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リアクション
●ACT1
この時代の空気が肌に合わないのだろうか。
2022年からすれば格段に不衛生な時代であるのは確かだ。なにせ東京全体が、まだ瓦礫の山のようなものなのである。戦争は終わったとはいえ、幾度(いくたび)もの空襲に焼かれ傷ついた都市が、そうそう旧に服するものではなかった。空気にはすえたような匂いがついてまわり、人々も清潔とはいえない。
だけど、具合が悪い理由はそれじゃない――清泉 北都(いずみ・ほくと)はそう考えていた。
時間跳躍(タイムワープ)に酔っただけだ。
今回の件の事情を聞くや、北都はためらわず時間の旅に身を投じたのだった。あれからまだ、半日程度しか経っていない。
時間の壁を超えるとき、船酔いを数倍するような『酔い』が短時間あることは知っていた。これは体質や体調によってその度合いが異なるとされており、慣れている者でも数分間は昼寝中にたたき起こされたような頭痛を感じるものだという。
しかしいつまでも気分が悪いとは言っていられないだろう。強いて北都は、己の目的を確認するかのように言葉を紡いだ。
「肥満さんが襲撃されるまで、今日を含めてあと三日、十分な時間とは言えないよね……」
言いながら商売道具をひろげる。闇市は天下の往来、どこで店を開こうが自由だ。
現在、北都は白シャツに黒の学生ズボンという出で立ちで地元の学生に変装していた。いずれも事前に用意しておいた古着で、適度に汚れもつけてくたびれた感じにしてあった。
売っているものにしたって、手分けしてかき集めたこの時代の廃棄物ばかりだ。といってもガラクタというにしては見栄えがいい。廃墟から拾った資材を加工して、お椀や箸にしたものなのである。
「そうですね」
北都の同行者、リオン・ヴォルカン(りおん・う゛ぉるかん)が穏やかに応じた。
リオンは長い髪を背中で括り、いでたちは北都とほぼ同様だ。背を丸めるようにして北都とともに闇市と同化していた。といっても『本職』の人々に比べればリオンも北都も、顔立ちが整いすぎてはいるが。
「ですが、急がば回れと申します。こうやって闇市で商売をしていれば、石原氏の情報は自然に入ってくることでしょう。それまでは1946年を満喫するのも一興、ですよ。決して明るい時代ではなかったと思いますが、見て下さい、ここに生きる人たちの生命力のたくましさを。元来た時代はもっとずっと豊かですが、ここの人々のように全力で生きている人は随分少ないように思うのです……」
このとき、傍らにいた一頭の犬――実は白銀 昶(しろがね・あきら)が変身している狼――が、注意しろとでも言うかのように低い声で唸った。
「おっと」
リオンは慌てて口を閉ざした。しゃべりすぎたと悟ったのだ。事実、闇市には滅多にない丁重な言葉使いで、しかも『この時代』『元来た時代』など、危うい発言を繰り返したのを聞きとがめられたのか、米袋を担いでいるモンペ穿きの中年女性に怪訝な目で見られていたのである。
『追っ払おうか?』
というような目で昶は北都を見た。しかし北都は軽く首を振ると、
「兄さん、またそんな夢の話を……」
哀しげな顔をして、ぺこりとその女性に頭を下げたのだった。
「ごめんなさい。変、だよね? 璃音(りおん)兄さんは学徒動員されたんだけど、訓練中の事故で頭に大怪我を負ってしまったんだ。以来ときどき、こんな白昼夢を見るみたいで」
たちまち中年女性の顔は、不審から同情へと変化した。
「いいんだ。でも、兄さんが死ななかっただけでも僕は満足だから……。もう僕の家族は、兄さんと犬のアキラだけになってしまったんだけど、天涯孤独に比べればずっと幸せだよ……え? 何か買ってくれるの?」
いつの間にか北都はこの危地を商売に転じてしまっていた。最後には毎度あり、で女を送り出している。
ちゃっかりしてら、と、アキラこと昶は鼻を鳴らした。『犬のアキラ』という紹介はどうも気に入らないが、狼だと紹介されたらそれこそ大騒ぎになりかねない。大柄の犬、でいいのだ。ときおり食料を見るような目で見てくる引き揚げ者もいたりするが、闇市に来た子どもにはおおむね喜ばれ、もふもふと頭を撫でられたり抱きつかれたりしてくすぐったかった。スマイル0円ならぬ、もふもふ0円というやつか。
「すみません、北都。どうも私、口が軽くて……」
リオンが申し訳なさげに頭を下げるが、北都はいたって平然としていた。
「大丈夫だよ、『璃音兄さん』。むしろ多少は目立っておいたほうがいいと思う」
北都はそれ以上言葉を重ねなかった。
それにしても暑い。一雨来た後にますます湿度と温度は上がっている。蒸し風呂にいるかのようだ。
だがこの暑さは、決して不快なだけのものではなかった。図らずもリオンが言ったように、全力で生きる人々の熱気も感じられるものだったからだ。
まだ頭痛を目の奥に感じながら、それでも北都は、ゆっくりとこの街に身体が馴染んでいくのを感じていた。体験したわけでもないのに、かつてここに住んでいたのではないかという懐かしさも覚える。
自分はこの時代を知らない。けれど自分のなかのDNAは、確実にこの時代を識(し)っている――そんな気がした。
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