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リアクション
●棺桶のたどりつくところ
その飛空船は『棺桶(coffin:コフィン)』と呼ばれている。
単純に形状が似ているからだ。分厚く長方形で、末端に行くほど微妙に細くなる構造である。また、一度行けば二度と帰れぬ場所(つまり浮遊監獄島『エデン』)に行く乗り物という意味もあるのだろう。これを見送る人々が、みな暗い顔、ときとして泣き顔をしているというところも似ている。
――こんな連中と一緒にされたくはない。
コフィン内部の座席に収まって、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)は無言で内部を見回していた。両手には電子手錠、首にも穴の開いた板のようなものがはめられ、席が狭いこともあって窮屈な思いをしている。
こんな連中というのは、レジスタンスとしてクランジ支配に抵抗していた者たちを指す。全部で六人。鏖殺寺院の残党であり、生体兵器『END=ROA』であるグラキエスからすれば相容れない存在だ。
グラキエスは両腕に力を込めた。手錠は重厚なつくりとはいえ、常態の自分であれば、これで吹き飛ぶ程度のしろものだ。だが、できない。首にはまった能力制御プレートが、今の彼を常人程度の存在に押し込めている。
「グラキエス、なるべく体を休めるのだ」
すぐ隣に座る彼のパートナー、ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)が囁いた。この数年、ドラゴニュートはすっかり数が減っている。無論、彼はこの船内でも唯一のドラゴニュートだ。
「すまない……」
グラキエスは両腕をだらりと下ろした。
「俺とともに行動したことで、ゴルガイスもこのような憂き目を見ることになった。俺の責任だ」
塵殺寺院の残党は、クランジにとって一般の人間に増して憎らしい存在らしい。彼らは常に追われ、特にここ一年は執拗なまでに狙われ、気の休まる暇がなかった。皮肉にも、逮捕されこの船に乗せられて、初めて休む時間ができたといえる。
「それは違う。グラキエス、貴公とともになければ、我はもっと早く息絶えていただろう。それに、囚われたからといってまだ命運尽きたわけではない。諦めるな。我も、諦めるまい」
グラキエスは無言で首を振った。疲れていた。鉛のような重さが、両腕と、首と、胃にもかかっていた。
――脱出の機会は、ある。
ゴルガイスはこう考えていた。
エデンは支配の象徴だが、それだけにレジスタンスからは打倒し、占領すべき橋頭堡とみなされている。現在の情勢を考慮するに、ここが大規模戦闘の舞台となる公算は高い。そうなれば、レジスタンスと手を組んで脱出を図ることに躊躇はないゴルガイスなのである。そもそも彼には、塵殺寺院としての所属意識や自負はあまりなかった。
――問題は、グラキエスだ。
グラキエスが塵殺寺院に帰属意識を抱いていることが問題なのではない。逃亡生活のなかで取り戻した生体兵器としての記憶、それが問題なのだ。記憶がきっかけとなってこれまで何度もグラキエスは暴走している。今回捕らえられたのも、暴走直後の弱った状態を狙われたためである。
極端な話、暴走だけならいい――とすらゴルガイスは思う。
生体兵器であることを自覚したグラキエスは『憎しみ』の感情を持つようになった。幼き精神に育った憎しみは、純粋なだけに凄まじい。いつかその憎しみがグラキエス自身を滅ぼすことになるのではないか……そう危惧せずにはおれない。
――このエデンという環境下で、グラキエスはその無力感から憎しみを爆発させることになるのではないか。
船が止まった。
量産型クランジが、腕を振り上げて下船するように指示を始めた。
棺桶(コフィン)のハッチが開くと、そこは飛空艇専用の乗降口のようだった。外の風が吹き込んで来ている。空気が冷たい。
数人の虜囚に続いてグラキエスがコフィンから下りた階段に足をかけたとき、それは起こった。
「嫌だ!」
虜囚の一人がクランジの制止を振り切り、手錠と制御プレートをつけたまま駆け出したのだ。目指す方向はコフィンが入ってきたゲート、ゆっくりと閉じかけているが空がまだ見えている。
「嫌だあああああ!」
中年の男だ。おそらくはレジスタンス、一般の思想犯かもしれないが、いずれにせよここに収容されれば終わりだと思っているのだろう。必死の形相で男は走った。じゃらじゃらと手錠を鳴らして疾走する姿は、着飾った芋虫のようでもあった。
「能力制御プレートがつけられているというのに。あれは……自殺にしかならんな」
ゴルガイスが呟いた。
そのとき、
「ようこそ。新入りの諸君」
館内放送か。エコーのかかった声が聞こえた。トーンの低い女の声だ。
「僕は所長のクランジζ(ゼータ)だ。エデンのルールを手短に伝えようかな」
クランジ量産型は沢山いるのだが、誰一人逃亡者を捕まえようとしない。たた両足を揃えて立ち、逃亡者を目で追うことすらなかった。もっとも量産型には目が入っていないのだが。
「ルール1。『生きてエデンを出ることはできない』」
その声が止むより早く、乾いた音が二度こだました。一つは銃声、もう一つは、この銃弾が何かに跳ね返る音に聞こえた。
反射音の直後、銃弾が逃亡者の額を貫いていた。
どっと男は倒れた。即死しているのは明らかだった。
――跳弾!? イオタか。
ゴルガイスは奥歯を噛みしめた。
クランジι(イオタ)、噂だけは聞いたことがある。スナイパーライフルを用いる射撃の名手で、銃弾を壁などに反射させ標的を狙う『跳弾』という超技術に卓越しているという。
イオタが表舞台に姿をあらわしたことは一度もない。なのでその実像は不明だ。実在そのものも疑われていた。しかしパラミタの実力者はかなりの数が、イオタに暗殺されたといわれている。
イオタがエデンにいるという情報は聞いたことがない。彼女はクランジのリーダークランジε(イプシロン、あるいはエプシロン)の側近として仕えているというのがゴルガイスの認識だったのだが……。
フィリシアは顔を上げた。
彼女の房の前を、数人の虜囚が連なって歩いて行く。いずれも私服であるところを見ると、囚われたばかりの『新入り』なのだろう。赤毛で長身の青年と、彼に負けぬ体格のドラゴニュートは特に目を引いた。彼らにどのような運命が待っているのか、彼女には判らない。
わからないといえば、フィリシアは自分のことすらよく判っていない。いつ囚われたのか、エデンに入る前はどんな人生を送っていたのか、そもそも自分の本当の名前すら知らないのだ。
四年前、彼女はここに収容された。彼女はパートナーであり契約者がいたのだが、収容時に引き離されてしまっている。
生き別れになったショックのためか、あるいは――考えたくない可能性だが――契約者の死亡(ロスト)がもたらしたダメージによるものか、このとき彼女の記憶は、砂の城が高波にさらわれるように喪われた。波が引いたあとの砂浜さながらに更地となった。
だから今、フィリシアが知る人生はエデンの囚人(とらわれびと)となって以後のものしかない。
記憶を取り戻そうという試みはクランジからもなされた。拷問や薬物が用いられたがいずれも効果がなかった。すべて無駄と知ったクランジは、彼女を独房に放り込むとただ生かしておくことに決めたようだ。もう何年も、フィリシアは房の外に出たことがない。
自分はなんの情報も持たない。労働力として有益でもない。飼われる小鳥のように、ただ独房に放り込まれているだけなのだ。なんの目的でクランジがこういうことをしているのかフィリシアには理解できなかった。
フィリシアができるただ一つのこと。それは夢を見ることだった。
浅く眠ったとき、まれにフィリシアは夢を見る。ある男性の夢だ。
彼の姿はおぼろげでよく見えない。ただ、上背があって体格がいいことだけはわかった。
この四年間、フィリシアが発狂もせず自殺もせず、ひたすらに生きることができたのはこの夢のおかげだ。
夢の世界で彼は彼女を『フィリシア』と呼んだ。『フィル』と愛称で呼ぶこともあった。だから彼女は、自分の名前を『フィリシア』であると思うことにしている。
男性が複雑な話をすることはなかった。主に黙って、フィリシアのそばにいるだけだった。
けれどそれだけで心が安らぐ。決して誇張でなく、彼の夢こそフィリシアの生きる糧だった。
男性の顔を見ることはできなかった。もやのようなものに包まれて、髪型すら知ることはできない。
――そういえば、さっきの人……少し似ていたような。
赤毛の青年が行ってしまってから、フィリシアはそんなことを思ったがすぐにその考えを打ち消した。あんなに若くないような気がする。もっとがっしりした体格で……深い声のはずだ。それにもう少し、野暮ったい……。
「!」
瞬時、深い海に沈みゆくランタンの灯火のように、フィリシアの脳裏に輝くものがあった。
しかしそれは現れたとき同様、またたく間に記憶のもやの中に沈んでいった。
そこからいくら頭を悩ませても、なにを思い出したのか思い出すことはできなかった。
※彼女の本名はフィリシア・レイスリー。正史では結婚してフィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)となるのだが、いずれも現在の彼女には理解できないことである。
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