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【カナン再生記】黒と白の心(第2回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第2回/全3回)

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第1章 廻りだす歯車 1

「各員、準備が整いました。いつでも敵を迎え撃てます」
「はいはい……」
 部下の報告に気のない返事を返した影の魔女は、目の前に広がる光景を眺めた。
 部下であるこの上級兵の言うとおり、南カナン『神聖都の砦』軍は、順調に軍備編成を整えていた。槍を手にした下級歩兵がまるで蟻の群れのように並び、それを先導するかのように剣を掲げる兵士が気合をこめた声を張り上げている。
 歩兵の次に控えるのは魔法兵に弓兵だった。弓兵は念入りに自分の弓を慣らし、魔法兵は精神を高めるため不気味なほど静かに佇んでいる。
(見事なものですね)
 モートとともにその光景を眺めていた坂上 来栖(さかがみ・くるす)は、そんなことを思った。普段から組織という形で動いていることが当たり前であるためか、連携力はなかなかのものだ。
 しかし、気になることは、その数だろうか。南カナン自体と比べればそう少ない人員ではないが……いかんせん、向こうはシャンバラの勇士たちがいる。
「なにを考え込んでやがるですか、来栖」
「いえ……なんでもないですよ」
 パートナーであるナナ・シエルス(なな・しえるす)からの言葉に来栖は頭を振ったが、そんな彼の心を知るかのよう、モートがつぶやいた。
「ふむ……ちょっと心もとないですかねぇ」
 そう言うと、モートは地面に向けてローブの下の手をかざした。その腕自体はローブに隠れて見えないものの、ぼんやりと彼の瞳のように赤い光が地面に広がる。すると、徐々に大地は形を変えるようにうごめき始め、やがて大量の魔法生物を生み出した。
「これは……?」
「私のかわいいペットたちですよ。なにせシャンバラの方々も協力なさっているのでしょう? これぐらいの兵力がなくては……」
 土で身体を構成するゴーレムや、馴染みの影から生まれるシャドーが、驚く砦兵たちの間を闊歩した。
「さて、ではそろそろ戻りましょうか、来栖さん」
 以降のことは指揮官の上級兵に任せ、モートは砦の中へと戻っていった。無論、来栖もその後を追う。
「まったく……水晶化の魔法といい、シャドーといい、あなたの魔法には驚かされますね」
「ひゃひゃ……そうですか? それはうれしいお言葉ですねぇ」
 相変わらず不気味に笑う男だ。
 来栖はわずかに顔をしかめて、続けてずっと頭の中でひっかかっていたことを尋ねた。
「……いいかげん、何をするのか教えて下さいよ。あのお人形は鑑賞するために手に入れたんではないでしょう?」
 ピタリと、モートの足が止まった。それに応じて、来栖とナナも立ち止まる。
 モートはゆっくりと振り返る。そのフードの奥には、にたりとした笑みが張りついているような気がした。
「来栖さん……チェスは、やられますか?」
「チェス? まあ、人並み程度には……」
 質問の内容からはかけ離れたような答えが返ってきて、来栖は戸惑った。
「私ねぇ……チェスが大好きなのですよ。真理と心理が混ざる頭脳ゲーム。誰かが動けば、盤上の世界はがらりと変わり、たった一手が状況を変化させる。そしてなにより――その世界では私は支配者、となる」
 最後の言葉を唱えるとき、モートの声はそれまでの悪戯めいたものではなく、まるで奈落の底から這い上がるような不気味な響きをもっていた。フードの奥の赤い瞳が自然と鋭くなったような気がする。
「支配者……」
 来栖は無意識のうちに固い表情になる。が――モートはいつも通りの不気味な笑みで返事を続けた。
「まあ、支配者は言いすぎですが……要は駒を動かしている感覚が好きなのですねぇ。今は、エンヘドゥさんはその駒の一つ、とだけでも言っておきましょうか。伏兵のナイトとしてね」
「……そうですか」
 あの声と瞳は何だったのだろうか? まるで、獰猛な獣のような……。
 再び歩き出したモートの後を追って、来栖はそれ以上彼に何も追求することはなかった。どちらにせよ、時がくれば教えてくれるだろうということもあるが……何より来栖は聞いてはいけないものを聞いたような気がしたからだった。
 いつの間にか、手のひらには汗が滲んでいる。
(モート……あの男がそう簡単に誰かを信頼するとは思えねぇです。いざとなったら私たちを道具のように扱うはずです。警戒はしとくに越した事はねぇですよ)
(もちろん、そのつもりですよ)
 ナナのささやきに、来栖はモートに聞こえぬよう返事を返した。
 そんなとき、先行するモートの足が上階ではなく地下を目指す。
「モートさん? どちらに……そちらは地下では?」
「いえいえ、実はちょっとした用事があるのですよ」
 怪訝そうな表情になる来栖も、薄暗い地下へと向かうモートの後を追った。やがてたどり着いたのは、じめっとした洞窟の雰囲気を思わせる地下牢だ。モートは、迷わずいくつかに分かれている牢屋の中の一つに足を運ぶ。
 牢屋番はモートの姿を見つけると慌てて挨拶し、牢の向こうに用があるというモートのために鍵を開けた。
 その向こうにいたのは――
「お元気ですか?」
「ふん……元気なはずがないだろう。この様子を見てよくそんな言葉が出るな……!」
 壁に両手を張りつけられているモードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)は、吐き捨てるように言った。
 彼の横では、同じように囚われている久我内 椋(くがうち・りょう)がいる。だがこちらは、冷静な性質なのだろう。モードレットと違って、いささか落ち着いている様子だ。
 そうか、この二人は……。
 来栖は彼らを見て、美那――いや、エンヘドゥを捕らえたときのことを思い起こしていた。モートの手下として動いていた彼らは、エンヘドゥを捕まえるための捨て駒にされたのだった。
 そう、それも、必要のない捨て駒だ。モートがエンヘドゥを護ろうとしていた者たちを逆撫でするためだけの仕掛けに過ぎなかったもの。
(怒りの矛先を向けるのも、納得ですね)
 むしろ、それで落ち着いていられる椋には、感心さえ持てた。
 そんな彼らに、モートが笑いかけた。
「ひゃひゃ……まあ、そんなに怒らないでください。お二人にチャンスをあげようとやって来たのですから」
「チャンス……だと?」
 モードレットの声が高ぶり、椋の眉がぴくりと動いた。
「そうです。本来、私はなくなった駒を拾い上げることはそうそうしないのですがね? お二人さえよろしければ、再び働いてもらうのも面白いかと……」
 なるほど、合点がいった。
 来栖は、ようやく二人を捕まえていた理由が分かった。二人は、どちらにせよ南カナンにとって裏切り者だ。どうせあのまま放置しておいたとしても、南カナンで捕らえられて終わることだろう。だが、例え手駒であったとしても、こちらでもう一度動けるとなれば、それに乗らない手はない。
 しかも――
「ふ……いいだろう。そのチャンス、乗ってやる」
 モードレットは、並々ならぬ怒りをモートに抱いている。自分に恥をかかせた相手を許せないと思っているのだろう。恐らくは、モートを出し抜こうとした考えを抱いているかもしれない。
(それが、モートさんにとっては好都合なのでしょうが)
 扱いやすい駒の一つというわけだろう。
 ただ、気になるところがあるとすればそれはもう一人の囚われ人だ。
「あなたは、どうなされますか?」
「モードレットが乗るというのなら……俺も乗ろう」
 寡黙な表情で椋は返答した。それこそ、何を考えているのか読み取らせない顔だ。
 だが、少なくとも彼が、モードレットのためにすべきことをわきまえていることだけは、確かだろう。彼のモードレットを見守る表情は、ときに穏やかだった。