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Down to Earth

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「あぁ、ついに陣の実家に行ける日がきたのね……!」
 感極まった様子で慎ましやかな胸を抑えるユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)は、潮風に長い髪を揺らしてパートナーを振り返った。
「ねぇ、あなたの実家って海より山が近いって言ってたわよね。どうして海が見えるのかしら」

 ぶおーんと低い汽笛の音が鳴り響く。
 そう、此処は港町――横浜であって、高柳 陣(たかやなぎ・じん)の実家とは全くの逆方向だった。日本へ行こうと持ちかけられた時はまんまと快諾してしまったが、冷静になる期間をおけば、嵌まりかけの策略の筋も見えて来る。
(誰が実家にユピリアを連れて行くかよ)
 ――ついでに方向感覚が鈍いユピリアを心配してついて来た事も、内緒にしておこう。気恥ずかしいし、調子に乗られたく無いのだ。
 何も答えずに嘆息で返す陣に、ユピリアはちぇっと視線を反らした。その向こうで友人のフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)が、繋いだジゼルの手を待ちきれないとばかりに引っ張りながら外へ駆け出して行く。
「ここがかの有名な横浜国なのですね……」
「『国』って――」
 ユピリアはフレンディスの無邪気な様に、忍んだ笑い声を漏らす。
 つい先日。
 ちょっとした用事でジゼルに電話をした際に、ユピリアは日本行きの話しを聞いた。アレクとハインリヒの任務関係のようで、――その時点で彼等が自由な時間を取れるかは未定であった為――ついていく自分は暇なだけかもしれないという彼女にユピリアは提案したのだ。
「じゃあ私も行こうかな」
 冗談が混じった軽いノリだったものの話しはそこからトントン拍子に進む。共通の友人のフレンディスとベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)に、彼女の義兄弟のグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)と彼のパートナーのウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)も誘い、嫌がる陣を無理矢理詰め込みあれよと言う間に昨日地球へ降り立った。
 ただ三人に遅れてユピリアらが到着したのは夜で、アレクとハインリヒは半休だったらしいが、出先でばったり友人に出くわしてそのまま遊んで来たらしく、彼等がホテルに帰って来たのもまた遅い時間だった。
 そんな訳で日本観光は今日が本番――、フレンディスも楽しみにしていたのだろう。なんでも観光ガイドを読み漁っていたようだし――主に食べ物関係の。
「ジゼルさん、皆様方見て下さいまし
 彼処にスイカのような建物が御座います!
 あれはきっと八百屋さんの建物……何だか美味しそうですね」
 きゃっきゃと跳ねるようにしながら興奮しているフレンディスだが、一行の中でフレンディスの言う『西瓜のような建物』を見つけられる者は居ない。
「あっちのビル?」
「半円型のか? ありゃどっちかっつーとカマボコじゃねーの?」
「カマボコっ!? 陣さん今カマボコとおっしゃいましたか!?」
 新たな食べ物の名前を出しただけで超反応を見せるフレンディスに、これ以上彼女を刺激するな! とばかりに皆は笑顔で話しを流そうとする。
 が、フレンディスは止まらない。
「あのあの!
 あとで中華街へ行くのですよね?」
 フレンディスのお腹をすかせた雛鳥のような期待を受けて、アレクは軽く相槌をうつ。彼等が今居るのはみなとみらいと呼ばれる地区で、午前中の間はこの辺りを軽く流して過ごし、その後でもう一人合流し中華街へ向かう予定なのだ。
「私、お時間が許されればこの店へ立ち寄りたいのです」
 何枚も付箋がついたグルメガイドをぱらぱらと捲り、見せてきた頁には、月餅の写真が踊っている。成る程そいう訳かと頷いていると、フレンディスはそれから「これも」「あれも」「それも」と話を続け、最後に「もう一つあるのですが」と止めを刺すと、グルメガイドをぎゅっと握りしめた。
「肉まんに月餅餅、お団子達が救いを求めている気がするのです!」
 結婚の約束をした恋人が食事をするとあれば、財布を開かない訳にはいかないベルクが、こちらこそ救いが必要な顔で後ろをついて行く。
「フレイのヤツ……。
 今日はジゼルの護衛だとか言ってた癖、自分で言った事忘れてやがるな。誰がどう見たって観光客にしか見えねーわ」
「その方が平和でいいだろ」
「君の懐事情は平和じゃないだろうけどね」
 同情と皮肉めいた顔で陣とハインリヒが背中を叩いてベルクの歩みを進めると、ユピリアは青い空へ向かって伸びをし、つま先を見知らぬ土地へこつんと打ち付けた。
「陣の実家へ行けなかったのは残念だけど、何はともあれせっかく横浜に来たんだし、こうして面子も揃ってるんだし……、
 美味しい物食べに行きましょ!」

 * * * 


 そうして彼等は景色以外はこれと言って目新しいものの無い観光地を、目的地へ向かってゆっくり進む。
 虚弱な体質が祟り夏の間は殆ど外に出られなかったグラキエスは、溜まった鬱憤を晴らすかのように落ち着き無くも楽しそうだ。

 山へ行く筈が海へきてしまったユピリアは
「だってまだ、陣からプロポーズされてないものね」
 と割り切ったらしい。横浜の夜景をバックにロマンチックなプロポーズをされる自分を妄想し、劇場を繰り広げようとして、即座に「しねぇ!」と突っ込みを喰らっていた。

 出発時点ではあーだこーだと言っていたベルクも、突っ込み役が自分以外にも居る――陣の事だ――上、弄られ役のウルディカが居るお陰で初めての日本を満喫出来ているようだ。最近大きな心配事を片付けられた事が、一番大きいだろう。
「俺のお陰だな! これからも一杯感謝して貰わないとな!」
 婚姻の証人であるアレクのこの発言だけが、唯一の気掛かりである。

「やあ、何処でもいつも通りみたいだねぇ」
 待ち合わせ場所に座っていた南條 託(なんじょう・たく)がそう挨拶した程、彼等は遠くからでも――あらゆる意味で――目立っていた。

 用事で一旦実家へ帰っていた託に、ジゼルは興味深げに尋ねる。
「託の育ったところってどんなところなの?」
「家の辺りは畑と田んぼしかない田舎だねぇ」
「緑が一杯なのね! いいなー。私、畑ってあまり見た事が無いの」
 心からそう言っている様子のジゼルに、託は軽く笑う。
「見ても面白くないよ」
「そんな事ないわ。色んなお野菜が土から芽を出しているってだけで、面白いもの」
 託からすればジゼルの『生まれが海の底』と言う方が余程エキセントリックに思えるが、ジゼルはその逆らしい。
「日本は野菜の種類が豊富だよね。
 僕のところだと新鮮な野菜って食卓に上がる事が殆ど無くて、酢漬けになってないのは芋ばっかり」
 ハインリヒもそう言うのに、似たような環境に育ったアレクも頷いている。彼等の場合選択肢は一般庶民よりも多く、触れる機会も多かっただろうに、それでもそう感じるものなのだ。
「無いもの強請りだよな。
 ドナウをわざわざ海外から見に来る観光客も居るけど、目の前にあるとただのデカい川ってだけでさ。
 俺も子供の頃は、海が近くにあるのとか、羨ましいと思ったし――」
 今はビルの影になって見えないが、視線を海へ投げるアレクに倣った託は口の端を上げた。
「知らないところって面白いよねぇ」