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●『はじめて』に満つる季節は
桜の樹々は美を競いあうように、枝を薄緋の花にて満たし、それに誘われ鳥や蝶の踊るさまはまさしく、卯月ならではの光景といえた。
積もり積もった春がこぼれ落ちるかのごとく、ひとひら、花びらが舞い落ちた。
その緋色は雫のように、三笠 のぞみ(みかさ・のぞみ)の栗色の髪にぽつんと乗る。
「昨日はまだ肌寒かったのにー」
のぞみは頭の桜に気づかず、蒼い空を見上げた。
「もうすっかり春だね」
本日、のぞみの服装は若草色の着物ドレス、いわゆる和ゴスという扮装である。甚平風の上着ながら円形フレアーのスカートという独特の美意識に基づく組み合わせ、襟元と袖には気持ち良くレースがあしらってある。黒い菱形模様をならべた帯もあり瀟洒で軽やかで、こんな陽気にはふわさわしい。黒くぴっちりとしたショートブーツもよく似合っていた。
陽気につられて、というのがぴったりだ。あまりの晴天と暖かさにいてもたってもいられず、のぞみはパートナーたちと外に出ていた。今日は休日、特に目的もないまま近所を散歩する。近所といってもイルミンスールの周辺だ。緑は茂り桜も自由に咲いている。
「そういえば」
と口を開いたのは讃岐 赫映(さぬき・かぐや)だった。赫映はごく自然に一行の中央、それも全員の一歩先をゆき、先導役をつとめる格好になっていた。
「この顔ぶれで出かけるというのは珍しいですわね?」
「そうですね……!」
はしゃぎ気味の声でミツバ・グリーンヒル(みつば・ぐりーんひる)が応じた。いささか引っ込み思案ということで普段は留守番が多いミツバだが、今日はのぞみの隣にある。それをいうなら赫映とて、時間があればついイルミンスールの大図書館にこもりがちなので、休みを陽の光の下で過ごすのは久々だ。
そしてもう一人、珍しい同行者があった。
「そっちより、こっちの道の方が綺麗な花が咲いてるよ。僕の勘だけど」
のぞみの胴に腕をまわし、エイディエール・イルナン(えいでぃえーる・いるなん)はその顔を彼女の首に寄せて言った。
「エディ!?」
のぞみはくすぐったくなって声を上げた。抱きついたままエイディエールがすりすりと、のぞみの衣装を両手で撫であげたからである。
「地球のファッションって素敵だよね。特に和ゴス! 僕は深い森で暮らしてたからさ、のぞみが実家の店に来てくれるようになって、知ったことも多いんだ……今日も似合ってるよ」
言いながら薄灰色の耳をひょこひょこと動かす。エディにとっては、和ゴスを着こなすのぞみは憧れであり興味の対象なのだった。
「うぅ……大胆です……」
迷うことなくのぞみとスキンシップを取るエディを見て、ミツバは少々羨ましそうな声を洩らした。人里離れた森育ちということもあってか、エディは実に感情表現がストレートだ。なにかと奥手なミツバには、エディのような振る舞いはなかなか真似できない。
「ほらほら、ずっと抱きついていたら先に進めませんわよ」
そこをナチュラルに赫映がいざなった。エディの腕をそっと解かせ、のぞみを歩ませる。
のぞみは栗色の前髪をかきあげて提案した。髪に付いた桜の花びらが小舟のように流れて飛んだ。
「ねえ、ここをずっと行ったところにカフェがあるよね。そこでお茶にしない?」
「賛成です」
と言いながら、さりげなくミツバは一行の最後尾につく。なぜだろう、ミツバはこの場所が落ち着いた。
(「のぞみの帰路を、守るような位置だからでしょうか……?」)
そんなことをミツバは思った。のぞみにとって初のパートナーは自分だ。しかしミツバがのぞみの冒険に同行することはほとんどなく、ゆえに彼女をそばで守ってあげる機会は少ない。だけど、
(「のぞみが帰ってくるところを、守っているのは私なんです……」)
そんな気持ちがするのである。
一方で、行く手に見えたカフェを指しつつ赫映も思った。
(「たまにはこうして、大図書館から出るのも大切でしょうね」)
何かを求めては、ついつい読書に没頭してしまう己を赫映も認識はしている。もちろんそれは知識欲によるものだ。とはいえ、
(「その何かがいつか、のぞみたちの役に立つかもしれませんもの」)
知識蒐集をやめるつもりは、今のところ赫映にはない。だが知識それ自体が目的ではなく、すべてはのぞみのためだということを覚えておきたいと赫映は考えるのである。
「そういえば僕、こっちでカフェに入るのはじめてかもしれない」
エイディエールは目を輝かせた。
本当に、イルミンスールでの生活は刺激的だ。毎日が『はじめて』に満ちている。
春は『はじめて』に最適の季節だとエイディエールは思う。
――のぞみたちと一緒に、賑やかに、楽しい『はじめて』を過ごしたいな。
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