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リアクション
●Prologue
晴天。入道雲が森のようにわきたち、まばゆい蒼が宇宙まで突き抜けそうなほどの晴天。
それと同時に、快晴。煮えたぎる太陽はまさしく火の玉。太陽の無数の手からは、灼熱の槍のような日差しが容赦なく降り注ぐ。
要するに暑いということだ。猛暑という言葉すら生ぬるい。酷暑であり暴暑だ。おまけに湿度もたっぷりときている。
ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)は額を拭った。街全体が巨大な釜で、ぐらぐら煮られているような気がする。
立っているだけで溶けそうな午後の日差しの中、夏の風物詩――かどうかはわからないがともかく夏っぽいもの――の行列に彼は並んでいた。すなわち、ショッピングセンターの福引きだ。あまたの戦場を駆け抜け幾たびも死線をくぐりぬけてきた彼、筋骨隆々として精悍な面構えのジェイコブが、エコバッグを肩から下げ『福引き補助券』を束にして握って並んでいる姿は、なんともシュールな印象を見る者に与えるかもしれない。
そしてその彼が頭上で鐘を鳴らされ「おめでとうございます。特賞当選!」と言われ「いやあ、参ったなあ」と言うでもなく飛び上がって喜ぶでもなく、ただ当惑したような表情を浮かべている姿は、ますますもってシュールな印象を見る者に与えるかもしれない。
ティッシュ五箱(三等)でも当たればいいと思っていたジェイコブの手には、かくてペアチケットが握られることになった。
空京の超巨大プール『スプラッシュヘブン』の入場券である。
特賞だけに宇宙旅行でも当たるかと思いきや――ジェイコブは苦笑いした。大きいとは聞いてはいるが、しょせんプールの入場券である。とはいえショッピングセンターの福引きにそれほど期待するべきものでもないだろう。
暑い時期なのでちょうどいい。折りよく夏期休暇に入ったところでもあるので、彼は帰宅するや雑談のような口調で、パートナーフィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)に声をかけた。
「というわけで明日にでも……どうした?」
ジェイコブは片方の眉を上げた。なぜって彼女が、
「え、やだ、うそ? うわ、うわわどうしよう」
みるみるうろたえはじめたからである。
「明日に都合が悪ければ明後日でもいいが?」
「い、いえ、そういうわけではなく……」
どういうわけなのやら。日頃、氷の彫像のようにクールな彼女らしからぬ狼狽ではないか。
「行きたくないなら別に……」と言いかけた彼に、
「行きます!」噛みつかんばかりの勢いで彼女は即反応した。
「それなら……いいのだが」
ジェイコブの当惑はしばらく続きそうだ。
「……」
自分の部屋に駈け込んでフィリシアは呼吸を整えた。
さっきの一幕は明らかに挙動不審だった。しかしそれも仕方がないではないか。あれは完全な不意打ちだったのだから。森の中をバイクで流していて、突然巨大カミキリムシが樹上から落ちてきたような感じだ……いや、それはちょっとたとえが違うか。ともかく心臓が高鳴るような誘いであったのは言うまでもない。
だって、デートなのである。
出会ってから四年、得難いパートナーとして長く戦場を共にした間柄とはいえ、二人で買い物以上の外出をしたことはなかった。孤独な夜も酷寒の朝も、彼がフィリシアに身体的接触を求めてきたことはない。彼と触れあうのはせいぜい傷の手当てくらいが関の山で、後は崖から落ちそうになったとき手をさしのべてくれたことくらいだ。それは、女性として安心である反面、女として見てもらっていないようで物足りなくもあった。
そんな朴念仁ジェイコブがどういう風の吹き回しだろう。
デートだなんて。それも、水着で。
デート、デート、デート。
考えるだけでフィリシアの頬は熱くなった。エアコンの設定温度を下げたくなるくらいに。
フィリシアはここで慌ててドアを半開きにして腕を伸ばし、廊下側に付けられたプレートを裏返した。カタンと音を立て木製のプレートは、『取り込み中。入室はご遠慮願います』という面が表になった。
時間が遅いのが悔やまれる。だが、今から出れば水着を売っている店のシャッターが降りる寸前に滑り込むことくらいはできよう。
急ごう。気合いを入れなければ。
明日着るものはただの水着ではない。いわば戦闘服なのだ。
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