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【十二 イレイザードリオーダー】

 カフェ・ディオニウスの面々は、一体どうなってしまったのか。
 実は当の本人達はというと、竜造と恭也が直面した驚くべき事象について、ほとんど何も理解していなかったし、体感すらしていなかった。
 彼らは相変わらず、営業中のカフェの中でそれぞれの時間を過ごしていた。
 否、一部は既に、異変に気づいている。
 例えば徹雄などは、竜造との携帯電話でのやり取りで、自分達が異常事態に突入していることを察知していたのだが、しかし周りのコントラクター達は依然として平常な状況に置かれている為、まだ実感出来ていないというのが正直なところであった。
 だがその直後、徹雄はようやく、己の置かれている状況の異様さに気づく切っ掛けを得た。
 彼はカフェの窓から、外の景色に視線を這わせた。
 窓の外は相変わらずの景色が広がっているのであるが、一点だけ、明らかに異なる部分があった。
(……ひとが、居ない……)
 そう――屋外に、人影が全く見えないのである。
 先程まで、極々普通に見られていた雑踏が、ものの見事に掻き消えてしまっていたのだ。
 更に、竜造と通話していた携帯電話も、いつの間にか圏外となってしまっており、竜造との通話は途切れてしまっていた。
 凄まじく危険な香りがする――徹雄が内心で極度の緊張に陥ったその時、源次郎が動いた。
「もうぼちぼち、クリス・ライオネルを紹介してもええ頃やなぁ」
 源次郎のひと言に、カフェ内の全ての者達が一斉に緊張した。
 しかし源次郎は、周囲の反応などまるで知らぬといわんばかりに、右手の指を軽く打ち鳴らす。
 すると、その直後。
「あ……な、何!? 私の体が、光ってる!?」
 突然シェリエが、動揺の声を放った。
 舞香、美羽、和子、フェイといった面々が、慌ててシェリエに走り寄るも、何が出来るという訳でもなく、ただただシェリエの身に起きようとしている事態を、呆然と眺めるしかなかった。
 そんな中で、綾瀬だけは何となく、事の成り行きを察したらしい。
「源次郎様、もしかして、そのジェリコという御方は……」
「そうや。プリテンダー完成体は、擬態した相手の人格や記憶まで完全複製し、その人物になり切ってしまうねん。本人からして、自分がプリテンダーやっちゅうことを忘れてしまうから、こうして外部から解除信号を送ってやらんことには元に戻ることも出来んのや」
 淡々と語る源次郎の説明に、舞香などは発狂しそうになった。
 憧れのシェリエが、大好きなシェリエが、そして今の今まで本人だと思い込んでいたシェリエが、実はヘッドマッシャーが擬態した全くの別人だったという事実を、すぐには受け入れられなかった。
 だが、現実は容赦なく進行している。
 それまでシェリエの姿をしていたものは、数秒後には全く異なる外観へと変貌していた。
 やや小柄ながらも、すらりとした体型と端正な面立ちが特徴的で、長い金髪が美しい妙齢の女性が、そこに佇んでいた。
「ジェリコ!」
 デーモンガスが椅子を蹴って立ち上がり、それにジェニーも続いた。
 その女性――ヘッドマッシャー・プリテンダー完成体ジェリコは、歩み寄ってくるふたりの人物に、どこか申し訳なさそうな表情浮かべて、小さな会釈を贈った。
「ジェリコ、これは一体どういうことですの? 若崎源次郎と組んだ、という意志表示ですか?」
 ジェニーからの責めるような詰問に、ジェリコは辛そうな様子で視線を落とす。
 そこへ、源次郎が口を挟んだ。
「まぁそう責めなはんな。本人かて、苦渋の決断やってんから」

「あれ、何だこれ……外の景色が、おかしくないか!?」
 不意に千歳が、窓の外に驚愕した表情を向けて叫ぶ。
 他の面々も一斉に、千歳に倣ってカフェの窓から外部の景色を望んだ。
 そこに広がっていたのは、無人の荒野であった。
「メギドヴァーンの異相郷改線やな。早めに帰らせといて、良かったわ」
 源次郎は他人事のようにさらりといってのけたが、美羽と彩羽は必死の形相で食いついてきた。
「ちょ、ちょっと待って! 今、メギドヴァーンっていったの!?」
「メギドヴァーンって、あの、メギドヴァーン、だよね!?」
 ふたりの猛然たる口調に、源次郎は、あぁそうか、とひとりで勝手に納得したように呟く。
「そういやぁ、あんたら何も知らんのやったな。わしらの居るカフェ内の空間はな、メギドヴァーンが仕掛けてきた異相郷改線っちゅうもんの効果で、全然違う別世界に放り込まれとんねん。ちなみにここでいうメギドヴァーンは、君らの知ってる、あのメギドヴァーンや。但し今はもうフレームリオーダーやなくて、イレイザードリオーダーに進化しとるんやけど」
「ちょ、ちょっと……今、ものっすごく恐ろしいことを、さらっといってのけたわよね」
 リカインが半ば、言葉を失った様子で源次郎の説明に食いついてきた。
 イレイザードリオーダー――その言葉の響きから察するに、フレームリオーダーがイレイザー化したもの、という解釈がすぐに浮かび上がってきた。
「自分ら、インテグラルのことは知っとるやろ? 実はあれが生まれるもっと前に、プロトタイプの自律型精神体モデルのイレイザーが数体、実験的に製造されとんねん。名前は確か、ディムパーティクルとかいう奴やったかな。そいつらが精神体で自由にパラミタと行き来することが出来るのをええことに、こっちに降りてきよったんや」
 それらディムパーティクルがパラミタでの行動に必要な攻撃用ボディとして選んだのが、フレームリオーダーだというのである。
 源次郎の説明によれば、遥か太古にも一度、ディムパーティクルがパラミタに降下してフレームリオーダーの一体と融合した事例が確認されているらしい。
 当時のイコン開発者達はこの融合体を、イレイザードリオーダーと命名していたのだという。
「せやけどあいつら、ほんま欲張りな奴らばっかりでなぁ。よりにもよって、ジェリコの完全擬態能力に手ぇ出そうとしてきとんのや」
 しかし源次郎としては、イレイザードリオーダーなどという厄介な存在に技術流出してしまうのは、全くもって面白くない。
 そこでジェリコの要請を受ける形ながら、連中に一撃をかましてやるつもりで、カフェ・ディオニウスを訪れたということらしい。
 源次郎のような存在がジェリコに味方していると判明すれば、イレイザードリオーダーもそれ以降は、安易な判断で手を出してこなくなるだろう。
「でもどうして、このカフェを選んだの?」
「いや、単純に狭いからや」
 メギドヴァーンの異相郷改線は、一定の仕切られた空間を別空間と入れ替えてしまう。ならば、こちらとしてはなるべく狭い空間に居座ることで、被害を最小に抑えることが出来るというものであった。
 ただ、そこで源次郎が一計を案じたのは、ジェリコにシェリエを演じさせ、カフェ・ディオニウスを通常営業状態にして大勢のコントラクターを巻き込み、対イレイザードリオーダー戦の戦力に引きずり込んでしまえ、というアイデアだったとのこと。
 要するに、源次郎やデーモンガス、或いはジェニーやシェリエという存在に釣られたコントラクター達は、片っ端から源次郎の考える無茶な作戦の戦力として、誘い出されたことになる訳だ。
「何だよ、おっちゃん。最初からそういってくれれば、喜んで協力したのに」
「すまんすまん。せやけど中には、わしがテロリストやっちゅうことで近寄ろうともせん奴もおるしな。今回だけは特別やから堪忍したってや」
 ベリアルの抗議に、源次郎はからからと笑って拝むような仕草を見せた。

 次いで、今度はあゆみが変な奇声をあげた。
「ぎゃ〜! で、出た〜!」
 あゆみが指差す窓の外の、更にその先に、巨大な流線型の影が見える。
 全長40メートルを超える巨大ホオジロザメの如き姿――その正体が何であるのか、知っている者は即座に、その名を思い出していた。
「メ、メメメ、メ、メガディエーターだよね、あ、あれっ!」
 悠然と大空を舞う巨影に対し、あゆみは舌を噛みそうになりながら、その名を告げた。
 もう二度と出会うことはないだろうと安心し切っていた筈なのに、再びこうしてその姿を見ることになろうとは――全くもって、予想だにしていなかった。
「メギドヴァーンの作った別世界に居るってことは……やっぱりあのメガディエーターも、通常プロトタイプじゃなくて、フレームリオーダータイプ……いえ、この場合はイレイザードリオーダータイプ、っていうべきかしらね」
 彩羽の緊張した声に、源次郎はコーラをごくごくと飲み乾しながら目線で頷いた。
「ほぅら、自分ら気合入れやぁ。あいつらジェリコ以外は全部殺してしまえってな発想やで」
「くっ……この落とし前は、必ずつけさせてもらいますよっ!」
 悔しそうに吼えながら、刀真はカフェのエントランスから外へ飛び出す姿勢を見せた。すると、月夜が慌てて刀真に追いすがってくる。
「ど、どこへ行くの!?」
「こんな狭いところじゃ、思うように戦えない! 打って出るしかない!」
 刀真の判断は、極めて正しい。
 他のコントラクター達も刀真に倣って、無人の荒野へ活を求めざるを得なかった。
「あれはもしかして……メガディエーターのスポーンでしょうか?」
 荒野に踏み出した直後、ヴィゼントが地平線付近からこちらに向かって殺到してきている、大量の黒い影を指差した。
 リカインは、その姿に見覚えがあった。
「あれって確か、メガディエーターの寄生虫で、アロコペポーダっていうんじゃなかったっけ」
「せやせや、その通り。スポーンやから、スポーンコペポーダって呼んでやるのが正しいかもやな」
 黒光りする甲殻に身を包んだ、凶悪な節足動物の群れ。
 その数は、数百はくだらない。津波のような勢いで迫り来る大型寄生虫の大群を、コントラクターは相手に廻さなければならなかった。
 ブレードロッドを両手首から伸ばし始めた源次郎の隣に、臨戦態勢に入った綾瀬が静かに佇んだ。
「源次郎様、あの寄生虫達を空間圧縮で吹き飛ばすことは出来ないのでしょうか?」
「そら一部ぐらいは出来るけど、数が多過ぎる。わしがばてたら、自分らも戦力ダウンで困るやろ?」
 確かにそれは困る、と綾瀬は静かに頷いた。
 ならば、地道に始末していくしかない、ということか。
 寄生虫の大群がこちらに到達するまでに、もう数十秒とかからないだろう。
 ジェニーがジャケットの内側から、銃身を短く切ったショットガンを二丁取り出し、両手に構えた。いつもの戦闘スタイルである。
 と、そこへリカイン、ヴィゼント、シルフィスティ、ジェライザ・ローズ、そしてニキータといった面々がジェニーを守る形で陣形を展開した。
「あら、皆様……」
「ジェニーさん。あの時の約束は、まだ生きてるからね」
 ジェライザ・ローズの言葉に対し、ジェニーは一瞬理解が及ばずに小首を捻っていたが、すぐに思い出したらしく、あぁ、と小さく手を打ち鳴らした。
「九条先生ってば、本当に律儀なお方ですのね」
「あらん、私だって貴方の護衛なんだから、頼りにして欲しいわね」
 ニキータも、どこかふてぶてしい表情ながら、愛想良くウィンクを送ってみせた。
 この顔ぶれを見る限り、ジェニー防衛は何とかなりそうである。
「うわぁ〜、おっきぃなぁ。あの鮫さん、こっちに真っ直ぐ向かってくるよ」
「ちょ、ちょっと……そんな呑気にいってる場合じゃありませんわ!」
 この期に及んでスケッチブックを取り出そうとしているおなもみに、イルマは信じられないとばかりに一喝を浴びせる。
 おなもみの視線の先では、メガディエーターが巨大ホオジロザメ形態から、巨人型戦闘体型に瞬間変形を遂げながら、一気に突っ込んでくるところであった。
「じょ、じょ、冗談じゃありませんわ! イコン数機がかりでも倒せないのに、生身で相手をしろというのはもう、狂気の沙汰ではありませんの!?」
 イルマの叫びは、正論だった。