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コンちゃんと私

リアクション

 
「……ああ、雅羅! 窓に! 窓に!」

 美夜の恐怖に歪んだ表情に、雅羅は一瞬、振り返ることを躊躇した。
 背後で、何かつるつるしたものがガラスを叩くような音がしている。
 見るべきではないのかもしれない。意識の奥で何かがそう忠告するのを感じながら、しかし、むしろ雅羅はその恐怖から逃れるために、振り返らずにはいられなかった。
 そして、雅羅は見た。
 ドアの覗き窓のガラスに貼り付く、幾本もの軟体生物のような触腕。褐色の球体の中央の巨大な単眼が、悪夢のように雅羅を見つめている様を。
「……あ、あ……」
 雅羅は悲鳴を上げるのも忘れて、その場に立ち尽くした。

「む?」
 蒼汁 いーとみー(あじゅーる・いーとみー)は怪訝に目を瞬かせた。
 窓越しに覗き込んだ事務所の中にいる人という人がことごとく、恐怖に顔を引き攣らせてこちらを凝視している。
 背後を振り返った。
 ……特に何もない。
「どうしたの?」
 頭の上でいーとみーが辺りを見回している気配に、鳴神 裁(なるかみ・さい)……正確には物部 九十九(もののべ・つくも)が、不思議そうに声をかける。
 それから、その隙を狙うように足元に這い寄る白いネバネバした何かを、威嚇するように睨みつけた。その左の瞳は金色だ。九十九が裁に表意している徴しだ。
 ネバネバはひとたび怯えたように震え、僅かに後退して遠巻きにこちらを伺うように蠢いた。
 この巨大な粘菌のような代物に追いかけられるように、タコヤキカルーセルにいた客達が逃げて行く様子を、裁たちはタコ型水鉄砲の射的場から目撃していた。
 建物の影で正確にはわからなかったが、彼らが事務所に逃げ込んだと判断して救援に来たのだ。
「中、誰かいる? いるなら、早く助けちゃおうよ」
 窓を覗き込むには若干身長が足りない九十九に即され、いーとみーがもう一度窓の中を覗き込むと、途端に室内の空気が戦慄くように痙攣した。
 ……ネパネバに襲われたのが、それほど怖かったのだろうか?
 いーとみーは軽い同情を覚え、力づけるように、触手でぺしぺしと軽く窓を叩く。
「そう怖れずともよい、わしらが今助けてやるほどに」 
 室内は阿鼻叫喚の巷と化した。
 逃げ場のない室内でなお逃げ惑う様が、滑稽な無声映画のように窓越しに繰り広げられている。
 突然、その中のひとりが、もの凄い形相でその場にあったパイプ椅子を振り上げた。

「殺す、ぶっ殺す! あいつを殺してあたしも死ぬ!」
「なんでそうなるーっ」
 訳の分からないことを喚いてパイプ椅子を振り上げた美夜に、雅羅はしがみついた。そのことで、全身を硬直させていた恐怖が、わずかに薄らいだような気がした。
「ダメ、窓を割ったらアイツらが入って来るわよっ」
「殺す、ころすーーーっ」
 窓に貼り付いた異形の生物に向かって喚き散らす美夜を、羽交い締めにして止める。しかし、出口があのドアひとつしかない以上、どちらにしても絶望的な状況だ。
 そのとき、ふいに……異形の巨大な単眼の視線が逸れた。
 
「雅羅ちゃんっ」
 届かないとは思いながらも、杜守 柚(ともり・ゆず)は叫んだ。
「今、助けますっ!」
 声とともに火術を放つ。空中に生じた炎が一瞬で火球となり、事務所のドアに貼り付いた異形の生物に向かって一直線に飛んだ。
「おわっ」
 緊張感のない声を上げてソレが身をかわし、目標から逸れた火球は傍らの壁に当たって霧散した。
 頭部の単眼が、ぎろりとこちらを見た。離れていても、それが身に纏った瘴気が肌を焼くように感じられる。
「く……っ」
 柚はきりっと奥歯を噛み締め、掌をソレに向けて叫んだ。
「つ、次は外しませんっ!」
 

「な、なんなの、今のはっ」
 バタバタと走りながら九十九が喚いた。
「ボクが狙われたんだよね、あれは」
「です〜、間違いなく、ボクたちがロックオンされてたです〜」
 裁の体に魔鎧として装着された状態のドール・ゴールド(どーる・ごーるど)が答えて、進行方向でゆっくり蠢いている白いドロドロの塊を、パイロキネシスで焼き払った。
「ううむ、もしや畏怖か混乱状態に陥っていたのか……何にしても、あの剣幕では退散するしか仕方があるまい」
 ドロドロは炎で焼かれても怯む様子はなかったが、瘴気とアボミネーションの効果で近づいて来ない様子だ。
「状況がわからないなあ。とにかく、はぐれた吹雪ちゃんたちと合流しないと危険かも……」
 突然、ポケットで携帯が震えた。
「あれ? さっきは全然繋がんなかったのに」
 首を傾げながら取り出すと、葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)と同行している筈のコルセア・レキシントン(こるせあ・れきしんとん)からの着信だった。
「コルセア? 今どこ?」
『……吹雪ちゃ……ヤバい……』
 途切れ途切れでよく聞きとれない。九十九はなかば叫ぶように聞き返す。
「コルセア? 良く聞こえない、何?」
『……ゲート……救援……』
 ザザ、と大きくノイズが被り、通話は途切れた。
「切れちゃった……なんか、ヤバそうな感じだったけど、どうしよう」
「ボク、テレパシーでコンタクトを取ってみましょうか?」 
 それがどういう意味を持つのか、誰かが気づくべきだったのだが……生憎、彼らも少し焦っていたのだろう。あまり深く考えず、九十九は頷いてしまった。
 それが、更なる渾沌へ至る道程へのGOサインだった。