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リアクション
2/黒い男たち
「囮とは、ものは言いようだな。……よく、言ったもんだ」
山葉 涼司(やまは・りょうじ)は、窓の外を見上げていた。
それは、セレアナが加夜を送り出したのとほぼ、同時刻のこと。
別の場所で、別の人物がそうしていたように涼司もまた、空を駆ける加夜の軌跡を見守っていた。
「こういうのを、方便というんだろうな」
その彼から受け取った、『吸命の琥珀』の資料をぱらぱらとめくって。
早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は口許に微笑を浮かべ、そのように涼司のとった行動と決断とを評する。
「要は、体のいい護衛だろう? ふふっ」
呼雪の隣に立つ、ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)も然り。
なんだかんだといって、涼司も身内には甘いということか。損な役回りを自分から引き受けるものだ。
飛び出していった香菜は、けっして涼司としても知らない間柄ではない。琥珀による犠牲者となって眠り続ける少女──香菜を衝き動かす原因となった、彩夜についても、妻である加夜を通じ、一応の面識はある。
その、両者を知っている。だからこそ涼司が放っておけるわけがない。
「……あまり、笑わないで欲しいんだが」
「っと。失敬」
感情に身を任せての、香菜の行動。無理に引き留め、連れ戻したところできっとまた、勝手に飛び出していくだけだったろう。だから涼司は、彼女自身には好きにさせることにした。
彼女が冷静でないぶん、周囲が身辺を固めてやる。それが一番リスクが少ないと。表向きは完全に彼女を囮として扱う──そうすることで自分に対し少なからぬ反感を抱く面々がいるであろうことも、承知の上で。
「それすら計算ずく……いや、計算に入れなくてはならないとはな。まったく、苦労性だよ、山葉。きみは」
そう言い残し、ふたりもまた行く。香菜を追いかけ、犯人たちを止めるために。
入れ替わりに姿を見せる──すれ違いざま、ふたりへと会釈を交わす、眼鏡の少女。
「涼司さん、加夜さん行っちゃいましたよ」
ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)の手には、救急箱がひとつ。
「……わかっている」
扉のあたりからは隠れる位置に、影になるよう彼が向けた頬の手当てをするために。
そこには、渾身で殴られたその痣が浮かんでいて。
「それじゃ、座って下さい。湿布、貼りますから」
「……頼む」
甘んじて、なにも抵抗せず殴られた彼はその殴打の傷を、静かに撫でたのだった。
*
その、涼司の顔を力いっぱいに殴った張本人──シリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)は、走っていた。
通信機に向かって、怒鳴り。その向こうのルシアと連絡をとりあいながら。
相棒のリーブラ・オルタナティヴ(りーぶら・おるたなてぃぶ)とともに、走る。
「ダメだ!! こっちでもまだ、発見できない!!」
一体あいつ、どこをどう行ってるんだ。どこまで、誘い出されてるんだ。
シリウスの心には、徐々に焦りが膨らみつつあった。
確実に、香菜はシリウスやルシアたちから分断されるルートをおびき出されている。細い道、広い道。人通りの多い道、閑散とした道をうねうねと曲がりくねって行っているのか、そうでもなければこうまで見つからないということがあるわけがない。通信も繋がらないし、妨害されているのか位置の特定も不可能だった。
「!?」
と、夜空の月明かりを無数の影がよぎる。
思わず足を止め身構えたシリウスの頭上に躍る、ローブ。そして、黒服。
くるか。どいつだ、どいつが琥珀を持っている。本来ならローブのやつだろうが、黒服の誰かが密かに、ということだってあり得る。シリウスは警戒に、身を強張らせる。
最初の二人を、それぞれリーブラとともに一撃で叩き伏せる。
更に頭上に、四人。その中のひとり──そう、やはりローブを纏っているそいつの手元に、月明かりに煌めく結晶が見える。
「お前が……司令塔かっ!!」
一応、石化解呪のレプリカコーラルリーフを持ってきてはいる。だが果たして、それが琥珀に対し通用するかどうかわからない。
奴は一体、どのように琥珀を使う。どうなったら、命を奪われる?
思考が錯綜する。だが迷っている暇はない。その判断の中で正面から撃破する覚悟をシリウスが決めた、そのときだった。
「させませんっ!!」
また別の影が、夜空を躍った。そして、ローブ翻す敵を、叩き落とした。
地面に転がる犯人を捕縛、そのすぐ傍に降り立つ姿は、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)のもの。
ローブの袖口から、掌大の琥珀がふたつ、零れ落ち地面を滑っていく。
それらの片方を、拾い上げ。そしてもう一方を靴底で踏み砕くのは彼女のパートナー、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)であった。
「こいつが、『吸命の琥珀』──か。案外軽いんだな」
「ふたりとも、いいタイミングですわ」
シリウスとリーブラが黒服たちを薙ぎ払い、現れた男女のペアへと駆け寄る。フレンディスは意識を刈り取ったローブの男を、ワイヤークローで幾重にも捕縛していた。
「ったく。話が違うぞ。やばい連中はこいつら四、五人って話だろ」
その、倒れ伏す男を親指で指し示しながら、ベルクがぼやく。
「このローブの連中は実際、少数なんだろうが──ひとりひとりが同じだけ護衛を連れてるとすると、ちょっと厄介かもな」
「シリウス」
「わかってる。とっとと、香菜のやつ見つけないと」
同調するシリウスが、後頭部を掻き上げて目線を前に向ける。
傷ついた香菜ひとりで、おまけに頭に血を昇らせて、どうにかなるとは思えない。
連中が雇った黒服の護衛たちひとりひとりは大した使い手ではないにせよ、多勢に無勢を今の彼女が押し返せるかというと。
「急いで、見つけてあげてください。私たちはこの男の人を連行します」
「ああ、頼む」
──と。閃光を感じ、一同は空を見る。
彼女たちを狙ったものではない。光が撃ち抜いたのは、、物陰に潜んでいた黒服の生き残り。
箒に跨った加夜が、奇襲の隙を覗っていたそれを撃破したのだ。
「……意外と油断できんな、こりゃあ」
思っていたより、しぶとい。
ベルクの呟きに、箒から降りた加夜が頷いて見せた。
「この人たちの迎撃は、私たちに任せて。行ってください、ふたりとも」
加夜が、ベルクが、フレンディスが頷く。
シリウスとリーブラは頷き返し、互いに頷きあって。走る。
香菜をひとりには、しておけないから。
*
そして彼らも、香菜のことを案じ、探し求めている。
「くそっ。どこ行っちまったんだ、香菜のやつ」
街の、屋根や屋上を疾駆し、眼下を俯瞰しながら。ローグ・キャスト(ろーぐ・きゃすと)は追い求める香菜の姿を血眼となって探す。
「……大丈夫、だよね?」
フルーネ・キャスト(ふるーね・きゃすと)が、ぽつりと呟くように言う。
大丈夫であってほしい、無事でいてほしいと思う。そのためにもはやく見つけねばと、心の中に焦りが少しずつ、彼女にも芽生え始めているのだろう。
それはローグだって、同じく捜索を続けるライナ・アーティア(らいな・あーてぃあ)だって同じこと。途中まではうまくいっていた香菜の道筋のトレースも、今は見えなくなってしまった。
大丈夫だ、すぐに見つけてやるとも。ローグは自分の心に言い聞かせるように、無言で心中、ひとりごちる。
「ったく。ひとりで後先考えずに、飛び出すからだって」
それでも口をついて出るのがそんな素直でない、心配とは裏腹の言葉なのは、現実の状況を冷静に見据えてもいる彼の性分ゆえだった。
「さすがにこの辺りは、夜でも人通り多いわね。これじゃあ、どこに香菜がいるかなんてとても」
三人のいる繁華街は、月明かりの下、それが霞むくらいの明かりに照らされて、まだまだ夜のこの時間にも活気に満ち満ちている。
「だが、騒ぎが起きてないってことは少なくともここではまだ、香菜は奴らと一戦交えてないってことだ」
そして同時に人が多いということは、通り魔の連中が別のターゲットを狙って行動を起こす可能性も少なからずあるということでもある。
「コアトルのやつがなんとか見つけてくれていればいいんだがな」
彼らの、残るもうひとりのパートナー、コアトル・スネークアヴァターラ(こあとる・すねーくあう゛ぁたーら)はその細身の身体を生かし、裏路地を重点的に捜索に当たっている。なにかあれば、連絡があるはずだが。
こちらから連絡をして一旦、合流すべきか?
「ローグ! あれ!」
直後、繁華街の向こう側、暗がりへと続いていくその辺りに、ローグたちは爆発の光を見た。
無論。三者が三者ともに、そちらに向かい行動を開始したのは、言うまでもない。
まさか、香菜が。あの子の身に、なにか。
やはり全員の脳裏に、ひとりの少女の顔が浮かんでいた。ゆえに、三人は急いだ。