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リアクション
5
からりと晴れた、気分が明るくなるような良い天気の日で。
日下部家にとって、いつもと変わりない一日になるはず……だった。
「やー兄ー! 見て見てー♪」
妹の、日下部 千尋(くさかべ・ちひろ)の弾んだ声が聞こえてきて、日下部 社(くさかべ・やしろ)は振り返る。
「おー、どーした、ちー?」
ちょっと、千尋の声が低いような気がする。風邪でも引いたか? と心配したのもつかの間、
「ちーちゃん、男の子になっちゃったよー!」
「な、なんやてー!?」
もっと、別の心配をしなければいけなくなった。
「りりり! リンぷー! た、大変や〜!」
困った時の駆け込み寺。
……というわけではないけれど、困ったときの親友頼み。社は異変に気付いてすぐさまリンスのいる工房に駆け込んだ。
「ちーが! ちーが! 男に! なんとかしてぇや〜!」
冷静な彼ならば、何か教えてくれるだろうと部屋に入って、
「お前もかい!!」
女の子になったリンスを見て、芸人さながらの鋭いツッコミを入れる羽目になった。しかし直後、はっと気付いた。
「い、いや、むしろ……『いつからリンぷーを男だと錯覚していた?』! そうや……リンぷーは実は、」
「日下部。その……言いづらいんだけど、眼科か脳外科に行ったほうがいいんじゃないかな」
「冗談やん! 相変わらず辛辣なツッコミやでぇ……」
しかも、真顔で淡々と返してくるからどこまで本気かわからないし。
「まぁ、悪ノリしてもうたな。スマン。やぁ、この『女子力カウンター』が反応したもんでな? つい」
「アイテムのせいにしない」
「アカンバレてる」
日下部の考えなんてお見通しだよ、とため息を吐かれた。憂いだ横顔が綺麗で、つい見惚れる。
「何?」
「あ? や、リンぷー綺麗やなぁって」
「…………」
「黙らんといてや!? ……うん、でも、ホンマ、なぁ」
一歩引いたリンスの手を取って、軽く引き寄せた。至近距離で、じっと見つめる。
きめ細かで、透き通るような白い肌。薄く色づいた頬と唇。長い睫毛と大きな瞳。表情筋が仕事をサボりがちだが、間違いなく美人さんだ。
「女やったら彼女にしたいくらいやな♪」
からかい半分に言ったセリフに、
「日下部は五月葉のことが好きなんだと思ってたけど?」
「ぐあっ」
予想外の切り返し。思わず変な声が出た。言葉に詰まる。
「な、ん、……なんで知ってるん」
「あ、やっぱりそうだったんだ」
カマをかけただけだったらしい。してやられた。
「……せやから、今のオリバーには内緒な? マジで」
「はいはい」
心なしか、リンスが小さく笑ったように見えた。
「笑った顔も綺麗やなぁ」
「あんまり言ってると、本当浮気みたいだよ」
「アカン、それはアカン。俺の心はなぁ、……」
その先は、恥ずかしくなったので黙る。また、リンスが笑んだ。
「ねぇ、マスター♪」
不意にかけられた響 未来(ひびき・みらい)の声に、驚く。振り返ると、未来はにまにまと微笑んでいた。……なにか企んでいるようだ。
「せっかくリンスちゃんが女の子になってるんだから、いつか来る時のために『愛の告白』の練習をするべきよ♪」
ほらきた。
リンスはきょとんとしているし。
社としては恥ずかしいし。
「アカンやろそれ〜……」
「あら? 練習なしでいざ本番、ってなったら、マスター、緊張して噛んじゃったりするかもよ? 一大決心してのその場面でそれは……かっこ悪いかもしれないわ」
「ぐ……」
気持ちだけ急いてしまうことがないと言い切れないのは事実で。
まして、彼女を前にして、言葉をなくしてしまうかもしれないし。
「リンスちゃんは協力してくれるでしょ?」
「まあ。練習台になるくらいならお安い御用だけど」
「ほら♪ こう言ってくれてることだし♪」
やるか?
どうするか。
「リ、……オリバー」
言ってみることにした。
相手の目を見て。
彼女だと思って。
伝えたい言葉を、頭の中に浮かべる。
たった二文字の、伝えたい言葉。
それは、
「……アカンわ」
本当に言いたいのは彼女だから。
彼女にだけ、伝えたいから。
「言わんとく。噛んで失敗したら笑ってや?」
リンスと未来が顔を見合わせた。未来が、笑う。
「任せて! 歌にしてあげるから!」
「それは、却って恥ずかしいよね」
「いや! それくらいでええで! 俺がヘコんだりするとか、似合わんやん! ……って、失敗前提にせんといてぇな!」
ツッコミが済んだとほぼ同時。
工房のドアが、開かれた。
「ありのまま起こったことを話します! 工房に遊びに行ったらリンスさんが女の子になってました!」
高らかにノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)は言い放つ。
「これは大変ですッ! 急いで女の子の服を用意しなきゃっ!!」
もちろん、わくわくと楽しそうに。
「……楽しんでるでしょ、セイブレム」
リンスが冷めた声を出す。見ると、呆れ顔をしていた。やだなあとノアは笑い飛ばしてみせる。
「そんなわけないじゃないですかー! 心配ですよ、すっごく心配! このまま戻らなかったらどうしましょう! 大変だ! いや〜私が代わってあげたいくらいですね! あっはっはっはっは……」
笑い声が収まるか否かといったところで。
ぽふん、と間の抜けた音と、煙。煙はノアを包み込む。
「えっ? えっ? バ、バルサン!?」
まさか、焚かれたか。あまりにうるさかったから? 虫じゃないですよー嫌ー! とひとしきり叫び、煙が晴れると。
「わ……ええ!?」
ノアは、男の子になっていた。
「余計なこと言うから……」
「どっ、どういうことですか! どういうことですか!?」
ため息をつくリンスへと、ノアは身を乗り出して問い詰める。
「近くで見てたんじゃないの? このカオスな場を」
「ま、魔女さんめぇ〜……!」
そうだ。リィナ・コールマン(りぃな・こーるまん)だって言っていたじゃないか。
男が女に、女が男に、といった性別転換の魔法なんて、使ってもなんの利点はないと。
相手の反応を見るくらいしか、楽しむ要素はないと。
だったら、傍で見ていて楽しんでいたとしてもおかしくはない。
「さっき魔女の話、してたからな。聞こえて近くに寄ってきたのかもね」
「なんですか、もう。なんでもありですか魔女さんは」
「ありだよあの人は」
「ですよねっ! うう、不意打ちです。卑怯です。正々堂々と勝負ですよー!」
虚空に叫ぶと、あははは、と澄んだ笑い声が聞こえた。綺麗なソプラノの笑い声。きっとこれは魔女のものに違いない。
ふくれっつらをしていたら、くいくい、と服の裾を引っ張られた。何かと思えば、千尋とクロエがノアを見つめていた。
「ちーちゃんもね! 男の子なんだよ♪」
「ちーちゃんとノアおねぇちゃん、おそろいなのよ!」
「お揃いですか。……お揃いなら、いいですね!」
そういうことにしてしまおう。
だって、不貞腐れていたってつまらないじゃないか。
社曰く。
「『男たるものデカいことをやらなアカンのや!』」
口調を真似て、言っていたときの表情も真似て、千尋はクロエとノアに言ってのける。
「やしろおにぃちゃんね!」
「うん! いつも言ってるのー」
「デカいことですか! 大きいのはロマンですからねー」
大好きな兄の教えだ。つまり、絶対だ。
いつか教えを守れたら、と思っていたが、こんな機会が巡ってくるとは。
「だからね、ちーちゃんもデカいことをするよー♪」
「デカいことって、なにするの?」
……そう、だけど、具体的には思いつかない。
「デカいこと……うぅん。難しいですねー……」
ノアも、悩み始めてしまった。
うんうん唸ること一分ちょっと。
「そうだ!」
千尋は思いついた。
現在時刻、十四時三十二分。
「ジャンボホットケーキを作ろう!」
「あっ! おやつの時間ですもんね! 作りましょう!」
「ホットケーキミックス、あるわ! おだいどころいきましょっ」
三人で並んでキッチンに立って、卵を混ぜて牛乳を加えて粉を混ぜて。
フライパンいっぱいに種をしいて、
「ひっくりかえらない!」
「根性です! てぇああぁ!!」
「ノアちゃんすごーい!!」
「すごーい!」
「どや! 見てくださいこの狐色! 今すぐ食べたい美味しそうな色ですよ! どやどや!」
なんだかんだと騒ぎながら、作り上げてみた結果。
丸いお皿に鎮座ましますは、ふっくら大きなホットケーキ。
どーん、という効果音が似合いすぎる様相だ。
てっぺんには四角いバター。熱で溶けて、食欲が刺激されるいい香りをあたりに振りまいている。
「デカいねー☆」
「メープルシロップ、みつけたわ!」
「フォークとナイフの準備もオッケーですよ!」
……思い返してみれば、どうにも天然じみたこの行動だが。
あいにく、ツッコミに回れる面々は広い部屋で歓談している。
ツッコミ不在のまま、『デカいこと』を成し遂げた三人は満足そうな笑みを浮かべて「いただきます」の三重奏。
幸せなおやつタイムは、もう少し続く。