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イコンシミュレーター3 電子のプレッシャー

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イコンシミュレーター3 電子のプレッシャー
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リアクション


第1章 仮想の檻

「な、なんですか、これ! シュミレーターの不調で出られないって、どうなってんですかっ!」
 坂上来栖(さかがみ・くるす)は、イーグリットのコクピットで歯ぎしりし、怒鳴れるだけ怒鳴りちらす。
 特殊装置で脳をイコンシミュレーターに接続した坂上は、仮想空間内でイコンに搭乗して、シミュレーターの設定したミッションに参加しているところだった。
 シミュレーションとはいえ、坂上がイコンに乗り込むのははじめてのことだった。
 百合園女学院にイコンが実装されたときのことを考え、演習のために、天御柱学院まできて、他学にも解放されたシミュレーターを利用し始めた矢先である。
 慣れないイコン操縦に戸惑い、いったん接続を切ってマニュアルに目を通してから再挑戦しようと、現実世界のシミュレーター運営スタッフに連絡したのに、返ってきたのは、シミュレーターが不調で仮想空間から出られなくなっているという答えだったのだ。
 これが、イライラせずにいられるだろうか。
「本当にすまない。いま、必死で修復を行っているが、かなり時間がかかりそうだ。ミッションの対象を撃墜すれば手っ取り早くそこから出られるのだが、非常に難しいだろうか」
 学院職員と思われるスタッフが、申し訳ないといった表情で坂上に問いかける。
「えっ、だから、私ははじめてで! ああ、わかりましたよ。要はあのデカブツを叩き落とせばいいんですね」
 坂上は覚悟を決めて、イーグリットの浮かぶ空間のさらに先にわだかまる、不気味な黒い影をみつめた。
 巨大なコームラント。
 これが、シミュレーターのミッションでの撃墜対象だった。
 パイロットは強化人間Pで、かなりの力量を持った超能力者として設定されている。
 だが、しょせんはシミュレーションだ、と坂上は考えた。
「本気でやれば負けるわけ……あっ、ああっ! 何ですか、この感触は!」
 イーグリットが撃墜対象に近づくにつれ、頭の中にゆらめく波のようなものがわき起こるのを感じて、坂上は呻いた。
「来栖さん? どうしたんですか?」
 副操縦席のジノ・クランテ(じの・くらんて)が心配そうな口調で尋ねる。
「くっ、あいつ……見下している? 私を、この私を!」
「は、はあ?」
 坂上の苛立ちが頂点に達しているのを感じて、ジノは不安を募らせる。
「私は、嫌なんです、見下されるのは。もう!」
 坂上は、興奮した口調になっていく。
 孤児院時代、心ない大人たちにあわれまれ、同情の視線を注がれた坂上は、いつも自尊心を傷つけられ、真の意味で悲惨な子供時代を過ごす羽目になったのだ。
「お、落ち着いて下さい。誰が来栖さんを見下すんですか? 私には何も感じられませんよ」
 坂上の精神を襲ったものが何なのか、ジノにはなかなか見当がつかない。
 だが、坂上は確信した。
 あのイコンのパイロットから放たれるプレッシャーの中には、自分を見下す感情が含まれているのだ。
 少なくとも、坂上からみれば十分「見下している」と解釈できるだけの感情が。
「……を……見下すな……。私を……見下してんじゃねえ!」
 坂上の口調が乱暴なものへと変わっていく。
 自分自身の感情が爆発するのを、どうすることもできなかった。
「行くぞっ、ジノ!」
「ハ、ハイッ!?」
 ジノには、とりあえず坂上についていくのが精一杯だった。
 坂上のイーグリットが、猛スピードで撃墜対象に近づいていく。
「わああああああああああ!」
 坂上は絶叫とともに、攻撃態勢に入る。
 いつ果てるともない闘いの始まりだった。
 
 坂上だけではない。
 イコンシミュレーターに接続していた参加者たちの全員が、仮想空間から出られなくなっていた。
 突然のイコンシミュレーター不調に、学院は大騒ぎになった。
 学院の技師たちが血まなこでシステムのチェックを行っても、修復のメドはたちそうにもない。
 原因だけは、わかった。
 イコンシミュレーターを解析した結果は、正体不明のウイルスが暴れまわっているという最悪の状況を知らせるものだったのだ。
 ウイルスの作成者は不明だが、状況からみて、鏖殺寺院のつくりだしたものと考えるのが妥当とされた。
 鏖殺寺院のウイルスがイコンシミュレーターに感染したのなら、早く手を打たなければ、学院内の他の端末も感染する可能性がある。
 事態は、緊迫を深めた。
 イコンシミュレーターは、ただちに学院内部の回線から切り離されることになる。
 厄介な問題を前に、技師たちは頭を抱えた。
 シミュレーターのプログラムを下手にいじれば、ウイルスの駆除に成功したとしても、仮想空間内に閉じ込められた生徒たちの意識が現実世界に帰還できなくなる可能性がある。
 当然、電源を切ったり、回路を破壊するようなこともできない。
 そうかといって、ウイルスがはびこるのをこれ以上放置するわけにもいかない。
 技師たちの報告を受けた学院上層部は、学院の生徒たちに、以下のようなアナウンスを流した。
「○○月○○日○○時をもって、危険なウイルスに感染したイコンシミュレーターの電源を切り、筐体を内部の回路とともに分子分解措置により処分を行う。ついては、以下の学籍番号の生徒たちについては、死亡扱いとして除籍にし、学院全体で葬儀をとりおこなう。各自、別れの挨拶を考え、葬送の行進に……」
「バ、バカ野郎!」
 アナウンスが流れきる前に、生徒たちの間から怒号がとびかう。
「俺たちの仲間が死亡扱いになるのを、見過ごしてられるか! 他学の生徒だっているのに! 学院のシステムがそんなに大事か? 本当に大事なものがほかにあるんじゃないのか? 上層部や教官がそういう考えなら、もういい! 俺たちは、俺たちの手で今回の事件を解決する! つまり!」
 特攻だ!
 生徒たちは、特攻隊を編成してシミュレーターに接続し、仮想空間内で闘っている仲間たちを応援に行く覚悟を固めた。
 ミッション対象の撃墜。
 現段階で最も有効かつ安全な解決策を緊急に実行に移すことが求められていた。

 しかし、学院上層部を弁護するなら、彼らとて、決して無策を決め込んでいたわけではないのである。
 生徒たちが特攻隊の編成にかかるのと前後して、ウイルス駆除のために特殊なソフトをイコンシミュレーター内に潜入させる方策が発表されたのだ。
 そのソフトは、以前も超能力体験イベントで参加者たちの超能力データの収集・分析に活用されたことのある、KAORIというソフトを流用したものだった。
 複雑多岐にして膨大な量のデータを収集・分析するために、KAORIのプログラムは実に精緻な構造を備え、一時は「自我が生じている」との噂さえ囁かれたのである。
 KAORIのデータ収集能力を、ウイルスの分析と駆除に活用しようというのが、学院上層部の考えだった。
 もちろん、その裏には、今回の件を、学院内でKAORIを利用して進めようとされているあるプロジェクトのための実験の一環に利用しようという企みも、あるにはあった。
 また、KAORIの投入は、あくまでウイルス駆除が目的で、生徒たちの救出は優先されていなかったのである。
 KAORIの投入が発表された後も、生徒たちは特攻隊の編成を進めた。

 そして。
 学院の校長室では、校長コリマ・ユカギール(こりま・ゆかぎーる)が、全ての報告を受けてなお、静かな瞑想にふけっていた。
(いやはや、この学院の教官たちは無能もいいところだな。もとはといえば、強化人間たちの精神が不安定なままいたずらに放置していたのも、彼らの責任だというのに)
 コリマの脳裏に、幾千もの精霊の声が響き渡る。
(きたるべき闘いに備え、戦力となりうる兵士を養成するのが学院の使命だ。それなのに、今回の件でも、救出の見込みがない生徒を諦めるしかないと考える始末だ)
(まあ、このような状態だから、我々が呼ばれたのだな。それにしても、真の堕落といいうるのは、今回の件はどうせ生徒たちには解決できないだろうと考えていることだ)
(「養成」の意味がわかっていないのであろうか? 今回、生徒たちから自発的に問題を解決したいという動きが出たのは、幸いだな)
(同意。この程度で足がすくむようでは、戦場では到底生き残れない)
(それにしても、困ったものだな。教官たちは、我々に解決してもらいたいとさえ考えているようだぞ。生徒はもちろん、教官たちも教育する必要があるとは!)
 幾千もの精霊が、コリマの脳裏で同時にため息をつく。
 校長室に、教官から連絡が入る。
「校長! まだ瞑想を続けておられるのですか? 既に申し上げましたように、今回の件、他の生徒たちが自らイコンシミュレーターに潜入しようとしています! このままでは、被害者が増えるだけです! ここはどうか、校長自らが」
 コリマは、しばらく沈黙の後、精神感応で返答を行った。
(やらせるのだ)
「はっ?」
(生徒たちに、やらせるのだ。失敗しそうなら、導け。どうしようもないとなれば、我々が出る。だが、ぎりぎりまで生徒たちに粘らせろ。生徒たちの力を信じ、育んでいくことが必要だ)
「し、しかし」
(何のための訓練、何のためのシミュレーションだ? 実戦では、些細なミスが死につながる。実戦を想定した訓練にも決死の心構えでのぞむ必要がある。そうでなければ、真の強さは獲得できない)
「は、はい。わかりました」
(生徒たちに、問題を解決させろ。ウイルス駆除は、それはそれで進めればいい。以上だ)
 コリマは、感応を打ち切り、再び深い瞑想に入っていった。
 指導者は、動くべきときは動くが、普段は直接動くことを控え、どっしり構えることが求められるのだ。
 いつも自分が動くのではなく、できる限り周囲の人を動かして行動させていくことも、指導者の資質として重要なのである。