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絶望の禁書迷宮  救助編

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絶望の禁書迷宮  救助編

リアクション

第9章 リミット近し

「霧が……薄くなってきた」
 森に入ってすぐのところで、ずっと場所を変えずにいた藤崎 凛(ふじさき・りん)シェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)は、周りの景色の変化に如実に気付いていた。
 最初は、暗所の苦手なシェリルのことを凛が気遣うほど、薄暗くて見通しの悪い場所だった。
(「私は大丈夫。リンが思う通りにやればいい」)
 パートナーを守るために暗所への恐怖を堪えて気を張ってそう言ってくれたシェリルのおかげで、凛はその言葉通り、胸に秘めた思いのまま、この幻想世界を形作る魔道書に向かって呼びかけた。胸に手を当て、精一杯その声を張って呼びかけた。
(「聞こえていますか? 魔道書さん……私、あなたがどんなご本で、どんな歴史を持っているのか、全く知りません……
 でも、知りたいんです。あなたたちのこと。……あなた達がどんな目に遭ったか……どうかお願いします。教えて下さいませんか?
 知りたいんです。私……私にとって、本はずっと、大切なお友達だから」)
 答えはない。凛も、心閉ざした本がすぐに心を開くとは思ってはいなかった。
 だから。ずっと呼びかけ続けた。応えのない相手に向かって、切々と。自分が昔学校でいじめられていた頃の話、その時誰にも打ち明けられずにいた自分にとって、本が大きな慰めになっていてくれたこと。
 自分が本に助けられ、そして今があるように、悲しい目に遭った本にとっても、辛い思いの先に未来があると信じたいと。
 ――その思いをすべて打ち明け、周りを見回した時に、その変化に気付いてのだ。
 霧が晴れてきて、森の様子が見やすくなっていた。二人は驚いていた。
 霧の中ではわからなかったが、森を形作る木々は、意外にも歪だったり、妙に細かったり、枝が八方折れたり……妙に痛々しさが目立った。堂々と地に立つ木立は少なかった。
 二人はこの場で、他の誰とも遭遇せず、戦いは起きていない。だから誰かと戦って荒らされたのではなかった。
「これは……魔道書の心の現れなのだろうか……」
 シェリルが呟いた。


「全く。いつまでへそを曲げておる気なのじゃ」
 名も無き 白き詩篇(なもなき・しろきしへん)も、この地下書庫入口にいる大半の契約者と変わらず、幾ら呼びかけようと『暖簾に腕押し』のこの状態に苛立っていた。
「わらわも魔道書じゃ。だからぞんざいに扱われたりするのは確かに腹が立つ。じゃが、一番恐ろしい事は、誰からも忘れ去られる事じゃろう。
本である以上、誰かに読まれる事こそが至上なのではないのか?
今までは放置させれていたかも知れんが、ここでせっかく来た人間を悪意で排除しては余計に悪循環ではないのかのう?
誰にも読まれず、迷宮の片隅で埃をかぶったままで、おぬしら満足なのか?」
「まぁまぁ、白。言い分は分かりますが、もう少し柔らかく」
 パートナーの言い分は分かるがやや居丈高に響くのではないかと、御凪 真人(みなぎ・まこと)がやんわりと止めに入る。
「柔らかな言い方なら、他の契約者が散々しておる! なのに聞かぬのなら、目を覚ます言い方をするしかないじゃろうが」
「……そうですね」
 確かに、それぞれに言葉を尽くしているのに芳しい返事が返ってこないということは、少し考えなくてはならないと真人も思っていた。
 幻想空間の解除と引き換えに、魔道書にとって招かれざる客である『石の学派』を捕縛する。それが最も良い交渉だと考えていた。彼らを野放しにしていれば、どのみち危害が魔道書たちに及ぶのは免れない。幻想空間相手に、魔道書達だけで勝ち目があるとは思えない。真人もそれを主張して、交渉しようとしていた。
(「いくら異空間に閉じ込めたとはいえ、あなた方の嫌う人間がこの場に居続けるのは、不本意なことではありませんか?
もし、ここを解除して頂けるのなら、彼らとの戦闘はこちらで受け持ちましょう」)
けれど、自分も含め何人かの契約者が同じような趣旨のことを持ちかけたが、芳しい返事はない。……そもそも応えが、返ってこない。
 どうしたものかと考えているのだが、真の中には別の疑問もまたあった。
「そもそも、何故『石の学派』は、求める魔道書がここに在ると考えたのでしょう。どこでそんな情報を……?」
 もともとここは、位置も忘れ去られた地下に埋もれた書庫。中にあるのは素性も価値も不明な本ばかりといわれている。今はそれさえも、結界の向こうで確かめようがないのに……
 ――そんなの、あいつが戻ってくれば分かる。
 独り言に、どこからか小さな声で返事があったのに、真人は驚いて辺りを見回した。白き詩篇と目が合う。彼女にも聞こえたようだった。
「……どうやら、ようやく口をきく気になったようじゃの」
「え、では、今の声は」


 突然、地下書庫全体がずしん、と重い響きに揺れた。


 出し抜けに起きたそれに、その場にいた者は驚いて動きも喋りも一瞬、ぴたりとやんだ。

「ぐわっっ!」
「わあっ!」

 その静寂の中に、響いた悲鳴が二つ。
 結界の向こうに、出し抜けに二つの人影が姿を現した。
 大した距離ではないが、契約者たちの側からは、分厚いガラス壁の向こうのように見える。

「くっそ、あの小僧どもめが!! 出てきやがったらただじゃおかねえぞ!!」
 妙にガタイの良い、中年男性風のいかつい顔の男が吠えるように怒鳴った。
「もー、『オッサン』うるさいよー。どうせこんなもんだって、分かってたじゃん」
 不服そうな声を出したのは、ゴスロリ少女のような黒い服を着た少年。華美だが、首にかけたネックレスには白い髑髏がぶら下がっている。
「……冗談じゃねぇ。俺たちが限界っていうんじゃ、『ネミ』はどうなるよ」
 そこに、別の男が現れた。青年風だが、どういうわけか道化師のような服装である。服装の割に怒っているような顔つきなのが、どうにも不釣り合いだ。
「あまり騒がないでください、『ヴァニ』も『騾馬(らば)』も。人がいるのに、みっともないですよ」
 今度は、長い銀髪の、ほっそりした青年が現れる。術師風の袖の長い古風な服装をしているが、一冊のくすんだえんじ色の本を胸に抱え、先に出てきた男たちの騒がしさに神経質そうな顔をしかめていた。
「んなこと言ったってよぉ!」
「まるっきり俺ら、見せ物じゃね?」
 そう言って、ようやく結界を隔てたこちら側を見る者が現れた。黒いロングコートを着た、いやに目つきの鋭い黒い長髪の青年だ。

「……これ、皆『魔道書』ですかぁ……?」
 呆気に取られて、エリザベートが呟いた。

「なぁ『リピカ』、あいつまだ戻ってこねえの?」
 エリザベートを一瞥した黒コートが、しかしこちらには構わず、銀髪の青年に話しかけた。
「正直待ちくたびれたわ。案の定、『オッサン』も『ヴァニ』も『騾馬』も、俺もあいつが戻るまで持たなかったじゃん。どうするよ」
「『揺籃(ようらん)』……それは……」
「噂をすれば、だよ、二人とも」
 ハスキーな声がした。胸元の空いた黒と赤のイブニングドレスを着た、艶やかな唇の妖艶な女性が姿を現し、顎をしゃくってどこかを見るように二人に促した。
 そこにいきなり、ぽんっと姿を現したものがあった。
「『パレット』!」
 そこにいた魔道書が全員、声を上げる。『パレット』と呼ばれた魔道書は、飄然とした様子でふらりと立った。一際小柄な少年のその姿は、ジーンズに半袖のTシャツと、他の魔道書の人間化に比べて妙にカジュアルな出で立ちだ。ただ、細い両腕は手首から袖の奥まで包帯でぐるぐる巻きになっていて、よく見るとTシャツの胸元からも、その下を覆う包帯がのぞいていた。
「遅いじゃねえか、テメェ!」
「どこ行ってたの、『パレット』?」
 ガタイの良い『オッサン』と、髑髏の首飾りの少年が続けざまに彼に声をかけた。
「『奥』だよ。様子を見にね」
『パレット』はさばさばした調子で答えた。包帯の割には、別に傷を負っているという様子ではない。
「奥で何か分かったのかい?」
 ドレスの女性が尋ねる。他の魔道書に比べると、落ち着いた表情で焦りの色も見えない。
「ま、そこそこね。……『リピカ』、『ネミ』を」
 と、手を差し出した。銀髪の『リピカ』は、一瞬ためらったものの、素直に彼に本を渡した。『パレット』は受け取った本の表紙を一瞬、じっと見た。そして、いとおしむように胸に抱え、静かに囁いた。
「苦しかっただろ。よく頑張ったね、『ネミ』」
 それから、結界の向こう側のエリザベートと、契約者たちの方を向き、きょろっとした大きな、どこか子供じみた目でじっと見た。
「さてと……どうやら俺が話をしなきゃいけないみたいな空気だね。それとも、俺の代わりに話したい奴いる?」
 彼は振り返り、他の魔道書見たが、みんな神妙な顔で黙り込み、彼の顔を見つめ返すだけだ。
 どうやらこの『パレット』が、魔道書側のスポークスマンということになるようだ。


「契約者の皆さんの話の内容は、『リピカ』を通じて大体聞いたし、空間開放を急ぐ理由も理解した。
 けど、どのみちすぐに開くわけにはいかなかったんでね」
「『石の学派』なら、ここにいる契約者と私たちでふんじばってやるって何度も何度も言ってるですぅ!」
 エリザベートが業を煮やしたように喚く。だが。
「『石の学派』……か。いや、彼ら以外の理由もあってね。『ネミ』の暴走が収まるまで待たなきゃならなかったんだ」
「暴走ぅ?」
 エリザベートがきょとんとする。『パレット』はこっくり頷いた。
 憎んでいるはずの人間を見る、その目には敵意も蔑意もなく、ただただフラットだった。
「こいつらをあんまり悪しざまに言わないでくれよ。可哀想なところもあるんだ。
 お嬢ちゃん、見たとこそこそこ魔法の知識はあるようだけど……こいつの内容、分かるの?」
 こいつ、で抱えた本をさして問い返した。エリザベートは、「お嬢ちゃん」と「そこそこ」にカチンときた様子でふくれっ面になりながら、
「『ネミ』、で森、で金の枝、とくれば大体の察しはつきますぅ。『祭司殺し』の……秘儀か何かじゃないんですかぁ?」
 その返答に、『パレット』は特別感嘆した様子もなくただ無造作に頷き、続いて二人のやりとりを見ている契約者たちの顔をぐるりと見渡した。
「あぁ、そういや、何とかいう学者が本を書いて、結構世に知られてるんだっけか。この中にも分かる人、何人かいるんだろうね」
 呟いて、一人で納得したかのように頷くと、続けて話した。

「森の中にある、女神の神殿――その祭司になるには、金の枝を手に入れ、現在いる祭司を殺さなくてはならない。
 古代の人間社会で、宗教的な意義により行われることのあった、いわゆる『王殺し』の一例。
 天より権力を授かったとされる『頂点の存在』を殺して、新しく擁立することで、古い王によって失われた力と秩序がまた新しく蘇るという。
 いわば死を持って新しく再生する点の儀式的な意味のある行為だった――と、されてるんだってね」

 そこまで喋ると、『パレット』はどこかきょとんとした目をエリザベートに向ける。
「勘違いしないでほしいんだけどさ。この『ネミ』は、もともとは単なる記録書なんだ。
 代々の森の祭司の名前、出自、在職期間とか――そんなものを書き留めた記録書。
 別に秘儀も奥義も書かれてたわけじゃない」

「けれど、どっかのイカレタ『自称・神秘主義者』の手に渡ってしまってね。
 そいつが『神の啓示を受けた』とかぬかして、『死を持って再生する儀式』とやらをでっちあげた。無理矢理、祭司殺しの慣習とこじつけて。
 傍迷惑な話だよな。『ネミ』はそのインチキ儀式の秘具として祭り上げられてしまった。
 イカレタ野郎に騙された『信者』が何十人も、儀式と称して偽物の祭壇で血祭りにあげられ、『ネミ』はその血を浴び続けて……
 もともと、大人しくて真面目な奴だよこいつは。けど、未だにそれがトラウマを残してて、人の血を見、血の香りを吸うと――狂う」

「狂う?」
「人間への憎悪が止まらなくなり、強制排除へと駆り立てられる。
 あの時、入り口の前で人が二人倒れたんだろう?
 まぁ、学派とやらを中に入れたくないってのは俺たち全員の気持ちだったし。タイミングの問題で、『ネミ』はそれを全部自分で背負って立ってしまったんだ」
 エリザベートは、鷹勢とめい子を思い出した。彼らが傷を負って倒れたことが、それを見た『ネミ』の暴走のスイッチを入れたということか。
「俺たちもとっさのことで、奴らを奥に行かせないためには、彼のしたことに乗っかるしかなかった。
 でももちろん、長続きしないのは分かっていた。けれど、暴走した『ネミ』の興奮が落ち着かない限り、俺たちも彼とまともな交渉は出来なかったからね」
「落ち着くって……いつ落ち着くですかぁぁ! 悠長なこと言ってられないですぅ!
 ……ハッ!! まさか、森の中で契約者と学派がドンパチやって、余計に血が流れて、さらに興奮しているとか、ですかぁ……!?」
「いや、この中での戦闘はそんなに影響しないはずだよ。『ネミ』自身、幻影を兵にして自己を守っているくらいだから、戦闘は想定している。
 彼にとっては、現実で起きる流血によって呼び覚まされるどうしようもないパニックを、悪夢に置き換えて自分を守るための手段が『森』なんだ。
 実際、もう落ち着いてきてるよ。その証拠に、幻想の森の中の霧がだいぶ晴れてきたんじゃないかな」
 そう言って『パレット』は、胸に抱いた本を持ち上げ、エリザベートの方に掲げてみせた。
「わかる? この表紙にまでこびりついた、血の跡」
 黒っぽいえんじ色の地に、えらく色ムラがあるように見えた。
「もう、消せそうにないんだよね……」


 ぽたり、と、凛の瞳から涙が落ちた。
 『パレット』の声は境界を越え、微かにだが、森の入口まで聞こえてきていた。
「そんな……恐ろしいことが、あったんですね……」
 両手で顔を覆う凛の肩に、シェリルが手を置く。


「じゃあ、早く『ネミ』に、空間を解除するよう頼むですぅ! こっちは人の命がかかってるんですぅ! 一刻の猶予もないですぅ!」
 エリザベートが再び喚きだす。
「侵入者は契約者と私たちで排除するですぅ! ていうか、こっちに入っている情報では、もう大半が森の中で契約者に捕まってるはずですぅ!!」
 パートナー同士が精神的手段でやり取りできる者から得た情報の中には、森の中を歩き回って状況を確認した者の情報が加わっていた。それによると十人以上は、倒され捕縛されたということだ。
「そいつは信じらねぇな」
 突然、『パレット』の後ろで、道化師姿の男が敵意を含んだ声を上げた。
「俺たちはさっき、森の内部から突きあげて来た衝撃波で、魔力の壁を崩されたんだ。『ネミ』は何とか持ちこたえてるけど……大半が捕まってて、そんな芸当ができるか?」
 彼の言葉に頷いているのは、一緒に『ネミ』の紡ぐ森を魔力の壁で覆っていた魔道書らしい。
 『パレット』は振り返って彼らを見、それからエリザベートに視線を戻した。
「いや、大半が捕まったっていうのは必ずしも嘘じゃないと思う。けど、首謀者は捕まってないんじゃないかな」
「! うっ……それは……」
「多分……俺たちにも契約者たちにも、『首謀者』は捕まえられないよ。森を解除したら、少なくとも彼だけは、結界の奥に入っていってしまうだろう」
 妙に確信めいた口調で、絶望的な言葉を紡ぐ『パレット』の大きな目には、急に何か暗い、悲しげな色が差したようだった。
「な…っ、何でそんなこと、断言できるですかぁっ!?」
 エリザベートの叫びを前に、『パレット』は落ち着き払ってこう言った。
「それは、後で説明する。それよりも、人数が少ないのにそんなに強力な衝撃波を出せたってことは……
 まずい。奴ら、神殿に到達している可能性がある」
「神殿? やっぱり、神殿があるですか!?」

「神殿は、森の中で一番、現世に近い場所だ」