出したとき。
「ちょーっと待ったぁ!!」
 そんな大声が横からして、クリオネは足を止める。
 ツインテールが揺れる中、全裸スーツがバンバババン、黒いマフラーがバンバババン、ついでに股間に巨鼻の天狗面がババババン。
「どこのだれかは知らないけれど、体はだれもが知っている! ちっぱいとたっゆんの味方・まぼろし天狗、ただいま参上!」
 とか叫ぶ、どこをどう見ても、ただの痴女が立っていた。

『明日の仮面舞踏会は股間に天狗面のみで参加し、覗き魔を撃退しろ。        『おっぱい党』党首より』
 彼女の元にそんな指令が届いたのは、つい昨日のことだった。
 愛するパートナーと揃いのドレス、仮面を用意して、舞踏会で踊る気満々だったのに。
 ガックリと地に手をつけ、うなだれる。
 ドレスがパァ、ダンスもパァ。これが嘆かずにいられようか?
 けれども懸命に、パートナーの前では涙を隠し、会場内で会えるのを楽しみにしてるふうを装った。
(彼にだけは、例え死んでもこんな姿見られたくない…!)
 一緒の部屋を出るときには、ドレスを着て。
「ちょっと用事があるので先に行っててください」
 トイレで泣く泣くこの衣装に着替えた。
 ピッチリ肌に張りついた、つなぎ目なしの肌色全裸スーツ。
(ほ、本当の全裸じゃないから、恥ずかしくないもん!)
 でも、その1度だけで、二度と鏡は見られなかった。
 そして、浴場に行き、こっそりと見張りつつ、覗き魔が本当には現れないことを祈っていたのだが。
「やっぱりあなた、本当の女じゃないわねッ!」
「……なっ?」
 カッとクリオネの顔が熱くなる。
「どっから見ても女だけど……っていうか、普通の女の子より数倍かわいいし、足もきれいだし、指なんか白魚だし、肌もうらやましいくらいつるつるで………………は!
 だ、だけど、違うんだからっ! 見たんだからっ!」
 まぼろし天狗がそう言った瞬間、クリオネから恥じらいと弱々しさが消えた。
「……見た?」
 闇以上にどす黒い影が吹き出したような声が、クリオネの唇から発せられる。
「あなた、何を見たんですって?」
「………………えーと…」
(あら? なんかやばい雰囲気じゃないかしら? これ…)
 気圧され、思わず一歩二歩と後退してしまうまぼろし天狗。
「あなたは今、自分の死刑執行書にサインしました。己の愚かさを悔いながら死んでいきなさい」
「ち、ちょっとちょっと、正義の味方は私の方なのよ? なんであなたが決めゼリフ言ってんのよ…」
 うろたえつつ、必死に主導権を取り戻そうとするまぼろし天狗。
「神は、一片の慈悲もあなたには示すまい」
「う……うるさーい! とにかく悪いのはあなた! てーいっ! おっぱんちーっっっ!」
 起死回生を狙って捨て身の大技を繰り出すまぼろし天狗。
 パッと空を舞った瞬間、何かが後ろからぶつかってきて、それもろともゴロンゴロン、クリオネの横を抜けて廊下を転がってしまった。
「い、いたたたたたた………」
 オペラ座の怪人の仮装をした、神無月が頭を押さえながら身を起こす。
「痛いのはこっちだってっ。早くどいてよ、早くっ」
 下でつぶされているまぼろし天狗が、バンバン廊下を叩いて訴えた。
「おまえ、何あんなカワイイ子襲ってんだよ! 俺が様子見に来てやったからいいものの」
「襲えって指令出したのあなたじゃない! なのにどーしてあなたが私の邪魔してんのよっ」
「俺は覗き魔撃退しろって書いただろっ」
「だーかーらーっ」
「って……えっ? まさかあんなカワイイ子がっ?」
 パッと振り返った先に神無月が見たものは。
 全力で振り切られた洗面器の底だった。
「や……ちょっと……ねっ? 話そう! 話すと分かると思うの! 首謀者はこいつだったんだしっ」
 一生懸命、訴えたのだが、キレたクリオネに聞いている様子は全くなかった。
「あなたに神の許しが与えられますことを。私は決してあなたを許しはしないのだから。――アーメン」