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リアクション
7、秋の舞い、開催
葦原明倫館に特設された舞台、『夏雫』の時よりは少し狭いが観客の入りは上々。
空気は少し乾燥しており、秋の匂いが漂う。
耀助と彼方、翔、そして陽菜都は観客席でわくわくしながら舞いの開催を待っていた。
今回は若葉も舞い人として出演する。どんな物語になったのだろうか……。
「いよいよ始まるね」
「そうだね。どんな物語になったんだろう……ところで翔くんは案出したの?」
「……明るい物語を、と提案しておいた」
「大雑把ねぇ。ルカも秋日子もフィーネも細部までネタ出ししてくれたのに」
ルカルカが苦笑すると、耀助達も苦笑する。
「いやほとんどフィーネさんのお陰だよ。ありがとう、さすがフィーネさん……」
「とんでもないです。皆さんのお力になれたのなら、良かったです」
秋日子が若干冷や汗を流してフィーネを見たが、フィーネは微笑むだけだ。
「あ、みんな! 始まるみたいだよ」
終夏が鋭く楽器の音色を察知する。直後、ぴぃーっと、囃子が聞こえた。
舞い人を招く合図だ。
胡蝶の華『夢紡』 開幕――。
……しかし、舞台上には誰もいなかった。
代わりに、舞台の床がところどころ白く見えるような気がする。
(あれ? 舞台が壊れてる? そんなまさか)
陽菜都は疑問に思ったが、すぐに気付いた。壊れているんじゃない、そういう演出なのだと。照明を普段よりも強く当て、舞台の床を故意に白く見せかけているのだ。
そこへ、2人の舞い人が現れた。社とフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)だ。終夏は社の姿を見て心を躍らせる。
(やっしーだ! フレンディスちゃんと一緒に、どんな物語を紡いでくれるんだろう?)
しかし2人は舞扇すら持っていない。ただ豪勢な舞い装束に身を包み、ゆったりと身を任せるようになめらかな動きで、何かを誘うかのように。
(もしかして……あの舞いは!)
社とフレンディス、もとい通りすがりの舞い人達は何かを誘うように手を伸ばす。瞬間、舞台の上から刀と舞扇がくるくると落ちてきたのだ。舞扇はともかく刀が落ちてくるなど危ない――しかし社は見事に刀を手中に収めた。フレンディスとアイコンタクトをとって、2人は舞い始める。
『長い事雨の降らない夏。土地は乾き、川は干上がり、作物は枯れ……乾いた土がまるで雪のように真っ白に見える程になっていた。
その土地に住む兄妹は遠くから水を運び作物に与えながら、毎晩月を見上げて「明日はきっと雨が降りますように」と神様に祈っていた。
そんなことが続いたある日の夜、兄妹が同じように月を見上げていると、まるで月から落ちてきたように刀と扇が空からくるくると落ちてくるのが見えたんだ。
地面に落ちる前に刀と扇は、そこに立っていた2人組の手に収まり、その2人はそれぞれ刀と扇を手に舞を舞うんだ。兄妹からはその2人が誰なのかは見えなかったんだけれど、とても力強く、綺麗な舞だった。
その舞に応えるように、空から雨が降ってくる……ってどうだろう?
雨に濡れた場所から、大地が蘇っていくような』
終夏の提案した物語が、1幕。社とフレンディスで舞われている。感慨深くなって、終夏は思わず両手で頬を押さえた。
フレンディスは舞扇を閃かせて、神に乞うように、麗しく。社も刀で力強く見事な演武を魅せ、観客の感嘆を誘う。
(あの時を思い出すな。明倫館が白塗り人間達に占拠された時のことを。あいつらの対処法が分からなくて、俺とオリバー達は防戦一方やった。その時……こいつが降ってきたんや)
自分達に向かって降って来た舞扇と刀。瞬時に悟って舞った自分。心の中で苦笑すると、社はしっかりと見据える。見えない相手に向かって。
(オリバーの舞いに出られて俺は幸せモンやな)
なぁオリバー、と心の中で語りかける。
(俺は絶対に忘れへん。オリバーと舞ったこと、オリバーと体験した全てのこと。全部俺の宝物や。だからこれからもずっと……一緒にいような)
フレンディスが微笑みかけ、社も頷く。
舞いながら舞台中央へ移動し、ぴたりと背を合わせて、ゆっくりと舞扇と刀を天に掲げ。
すると、雨が降り始めた。照明の強さを落としていく。舞台は白から普段と同じ茶色の檜に変わる。
フレンディスと社は掲げた舞扇と刀を下ろすと、流れるような足運びで舞台袖と消えていった。
しぃんとした余韻、観客は惚けて舞台を見つめている。
今までとは違う華やかさ。『夏雫』が煌びやかな始まりだとしたら、『夢紡』は静謐な始まり。だが、これで良い。
厳かに、淑やかに。それが秋の始まりの合図。
配られたパンフレットを見ると、どうやら2幕、3幕、4幕、5幕は融合されて1つの物語となるようだ。登場したのは一雫 悲哀(ひとしずく・ひあい)と水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)、そしてゆかりのパートナーであるマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)だ。悲哀は男物の舞い装束、ゆかりは煌びやかだがどこか知性を漂わす舞い装束。そしてマリエッタは白地に赤の模様を入れた舞い装束を身に纏う。
『「女」は「男」との禁忌の恋……血を分けた兄妹とは知らず、互いを求め身を焦がすような恋に溺れるが、それを知った「神」が二人の仲を裂くだけではなく、女に呪いをかけて永遠に男と離れ離れにしてしまう。
それでも「男」と「女」は互いを求め合う。
一方、「彼女」は「女」を憎んでいた。自分にはないものを「神」は「女」には授け、自分には何一つ授けなかった。「彼女」は表面では「女」とは親しくしていたが、「女」と接するたびに心の奥でこの女を破滅させたい、という歪んだ憎悪が渦を巻き……やがて精神を病んでしまう。けれど「男」と「女」の思いの強さを知り、自分には敵わないと悟った「彼女」は、己の完敗を認める』
悲哀とゆかりは恋仲であり、最初は2人が見事に重なって舞う相舞いで観客を沸かせた。凛々しさ溢れる悲哀の舞いと、美しいゆかりの舞いが合わさって極上のひととき。
しかし血を分けた兄妹でありながら恋仲など、と激怒した「神」が2人を引き裂く。それだけではなく「女」に呪いをかけて2人は手を伸ばして互いを求め合うことすらできなくなっててのった。
ゆかりは恋の切なさと引き裂かれるその身の悲嘆と苦しみを静謐に表現する。悲しみと痛み、その中に混じる切ない美しさ。「女」の姿を見ていると、こちらも胸が痛んでくるような気がした。
(稽古中もそうだったけれど、本番も……いいえ、本番の方が痛く感じる。恋をすることに憶病になってしまった自分を改めて感じさせられるようで……)
悲哀は「男」の感情が悲しみから「神」への憎しみと変わり、先程とは変わって激しく舞扇を閃かせて素早く装いを変える。淡い青色の舞い装束の下には赤の鮮烈な舞い装束を身に纏っており、観客の目を引く。
(若葉さんの脚本を見た時は心躍るようで……私で……満足できる舞ができるかどうかが判りませんが……耀助さんがいらっしゃるのでしたら……頑張って舞わせて頂きます……。現実は、辛いものが一杯あるけれど。舞はそれを一時でも忘れさせてくれるもの。そういうものであればいいって……私は思うのです。この舞いは、それを感じさせてくれる)
引き裂かれた2人が舞台袖に消えると、「彼女」が歪んだ憎悪を表現するべく舞扇をぱっと開いた。黒地に赤をなぞらせた不気味な舞扇で、マリエッタは激しく、己の感情を爆発させるように舞う。
なぜ呪いをかけられても2人は求め合う? 分からない、普通なら病んでしまうのに、2人はむしろ互いに手を伸ばして求め合った。……もし、自分が「女」であったなら。呪いをかけた「神」を憎み、こんな自分とは一緒にいられないと「男」を突き放すのではないか? 狂気に捕らわれた「彼女」の哀しさと激しさを全身で表現する。中にひっそりと、後悔を含めて。
(カーリーも悲哀も凄く素敵な舞いだった。さすが、『夏雫』から男舞いと女舞いを共に舞ってきただけあるよね。それを引き裂こうと願う「彼女」……稽古しまくったけど、上手く表現出来てるかな?)
無論。マリエッタの舞いだって負けていない。素晴らしい舞いというのは、否、舞いに限らず芸術は1人では成り立たない。努力に努力を重ねた者が互いに引き立て合うように全力を出し切る、それでこそ「芸術」と言えるのではないか。
続いて登場したのは社と若葉だ。社は1幕とは違い、落ち着いた茶色の舞い装束を身につけ、若葉は白を基調として、フリルを付けた舞い装束を身に纏っている。その姿にフィーネが心の中で呟いた。
(あれは……もしかして私が提案したもの、でしょうか?)
『ある少女と青年のお話なんですけど、青年はその少女に恋をしてしまうんです。けれども少女は彼の気持ちに応えることはありませんでした。少女と青年では住む世界が違いすぎたからです。
ある日、少女は大きな戦いに巻き込まれて瀕死の状態に……。青年は少女を救うために絶対に使わないと決めていた禁忌の力を使い、少女を救います。けれど、彼はその後少女の前から姿を消してしまうのです。
目を覚ました少女は姿を消した青年に想いを馳せるのでした……』
社扮する青年は若葉扮する少女に恋心を伝えるように、舞扇を優しく、穏やかに閃かせる。けれど若葉はそれを拒絶するかのように舞扇を閉じたまま横に切り、そのまま舞台袖へと消えてしまった。社は悲しくなって、その感情を表現しつつ絶妙な足捌きで舞台袖へと消える。
途端、照明が赤に変わって舞台は赤く染まる。若葉がよろよろとおぼつかない足取りで舞台中央へ進み出ると、一瞬動きが止まった。流れてきた弓矢に討たれたのだ。身体をゆっくり回転させてその場に倒れると、社が駆け寄り、項垂れる。
けれども自分はまだ少女のことが好きで好きでたまらない。彼女を助けられるなら……決死の思いで社は舞扇を開くと、天に向かって懇願する。神ではなく魔に乞うように。立ち上がって激しく舞う、その姿はまるで青年の命を削るよう。
魔は青年の願いを叶え、禁忌の力を授けた。青年は迷わずそれを少女に使い、涙を流す。愛している……そう呟いて。
舞扇を閉じて装束を翻して静かに舞台袖へと消えると、少女が起き上がり周囲を見渡す。戦争は終わり、そこにあったのは普段の日常。ただ1つだけ違ったのは、自分を恋い慕ってくれた青年がいないことだけであった――。
次に登場したのはフレンディスと若葉だ。フレンディスは桜色の淡い羽衣を纏い、可愛らしい精霊のよう。若葉はさっぱりとした清涼感溢れる水色の舞い装束だ。フレンディス扮する精霊はおっとりとたおやかに舞扇を翻し、若葉扮する青年は応えるおうに舞扇を横へ滑らせる。
そこへ、銀色の舞い装束を纏ったフレンディスのパートナー、レティシア・トワイニング(れてぃしあ・とわいにんぐ)が現れる。背中からは龍のような身体が見え隠れしている。これは若葉が徹夜で作成したもので、激しい動きにも耐えられる。舞いにはいささか掟破りかもしれない。
ルカルカが心の中で呟いた。
(あれは……ルカが耀助やみんなとネタを集めて作った物語だ!)
『葦原の山に棲む精霊の女生と人間の男性の、禁じられた禁断の恋。
精霊を取り戻しに来た龍の化身は人間の青年に横恋してしまう。嫉妬にかられた龍の化身は、封じられた魔龍を呼び出してしまった。
青年は、精霊を説得し加勢して貰って愛の力で封じる。
こうして、晴れて精霊と青年はハッピーエンドを迎えたのだった』
レティシア扮する龍の化身は一目で青年に恋をし、自分の精霊を取り戻しに来たはずが、逆に精霊に激しい嫉妬を抱いた。精霊も龍の化身に青年をとられたくなくて、必死に青年に訴えかける。
――精霊め、我を裏切るのか?
――私はこの方に恋心を抱いてしまった。この想いは止められないのです。
舞いながら、フレンディスとレティシアはそれぞれの思いを抱く。
(新しい舞。その、上手く言えませんが生の喜びを感じられるようなのが良いですね。しかしどのような舞になるのでしょう。私、とっても楽しみです。……そう願って志願した舞い人ですが、まさか「狂」をやりつつ「女」も出来るとは思ってもいませんでした……。レティシアさんの舞いに負けないように、頑張らなくちゃ、ですね)
(ふむ……どのような舞を望むとな? 我としては無論立ち回り派手な方が楽で良いと思ったが、龍の化身……中々に面白い。「神」に通じるものもあれば、「鬼」に通じるものもある。それらが見事に融合して、舞っていて非常に気持ちが良い)
龍は荒れ狂う激情を刀による演武で見事に表現し、観客から感嘆したような息が漏れた。フレンディスの可愛らしく、その中に秘めた乙女の強き想いも負けていない。切迫する2人の思い、危険を顧みず、青年が割って入る。
青年の答えは決まっていた。自分は精霊を大切にしたい。許さざる恋だが、自分はその愛を貫き通そうと。どんなに蔑まれても、この想いは本当なのだと。
精霊は青年に力を貸して、2人は龍の化身の激情を穏やかに鎮めていく。龍の化身は必死に抗う。
レティシアの刀が軌跡を描き、2人の力に抗うかのように激しく。しかし精霊と青年、2人の想いには敵わない。やがて龍の化身は悲しい咆哮を上げると、激しく舞う。
くるくる、くるくる。
刀の先端が光を受けて幾度となく輝き、龍の化身は抵抗しながらも、誇りを忘れることはなく。最後まで気高く刀を一振りして舞台袖へと消えると、精霊と青年は微笑んで再び舞扇を閃かせ、喜びを分かち合った。
一旦幕が降り、暫くしてまた上がる。『夢紡』の最終章、6幕が始まる。ところが。
「あれ……?」
彼方と翔は首を傾げた。そこに佇んでいたのはマリエッタただ1人。座り込んで、じっと俯いている。舞扇の代わりに、クマのぬいぐるみを胸に抱きかかえて。
しかもマリエッタは舞い装束を纏っていない。黒蝶が飛び交う柄のドレスにバレエシューズ、頭には蝶の簪という不可思議な装いだ。照明は暗くて、ここが普通の世界ではないことを物語っている。
そこへレティシア扮する案内人がタキシードを纏って進み出る。ハットを取って一礼し、舞扇は持たず、ステッキでマリエッタを誘う。マリエッタ扮する少女は誘われるまま、一歩を踏み出す。途端照明が明るくなり、現れたのはおとぎ話のようなメルヘンちっくな街だった。
(あれは……私が提案した物語だ!)
理知は口角を上げて、舞台を見つめ続けた。
『心を閉ざした少女が迷い込んだ不思議な町。そこに住んでる人と交流するうちに挨拶をするようになり会話をするようになり少しずつ打ち解けてく。
誰かの役に立ちたいって思い始めて町の人が困ってたら自然と手を差し伸べてる自分に気付く。人と関わりを持つのが苦手だったはずなのに。
でも迷い込んだ場所だから暗くなると帰らなくちゃいけない。また来れるとは限らないけど。感謝を伝え、来たと思う道を戻っていく。
迷いながら見慣れた景色の場所に出る。心は軽い。心を開け放つことを覚えたから』
不思議な街で暮らす貴族を演じるのは悲哀とゆかり、そしてフレンディスだ。彼らは少女を快く迎え、温かい食事をふるまう。レトロなスーツとドレス、舞扇は薔薇の刺繍がされていて、何だか夢を見ているような気分だ。少女の頑なな心がやんわりとほぐされていく。次第に少女はこの街に慣れ、外出をするようになった。本来なら外出はおろか、人と放すのも嫌だった。
ある日、困っている貴族を見かけた。社と若葉だ。どうやら懐中時計をなくしてしまったらしい。悲しみを表現するように社はステッキでトン、と軽く地を叩き、若葉は纏っているケープを翻して地を這うように懐中時計を探す。……少女は無意識の内に、彼らの手伝いをしていた。
探し続けて、ようやく見つけた懐中時計。それを貴族達に渡した時の笑顔は素敵だった。人の役に立つ喜びを知った少女は、次第に人との交流をしたいと思い始める。
照明がだんだんと暗くなり、再び案内人が少女を迎えにきた。帰りたくない……けれどここは自分のいるべき場所じゃない。そう悟った少女は後ろ髪を引かれる思いで街を後にする。クマと手を繋ぎ、楽しそうというよりは寂しそうに。その背中がだんだんと小さくなり、マリエッタは舞台袖へと消えた。
しばらくして再び照明が明るくなる。元の世界に戻ってこれたのだ。マリエッタは舞台袖に引っ込んでからすぐ舞台中央へと気配を消して進み出、横たわっていた。夢から醒めた少女は傍に寝ているクマのぬいぐるみを抱き締める。不思議な街の貴族達に感謝を込めて。
照明の色が赤、黄、青、緑、そして桜と。代わる代わる舞台を映して幕がゆっくりと降りて行く。少女は目を閉じて涙を流す、と同時に不思議の街の貴族達が現れた。
みんな、笑顔だった。少女も笑顔で返すと、立ち上がって観客席へと向かう。貴族もみな横1列に並ぶと、深々と礼をした。
観客は盛大な拍手を送り、『夢紡』は終演。耀助達も舞い人達に惜しみない拍手を送り、こうして胡蝶の華『夢紡』は大成功の内に終わったのだった。