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悪魔の鏡

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悪魔の鏡
悪魔の鏡 悪魔の鏡

リアクション

 場面は変わる。……と見せかけて、あまり変わってはいなかった。
 ここは公園からさほど離れていない、繁華街の一角。
「お疲れ様でした、団ちょ……いいえ、偽金さん。『寺院』の悪党の最期は、しっかりと見届けてきたってわけね……」
 公園からすばやく立ち去った金(偽)を待ち構えていたのは、シャンバラ教導団からやってきていた董 蓮華(ただす・れんげ)だった。
 彼女は、パートナーのスティンガー・ホーク(すてぃんがー・ほーく)からの影ながらの支援と報告を元に、金鋭峰のドッペルゲンガーを必死に探し当てていた。愛情とか恋慕とか恋心とか、全ての能力を総動員させれば、金(偽)の匂いを嗅ぎ当てることも不可能ではなかった。真っ先に、かつ慎重に金(偽)に接触した蓮華は、彼を手引きしながら身を潜めていたのだ。
 全ては、自分の手で金(偽)に引導を渡すため……。
 彼女が、メインストリートに面したおしゃれな屋外カフェを合流場所に選んだのは、こそこそ逃げ隠れするよりもむしろ堂々としていたほうが見つかりにくいのではなかろうかという予測と、そしてもう一つ……。
 この屋外カフェが、有名なデートスポットだからだ。
「事故現場では、これから実況見分が行われるらしいわ。しばらく、検問も手薄になるかもしれないわね」
 戻ってきた金(偽)を蓮華は仏頂面で出迎える。
 頼んだコーヒーはすっかり冷めてしまっていた。パラソルの備えられたテーブルの前で、彼女はそれくらいじりじりと葛藤していたのだ。
 公園で遊んでいた時と同じ格好。ラフでだらしなく見える衣装に、後ろ向きにかぶったキャップ。サングラスは頭の上に載せ、どこから持ってきたのか大きなラジカセを提げている。普通なら、頭悪そうな兄ちゃんに見えるのに、金鋭峰のそっくりさんがやると一味も二味も違う。
 これはこれで、すごく似合っている……。蓮華は目を見張った。
「うむ……。お前が色々と手助けをしてくれたおかげで、ずいぶんとことが楽に運んだ。礼を言うぞ……」
「そ、そんな……、もったいなきお言葉。……って、はっ!?」
 思わず金(偽)にかしこまりかけて、蓮華は我に返る。こいつは団長でもなんでもない。それどころか、団長の名誉を汚す危険人物なのだ。事件の解決のために彼と接近しているだけで、心を許してはいけない。ビシリと宣言しておく。
「べ、別にあなたのためにやったわけじゃないんだからねっ! 勘違いしないでよね!」
「そうか」
 金(偽)もわかってくれたようで、静かに頷いて返した。遠慮なく蓮華の向かいのイスに腰掛けると、手を上げてウェイトレスを呼んだ。
「ねーちゃん、冷コー!」
「団長の顔でそんな言葉遣いしないで!」
「こういうのが流行っていると聞いたが?」
「流行ってないわよ」
「では、アリアリで……!」
「声を渋くしてもダメ。雀荘じゃないんだから」
「……あと、スペシャルパフェ。一度食べてみたかったのだ、こういうの」
「……もうやめてよ。甘党の団長なんてイメージ崩れるわ。……あと、おしぼりで顔を拭かないで。そういうのダメ絶対」
 蓮華はため息をつく。先ほどからこの調子なのだ。外見も能力も団長と同じなのだが、中身はタダの悪ガキだ。だが、妙に憎めない。気負わなくていいのが、ちょっと楽しい。冷厳で堅物なのが、金鋭峰。手の届かない憧れの存在だが、もしそうじゃなかったら……。
 蓮華は金(偽)の顔を見つめながら、ポツリと呟く。
「……こんな風に友達みたいに話せるのかな……?」
「……ん? 俺はお前のことを友達だなんて思ってはいないぞ。ずいぶん役に立ってくれたからな。これでも感謝しているのだよ。もっと身近な関係だろう」
「じゃ、じゃあ……、どんな関係……なの?」
 ゴクリ……と蓮華は息を呑みながら尋ねる。金(偽)は重々しく頷くと答える。
「パシリだ」
「……」
「どうした、固まってしまったようだが」
「……いいもん。ニセモノに何言われても悔しくないもん……」
 蓮華が俯いてぶつぶつ言っていると、早速メニューが運ばれてきた。金(偽)は受け取り、ニンマリと子供のように嬉しそうな笑みを浮かべる。
「頼んだアイスコーヒーに、ストローが二本刺さっているのはどういうことだ……? どうやって飲め、と」
「そ、それは……!」
 蓮華は戸惑いながら視線を泳がせた。ウェイトレスが意味ありげにウィンクして奥へ引っ込んでいく。
「一本要らないな」
「ああっ、投げ捨てないで! ……つ、使えばいいじゃない、二本のストローでどうやって飲むか。……ほら、その……二人いるんだし……」 
「なるほど。そういうことか……」
 金(偽)は納得して、蓮華にストローを一本手渡した。手と手が一瞬触れ合って、彼女はドキリとする。
「じゃあ、飲むか」
「ご、誤解しないでよね! こうなることを待ってたわけじゃないんだから! こ、これはあくまで作戦行動上必要な出来事なの!」
 声が裏返っていたかもしれないが、蓮華は渡されたストローを恐る恐る口にくわえた。こんなことが許されていいのだろうか……! 周りにいるカップルたちのように、一杯のドリンクを仲良く二人で……。
「ごくり。……はあ、美味い……」
 金(偽)は、ストローなど完全に無視して、グラスに口をつけてコーヒーを飲み干していた。
「……」
「どうした、また固まってしまったようだが」
「……やっぱり殺すわ……。そうよ、鏡が破壊されたらどうせ死ぬんだもの……。ならばいっそのこと私の手で……」
 ゆらり、と蓮華は立ち上がる。気を強く持って金(偽)をキッと睨むと、彼は気の抜けた表情で見つめ返してきた。
「?」
「……くっ」
 蓮華は歯を食いしばった。大丈夫、金(偽)は油断しきっている。あっという間に終わる、あっという間に……。全身の気を凝縮させ、スキルを発動させる準備をして……。
「……く」
 蓮華はもう一度呻いた。どうしたことだろう、身体が動かない。さっきからずっとこうだ。敬愛する金鋭峰のニセモノ。憎らしい……、大好きな団長の姿をしているだけで、そんな存在を許したくない。だが、殴れない、攻撃が出来ない……。その顔その声その姿……が、彼女を惑わせる。
「……来たな、スペシャルパフェ。くくく……、なんと愚劣な存在だ。無駄に凝ったデコレーションに毒々しい色使い。このような邪悪な物体は速やかに処分してやらねばなるまい」
 金(偽)は冷徹な口調で言うと、スプーンでクリームを掬い取り口に運んだ。
「む……、この味わい……。俺を試すつもりか……もう一口……」
 ぶつぶつと言いながらパフェを順調に食べていた彼は、立ち上がったままこちらを凝視している蓮華に気づき怪訝な表情をした。
「なんだ、お前も欲しいのか? なら素直にそう言えばいいのに」
 金(偽)はパフェに突き刺さっていたバナナを軽く指でつまむと、蓮華の口元に突き出してくる。
「ほら、やるぞ。口を開け」
「え、え……? あ、あ〜ん」
 硬直しつつも思わず口を開いてしまう蓮華。何が起こっているのかとっさに理解できなかった。半切りにされただけの大振りなバナナが口の中に押し込まれた。
「んんっっ……!? むぐ……」
「極太バナナを口でくわえ込むとは、けしからん女だな……くくく……」
「むぐむぐ……、ごくん……。あ、あなたって人は……!?」
 バナナを飲み込んだ蓮華は、真っ赤になって目の前のテーブルをバンと叩く。
「な、なんて事をさせるのよ……、金団長の顔と声でそんな……!」
「どうした、もっと欲しいのか? お前も注文すればよかろう」
「け、結構よ! そんなことよりも……!」
「おっと……、人差し指にクリームがついてしまっているな。舐めてみるか……? 心配は要らない。しっかり手は洗ってきているから、不衛生ではない」
「……!」
 目の前に差し出された金(偽)の指先を蓮華は息を呑んで見つめた。
 これは……ヤバくないか? 舐めてしまっていいのだろうか。受身の不可抗力なら想像してきたが、自分からとなると……、金(偽)を殺すよりも勇気がいる気がする。
 いや、だが良く考えろ……、こんな機会はもう二度ととない。そう、相手はあくまで鏡の中から現れた人形で、むしろ本物の存在を脅かす可能性のある処分すべき存在だ。その過程においての、作戦行動……! そう、これは不可抗力なのだ。何をためらうことがあろうか……いやだがしかし!
「……」
 少し離れた所では、物陰に潜んで二人の様子を見ていたスティンガーが、「行け!」と目で合図をしてくる。決定的瞬間を収めるデジカメもスタンバイオッケーだ。
「んっ……」
 蓮華は思い切って、差し出された指先に顔を近づける。ドキン! と心音が高鳴った。
「……ハッ!?」
 蓮華はすぐさま飛びのくと、真っ赤になりながら金(偽)を睨みつけた。何たる屈辱か。身体が反応してしまった。もう少しのところで、取り返しのつかない過ちを犯してしまうところだった。
「座れ。皆がこちらを見ている」
 金(偽)は、何事もなかったかのように指先をハンカチで拭きながら、真面目な口調になって言った。
「俺はこれから町を出る。気づかれる前にもう一度着替えたい。服を選びに行くからつきあってくれ。実のところ、どんな服を選べばいいのかわからない」
 彼は、今着ているゆとり系(?)若者仕様のストリートファッションに視線をくれながら言う。最初の格好から変えたものの、今来ている服装も目立たないわけではない。
「……ずっと疑問に思っていたんだけど。その服とか、前に乗っていたバイクとかどうやって手に入れたの?」
 蓮華は気を取り直し、聞いてみる。金(偽)は無邪気な口調で答えた。
「どこも店に入っていくなり、店長がすっ飛んできてな。もみ手をしながら見繕ってくれた。『お忍びですか? 今後とも当店をご贔屓に』だとさ。お代もいりません、と言われたのでタダでもらってきたわけだが」
「完全に、団長だと思われてるじゃない! なんてことしてくれたのよ。悪評が広まっちゃうでしょ! ……謝りなさい」
「そうなのか、すまない」
「私に謝ってどうするのよ。……ああ、もういいわ! 新しい服くらい買ってあげるからついてきなさい」
「まだ、スペシャルパフェを食べている最中なのだが」
「そんなもの、後でいくらでも食べさせてあげるわ。いいから、早くなさい。町から出るつもりなんでしょう。もたもたしていたら関係者に見つかっちゃうじゃない!」
 どうして自分は先ほどから怒ってばかりなんだろう……、蓮華は俯いてしまう。もっとロマンチックで素敵な……二人だけの時間だって過ごせたのに。
「何度も言うけど、あなたのためじゃないんだからね。これ以上、団長の顔と名前で変なことさせないために連れて行ってあげるんだから」
 優しくて可愛いほうがいいに決まってる。なのに感情の調節が上手く出来ない。プンプンしていたほうが、自分を見失わなくてすむのだ……。
 蓮華は顔を上げると、会計を済ませごく自然に金(偽)の手を取っていた。出来の悪い弟を連れ出すように、屋外喫茶を後にして空京の街中を歩き始める。
「そういうことか……。ようやくわかったぞ。お前……」
 ややあって、金(偽)がニヤリを笑みを浮かべながら言った。
 蓮華はビクリと足を止める。しまった……! 我に返って戦慄する。成り行きで無意識にはいえ、金鋭峰の身体と手を繋いでしまった……! いや、これでいいのか……。
 彼女はドキドキしていた。相手の体温と鼓動が伝わってくる。手のひらに汗をかいているのがわかった。その感触は、金(偽)にも確実に伝わっていて……。
「な、なによ……?」
 こんなニセモノに、本心を知られたくない。眉を吊り上げながら蓮華は振り返る。
「……お前、誰だったっけ? 名前を聞くのを忘れていたな。それで怒っていたのか……?」
「……」
 蓮華は一気に虚脱した。ああ、もう色々とだめだ……。彼女は毒気を抜かれて観念する。自分には、彼を亡き者にすることは出来ない……。
 ふぅっと一つ息をつくと、小さく微笑んだ。
「私は蓮華。あなたは何て呼べばいいの?」
「遊び人の金ちゃんだ」
「……金ちゃん」
「なんだ?」
「ううん、なんでもないわよ。……呼んでみただけ」
 蓮華は機嫌のいい口調になって、金(偽)の手を握り締める。
「さあ、行きましょう」
 遊ぼう。思い切って……。
 短い間なんだろうけど……。こんな時間、きっと神様だって許してくれるよね……。