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悪魔の鏡

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鏡・その3:バビッチのアトリエ
 

 町外れにひっそりと佇む、古びた洋館。長い間放置されていて、人々からも忘れ去られがちだった敷地に、自称・天才錬金術師の工房(アトリエ)はあった。これまで、目立たず町の人々からも注目されなかったのは、無人の洋館の地下にあったからである。
 長い石畳の階段を降り古びた扉を開くと、錬金術師のバビッチ・佐野の工房へとたどり着く。
 ほとんどの人に知られることもなく、空京の片隅でひっそりと研究を繰り返していたバビッチ・佐野は、突然の来訪者たちに驚きつつも、予想外の成果に満足げな表情を浮かべていた。
「……完成だ。これで私の長年の夢がかなう」
『悪魔の鏡』を最初に作り出してから、どれほどの時が流れたであろう。いったい何個造ったのだろう。そんなことは、彼には関係なかった。
「何度やり直しても、コピーが一つしかできないのは誤算だったが、そこはさらに己の腕を磨き研究を重ねるとしよう。夢が広がりまくりの道具を生み出せて、私は錬金術師冥利に尽きるというものだ。それもこれも兄弟のおかげだ。ありがとう」
「いや、喜んでくれるのはいいのだが、一つ重要なことを言わせてもらおう。俺は、あんたの兄弟でもなければ親族でもない。ただ、苗字が同じなだけの通りすがりだ」
 そんな、バビッチ・佐野の工房。
 その日、空京大学に通う佐野 和輝(さの・かずき)は、一仕事を終えて、労働の達成感を味わっていた。よく見ると、呟くその目は全然笑っていないのだが。
 悪魔の鏡の噂なら聞いていた。
 バビッチ・佐野とは、偶然同じ苗字ということで、これも何かの縁とばかりに彼の工房を訪れ巻き込まれるように鏡作りを手伝わされてしまったのだが、特にそれ以上の深い意味はない。軽い好奇心から聞いてみる。
「しっかしまあ、手伝っておいて何だが。面倒な鏡を作り出したものだな。なんだって、こんな物を作ろうと思ったんだ?」
「ふふふ、良くぞ聞いてくれた、兄弟」
 もしかして、話す機会をずっと待っていたのだろうか。バビッチ・佐野は目を輝かせながら身を乗り出した。
 ちょっと面倒臭くなりながらも突っ込んでおく。
「……だから、兄弟じゃないっていっているだろ」
 和輝はため息混じりに答える。
 何処から突っ込んでいいのやら。バビッチ・佐野は、貴族衣装風の上質な服を身に纏い、蝶ネクタイにシルクハット姿という、派手な格好の中年男だった。くるりと巻いた鼻ヒゲを指先で摘んで整え、得意顔で語り始める様子は、錬金術師というよりコメディアンだ。
 残念なのは、姿格好だけかと思いきや、彼は厨二病少年が精神年齢はそのまま大きくなったような男だった。
 目の輝きはとても純粋で、狂信者のように光っている。真っ直ぐな求道者のストイックな表情。だが、その方向性を間違えているようだった。
 だからこそ危険なのか……。ご機嫌なバビッチを横目で見ながら和輝は考える。
 世間ずれしていない。一般常識がない。良い悪いの区別もつかずに、錬金術の知識だけを増やして、思いつきで鏡を作ってしまったに違いない。邪悪なたくらみを抱いてのことではなく、いたずら半分に。
 うきうきしながら、バビッチ・佐野は話を続けてくる。
「どうして、私がこの鏡を作るにいたったか。そう、あれは数年前……、まだ私が『なぜ人間は生きているのか』を哲学していたころの話だ……」
「……」
 理由を聞いたのは薮蛇だったかもしれない。ずいぶんと話が長引きそうだった。
 バビッチ・佐野がなにやら得意げに自慢話をぺらぺらと話し始めるのを軽く聞き流しながら、パートナーのアニス・パラス(あにす・ぱらす)に視線をやった。
 アニスは和輝と一緒に来ていたはずなのに、先ほどから部屋の片隅の椅子に腰掛けたままぼんやりと彼方を見ていた。
「……帰ろっか」
 視線に気づいたアニスは、答える。どうやら、やることもなく暇をもてあましていたらしい。
「一抹の不安は残らないでもないけど、むしろこれ以上関わらない方がいいかも」
「そうだな。想像していたより拍子抜けした」
 まだ話し続けているバビッチを尻目に和輝は言う。なんだか、意味もなく疲れた。
 これは……言っちゃ悪いが放っておいていいのではないか、という気がしていた。
 もし、この錬金術師が何か悪事を企んでいたのなら、それは対処しなければならないだろう。だが、暫く様子を見てみるに、バビッチに深い意図はないらしい。思いついたから作っただけなのだ。
 まあ、迷惑極まりない事態に陥ったら、どこかの誰かがよい具合にボコってくれたりするだろう。そこまで付き合うつもりはなかった。
「じゃあ、失礼するわ。まあ、なんというか……色々頑張ってくれ」
 和輝はアニスの手を取り、バビッチの工房から立ち去ろうとする。
「おおおう、兄弟! もう帰ってしまうのか? 私の華麗なる活躍の物語はこれから面白くなるところなんだが!」
「……いい話だな。だが、何度も言っているように、俺は兄弟じゃない」
 ちょっと冷たかったかもしれないが、和輝はもうバビッチには興味を失っていた。
 仲良く談笑しながら工房の扉を出かけた二人は、こうして特に何も起こらなかった平凡な一日を終え帰路についた……はずだったのだが。
「さて、帰りにどこへ行こうか……。……ん、今何か光らなかったか……?」
「そうねぇ……んにゃ? 何が起こったの……?」
 顔を見合わせた二人は、バビッチの工房を出て、地下室から地上へと続く階段を上りかけたところで立ち止まった。背後で蠢く気配にいやな予感がした。
「……」
 ゆっくりと振り返った和輝は、しまったという表情になった。声の主は、バビッチではなかった。和輝は出来上がった鏡に視線をやった。先ほどからあまりにも静かだったので、この工房にはもう一組の来客がいたのをすっかり失念していたのだ。鏡の製作を手伝っていたのは、和輝たちがけじゃない。
 真剣な表情で黙々と鏡作りを手伝い、最後の仕上げを施していたマネキ・ング(まねき・んぐ)が、完成した鏡を手に掲げ、効果のほどを試している。
「見よ、この光沢。神が我々にアワビの養殖を励めと応援してくれているに違いない」
 マネキには、神から与えられた重大な使命があった。人類のために、世界のためにアワビの養殖に励まなければならない。だが、悲しいかな人手が足りないのだ。悪魔の鏡の噂を聞いたマネキに天啓が降りていた。この鏡で大勢の労働力を生産すればいいのだ。そのために、彼は真っ先にこの工房に駆けつけ持てる限りの力を貸し、バビッチを手伝っていたのだ。そして鏡は完成した。その成果は自分たちのものでもあるのだ。
 不気味な光が鏡面から放たれ、耳障りな微音を発しながら悪魔の鏡がわずかに揺れた。
 それは……、瞬きをする間もなく音もなく……。悪魔の鏡は、想像していた以上の高性能っぷりを見せつけてくれた。
 驚く暇もなかった。まるで、最初からそこにいたかのごとく、人影が佇んでいる。鏡から作り出された、コピー人間だ。
「おっと、そこに誰かいたのだったな……? 思わず出来上がった、自称『フエタ・ミラー』の成果を試してしまったが、まあ気にするな」
 完成した鏡で実験台のコピーを作り出したマネキは、まるで他人事のように言った。周囲の状況にはほとんど興味はなかった。
「さあ行け、コピー人間よ。何処へなりと行くがいい……」
「……うん」
 この世に生れてはじめてみるパラミタ光景。鏡の中から現れた彼女は、和樹を見ると可愛らしく微笑んだ。
「我はこれより、理想郷へ向かう。いまだかつて誰もがなしえなかった、アワビの溢れる地上の楽園へ。永遠のシャングリラを実現するのだ。ああ、選ばれし者の不安と恍惚、共に我にあり。人類の存続がひとえに我の双肩にかかっていることを認識するとき、めまいにも似た感動を禁じえない」
 マネキは壮大なる使命を帯びた使徒のような表情で、鏡を抱いたまま工房を出て行ってしまった。彼の足取りはこの後追うことにしよう。
「いってらっしゃい」
 鏡から現れた、コピーの女の子がマネキに手を振って見送る。
「な、何てことしやがるんだ……」
 和輝は、硬直したままコピー人間を見つめたままだった。こんな時、どんな顔をしていいのかわからない。
「笑えばいいと思うわよ」
 ポツリ、とアニスが呟く。
 鏡から現れた和輝のコピーは、女の子だった。彼は、状況に応じてしばしば女装することもないではないが、そんな話ではなかった。完全に女体化している。
 以降、便宜上、和輝(♀)と表記させてもらおう。
「は、はは……。笑うしかない。これはやばい、最悪だ。よりにもよって女性化してる。
 コレは知人に見られたら……オワルな……」
 彼と共に空京にやってきていた知人立ちの顔を思い浮かべて、和輝はじっとりと汗をかいていた。なんということだ。悪魔の鏡は、負の要素が具現されやすいと聞いていたが、これは出すぎだった。彼の潜在意識が彼女を作り出したのだろうか。早急に抹消しないと、存在意義にかかわる。
 和輝は条件反射的に鏡から出てきたコピーを取り押さえようと相手に接近した。
「アニス! 知り合いに見つかる前に、俺のコピー体を消すぞ!! コイツを、この工房から一歩も外に出すんじゃない!」
「うん。このままじゃ、大変なことになるからね」
 唖然と様子を見つめていたアニスも、和輝(♀)を捕らえようと身構える。
「……」
 鏡から現れた和輝のコピー少女は、初めて見る世界が珍しいのか、その場に佇んだままきょろきょろしていた。抵抗してくる様子もない。これは……、あっさりと片が付きそうだった。
 と……。
「えへへ……捕まえた!」
「きゃっ! なになに、何なの……!?」
 アニスは、不意に背後から何者かに抱きつかれて悲鳴を上げた。一瞬、変質者かと思ったが、違った。
「……あ、あなたは」
 相手の正体を確認するために首だけで振り返ったアニスは、驚愕に目を見開く。
「……アニス?」
「アニス」
 背後から頬をすり寄せるように答えてくれたのは、アニスの偽者の(偽)アニスであった。和輝だけでなく、彼女の偽者まで出現していたらしい。
「離して」
「いや」
 和輝の手助けをするために、アニスは(偽)アニスを振り払おうとする。が、相手の力は強かった。いや、能力的には同じなのだ。
「和輝、なんとかして。いいえ、アニスが和輝のことを何とか助けてあげるからね!」
「……どっちなんだ!?」
 かく言う和輝も、【曙光銃エルドリッジ】を二丁構えのまま、和輝(♀)と対峙する。
「あら、よくわからないけど、私のニセモノさんがいるみたいねぇ。たっぷりと可愛がってあげるわぁ……」
 和輝と向き合うなり、コピーは本能的にスキルの【超人的精神】、【超人的肉体】を発動させていた。【歴戦の立ち回り】で和輝の動きを予測し、同じく【両手効き】で武器を両手に構えている。
「ニセモノはお前の方だ。って、自我が芽生えてるじゃないか。……面倒くさいことになりやがった」
 和輝は、小さくした打ちした。ついさっきまでの呑気な表情は消え、緊張の面持ちになっている。
 鏡から生み出されたコピーは、性格は違うものの標準的な思考力は持っているという。自分の能力と実力を必要最低限ではあるが把握し、有効活用するくらいの知能はある。どんな攻撃が有効なのか、防ぐにはどうすればいいのか。それくらいは考えることが出来るわけで……。
「自分自身と戦う、か……。ただで済むはずがないな……」
 失敗は許されない。慎重に間合いを取りながら……。
「ごめんくださ〜い。……あれれ、すでに先客がいるのかな?」
「!?」
 どうしたことか、不意に。
 背後の階段の上から誰かが降りてくるのに気づいて、和輝は振り返る。
「何しているの? おや、その子は……?」
 突然このバビッチの工房にやってきたのは、空京に在住の師王 アスカ(しおう・あすか)だった。彼女は、和輝と対峙する少女・和輝(♀)から何か感じるものがあったのか、興味深そうに二人をまじまじと見比べた。
「痴話喧嘩?」
「あ、いや、これは……」
 他の来客を予想していなかった和輝は、にわかに言いよどむ。
「そいつは、アタシのニセモノよ。潰すのを手伝ってくれない?」
 和輝(♀)が和輝を指差して言う。
「な、何を言ってるんだ。ニセモノはお前だろうが!」
「ニセモノはいつもそう言って誤魔化そうとするのよ。女体化したこの和輝(♀)こそが、本性であり真の姿。その男の姿などまやかしに過ぎないわ。つまり、お前がニセモノなのよ」
「……悪質なデマを流しつつ、既成事実を作ろうとしているんじゃねえよ!」
 あまり俺を怒らせないほうがいい。だが、そろそろ穏やかに接しているのも限界かもしれない、と和輝は殺気を漲らせる。
「……よくわからないけど、喧嘩をするほど仲がいいのね。もうケコーンすればいいのに」
 首をかしげながら言うアスカに、和輝は苛立たしげに答える。
「俺はすでに既婚者だし、コイツは俺の分身だ。やらかしちまったわけだが、出来たらこいつ取り押さえるの手伝って欲しい。後で、なんかこう……いいものあげるから」
「知らないお兄さんに物を貰ってはいけません、って言われてるから。いや、知ってるけど……」
 そうかぁ、自分自身とのセルフ結婚の時代かぁ……究極の効率化ね、とかなんとか真剣な表情で頷きつつも、アスカは和輝たちの脇をすり抜けて、バビッチ・佐野の工房の扉を開いた。
「すいませ〜ん、お店開いてますかぁ?」
 アスカは、和輝たちとは無関係に奥へと入っていってしまった。ピシャリ、と扉を固く閉じると、工房の外では和輝やアニスがニセモノを相手にバタバタと戦い始めた音が聞える。だがまあ、彼らならそっとしておいても問題はないだろう。彼らの問題は後回しにして、まずはこちらのお話を進めよう。
 さて……。
「こんにちわぁ。こんなところに工房があったなんて知らなかったわ。私、空京に二年も住んでるんだけど、まだまだ秘密の場所が残っていたのね。珍しくて一度見学に伺ったんだけど、もしかしてお取り込み中?」
「……」
 バビッチ・佐野は勝手に入ってきたアスカをガン見している。敵意を表しているのではなく、どう接していいのかわからないからとりあえず睨んでおこう、みたいな。
「うわ〜、入るなり怪しい生き物発見〜。標本なの、これ?」
 アスカが工房内を見回しながら聞くと、バビッチ・佐野はゴホリと咳払いをしながら答えた。
「私がこの街の天才錬金術師のバビッチ・佐野だが。何か御用かな、お嬢さん」
 蝶ネクタイを調えながら自己紹介をしてくるバビッチをアスカはまじまじと見つめ返した。
「バビッチ・佐野? う〜ん……言いにくいからバービーさんでいいよね。……あっ、失礼、錬金術師さん? じゃあ、いい砥石とかあったら売ってもらえる〜?」
 最近、自慢の【名も無き画家のバレットナイフ】に刃こぼれが出来てしまい、切れ味に困っていたアスカは、これ幸いにと、研ぎ直すことにしたのだ。かなり貴重な魔法剣のため、錬金術で磨かれた砥石があるなら使ってみようと思ったのだ。
「うむ……? 現在、悪魔の鏡の研究を行っていてな、それどころではないのだ。完成はしたが、まだまだ課題も多い。君も見ていくかい?」
 バビッチ・佐野は虚を突かれた表情をしたが、アスカの台詞は聞き流すことにしたらしい。すぐに気を取り直すと、せっかくの来訪者のためにとお茶とケーキを用意してもてなしてくれた。自分のことを人気者と勘違いしたのか、ご機嫌な様子だ。
「さあ、何の話が聞きたいのかね? 悪魔の鏡を作ってから、来訪者が多くてな。たいていの物なら見せてあげられるから、ゆっくりしていくといい」
「知らないお兄さんに物を貰ってはいけません、って言われてるから。……もぐもぐ、うん、いい味でてるわねぇ」
 アスカは遠慮することなく振舞われたお茶を貰いつつも、もう一度言う。
「『悪魔の鏡』ってなに? それはいいから、砥石ください。……もぐもぐ」
「え、いやあの……悪魔の鏡を見に来たのではないのか? 砥石は、今のところ扱ってはいないな。造ってもいいが、私は鏡の改良をしなければならないので忙しいし、鏡さえあれば、砥石だって手に入る。なにしろ何でもコピーできる鏡だからな。重要度が違うのだよ、君。素材を集めるだけでもどれほどの苦労をしたか、どれだけの冒険を潜り抜けてきたか、君たちには想像も出来まい。はてさて……その理由をどこから話したものか……。そもそも、私がこの悪魔の鏡を作ろうと思い立ったいきさつから話さなければならない。そう、あれは数年前のこと……」
「だから、鏡より砥石って言ってるでしょうが。砥石や砥石、と〜い〜し〜。……ええから、早く砥石よこせや〜」
「ぎゃあああああっっ!?」
 バビッチ・佐野は悲鳴を上げていた。ちょっとイラッとしたアスカは、ニッコリと微笑みながらバビッチの額を力任せに掴んでいたのだ。みしみしっ、と軋み音が工房に響いた。
「……そうだった。知らないお兄さんの顔をむやみに掴んだりしちゃいけません、って言われてたわ。ケーキ貰ったし」
 アスカはすぐに我に返り、バビッチ・佐野の顔から手を放した。
「いやいや……、知っているお兄さんでも、顔を思い切り掴んじゃだめだから」
 ぜいぜいと息遣いも荒く、顔を抑えながらも恐れおののいた目でアスカを見るバビッチ・佐野。
「まったく、“バービーのアトリエ”を名乗るなら、砥石くらいすぐに用意しておいて欲しいものね。それくらい、アトリエシリーズの十代の美少女錬金術師だってたやすく寄越せちゃうものよ。あなた、もういい大人なんだからね……ぷんぷん……」
「……どうして、私が怒られているのか訳がわからないのだが。何をしに来たんだ、君は?」
「コピーできる鏡ねぇ……ん、待てよ……」
 アスカは、何かを思いついたようにぽんと手を打った。
 そういえば……。彼女は、家で留守番をしているパートナーたちの顔を思い浮かべていた。懐中時計を欲しがっていたのを知っていたのだ。
(あれって私が作った一点物だったし、もう一個作ってあげるのも面倒くさかったのよね〜)
 コピーできる鏡とやらがあれば、簡単にその望みをかなえてあげることが出来るだろう。
 ふむ……、と考えて、アスカはまだ痛がっているバビッチ・佐野にもう一度笑みを浮かべた。
「ねぇバービーさん、その鏡買うから今すぐちょうだい。言い値で買うわよ〜? ちょっと素直じゃない魔鎧の餌付け用に欲しいんだぁ……」
「ほほう……、ようやく君もこの鏡の価値に気づいたか。そうだろうそうだろう。もちろん、わざわざこの工房に訪ねてきてくれたのだ。譲ってやることやぶさかではないが、一つだけ言っておきたいことがある。鏡の重要度と危険性を十分に認識しておくことだ。ふふふ……、この私とて誰にでも魂を売るわけではない。悪にはなびかんよ。愛と正義のためにこの鏡を作ったのだ。そもそも、私がこの鏡を作り出すのにどれだけの苦労をしたか、君たちは考えたことがあるかね。だが、それでも艱難辛苦に耐え時には他人に後ろ指を差されながらも研究に打ち込んできたのには理由がある。それを良く聞いてから用途を考えるべきだ。そして、ここで聞いた理由はあまり周囲に言いふらすべきではない。それは陳腐なものであり、自己顕示欲に駆られたものではないからだ。そう、まず第一に……」
「うん、自慢はいいからはよ鏡寄越せ〜」
「ぎゃあああああっっ!?」
 アスカはさわやかな笑顔を浮かべたまま、バビッチ・佐野の顔面にアイアンクローをしていた。錬金術師の断末魔にも似た悲鳴が、こだまする……。