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リアクション
●Desolation Row
歴史的な呼称は後世の歴史家に任せるほかないが、今のところ、2020年を発端とする動乱は『クランジ戦争』とよばれることが多い。
ポートシャングリラは、一連のクランジ戦争でもっとも激しい戦闘がくりひろげられた地の一つだ。
港湾沿いの巨大ショッピングモールに立てこもったレジスタンスだったが、圧倒的な物量を有するクランジ勢の侵攻を受け、抵抗虚しく壊滅的な敗北を喫した。
2024年現在、かつてポートシャングリラだった場所は、蹂躙され尽くしたゴーストタウンと化している。街並みは大きなローラーでひと撫でされたように、その過半の建物が倒壊していた。環境悪化のため干上がったかつての近海からは、塩混じりの強風が始終吹き付けており、崩れかかった街は黒ずんだ塩にびっしりと覆われている。
四つ辻の向こうから、ふたつの人影があらわれた。
一人は、色落ちして斑になった教導団のコートを着ていた。ひときわ強い風が彼女の背後から吹き、コートの裾を強くまくり上げた。だがレジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)は胸元の合わせ目を強く握って、コートが吹き飛ばされることを防いでいる。塩混じりの砂地にはレジーヌの足跡があったが、風に飛ばされたちまち消えた。
エリーズ・バスティード(えりーず・ばすてぃーど)が、レジーヌの半歩後ろを歩いている。
エリーズには表情がない。風に襲われて「ひゃっ」という顔をしたレジーヌとは対称的だった。よく見ればエリーズの頭部の一部に、黄金のプレートがはめ込まれていることがわかるだろう。彼女は数年前、身を挺してレジーヌをかばった際に頭部を破損し、以来、感情のない自動人形のような姿になってしまったのだった。
廃墟の一角に、くすんだ色のドーナツショップがあった。看板に描かれたロゴマークがおどけた表情をしているだけに、ひときわ侘しいものを感じる。
当然営業などしていない。くすんだ色なのもポートシャングリラの崩壊がもたらしたもので、かつては原色中心のきらびやかな外見だったと思われる。
レジーヌはエリーズとともに店の裏口に回った。
「レジーヌ様。周囲に人の気配はありません」
エリーズは淡々と、自動翻訳機のような口調で告げる。
そしてエリーズはシャッターを持ちあげ、隠されていた従業員出入り口を開いた。
二人で店内に身を滑り込ませると、彼女は振り返ってすぐにシャッターを戻した。
店内には薄明かりが灯っていた。
外の惨状に比べれば、店内はかなり清潔といえよう。埃や塩の侵入はほとんどなく、カウンターやシートもきれいに残っている。合成皮革のソファまで手つかずで残っていた。ガラスケース内にドーナツがまったくないことをのぞけば、営業時間が終わって閉店しただけのように見える。
「これで全員揃ったね」
レジーヌの姿を見ると、一段高い椅子に腰掛けていたルカルカ・ルー(るかるか・るー)はそこから滑り降りた。
「みたいだね」
短く応じたのはヌーメーニアーだ。ヌーメーニアーはルカルカと距離を取るように、彼女と正反対の側の壁にもたれている。
黙って腕組しているのは、席の一つに陣取った七枷陣だった。すぐそばにリーズ・ディライドと小尾田真奈、それに仲瀬磁楠の姿もある。
陣たちの後ろの席にいるのはクランジξ(クシー)だ。クシーは生あくびしながら、どこから手に入れたかピンクのマニキュアを爪に塗っている。
その横では同じくクランジλ(ラムダ)が、怯えたような顔をして身を小さくしていた。アテフェフ・アル・カイユーム(あてふぇふ・あるかいゆーむ)が彼女の横で、ラムダの手を握ってやっている。
「ここが空いている」
立って、レジーヌとエリーズに席を案内したのはジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)だ。ぎこちなく腰を下ろすエリーズのために椅子を引き、レジーヌが着席するのを確認すると、彼はわざわざ、少し距離を置いた椅子に座り直した。レジーヌが男性を苦手としているのを知っているのだろう。
レジーヌはジェイコブの事情を知らないが、彼の目が常に、悲しみの色にくすんでいることは知っている。彼女は彼に軽く会釈して前を向いた。
「減ったな。レジスタンスも」
何気ない口調であり決して大きな声ではなかったものの、その呟きは全員の耳を引いた。
灰色のダウンジャケットを着た老人だった。岩が人間のかたちをとって歩き出したような姿で、腕も脚も首もすべてが太い。ごつごつしているのは体のつくりだけではなかった。濃い髭に覆われた顔は花崗岩のようで、赤茶けてざらざらとしている。年齢の数だけ刻まれたというのか、手もしわだらけでひび割れているように見えた。やはり灰色の毛糸帽を頭に被っており年齢が判りにくいが、少なくとも七十は超えていると思われる。しかし、むっと匂うような生気というか、獣じみた力強い生命力がその全身に感じられた。
「爺様、そのような発言は……」
アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)が腰を浮かせかけたが、まあ聞け、とでも言うように老人は片手を上げた。
「……悔しいんだよ、俺は。息子夫婦も、孫夫婦も、俺より先に逝っちまった。残ったのはおめえ、アル坊だけだ」
老人の分厚い眉の下から、磨き込まれた鉄の柳刃包丁のような眼光がのぞいた。
「ったくよ、それがなんの因果か、こんなジジイが残っちまった」
――あれがクラフト・ジェニアス……。
夏侯 淵(かこう・えん)は、畏敬の念に打たれたように彼の姿に見入った。
クラフトはアルクラントの曾祖父だ。実年齢は外見よりさらに上、すでに齢百を越えるが、それでも第一戦に立って戦う体力があるという人間としては規格外の人物である。無論パラミタには彼を越える長命の種族が多数あるが、地球の歴史の生き証人ということもあって半ば伝説的な存在と言えた。クラフトは旧名を『天地・R・蔵人』といい、青年時代の石原肥満とも親交があったという。
どちらが年長かといえば、英霊としての淵のほうが上ということになる。しかし実際に人として経た年月という意味を考えると、淵はやはり彼に尊敬の念を抱かずにはおれない。
「クラフトさん、あなたが手を貸してくれることは嬉しく思います」
ルカルカは敬意を示しながら老人に言った。
「けれど、あなたたちには市民権がある。この作戦に参加するのはリスクが大きすぎるのではありませんか」
「たしかに、僕が機晶姫として市民登録されているからね」
完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)がルカルカの言葉を継いだ。アルクラントがペトラと契約を交わしているため、彼らは二級市民としてクランジから生存が許されている。食料等の配給も受けることができた。
アルクラントたちはそのため、レジスタンスとして前面に出て戦うことはこれまでなかった。市民という立場を利用して密かにレジスタンスの逃亡を手伝ったり、武器弾薬の調達を行ったりしてきたのだ。実際、こうした会合にクラフトまで出てくるのは久方ぶりのことである。いま話し合おうとしている作戦(オペレーション)に参加するということは、ペトラを含む彼らすべてが市民としての権利をすべて放棄するということであった。
「悪いね。一言、口を挟ませてもらうよ」
すっくと立ち上がった姿があった。それまで透明なベールを被っていたものを、急に取り去ったかようだった。
「初顔見せになる人もいるだろうか。俺はアシュトール・エメラルダ。アルクラントと同じくソコクラントの生まれだ。以前は空軍パイロットをしていた」
細面の青年である。男性だが手足顔が心持ち小さいようだ。それでいて肩は筋肉質で、よく鍛えられているのが見て取れた。黒い革のコートを着ているが、椅子にはさらにもうひとつ、濃い灰色の長いベンチコートをかけていた。彼もアルクラント同様、ペトラとの縁で二級市民として登録されていた。
「アッシュ、ここは俺が」
と言うアルクラントを、やんわりとアシュトールは制して、
「まあ説明させてくれよ。アルクの考えは、アルク以上に判ってるつもりさ」
アルクラントはいくらか不服げな顔をしたが、アシュトールを押しのけてまで発言する気はないらしい。口を閉じて椅子に座り直した。
「ペトラのおかげもあって二級市民としての生活をしてきた俺たちだが、クラフト翁のおっしゃるように、レジスタンスの人材は日々減少している。表現は悪いがジリ貧というやつだ。いつまでもこのままではいられない、だろう?」
首を巡らせて自身の問いかけが伝わったことを確認し、アシュトールは発言を続ける。
「状況的に仕方がなく、また、それが確かに必要とされていたとはいえ、これまで我々が表立って抵抗活動に協力できなかったことには内心忸怩たる思いがあった。団結してクランジに当たる機会が、あと何度あるかわからない。これが最後かもしれない。世界の……というのが大袈裟なら、故国の、同胞の仇を取る機会がほしい。それが望みだ」
クラフトが黙ってうなずいた。山が動いたような存在感があった。
「付け加えることはない、と思う」
アルクラントも言った。しかし彼の視線は、かすかにだが左右に振れていた。
「僕は、マスターに従うだけだよ」
ペトラは、凛然とした目で告げた。
「それに個人的には」
アシュトールは黒革のコートを、まるで羽のように翻した。
「空京……あの灰色の街にはうんざりでね、俺は」
軽口ではない。心からうんざりした口調だった。
「……わかるな、その気持ち」
ぽつりと言ったのはシリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)だった。
灰色、それが比喩や当てこすりでないことは、会合場所であるこのドーナツショップに集った顔ぶれを見れば一目瞭然だろう。
老クラフト、アルクラント、ペトラ、そしてアシュトール、この四人、すなわち機晶姫と二級市民として暮らす彼らは、全員灰色一色の装いなのだった。現在はアシュトールのみ烏の濡れ羽色したコートを羽織っているものの、彼もここに入ってきたときは、灰色の上着で身を包んでいたのだ。
服だけではない。アルクラントのベレー帽も、全員の靴も、ペトラが羽織るパーカーのフードに至るまですべて、単一トーンの灰色である。せいぜい多少の濃淡があるくらいで、おおよそ色彩感覚というものが見あたらない。清潔ではあるものの、そろって飾り気のない、のっぺりとしたデザインだった。まるで彼らだけ、モノクロ映画の世界から出てきたかのようだ。
「オレは御免だね、空京暮らしなんて……」
心底ぞっとしたようにシリウスは呟く。
空京に市民として暮らす市民には、食料や生活必需品の配給がある。総督府(クランジεらによる政策最高決定機関)に逆らう意思を見せない限りは行動の自由が認められ、インフラの整った快適な住環境が提供された。都市は近代的かつ清潔で、医療環境にも恵まれている。鏖殺寺院統治時代の無秩序さとは天地の違いがあった。
しかし空京市民には、相応の義務が課せられていた。
たとえば、必ず灰色の服を着なければならないという規制だ。デザインには多少の幅があるものの、どんな形状であれグレーの服を強制される。これは決して冗談ではなく、統治初期には灰色の服を拒否してエデン送りになった者もいるという。
規制といえば、アルコールや煙草もすべて、空京市民には禁じられている。『酒と煙草は人類を堕落させたものであり、世界の敵である』という理由によるものだという。いずれかを所持しているだけで罰せられ、服用しているところを目撃されれば処刑される。
総督府の表現によれば、空京はとても『クリーンな』都市なのである。
シリウスに限らず市民として扱われない面々はみな、思い思いの色を持つ服装だ。歴戦で汚れ、ほつれていようとも、少なくとも着る服は自由だ。当然密造とはいえ、酒も煙草も流通している。
シリウスは別に服装に強いこだわりがあるわけではなかった。正確には、クランジ戦争の動乱を生き延びるだけで精一杯で服装など構う余裕がなかった。酒や煙草も特に求めたりはしない。だが彼女はそれでも、『選択肢が最初から存在しない』世界と『自分で選択できる』世界に大きな差があることは知っていた。前者だとしたら息が詰まると思う。
――自分のことは自分で決める。それが許されないのなら、生きている意味がない……!
シリウスは、ぐっと唇をかみしめていた。
「クラフト・ジェニアス氏ら四人の話は理解した」
と言ったのは、ルカルカの参謀ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)だ。
かつてのダリルは、『綺麗な』男であった。クールでタフで、流行の服もさらりと着こなす、そんな姿だった。伸び放題の長髪を乱暴に背でまとめ、炸裂弾を受けて落ちた視力を補うため眼鏡を着用し、汚れた迷彩服を羽織る現在のダリルは、戦争前の容貌とは大きく異なっていた。
だがルカは知っている。それでも、ダリルはやはり頼りになる男なのだと。
「その意思であれば俺も賛成だ。ルカルカ、今回の作戦、彼らの参加を俺からも求めたい」
ダリルはルカに視線を向けた。連日の疲れで目の下に深い隈ができているが、彼の『有機コンピューター』と呼ばれた頭脳は健在だ。すでにダリルは、アルクラントたち四人をメンバーに加えた上で作戦を計算しなおしているだろう。
「わかった。皆さんの命、レジスタンスが預かるわ」
ルカルカは短く了承の意を示すと、クラフトに手を差し出した。
「死地へようこそ。けれど、未来は死地からしか生まれない……今は、そう考えてる」
「なに、この老骨が役に立つのなら、死地でもなんでも喜んで行くとも」
アルクラントは二人のやりとりを黙って聞いていた。
――『今は、そう考えてる』か……『今は』とはどういうことだ?
それがどういう意味なのか、アルクラントは気になったが口には出せなかった。
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