校長室
貴女に贈る白き花 ~日常と戦いと~
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第11章「日常・午後その3」 「え〜っと、必用な物は全部買ったかな、と」 ツァンダの通りを歩きながらルーフェリア・ティンダロス(るーふぇりあ・てぃんだろす)が手元の買い物メモに目を落とす。彼女はせっかくの休みという事で、海京から小型飛空艇に乗って買い物に来ていた。 「ん〜、こいつはもう少し買っておいた方が良かったかな。海京には売ってないからすぐ無くなると面倒だからな……」 調味料の一つに目が留まる。これはルーフェリア達が好きな物なのだが、ツァンダなど一部の街でのみ販売されている為こういった買出しの機会でも無いと中々買い足す事が出来ない物だった。 「……うん、そうだな。せっかく悠美香からアルバトロスを借りてきたんだし、買える時に買っちまおう」 袋に入っている分を買った店は既に結構後ろにある。幸いツァンダでなら扱っている店は多いので、次に目に付いたスーパーで買おうと道端の店頭を見ながら歩く事にした。 のんびりと歩いていると、ふと花屋の店頭に貼ってあるポスターに目が行く。 「ん? 母の日? そういやいくつかの店にもそんな事が書いてあったな。母の日について要が何か言ってたような気もするんだが……どんな内容だっけか」 軽く頭を捻るが思い出せない。結局、大した事では無いだろうと判断してこれ以上考えるのを止めた。 「ま、関係あるなら要達がちゃんと言ってきただろうしな。そうじゃないって事は俺には関係が無い話か」 再び店頭を見ながら歩いて行く。そして店が途切れてちょっとした広場に差し掛かった時、ルーフェリアの時が一瞬止まった。 『踏んで下さい』 目に見えるのはそんな看板。その横に座って――いや、土下座をしているのは爽やか変態お兄さん、クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)だ。 「……お前、何やってんの?」 「おや、これはルーフェリアさん。今日は海京からお買い物ですかい?」 「あぁそうだけど……で、何やってんの?」 「いやぁ、なんてーかね。最近冒険屋ギルドに舞い込んできた依頼とかにやたら真面目に取り組んでたんですが、そういうのって何か妙に肩が凝っちゃうんですよ。それでここいらでちょいといつものお兄さんを取り戻そうかと」 「いつものお前ってどんな――って、聞くまでも無かったか」 どんな言葉よりも、今のクドの姿が雄弁に語っているだろう。そう、つまりは変態さんだ。 「ささ、そんな訳でルーフェリアさん。せっかくですからこの辺をぐっと」 「ぐっとじゃねぇよ。頭を差し出すなよ。ボケはうちの奴らだけで間に合ってんだよ」 ひれ伏したまま後頭部を向けてくるクドに対して連続で突っ込むルーフェリア。普段パートナー達のボケに付き合っている悲しい習性がここで発揮されていた。 「む、あれは一体何じゃ?」 ケーキ屋を出て、再び常闇 夜月(とこやみ・よづき)達と共に街中を歩いていた医心方 房内(いしんぼう・ぼうない)が看板を見つけて近づいてくる。そして看板と、平伏しているクドの姿を見て妖しい笑みを浮かべた。 「ほほぅ、中々に倒錯的な快楽を得ようとする奴じゃの……じゃが、そういうのは嫌いではないぞ、わらわは」 「いらっしゃいませ淑女の皆様方! お嬢さん方はストレスを解消できてハッピー! お兄さんも気持ちよくってハッピー! みんなみんな超ハッピー!! さぁさぁ、その美しいおみ足でお兄さんの頭を一思いにぐぐっと!」 更にずいっと頭を出してくるクド。そんな彼の頭に房内が足を乗せ、器用に撫で回す。 「ふふ、良かろう。わらわの足テクを存分に味わわせてやろうかの」 「お、おぉぉぉ!? お嬢さんの足捌きと見た目とのギャップ、お兄さんもうゾクゾクっすよ!」 「まだ満足するのは早いぞ。もっと強く踏んで欲しいのじゃろ? ……ふふ、イかせてやろうかの?」 「お願いしまっす!!」 喜々として頭を踏む房内と、踏まれるクド。そんな変態的な幸せ空間を、ルーフェリアと夜月は生暖かく見守っていた。 「ダメだこいつら、早く何とかしないと」 「……一応、需要と供給の関係は成り立っているみたいですわね」 「そういう問題じゃなくてな」 丁度その頃、近くの道をハンニバル・バルカ(はんにばる・ばるか)やルルーゼ・ルファインド(るるーぜ・るふぁいんど)達が歩いていた。彼女達も先ほどまで喫茶店に入り、色々な話で盛り上がっていた所だ。 「うむ、実に楽しい時間だったのだ。ハンニバルさんは大満足なのだ」 「そうですね。私もそう思います。クドがいたら大変な事になっていた気はしますが」 ちなみにヒラニプラに帰って行った性別不詳のレギーナ・エアハルト(れぎーな・えあはると)を除けば、この場にいるのは女性ばかりだ。 「あの変態を女だらけの所に入れるのは猛獣に餌をやるような物なのだ。今日はクド公の事は忘れて、のんびりとするのだ」 その言葉を口にしたと同時に、ハンニバルは見てはいけない物を目にした。交差点の向こうにある広場で繰り広げられているあの姿は―― 「ほれほれ、こうか? こうされるのが好きなのか?」 「有り難うございまっっっっす!!」 「ル……ルル、ボクはあの店に寄ってみたくなったのだ。早く入るのだ!」 「え、どうしたのですか? いきなり」 「別に何でも無いのだ。急ぐのだ!」 「ですが、ここは紳士服のお店ですよ。クドに何か服でも――」 ハンニバルの様子を訝しがったルルーゼが店と彼女を交互に見る。そして運の悪い事に、その向こうに頭を踏まれて悦んでいる変態さんの姿を見つけてしまった。 「……あれは、クドさんですね」 「クドちゃんだね〜」 「クドさんですねぇ」 「にゃー」 同行しているルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)、廿日 千結(はつか・ちゆ)、結崎 綾耶(ゆうざき・あや)、ちび あさにゃん(ちび・あさにゃん)が次々と口にする。もう見ないふりも現実逃避も不可能だ。 「ルル、見なかった事にするのだ。関係者と思われたく無いのだ」 諦め悪くハンニバルがルルーゼの肩を掴む。だが、その肩は怒りによってプルプルと震えていた。 「……朝から姿が見えないと思ったら、こういう事ですか。これは、お説教が必要なようですね……すみません、皆さん。私達は急用が出来たので、これで失礼します」 「あ、ちょっと待つのだ! 変な人に近づいちゃいけませんなのだ!」 「クドっっっっっ!!」 広場へと向かうルルーゼをハンニバルが慌てて追いかける。少ししてそちらから絶叫が聞こえて来たが、残されたルシェン達は離れた場所から見守る事しか出来なかった。 結局彼らはルルーゼがクドを引っ張って行く形で去って行った。他にも何人かが家に帰り、ルシェンとあさにゃん、千結と綾耶、そして房内達と一緒にいたイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)の五人がこの場に残っている。 そしてこれからどうするか話そうとした時、ルシェンの肩に乗っていたあさにゃんが突然飛び降りて走り出した。 「あ、ちびあさ! どうしたの?」 「にゃー!」 「こら! 待ちなさい、ちびあさ!」 ルシェンの呼びかけにも答えず走って行くあさにゃん。残された四人が追いかけると、そこには買い物袋を持った篁 花梨と火村 加夜(ひむら・かや)、レミ・フラットパイン(れみ・ふらっとぱいん)の姿があった。 「あら、お人形さんが動いてる?」 周りを回るあさにゃんを興味深く見る花梨達。そこにようやくルシェン達が追いついて来た。 「あ、花梨さん。すみません、その子が迷惑をかけませんでしたか?」 「こんにちはルシェンさん。特に何もされていませんけど、この子がどうかしました?」 「えぇ、ちびあさはある方に作って頂いた人形なのですが、少し悪戯好きな所がありまして」 その言葉に花梨達三人がしゃがんであさにゃんを見る。言葉こそにゃーとしか言わないが、その動きは実に自然な物だ。 「凄いですね。お人形さんというのが信じられません」 「魂の宿るお人形……ルシェンさん、もしかしてちびあさちゃんを作ったのって、『あの人』ですか?」 加夜が尋ねる。加夜が言う人物はヴァイシャリー近辺に工房を構える人形師の事で、その人が制作工程を全て手がけた人形には魂が宿るという不思議な能力があった。 「はいそうです。よくご存知ですね」 「私の知り合いでもありますから。でもあの人が作ったお人形さんなら納得です」 話している間にもあさにゃんは花梨達を見回したり、ぺたぺた触ったりしている。そして花梨に狙いを定めると、身体を伝って肩の上までよじ登った。 「こら、ちびあさ! ……ごめんなさい、花梨さん」 「いえ、構いませんよ。お人形さんだからか重くもないですし」 笑顔で花梨が立ち上がる。あさにゃんはそんな彼女の耳元に注目していた。 「どうしたの? ちびあさ。花梨さんの耳がどうかした?」 「にゃー」 「特におかしくは無いと思うけど、何かあるのかしら……?」 「……あ、もしかして、ルシェンさんがイヤリングをつけてるからですかね?」 自分の耳元は見えなくても相手のは良く分かる。綾耶からの指摘で、ルシェンが自分がつけているイヤリングの事を思い出した。 「なるほど、ちびあさが朝斗の上に乗る時は頭の上が多いですからね。肩だと私である事が多いから、イヤリングが無いのが逆に新鮮なのかしら」 「綺麗なイヤリングですよね。その宝石って、もしかして月雫石ですか?」 ルシェンがつけているイヤリングに付いているのは月雫石と呼ばれる黄水晶だ。これは加工する事によって黄色とも金色ともつかない独特な『月色』になる。 「えぇ。以前朝斗が鉱山の依頼で貰った月雫石をイヤリングにしてプレゼントしてくれたんです」 「プレゼントですか……いいですね」 ツァンダには古くからの風習でこの石を恋人や結婚相手に贈ると言われている。それを知っている乙女達は、皆微笑ましそうにルシェンを見ていた。 「そうですね。本当に……嬉しい贈り物でした……」 ルシェンがイヤリングを優しく一撫でする。 実はルシェンとそのパートナーである榊 朝斗(さかき・あさと)の二人は、最初から仲が良い訳ではなかった。いや、むしろ最悪だったと言っていい。 ルシェンは吸血鬼としての自分の存在を怖れられ、辛い経験をした上で封印された過去を持っていた。その為彼女は全ての他者に憎しみの感情を抱き、朝斗にも冷たい態度を取り続けていたのである。 だが、それから9年の時が経ち、二人は互いを大切な存在と思えるまでになっていた。その過程で貰う事になった月雫石のイヤリングは、ルシェンにとっては肌身離さずつけるほどの大事な物だ。 しばらく乗っていて満足したのだろうか、あさにゃんが花梨から飛び降り、再びルシェンの肩に戻って行った。そこで自然と話題が花梨達の持つ買い物袋に移る。一番興味を持っているのは、自身が料理本であるイコナだ。 「皆さんはお夕飯のお買い物でしたの?」 「はい。せっかくなので、今日は皆で一緒に作る予定なんですよ」 「……というより、あたしの料理修行も兼ねてるんだけどね」 レミが苦笑する。料理談義に花が咲いた花梨達三人は、この後篁家で実際に料理を作り、それを夕食として一緒に食べる事になっていた。三人の中でレミだけが料理を苦手としているので、実際の所は花梨と加夜がレミに料理を教えるという意味合いの方が強い。 「あたしが作った料理を食べた周が『地獄の蓋が開いたかと思った』なんて言うのよ。絶対に上手くなって見返してやるんだから!」 上達を誓い、意気込むレミ。そんな彼女に対し、似たような存在である三女を抱える花梨はただ苦笑するしか無かった。 「その為にも今日はカレー作りを頑張りましょう……その代わり、余り辛くしないで下さいね?」 「花梨さんは辛い物が苦手ですの?」 「そうなの、イコナちゃん。好き嫌いは無いんですけどね」 「好き嫌いが無いのは良い事ですわ。出来た料理を全部食べて貰う事が、作った人にとって一番嬉しい事だと思いますの」 イコナの言葉に料理をする皆が賛同する。やはりその点は共通なのだろう。 「ねぇねぇ花梨ちゃん。あたいも一緒に作りに行ってもいいかな〜?」 千結が花梨に尋ねる。元々今日はハンバーグカレーにする予定だったのだ。 「勿論構いませんよ。大吾さん達も来るならもう少し買い足しておきましょうか」 「任せて欲しいんだよ〜。荷物はこの子がしっかり持ってくれるんだよ〜」 そう言って箒を浮かせる。これに買い物袋を吊り下げて持って行くつもりなのだろう。 「あ、あの。私も行っていいですか?」 更に綾耶が加わる。元々篁家は大家族が住む事を考慮して大きな造りとなっているが、今日はかなり賑やかな事になりそうだった。 「こういう時は近くに住んでいる方が羨ましく感じますね」 ルシェンが少し残念そうに言う。 パートナーが迎えに来るのを待つ形になるイコナを除けば、この中で蒼空学園生でないのはルシェンとあさにゃんだけ。しかもツァンダから一番遠い天御柱学院の所属なので尚更だ。 「また今度遊びに来て下さい。部屋は余ってますから、お休みの前日に泊りがけで来るのも有りでしょうし」 「そうですね、その時は是非」 「にゃー」 ルシェン達が皆に別れを告げて帰って行く。結局イコナ一人だけツァンダに残していくのもどうかという話になり、花梨達は大所帯のまま追加の買い物をし、シンクへと戻るのだった。 「有り難うございます、レイちゃん。ここまでで大丈夫ですよ」 ヒラニプラの教導団施設前、ナナ・マキャフリー(なな・まきゃふりー)の言葉を受けて小型飛空艇が着陸する。ナナと共に、操縦者であるレイディス・アルフェイン(れいでぃす・あるふぇいん)も一度飛空艇を降りた。 「今日は楽しかったね、ナナ!」 「えぇ、最近のレイちゃんの事が色々と聞けて嬉しかったです」 「俺もだよ。また一緒に遊びに行こうね」 レイディスがナナに抱き付く。それを優しく抱きとめ、頭を撫でるナナ。二人はこの休日を満喫出来たようだ。 「次のお誘いを楽しみにしていますよ。気をつけて帰って下さいね」 「うん、ナナも気をつけて!」 最後に強めにぎゅっと抱きつき、レイディスが離れる。そして再び小型飛空艇に乗り込むと、手を振りながら上昇していった。 「さて、帰るとしましょうか」 飛空艇が見えなくるまで見送り、一人残ったナナの周囲に静寂が訪れる。ナナは手元の包みを少し開け、レイディスから貰ったカーネーションを見て笑顔を浮かべるのだった。 「ふむ……ケース2の方が反応が顕著か。ここまでは想定通りだな」 ヒラニプラ郊外の洋館で休日を過ごすダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は研究施設として使用している一室に篭り、薬学の研究をしていた。 記録をワークステーションに入力し、そこから予測される事柄を別のデータとして表示する。更に手元のノートパソコンでは別の研究のレポートを纏めるなど、複数の作業を平行して行っていた。 「ダリル、入るわよ」 扉をノックしてニケ・グラウコーピス(にけ・ぐらうこーぴす)が部屋に入ってきた。手には小皿とグラスの載ったトレーがある。 「ちょっとお夕飯の味見をしてくれないかしら」 「あぁ構わない……今日はカレーか」 「それからサラダと、付け合せにインドネシア風のエビセンよ」 ダリルがトレーから小皿を取り、カレーソースを口に入れる。 「ふむ……文句無い。辛さも俺には丁度良いな」 「そう? 良かったわ。料理好きな貴方のお墨付きなら大丈夫ね」 返して貰った小皿をニケがトレーに戻す。その時、ノートパソコンからアラーム音が鳴った。何かの時間を計る為にダリルが設定しておいた物だろう。 「今は何をやっていたの?」 「環境の違いにおける細菌の培養具合の変化とその傾向の調査だ」 「随分難しそうな研究をしてるのね。どのくらい進んでるの?」 「20時間を経過した所だな」 「20時間って……まさか、また徹夜したの? もう、貴方は機械じゃないのだから、ちゃんと休息を取らないと駄目よ」 野菜ジュースを渡しながらきちんと釘を刺す。ダリルが研究に没頭して寝食を忘れるのは今に始まった事では無かった。 「それで? まだ研究は残ってるの?」 「あぁ、3時間おきにデータを記録する必要があるからな」 「分かったわ。それじゃあその記録が終わったら、夕食まで寝てらっしゃい。その後も私が手伝ってあげるから」 「……そうだな。少し仮眠を取らせて貰うとしよう」 丁度データの入力が終わったらしく、ダリルは立ち上がると部屋に設置されているソファーへと向かい、そこで横になった。さすがに徹夜疲れがあったのだろう、すぐに寝息が聞こえてくる。 「もう、寝るならちゃんと自分の部屋のベッドで寝ればいいのに……仕方無いわね、毛布でも持ってきてあげましょうか」 トレーを一旦机に置き、部屋から毛布を持ってくる。普段通りなようでどこか安らかにも見える寝顔を見て、ニケは微笑を浮かべながら毛布をかけてあげた。 「お休みなさい、ゆっくり休んでね……」