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一夏のアバンチュールをしませんか?

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一夏のアバンチュールをしませんか?
一夏のアバンチュールをしませんか? 一夏のアバンチュールをしませんか?

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第4章 ホール

 カーディナルのリードは完璧だった。手を取り合う都度都度に、次はどうすればいいのか耳打ちしてくれるので、リーンは迷うことなく次のステップが踏めた。
 それには、目が見えなかったこともかなり起因していたとは思う。手を挙げても、回転しても、それがどんなふうに人と違うのか、リーンには判断する材料がなかったからだ。だがどこからもクスクス笑いが起きなかったこと、人とぶつかって転んだりしなかったことは、カーディナルのおかげだと思った。
「ああ……ああ、ありがとうございます」
「楽しめたんだね? よかった」
「はい。すごく楽しかった」
 紅潮した頬で息を切らせて笑うリーンの耳に、そのとき、ついに捜していたパートナーの声が聞こえてきた。
「リーン!」
「ここです、ノレド!」
 ルドルフの仮装をした男が、ダンスのパートナーだった少女の手に引かれてフロアを渡ってくる。
「やっぱり彼だったか」
 途中でそのことに気づいていたカーディナルは、苦笑しつつ呟いた。
(なにしろ、いかにもな踊りをしていたからなぁ…)
 ノレドの手を無事、リーンに渡した少女が、ひょこひょことカーディナルの横まで退いてきた。
「きみも事情を知っていた?」
「はい。あの方、私の角を髪飾りと間違えられて。人を捜しているようでしたから、踊っていれば見つかるかもしれないと思ったんです」
「なるほど」
 少女は黒いドレスとコウモリを模した仮面を付けていたので、てっきり角と羽も小悪魔風仮装だと思っていたのだが、こちらは飾りではなかったらしい。
(アリスか。じゃあ外見年齢と中身は違う可能性が高いわけだが…)
 さすがに外見年齢十代前半は、守備範囲外だ。
 カーディナルは3人に別れを告げて、再びパートナー捜しに戻っていった。


(やっぱり、あの人もボクじゃ駄目なんだ…)
 ショコラは別れを告げて、向かい側の壁にいる美しい女性達に向かって遠ざかっていくカーディナルの後ろ姿を見送りながら、柱に背中をつけた。
 せっかくドレス着たのに。今日だけは、女の子に戻ってみようって思ったのに。
 だれも誘ってくれない。
(……いや、誘われたけど、あれは完全に人間違いだったし)
 人助けができたのはうれしかった。離れ離れになっていたカップルのお手伝いができて、良かったって思う。
 だけどそうして手に手を取った2人を見送ったあとの寂しさは、その前の1人でホールにいたころよりずっと、ずっと、寂しい…。
 ふーっと息をつく。
 多分、自分から申し込みに行けばいいのだ。そうしたら、受けてくれる人は見つかるだろう。
 問題は、そうする気になれないことだった。
 したくないという気持ちがどこかにあって、ここから一歩も踏み出せないでいる。
 なぜなら……なぜなら、一緒に踊ってほしい相手は1人だけだからだ。
 ほら、真実が見えた。
(でもそんなの無理だよね。だってボク、何て名前使ってるか、どんな仮装してるかも知らないし。向こうだってボクがドレス着てるなんて、きっと知らないもの)
「もう、部屋に戻ろうかなぁ…」
 この上ワルツを見るなんて、自虐的すぎる気がする。
 そう考えて、柱から身を離したときだった。そう遠くない距離から、自分を見ている男性の存在に気づいたのは。
 狼を思わせる獣の模様が入った青銀のドミノマスク。衣装は、ブーツの先から喉上のボタン、マントまで全てが黒い。
 狩人だと、直感で感じた。それもただの狩人じゃない。夜の狩人だ。昔何かで読んだ、月の女神の従者として夜を渡り、人に害を為す魔物を狩り出す、夜の翼。
 どこか人を寄せつけない、冴え冴えとした印象を受けるのに、彼に見つめられていると思うと、なぜか同じくらい胸がドキドキした。
 コツコツと靴音を響かせて、彼がショコラに歩み寄る。
「やぁ。僕はウェアウルフ。きみは?」
「ボ……私、ショコラっていいます」
(あ。この人、目があの人と同じ、銀色なんだ…)
 そう思ったらますますドキドキが強まって、なんだか落ち着けなかったので、下を向いて見ないようにした。
「さっきから見ていたけど、きみはパートナーを捜しに行かないの? もうじきワルツが始まってしまうよ?」
「私、もう帰ろうと思って」
「帰る? まだ舞踏会は始まったばかりなのに?」
 優しい物言いも、どことなく似ている気もする。
(でもそんなこと訊けないよ。訊いたら、ボクの正体までバレちゃうじゃない)
「踊りたくないの?」
「そんなことないけど…」
「じゃあ決まりだね」
 俯いたままのショコラに、すっと手が差し伸べられる。
「ショコラさん、僕と踊っていただけますか?」
「……はい」
 頭で考えるより先に、心が動いていた。
 彼かもしれない。全く違うかもしれない。でも、この人と踊りたいと。
 ひそかに彼から声がかかるのを待っていた、女性たちのため息がちらほらと聞こえる中。ショコラはうきうきと弾む心でフロアに立った。


 ジェイダスが階上に消え、遅れてあとを追おうとしたルドルフだったが。
「つーかまえたっ」
 そんな言葉とともに、柱の影に連れ込まれてしまった。
「ふざけたことをするな。手を離せ、ウェマー」
「あ? バレてる?」
「おまえ以外にこんな真似するやつがいるか」
 前に回った手を押し離そうとするが、がっちり抱き込まれてしまっていて、びくともしない。
「これは一体何の真似だ?」
「何って、のりづけ。知らない? 恋人同士がやるやつ。
 ルドルフさんのことだから、まさかだれかに手を出されたり目を奪われたりなんてこと、ないとは思うけどね。一応、俺以外のやつに気を散らされちゃ嫌だから」
 肩に顎を乗せ、耳元で囁く。
「何をばかなことを。いいから手を放すんだ。おまえは僕の任務を邪魔している」
「うーん。そう言われると弱いなー」
 すりすり。ルドルフの喉に鼻をすり寄せる。そのまま、すうっと息を吸い込んで、ルドルフの香りを堪能した。
「くっ…。大体おまえ、パートナーと来ているだろうが。ほうっておいていいのか?」
「うちの奥さん? それがさ、あっちで今踊ってるの。ひどいでしょー? 俺をさしおいてさ」
 だから慰めて。
「……そうか、それはかわいそうだなっ。
 さっさと放せ。さもないと」
「さもないと?」
「この腕、切り落とさせてもらう」
 本気とも脅しともつかない声で言う、ルドルフの手が腰に佩いた剣柄にかかる。
 そのとき、ウェマーが突然喉に強く口づけた。
「! きさまっ…!」
 喉に手をあて、パッと距離を取るルドルフ。もちろんウェマーが手の力を緩めてあげたから、逃げられたのだ。
「僕の物って印をつけさせてもらっただけだよ。大丈夫、ちゃんと襟で隠れているから。普通にしてたら見えない。だから、くれぐれもそれが見えるような状況には陥らないようにしてね」
 こみ上げる怒りのあまりの大きさに声が出せないでいるルドルフを置いて、ウェマーはさっさとその場をあとにした。


 ダンスのあと、テーブル席で取ってきた料理をつつきながら、イアスは先のダンスでパートナーを務めた男性・メトセラと話していた。というか、軽く議論していた。本当ならお互いダンスしてバイバイだったはずなのだが、ダンスの途中から話し始めた内容が面白くて、つい、席を移してもう少し話そう、ということになったのだ。
「――だから、私は女性は知的な方が良いと思うのだよ。いくら外見がきれいでも、そんなものは関係ない。容色は時の流れによって褪せる。それは、命あるもの全てに共通する摂理だからね。だが知性は、歳を経るごとに円熟し、輝きを増してゆく。自分の意見を持ち、先を考えて自ら決断し進んでいく女性の持つ輝きは、常に人を魅了して、決して飽きることはない」
「でもさ、知性だって時の流れで衰えるよ? 記憶は褪せ、知識は霧の中に隠れて見えなくなる」
「だがそれまで有意義な日々を与えてくれる。美しさは、はたして何かを成したという充実感を与えてくれるかい? 自分以外の者に」
 意味深な微笑を浮かべるメトセラ。
 イアスは口に運びかけた肉の刺さったフォークを振った。
「……ああ、分かった。つまりメトセラさんにはそういう相手がいるんだ」
 ずいぶん具体的だと思った。
「いたんだよ。もう、はるか昔のことだけれどね」
「ふーん。そう」
 ぱくり。肉を食べるイアスの反応に、おや、とメトセラの眉が上がる。
「大抵、これを聞いた者は「お気の毒に」とか言うんだけれどね」
「俺、大抵の者じゃないから。
 それにメトセラさん、全然気の毒そうに見えないもん。もう悲しみはないんでしょ? 痛みも苦しみも。なつかしさや、そのころへの憧憬の想いはあるかもしれない。でも、2人でいたころを思い出してもつらくはない」
 断定的なイアスの言葉に、メトセラはくつくつと笑った。
「まだ若いのに、賢人だね、イアスは」
「ぜーんぜん。ただ、そうだったらいいなって思うだけ。本当はこんなこと考えたくもないけど、ほら、こういう時代だからさ。だから、もし俺に何かあって、いなくなったりしたら。あいつもそう思ってくれたらなぁって思うんだ。俺のいいとこだけ覚えてて、俺とすごした日々をなつかしんでくれて。でも思い出す度に悲しむのはあいつだってつらいと思うから。つらくなかったらいいよね。
 だから、メトセラさんの話が聞けて、本当にうれしいんだ。あいつもメトセラさんのようになってくれるといいな、って思う」
「イアスもできると思うかい?」
「俺? 俺はいいんだよ。絶対あいつよりあとに死なないから。決めてるんだ。俺が死ぬときは、あいつを守りきったときだって」
 守りきれなくて死んだら、それこそバカみたいだからな。
「……って、なに恥ずかしいこと言ってんだ、俺っ」
 われに返ったとたん、カッと頬が熱くなって、思わず背を正す。
「じ、じゃあ俺、そろそろあいつ捜さないといけないからっ」
「そう。でも、その必要はないみたいだがね」
 立ち上がったイアスに、後ろを見て、と視線で指す。だが彼が振り返るより先に、力強い手がイアスのウエストを回り、胸に抱き寄せた。
「ずいぶん待たせちゃったね、奥さん。悪かった」
「はっ、放せよっ! なにしてんだよ、こんなとこでっ」
 暴れるイアスを難なく胸に抱き込んだまま、頭頂部にキスをする。だが言葉とは正反対の、威嚇するようなきつい眼差しは、メトセラに固定されている。
「俺の奥さんの相手をしてくださってありがとう。おかげで1人で心細くさせずにすみました」
「いや、なに。私も彼のおかげで退屈せずにすんだのでね。礼を言わねばならないのはこちらの方だ」
「ちょっ……失礼だろ? おまえっ」
 肩を抱かれ、強引に引っ張って行かれるイアス。振り返って見たメトセラは、にこにこ笑いながら手を振っていた。

 ひとしきり距離をとった、ホールの隅で。
 ウェマーはイアスに叱られていた。
「なにしてるんだよ、もおっ!」
「ごめんごめん。なんか、ずいぶん親しげに話してるし、顔真っ赤になってるし。ちょっと嫉妬しちゃったんだよ」
 オープンな席で話してるだけで嫉妬って、子どもか? 子どもですか? あなたはッ!
 降参、とばかりに両手を上げて見せるウェマーに、かといって、嫉妬されてうれしくないわけはないので、イアスもこれ以上怒り続けることができない。
「ウェマーが1人にするから悪いんだろ。ずっと一緒にいたら、こんなことにならないんだ」
「はい。全くその通りです」
「せっかく2人で来てるんだから、しっかりエスコートしろよ、旦那様」
「もう二度と離れません。今夜はずっと一緒です」
 誓います、と左手を挙げる。
「よし」
 と、そこで場内の音楽が切り替わり、ワルツが始まった。
 飲食をやめて、フロアに人が集まり始めた中、ウェマーが恭しくその場に膝をつく。
「うるわしの五月の我が君、踊りのお相手をお願いできませんか?」
 中世の騎士を気どって手を差し出す、妙に芝居がかったその姿がほほ笑ましくて、イアスもつい、笑ってしまった。
「喜んで、十月の我が騎士様」
 重ねられた手に、キスして。ウェマーはフロアへイアスをエスコートした。
「ところでイアス」
「ん?」
「俺より先に死ぬなんて、許さないからね」


(ふふっ。やっぱり見つからないんじゃない)
 柱の影でこっそりアージェントの後ろ姿を伺いながら、ベアータはほくそ笑んだ。
 アージェントは彼女と別れたときとほとんど変わらない姿勢で、柱に背を預けて腕を組んでいる。捜しに行かないところを見ると、まだ戻ってきていないと考えているのだろう。
 ベアータはとっくにホールに戻っていた。先までと全く正反対の、シックなシャンパン色のロングドレスだ。髪も結い上げてもらい、仮面と合わせた黒いネットで覆ってあるから目立たない。
 そして、戻ってからずっと、アージェントの死角にある柱の影からずっと様子を伺っていたのだった。
(彼が動く度に、彼の死角に移動すればいいのよ。私って頭いい!)
 最初はそう思った。しかしこれが5分、10分と過ぎていくうちに、かなりストレスのたまる作戦であることが発覚した。
 なにしろ、アージェントは全く動こうとしないのだ。ずっとああして柱にもたれて立っているだけで、捜しに行こうともしない。
(ポルカが終わったら、きっと動き出すわよ。だってワルツが始まるまでって、10分ぐらいしかないのよ? 捜し始めるわよ……ね…?)
「……捜すわよ。捜しに行きなさいよ、早く。……捜してよ」
 ふと、アージェントに動きが出た。顔を上げ、組んでいた手をほどく。だがそれは彼女を捜しに行くための行為ではなく、彼を1人と見た女性からのモーションを受け入れるためのものだった。
 めずらしい、和布製のドミノマスク。おいらんのように金紗銀紗が美しい、着物を着崩した風デザインのドレスを着た女が、アージェントに近づき、その頬に触れる。
(ちょっと、何笑ってるのよ? あなた、私を捜さなくちゃいけないんでしょ? さっさとそんな人放り出しちゃいなさいよっ)
 イライラ、イライラ。
 よろけたフリをして彼の胸に手をつき、媚びをふくんだ眼差しで上目遣いに見る女は、どう見てもアージェントを落とす気100%だ。
(大体何よ? それ、近づきすぎじゃない? 私だってそこまでぴったりくっついたことなんかないわよ?)
 イライラ、イライラ、イライラ。
 ついに女の誘惑に陥落したのか、アージェントが笑顔で自分の胸に添えられた女の手を取ったとき。
 ベアータは、自分でも知らないうちに柱の影から飛び出していた。
「一体何やってるのよ、ばかっ! あなた、私を捜すんでしょ!」
 そこまで叫んで、初めて自分のしていることに気づく。周囲がしんとして、注目を集めているのが分かったが、今さら引っ込みがつかなかった。
 当のアージェントはというと、彼女の登場に驚いた様子も見せない。むしろ顔をほころばせ、うれしそうに手を広げて見せる。
「ほら見つけた。私の勝ちです」
「……なんですって?」
「まだワルツは始まっていませんからね。あなたを見つけた、私の勝ち」
「あらあら。待ち人が現れてしまったのね。残念だわ」
 着物ドレスの女が、名残り惜しそうにアージェントから手を離す。アージェントは彼女を利用してしまったことを謝罪するように、その手に口づけた。
「申し訳ありません。ダンスはまたの機会に」
「そうね。今度はそのお嬢ちゃんがいないときに誘ってちょうだい」
 着物ドレスの女は退場し、周囲の人々の注意もまた、ほかにそれていって、残るはアージェントを睨みつけるベアータのみだった。
「……ずるいわ、こんなの」
 全部、彼の作戦だったのだ。そうと悟って、見抜けなかった自分に歯噛みする。
「約束は約束です。さあ、叫んでください」
 罠にかけたのは確かだが、それだって、ベアータが乗ってこない可能性だってあったのだ。彼をあの女性とそのままワルツに行かせ、勝ちを取る。もしそうされたなら、アージェントの心は張り裂けてしまったかもしれなかった。
 かなり危ない橋を渡って得た勝利を、譲る気は毛頭ない。
 毛頭なかったが、顔を真っ赤にして葛藤している姿を見ると、なんだか自分が相当ひどいことを要求しているみたいに思えてきて、妥協してあげてもいいかもしれないと思った。
(私もずいぶん甘くなったものですね。これも惚れた弱みというものでしょうか)
 ふーっと息を吐き、アージェントは言った。
「場所を移してあげましょう」
「ほ、本当?」
 パッと表情が明るくなる。
「ええ。ほかのだれにも聞かれないですむ場所。私の寝室です。そこで言ってください」
「えっ? ちょっ……何それっ?」
「選択してください。ここで叫ぶか、私の寝室で私1人に向かって言うか。私はどちらでもいいです」
 ワルツは既に始まっている。この静かな音楽の中で、200名近い人々の前で叫ぶか、彼1人かといえば、選ぶのは分かりきっている。
「……賭けで負けたから、言うのよ? 絶対私の意志でなんかじゃないんだからっ」
「はいはい、分かってます。でも、言うまで帰しませんからね」
 彼の寝室へ向かいながら、しつこく、ベアータは「絶対私の意志じゃない」を繰り返し…………そして囁きほどの小さな声でベアータがようやく彼に愛の言葉を告げるには、朝までかかったのだった。