リアクション
● 陽光も差しきらない翌朝のこと。 ヤンジュスの入り口にある朽ち果てた高木の門にいたのは、馬に乗るシャムスとそれを見送りにきた契約者の姿であった。民の護衛や後続の歩兵部隊に混ざる、レジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)とシニィ・ファブレ(しにぃ・ふぁぶれ)が、モート軍への迎撃に向かおうとするシャムスを見送りに来ていた。 「……シャムスさん……あ、あの……」 レジーヌはおどおどと彼女に声をかけた。彼女が女性と分かってから、はっきりとまともな会話をするのはこれが初めてかもしれなかった。普段から会話というものが苦手なレジーヌであったが、それが余計に緊張を波打たせていた。 しかしふっとシャムスの顔をはっきり見る時がくると、シャムスが柔らかくほほ笑んでいるのが分かった。緊張はほほ笑みの中に溶け込んでしまい、たどたどしくもレジーヌは声を続けることができた。 「民の皆さんは……私が守りますので……安心して自分のやりたい事、やるべき事に専念して下さい……ご武運を」 シャムスは笑みだけでそれに答えていた。もちろん、レジーヌもそれ以上の返事を待ってはいなかった。表情だけでも、彼女の返事は見えた気がしたから。 「シャムス」 レジーヌの後から声をかけたシニィは、なにやら大きな酒瓶を掲げていた。それは彼女がヤンジュスの古城の中から見つけたものであり、比較的保存状態も良く飲酒には問題ないレベルの名酒であった。 「勝利の暁には飲み明かそうぞ」 小気味いい笑みをシニィは浮かべていた。友人を気軽に誘うそれを見て、シャムスは安らぐような心地であった。 「その時はわらわが酌をしてやろう」 「ああ……よろしく頼む」 それは約束だった。勝利の際の約束。二人はそれを交わしたのだ。未来に向けた道標を立てるように、二人の視線が交わされて。 出立だ。そう思って馬を走らせようとしたそのとき、シニィたちの後ろからシャムスに向けて駆けてきた少女が彼女を呼んだ。 「シャムス!」 「緋雨……」 さらりと波打った黒髪の下にある眼帯をはめた顔。慌てて駆けてきた水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)はその表情をゆがめて息をついた。ようやく息を落ち着けたときには、シャムスの目が彼女を一瞥していた。 その理由を緋雨はもちろん知っていた。出立準備の前に、緋雨はシャムスと話していたからだ。その内容は、緋雨の懇願――エンヘドゥの説得であった。ヤンジュスの古城に残されていた二人の想い出を映し出しながら、彼女はシャムスであればきっとエンヘドゥの心を取り戻せると言った。 しかし―― 「どうして、どうして姉妹で争わないといけないの……!?」 「言ったはず……確証のないことに付き合えるような状況ではない。今は、目の前に迫る敵を退けるために全力を尽くす。それがこの戦いの在り方だ」 結果はこの場でシャムスが再度告げた通り、賛意を得られることはなかった。 納得できなかった。どうして、血を分けた双子の姉妹が戦わねばならないのか。どうして、シャムスはそれを決断したのか。エンヘドゥを救おうとこれまで共に戦ってきた緋雨には、到底納得など出来る話ではなかった。だから彼女は、再びシャムスのもとにやって来たのだ 「でも……あなたなら……あなたならきっと、彼女の心を取り戻せるはずよ……! だって、あなたたち家族はこんなにも暖かくて幸せな時を共に過ごしているんだから……!」 「どうしてそう言い切れる?」 「え……」 悲痛で冷気を持った声が緋雨に投げかけられた。一瞬、緋雨は言葉を詰まらせてしまう。シャムスの冷気を振り払うように何とか声を絞り出そうとしたが、その前に、それを遮るかのようにシャムスが続けた。 「確かにオレとエンヘドゥは姉妹で……そこには何らかの可能性があるのかもしれない。だが、それが何になる。何の保障になる。確証もないオレのわがままで民を危険にさらすなど……考える余地もない」 「それは……」 間違っている。心はそう叫びを伝えようとしているが、現実は許してはくれなかった。緋雨の表情が悲痛に歪み、彼女が何かを口にしようとする。だがシャムスは、それを跳ね除けるように、そしてもはや話すことはないとでも言うかのように、手綱を引っ張った。 「シャムスさんっ!?」 走り出した馬とシャムスの背中に、慌てた緋雨の声が聞こえてきた。だが、振り返りはしない。すでにシャムスは、そう心に決めていた。 「こんなの……こんなの……お父様も、お母様も……望んでないはずよっ!!」 最後に聞こえてきた叫びは遠く霞となった。それでも、残響はシャムスの心に残ったままだった。胸中から消えない緋雨の声に、シャムスは気づいている。 (分かっている……父も、母もこんな結末を望んでいないことは分かっている) 唇を噛んだシャムスの表情が、鋭い牙のように前方を見据えた。遠く、まだ見えぬ先にいる敵に向けたように。 (それでも……それでもオレは……!!) やり場のない決心を込めた心魂の叫びは、雄々しく猛々しく、咆哮となった。 |
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