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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第4章 心喰い 2

 契約者たちの攻撃は、絶え間なくモートを切り裂き、貫いた。槍の切っ先が闇へと突き立てられ、業火の炎となる魔術が焼き尽くす。
「ファティ……! いきますよ!」
「ええ!」
 ウィングの合図とともに、彼が一閃を与えた闇の隙間へ向けて、ファティが矢を放った。ケセドの矢に込められた命のうねりや清浄化の聖なる力が、モートの闇を貫く。強力なその一撃は闇に大きな穴を広げた。だがそれすらも、闇に飲み込まれて消え去ってしまう。
「くそ……これでもダメかっ」
 しかし、諦めることはなかった。どれだけ深い闇の中であろうとも、どれだけ深い瘴気の底であろうとも……。
 レンは、そんなまやかしには負けない心の強さがあるということを信じていた。そして、それに応えるようにシャムスたちが、己の決意を胸に戦っている。
 メティスが言う。
「絆を取り戻したとき、人のそれは強さに変わるのです! 絆を壊すことしか出来ないあなたには、負けるわけにいきません」
「ふん……絆とは脆いものよ。ほんの少しの闇が、それを飲み込んでしまう。我は、その闇の体現者に過ぎぬわ!」
 モートの声が鳴り響く。
 確かに、絆は脆いものなのかもしれなかった。人は弱く、弱いからこそ迷い、道を見失う。きっと、それが真実で、エンヘドゥもそんな失われた迷い子だったのだろう。だが――
「見失ったなら、手を取り合って探せばいいさ」
 レンは我知らず呟き、銃を撃った。
 それすらもやはりモートの闇の中に消えてしまうが……ふと彼はあるものに気づいた。それは、モートの闇の中でかすかに光る煌きだった。時折反射して煌くそれは――結晶だ。
「エンヘドゥ……!?」
「どうしたの、レンさん?」
「あれは……」
 ノアの声に茫然と呟いて、レンはそれをしかと見つめた。エンヘドゥだけではない。それ以外にも、様々な人の結晶が、かすかな光となってモートの中で煌いていた。
 リーンの話を思い出す。モートは心の光を喰らう存在。モートの中にエンヘドゥの光はいまだ残されているということだ。そして、いまのモートは己の中の闇を全て放出している。
 あれが……エンヘドゥたちの光ということか。
 モートの闇が再生されるたびに、結晶は煌いていた。喰らった光の力を生命力として、モートはひたすらに肥大化し続けるのだ。それが――“心喰らいの魔物”と言われる由縁。
 エリシュ・エヌマは神の翼だった。そして、モートに対する兵器であったとも。もしかすればあれは、モートの闇を消し去るほどの唯一の光を放てる存在だったのかもしれない。しかし、エリシュ・エヌマはこの闇に覆われた世界から隔絶されている。その希望もまた、薄いものだった。
 しかし――あるいは。
「シャムス、エンヘドゥを呼べ!」
「え……」
「あそこに、エンヘドゥがいる! あいつのもとまで行って、あいつを呼び覚ましてやれ! もしかしたらそれが……」
 言い終える前に飛んできたモートの闇を、レンは飛び退いてかろうじて避けた。しかし、シャムスは彼の言わんとすることが分かっていた。彼の指し示した場所を見れば、そこにはエンヘドゥの結晶がある。
「くっ……!」
 モートの闇の手がシャムスへと伸びた。
「はあああぁっ!」
 だがそれを、飛び出した悠希が切り払った。止め切れなかった闇が彼女を蝕もうとするが、魔鎧となっていたカレイジャス アフェクシャナト(かれいじゃす・あふぇくしゃなと)が彼女を守った。
「悠希……」
「この闇を止めるためにも……そして、エンヘドゥさんのためにも……貴女には彼女を愛してるって、伝えてあげて欲しいんです。その為の道を……ボクたちが作ります……!」
 悠希に続いて、彼女を守るために飛び出た綾香も言った。
「妹を取り戻して来い。その間ぐらいは……持たせてみせる」」
 悠希の剣が闇を切り裂き、綾香の放った魔術が光の刃となって道を開けた。その間を縫って、シャムスが飛び出す。無数の闇は絶え間なく彼女を襲おうとするが、悠希はそれを己の身を挺してでも防いでいった。
 そして――エンヘドゥの結晶のもとまでシャムスは辿りつく。
「エンヘドゥ!!」
 叫ぶように呼びかけると、結晶のエンヘドゥは……静かに瞼を上げた。
「お、お兄……様?」
「エンヘドゥ! エンヘドゥ!」
 シャムスは彼女を何度も呼んだ。虚ろだったエンヘドゥの目が、そっとシャムスを見つめる。その結晶の身体から、徐々に光があふれ出してきた。
「く、くそ……させてなるものかあああぁ!」
 それは闇を消し去るほどの光になろうとしていた。モートの闇の手がそれを邪魔するべく伸びてくるが、契約者たちがそれらを防いだ。
「き、貴様ら……!」
「御二人の絆は切れたりなんてしません。あなたの……負けです!」
 ノアがモートへと言い放ったそのとき、シャムスは穏やかな表情でエンヘドゥに言った。
「迎えに来たよ。さあ……二人で帰ろう」
 光が溢れてくる。
 エンヘドゥの結晶から迸ったそれは、眩しい閃光となって闇を覆い尽くしてゆく。黒が白になって、一滴の闇も残さぬ世界へと変貌してゆく。光の中心にいるのは、双子の姉妹だ。
「このような……このような最後……我は、我は認めんぞオオオオオォォ!!」
 貪欲で悲痛なモートの叫びが光の向こう側に消えていった。そしてどれだけの時間が経っただろうか。いつの間にか瞼を閉じていた契約者たちは、禍々しい闇の気配がなくなっていることに気づいてふと目を開けた。
 そこは戦場だった。しかし、そこに闇の存在はなかった。モートという指揮官を失って、敵兵たちは混乱に陥っていた。もはや、敵意はあるまい。
「シャ、シャムスさんっ! エンヘドゥさんが……!」
 ノアがわたわたと慌てながらシャムスを呼んだ。
 彼女がそちらに向かうと、ガーゴイルの傍で寝かされているエンヘドゥが、呻くような声をあげていた。それを見守るのは、亜璃珠やザミエルをはじめとした契約者たちである。
「ん……お……兄……様?」
「エンヘドゥ!」
 目を開けたエンヘドゥにシャムスが呼びかける。すると、彼女は放心した様子で上半身を起き上がらせて周りを見回した。そして、呆然と呟く。
「ここは……?」
「エンヘドゥ……エンヘドゥ!」
「お兄様? そ、そうです……私は……」
 そのとき、エンヘドゥはぼんやりとしていた頭の中で色々なことを思い出していた。これまでの自分が何をしてきたか。それを思い起こしたエンヘドゥは、シャムスへと向き直る。
「お、お兄様、私は――」
 だが、その瞬間……シャムスが彼女を抱きしめていた。
「お兄……様?」
「いいんだ……もう……いいんだ。終わったんだ……」
 彼女は涙を流していた。これまで、誰を前にしても涙を流すことなく生きてきたシャムスは、初めてそのとき、人前で涙を流していた。とめどなく溢れるそれは、喜びや慈しみや、そしてもちろん今までのことを脳裏に過ぎらせた哀しみでもあったが――しかしそれ以上に、エンヘドゥが生きて戻ってきてくれたことに、ただ無上の嬉しさがこみ上げてきたのである。
 二人を見下ろす空は、闇の中から解放された光のように澄みきった色をしていた。



 どこぞかとも知れぬ砂地で、誰知らず歩く少女がいた。少女の胸元には十字架が揺れ、あでやかな金髪が風に吹かれてなびく。
 そんな少女の背後には闇があった。闇はまるで機を窺うようにしばらく砂をたゆたっていたが、やがて、隙を見たのか一気に少女へと襲いかかった。背後から飲み込まれた少女は、闇に覆われてしまう。
(ククク……これで、これで我はまだ……)
(正真正銘の腐ったリンゴですね、あなたは)
 闇の中――少女の意識はまだあった。闇の中にある昏き存在は、それに驚愕を隠せない。いや、正確には……少女の意識の中にある光に愕然としていた。
(私は……これといった信念もない嘘つきで、最低の人間なんです。貴方の好きな闇……光なんて、もうとっくに消えたと思っていた。だから貴方も、私なら簡単に喰えると思ったんでしょ? でも、こんな私でも、戦いの最中だってのに食事に誘おうとする馬鹿な人がいる。立ってる場所は違っても信じてくれる人達がいる。その人達の事はね……嫌いじゃないんですよ)
 それは、限りなく闇にあるにも拘わらず、何かが違っていた。無論、自らの力が弱まっているせいで喰えないということもあるのだろう。だがそれ以上に――そいつの心には、小さいながらも鮮烈な光を放つものがある。
(これが私なりの光……絆です。お前の持ってないもの)
 少女の手が中空を掴んだ。空中に精製された剣を逆手に握る。
(……とっとと消えろ、寂しい下品なドブネズミが)
 少女はその剣で、自らの胸を貫いた。鮮やかな血が背中からふき出し、口からも吐き出される。代わりに――遠く闇の悲鳴が聞こえて、意識の中の声は聞こえなくなった。
「さて……どんな顔して帰りましょうか」
 少女――坂上 来栖は苦笑して倒れこんだ。